August 26, 2008

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 今日でやっと、3ヶ月ほど前からお互いに不在着信を残し合い、然しながら一向に話題の進展することが無かったUsmさんとの電話が通じて、久し振りにそれぞれの近況のことなどを話をした。この奇妙な探信音の遣り取りが、一体どちらから何の用事の為に開始されたのかについては、もうすっかり忘れてしまった。彼女と最後に電話越しの会話を交わしたのは確か半年くらいは前のことで、私は新宿駅西口の舗道で彼女からの電話を受けたのだった。その時私は一人で居たのだけれど、それはこれから人との待ち合わせをするか、或いは誰かと別れた直後のことだったように思う。どちらにせよ、私の記憶はこの出来事と共に珈琲の味を覚えている。

August 24, 2008

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横浜は関内に在る ZAIM へ行き、照明プラン及びドラマトゥルクとして関わるNUDO『ペトルーシュカ』を観に行った。

August 23, 2008

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 今日は addidas 社製のスニーカを3足買った。靴を買うのは久し振りのことで、念入りに履き比べて品定めをした。暫くは生憎雨続きのようだけれど、明日は真新しいスニーカのどれかを履いて出掛けるのだから、それが楽しみでならない。黄緑味のある金色の革のもの、メッシュ地で細身の白銀色のもの、コーデュロイ地の緑色を基調としたジャマイカン・カラーのものを、3足枕元に綺麗に並べて私は嬉々としていた。

August 22, 2008

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 仕事が終わってから渋谷へと向かい、レコード店にて Mravinsky, E. による Bruckner, A. の交響曲集(Symp. No. 7 - No. 9)、Shostakovich, D. によるピアノ曲の自作自演集、Borodin Quartet による Shostakovich, D. の弦楽四重曲集(No. 1 - No. 15)のCDを購入した。これらは全て VЕНЕЦИЯ 盤のもの。

 8月15日の終戦記念日を経てから、気温は下がり、やがて秋めいてきた。蝉はまだ騒々しく鳴き喚いているが、その様相は随分と空々しく季節外れであるとも感じられるほどに、この数日の気象の変化はより一層明確に秋を表し始めていた。私が幼い頃に覚えた夏のイメージ——青空に立ち上る入道雲や、夕立や雷——は、この十年の間はすっかり失われていたのだけれども、今年の夏にはそれらがまるで一巡でもして再び開始されたかのようであり、四季に於いては最も強く激しい夏の気象の現れは、私の古い記憶を一括りにして一挙に蘇らせるものだった。巷で喧伝されているようにそれは確かに異常気象の片鱗であるかもしれないが、私は幼少期を過ごしたタイでの気分を呼び起こす荒々しい今年の夏のから直裁に懐かしさを覚えた。だが、その夏の姿も今や私の眼前を足早に過ぎ去ろうとしている。気が付けば散歩道を彩る風景の色合いもまた秋へと移り変わっていく。草木はその時々で最も華やかな種が連綿に異なるとは云え、このような眼に見える自然の変化について私は敏感でありたいと思う。

August 18, 2008

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「次いで七日目になり、彼らは早く、夜が明けるとすぐに起き、これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。その日だけ都市の周りを七回行進した。そして七回目のこと、祭司だちが角笛を吹くと、ヨシュアは民に向かってこう言った。「叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ。そして、この都市は滅びのために捧げられたものとされなければならない。それは、そこにある一切の物と共にエホバのものとなる(…)」。それで民たちは叫び声を上げた。それは〔祭司〕たちが角笛を吹きはじめた時であった。そして、民が角笛の音を聞き、民が大きなときの声を上げはじめるや、すぐに城壁は崩れ落ちていった。そののち民は、各々自分の前をまっすぐに進んで市内に入り、その都市を攻め取った。」

[《And it came to pass on the seventh day, that they rose early about the dawning of the day, and compassed the city after the same manner seven times: only on that day they compassed the city seven times. And it came to pass at the seventh time, when the priests blew with the trumpets, Joshua said unto the people, Shout; for the LORD hath given you the city. And the city shall be accursed, even it, and all that are therein, to the LORD(…). So the people shouted when the priests blew with the trumpets: and it came to pass, when the people heard the sound of the trumpet, and the people shouted with a great shout, that the wall fell down flat, so that the people went up into the city, every man straight before him, and they took the city.》
Joshua 6:15-17, 20]

August 16, 2008

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 駅前の書店にて、ヴァレリー, P.『エウパノリス・魂と舞踏・樹についての対話』(清水徹訳、岩波書店、2008年)[="Eupalinos ou l'architecte" 1922. "L'ȃme et la dense" 1922. "Dialogue de l'arbre" 1944.]を購入した。

August 15, 2008

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 この日は同窓のTksさんと上野で待ち合わせて、東京国立博物館で催されている『対決——巨匠たちの日本美術』展を観に行く。最終日が近付いていた為にか、平日であるにも拘らずまるで休日とも見紛うばかりの人出の多さだった。炎天下と、そして湿気に滲んだ色とりどりの人の海。皆銘々に気負った面持ちで、一堂に会した日の本の名物を拝んでやろうと躍起だ。そんな熱気の最中に紛れて、お互いに歩調も歩幅も合わないから、先ずは各自で順路を2巡して、それからロビーで待ち合わせて3巡目を一緒に観て回った。ガラス壁に汗の浮いた鼻を擦り付けるようにして、雑踏に偶然居合わせた隣人と肩を擦り合い身を捩るように前に出て、或いは二三歩ガラス壁からは退いて、苦心しながらも窮屈な鑑賞を終えた。企画展でもなければ、こうして合い並び立つことも無かったであろう名物の数々が、一挙に視界へと収まる景色の為に湧き立つ高揚感の何と騒がしいことか。「対決」の文句はあからさまに観者の批評的な態度を煽るものだけれども、寧ろこの企画展に於ける真骨頂は、名物の数々が織り成す異彩の景色にこそ集約されている。個々の作品をじっくり観たければ、銘々の収蔵先へと足を運ぶ方がずっとよい。間違ってもこの為に掛かる手間を省いて楽をしようなどとは考えないことだ。そうでなければ、わざわざ人混みに揉まれてげんなりと疲労するようなことは割に合わないし、馬鹿げているから。
 私は雪舟にちらと挨拶をして、長次郎を愛で、宗達には大いに笑い、蕪村に唸って会場を後にした。彼女とは等伯と若冲への好みについては共感し得たが、然し私の蕪村趣味には首を傾げていた。こう云う趣味が死を眼前に悠然と余生を楽しむ老成のものであることを私はしっかりと心得ている。そのような愉悦を、私はM先生から教えられていた。

——或いは別の夢。

 「見せかた」と「見えかた」との矛盾を記述することにかけては芸術批評の強みがあるが、そこへ理論的な正当性を織り込んでしまう点では文学に劣る欠点を備えている。だが、対象へと向かう態度に於いて何らの他人事の余地も挟まぬという点に、批評的言説の価値が宿る。これはジャーナリズムには到底及びも付かぬ真摯な態度である。予てより批評畑の人間は世情を退き何者かの歴史の為にかまけてきた訳であるけれども、然しふと娑婆へと眼を向けてほしい。そこに何が見えるのか、己れの真摯な態度はどのように発露されるのかを試してほしい。改めて言うまでも無いが、芸術は古典にしかない。それ以外のものはひと時も保ち堪えずに、目を離したその瞬間には跡形もなく消尽してしまうのだから、本当に下らない、それらを救い出そうなどと義務感を誤謬に貶めることなく、先ずは己れの眼前に何が現れているかを明敏に語ることこそが、最も真なる(そして内なる、私たちの)芸術に歩み寄る為の唯一の手立てである。当の芸術作品は、私たちに遅れて、宣言的に現れてくる。その差異に向かって我々は言葉を差し挟むのだから。

——さらに復た、別の夢。

 いよいよ以て重症だ!
 レコード屋を訪れても、聴きたい音楽が思い浮かばない。書店に立ち寄れど、欲しかった本を目にしても、それらを手に入れようとは思わなかった。
 近頃では新本を買わず、新譜を買わず、何もかもすぐに見飽きるだなんて、いよいよ老成の無気力が歩み寄って来たのか!?
 最近では文章を書く気もめっきり失せていたけれど、今ではリハビリ紛いにまた幾つかの文章を書き始める機会を得ているから。僕は程無くして、文学者に成っているかもしれない。

——このような気分を夢の中で思い出しでもしなければ、復た現世に於いても同じ気分が繰り返されることも無かったのだと思い、私は大変に悲しかった。と云うような夢を見た。