カッフェで岩波文庫の漱石『硝子戸の中』を読んでいたら、あちこちへと持ち運ぶうちに段々と草臥れたらしいグラシン紙のカヴァが、背から真っ二つに破れてしまった。これはすっかり飴色に変色していたのが、その為に却って風情が匂っていた。この幾分か古風な様子は気品の漂ったふうにも感じられて、頁を捲る指先とは違った手触りが本の背を支える指に残るのも私は気に入っていた。
むずかりながら破れたグラシン紙を取り除くと、随分と真新しいような感じのする表紙紙の様子を私は意外に思った。薄汚れて透明さの鈍ったカヴァを透かして読める表題の文字には、古びたが為に確かさの宿るような思い込みも有ったが、それが今や昨日今日にでも書店で買い求めたばかりのもののような、まだ新しいというだけで気恥ずかしさを思うような気分の生まれない訳にはいかなかった。不意にものの纏う魅力が消え去ってしまったかのような落胆が興った。表面ばかりが侘びて、然しその裏では着々と新しさの伏蔵されていたことには驚かされた。
清々しい天色の帯には「定価100円」と書かれている。奥書を見れば、私のものは1983年の第53刷とある。これは丁度私の生年に相当する。その上には1963年改刷とある。さらに上には初刷りの年が書かれていて、これは1933年となっている。意外にもその出所は年の浅いもので、表紙紙のまだ初々しいのはこの為である。例えば私の持っている『東海道中膝栗毛』は1938年に刷られたものであり、その全体は黒ばみに汚れて背の表題はくすんで判然としない。(又、この頃の岩波文庫は当世のものよりも一回り大柄で、のみならず検印台紙が貼られている)二つの本を並べて見比べれば最早一目瞭然に、後者は実に無理なく侘びていた。半世紀ほどの幾年の差は、やはり思うまでもなく明らかなものだった。手品のカラクリを知った時にもこういう気分を抱くものらしい。魔術の備える魅力は幻惑に依るものだけれど、こうもあっさりと切り返しを喰らう小気味良さにこそ、寧ろその為の魅力は喚起されるように思う。
破れて用を成すことも出来なくなったこのグラシン紙のカヴァは、仕方無しに二つ折りにして後の見返しの間に挟んである。
September 18, 2008
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時刻: 23:14
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September 17, 2008
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仕事帰りに日吉の書店へ寄り
大川周明『回教概論』筑摩書房、2008年(=慶應書房、1943年)、
『わたしは花火師です』(中山元訳、筑摩書房、2008年)[=Foucault, M. "Je suis un artificier" 1975, "Se débarasser de la philosophie" 1975, "Qu'est ce que la critique? Critique et Aufklärung" 1978, "Histoire de la médicalisation" 1974, "L'incorporation de l'hôpital dans la technologie moderne" 1974.]、
を買った。
時刻: 22:20
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September 15, 2008
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口を噤めば、世界で最も早く耳に届いた音楽が聞こえてくる。残影の音楽とでも言えようか、その旋律は口ずさむ間も無く消えて失せてしまい、と同時に次から次へと矢継ぎ早に頭蓋を駆け巡る。だが確かに聞こえた音楽のただ影として知るような直観を掴まえ、持続の手綱を繋いでおく事は難しい。つまり、音にして鳴らすには余りにも素早く、この音楽を書き留める為には非常な記憶力を要するか、——或いは"印象の力"であるかもしれない、この二度とは繰り返し聞く事の出来ない音楽を掴まえ留めておく為には、先ず何よりも才能が、次いで客観を介さぬままに持続を勝ち得た集中力(決して「今まさにその音楽を聴いている」などという理由を手にしてはならない)を必要とする。だからこそ、不意に響き渡る音楽との度重なる別れを惜しむよりも寧ろこの期に満ちた stimmung 気分を受け入れると云う事が、直観の響きが降り注ぐ為の歓待の礎となるように思われる。
時刻: 22:54
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September 14, 2008
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今日は昼頃に目覚めた。昨晩の飲酒の為にか、少し胃の荒れているような感じがした。素晴らしい晴れ模様だった。が、数時間もすると陽は陰ってきた。久々にバイクの後席に跨る。秋めいた風にとても気分が善い。多摩動物公園から多摩センターへと抜ける道のいつの間にか開通していたことを知る。そのまま近所の古本量販店まで送り届けてもらう。
講談社刊「国際版・世界の美術館」シリーズのうち
『ボストン美術館』(Bd. 11)、
『ロンドン国立絵画館』(Bd. 13)、
『メキシコ国立博物館』(Bd. 15)、
芥川龍之介『奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇』岩波書店、1991年、
『「砂漠の美術館——永遠なる敦煌」展図録』1996年、
これらを購入した。
時刻: 10:56
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September 13, 2008
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今日は高幡不動へ行き、以前の職場の同僚と酒を呑んだ。私がその職場を離れてから1年近くが経っていたので、久し振りに顔を合わせた筈なのだが、その為の感慨は不思議と起こらなかった。それぞれの今の仕事のことなど、近況についてを話した。1人が遅れてやって来た。
トルコの綿菓子「ピシマニィエ(Pişmaniye)」の話題になったが、「あれはガラスマット(FRP成形に用いる)にしか見えない」という点で盛り上がった。私も初めてこの菓子を目にしたときはそう思った。指で摘んで、毛糸の絡まったようなのを解しながら食べると、ぽろぽろと毛綿の飴が溢れて散々な目に遭う。思い切って一口に食べるのが望ましいが、とても甘いからそれが難しいという人も多いだろう。口にすれば、親しみ易い白漉し餡のような味がする。
18時から終電を過ぎるまで、6時間は酒を呑み続けていたことになる。酔い具合はそれほど深くもなく、だが少々"べらんめえ"の調子で、ほろ酔いに任せて勇んで高幡不動尊の暗い山道を3人で駆け擦った。
時刻: 23:56
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September 10, 2008
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職場からの帰りしな古本量販店に立ち寄り、『ギタンジャリ』(森本達雄訳、第三文明社、1994年)[=Tagore, R. "GITANJALI" Macmillan, 1912.]を買った。
時刻: 23:54
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September 7, 2008
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今日は平日に起床するのと同じ時刻に目覚めて、それから暫くは部屋の掃除をした。色々なものを捨てた。普段から折り畳んだり重ねたりして脇に押し遣っていたものを、あれこれと吟味しながらも次々と屑籠の中へ放り込んでいった。
午後になり、北野武の映画の幾つかを飛ばし飛ばし観ていた。Bruckner の音楽を聴いていた。そして、そろそろ夕方の事などを思い起こすような時間になってからやっと、私は自転車に跨がり近所の中古本量販店へと向かった。何か気晴らしの為になるような本を探した。そこで、
筒井康隆『ヘル』(文芸春秋、2003年)、
『フォレスト・ガンプ』(小川敏子訳、講談社、1994年)[=Groom, W. "FORREST GUMP" 1986.]、
『好き? 好き? 大好き?』(村上光彦訳、みすず書房、1978年)[=Laing, R. D. "Do You Love Me? --- An Entertainment in Conversation and Verse" 1976.]、
これらを購入した。
時刻: 21:12
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