30日の東京藝術大学に於けるネグリ関連イベントには随分とがっかりさせられた。私はその冒頭部をインターネット中継により試聴し、そして結局は15時からのイベントに行く事を止めた。本郷東大にて友人が催した花見に顔を出す。途中、秋葉原に行き、4/3から "101Tokyo" の会場となる旧錬成中学校に立ち寄る。まだ全くの準備段階であり、ボランティア・スタッフが忙しそうに動き回っている。各員の役割分担が上手く連携されていないような印象を受けた。当日は少しまごつく場面を目にするかもしれない。会場を後にし、末広町から湯島へと歩く。小雨に降られる。不忍池を脇目に湯島天神への坂を上る。本郷東大の桜並木は薄く雨に濡れしんと静かである。友人たちはその傍らに陣取って既に酒盛りを始めていた。気温は序々に下がり、少しばかり凍えてくる。桜の花の咲き誇る枝振りの向こうには安田講堂が見える。それを眺めながら、前日に催された東京大学に於けるネグリ関連イベント姜尚中・上野千鶴子対談の事を想像し、寧ろ娯楽としてはこちらのイベントの方が面白かったのではないか? などとも考える。それから、私は連れ立っていた恋人と一緒に代々木上原へと行き、柿内崇宏『環状8号線∞ ——内側から外側へ 外側から内側に』を観る。多摩美術大学映像演劇学科出身の作家による自主制作映画。会場では私の知人や友人の又友人たちと歓談する。作品の内容は、登場人物たちがだらだらとした会話を続けると云うもので、繰り広げられていく話題には脈絡が無く、場面が淡々と移り変わることで次第に時間と場所との関連が忘却されていく。途中、VHSテープに対するノスタルジックな態度も見られたが、上映後に作家から話を聞く限りは、どうやらそれは主題の随伴線らしい。尤も、率直に、初めて映像装置を手にした時の拙い感動と驚きの事を想起しながらこの作品を鑑賞するべきなのではないか、とも思った。端的に、「眼前の世界が映像として置き換えられる事は不思議だ」と云う視座は、日常生活に於いては屢々失われがちであるから。
March 30, 2008
untitled
時刻: 21:46
label:
about_Art,
memorandum
March 29, 2008
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善し悪しを通り越して、好き嫌いでしか語り得ない絵画を
私は"失語症絵画"と呼ぶことにしよう。
例えば林檎の描かれた絵があるとする。
この林檎は赤い、そして中央に大きく描かれている。
「この林檎は、あなたの心を表している。」
などと作家が言いはじめたなら、これを眉に唾して聞くべきだ。
この林檎は、右上に描かれた小さな手によって、握られようとしている。
この手は果たして握る手か? それとも林檎を放り投げる手か?
そういう問いを失語症絵画は、実に無化している。
紛れも無くその絵画にとって、それはどうでも善いことだからだ。
作家のエゴを極端に通したら、観者の解釈もどうでも善くなった。
だからそういう作品は、他の作品との比較を嫌がるし
さらには作品の内部に於いても対比や差異を必要としない。
そういうやり方で、唯一性を手にしている。
こういう絵画を前にして、作家はオリジナリティーを口にするが、
出来事による唯一性というより、キャラクター性を全面に押し出している。
つまり、それらの作品は複数化しうる訳だけれど
一つ一つ、表情が違うんだ、つまりそれはシリーズなんだ、と
作家はその絵を前にしてしたり顔だ。
いうなれば、その絵に対して何も言って欲しくは無い訳だ。
March 27, 2008
untitled
後輩のNmさんから1ダースもの缶ビールが送られてきた。
宅配員から手渡された段ボール箱は、小柄だがずっしりと重く、開封するまでその中身が何であるかは分からなかった。
(最初は、彼女が私に返却し忘れた照明機材であるかとも考えた)
箱の中で揺すられてバラバラに崩れた缶ビールの束を目にしたとき、私は思わず笑った。
そこには手紙も同封されていない、何故にこの1ダースの缶ビールが私の許へと送り届けられたのかについてを理解することが出来ず、私は暫く戸惑った。
(そして直ぐ後に、伝票の品名欄に書き添えられていた「happy birthday.」の文言に気が付いた)
有り難う。
私はあなたに対しては特に何もしてやれなかった情けない先輩であるけれども。
時刻: 19:35
label:
memorandum
March 25, 2008
untitled
折口信夫『死者の書』を久々に読み返した。折口は『国文学の発生』や『言語情調論』ばかりを読んでいるので、たまに論述ではない彼の文章を読むのも楽しい。『死者の書』は、私の感覚からすれば幾らか読点が多めに打たれていて、喉を使って読むと閊えたようなリズムになる。が、それと同時に実に滑らかな日本語の語調も伏蔵されていて、この闊達な言い回しには屢々感じ入ってしまう。
本屋で立ち読みした『KAWADE道の手帖 横尾忠則 ー画境の本懐ー』が非常に面白い、寄稿者のラインナップを目にしただけでその事が容易に想像出来る。但し、今このタイミングで横尾を扱う事は少々遅い、それ故に「横尾再考」の態を成している事は残念である。とは云え特集本のような真新しさは感じられないが、企画としては興味深い。それにしてもM先生『画狂人が神秘に触れると?』のグバイドゥーリナに寄る一節には笑った。相変わらずの奇矯振りである。
時刻: 21:40
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memorandum
March 23, 2008
untitled
春の陽気はすっかり我が物顔をしてやって来た。
辺りには花々が咲き誇り、山の端の色彩は序々に白味を帯び、霞掛かってくる。
それ(es)に在る気分(stimmung)は紛れも無く「春」である。
その「何ものか」が私に語り掛けてくる。
実に慌ただしい、まるで「紙だ、インキだ」と云う具合に成る。
私は「それ」についてを何一つ残らず、余すところ無く書き記すつもりで居る。
冬の風景に於いて発見されたものが次第に確信へと変じていくのである。
私の抱く予感——もの自体(Ding an sich)に孕まれていた時間が充足理由律の上に書き記されていくこと、私の所有する発見。
私の頭上に吹き荒ぶ風、私は「春」を発見した、私の心の真ん中を貫いて、春雷は私に霊感を与える——と或る"予見"、この穏やかならぬ騒めき——騒々しさ、この何ものかが私の眼前で喚き立て、私はそれを注視しながらも地団駄を踏む。
私の夢、私の錯覚は、この晴れ渡った空色の如く鮮やかで、澄み切っている——と云うような夢を見た。
時刻: 00:09
label:
memorandum
March 22, 2008
untitled
東京国際芸術祭2008『アレコ』ほかを観る。
UPLINKにて渋谷慶一郎 "filmachine" についてのレクチャーに行く。
時刻: 23:47
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〈編集中〉,
about_Art,
about_Electronica,
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review
March 20, 2008
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3/20の朝日新聞朝刊(37面)で知ったのだが、アントニオ・ネグリ氏の来日が急遽延期(事実上の中止)となった。それに伴い、ネ氏来日に因んで企画されたイベントも中止又は内容の変更等が為されるだろう。
今回の事は、端的に言って非常に残念である。
尚、下記 url には、ネ氏来日中止に関する詳細と氏よりのコメント文が掲載されている。
財団法人「国際文化会館」>>>
http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm
これを読むと、20日に日本への渡航を控えたネ氏に対し、その直前に突如として法務省から彼の入国に横槍が入った事が窺える。この措置について、ネ氏が「出入国管理及び難民認定法」の第5条4項(「上陸の拒否」)「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」として日本法に抵触する事がその理由とされた。
ネ氏は1979年、「赤い旅団(Le Brigate Rosse)」によるアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件への関与に対する嫌疑から逮捕・起訴された。その後、この件についての無罪が確定するが、彼の政治的な影響力を危惧したイタリア政府は新たに「国家転覆罪」を適用する。彼はその裁判中の'83年にフランスへと逃亡・亡命し、'97年にイタリアへ帰国、監獄に収監され6年間の禁固刑を受けている。
今回の措置はこの事柄を受けてのものであるが、前述の第5条4項には「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りでない」ともあり、法務省はネ氏に対して彼が政治犯であったことの正式な証明を求めていた。が、彼がその証明を即座に行なうことが時間的にも難しい為に、今回の来日が中止とされたようなのだ。これについて、素人考えからは「国家転覆罪」が「政治犯罪」では無いと云う事には少々奇妙な印象を受ける。(フランス政府はイタリア政府からのネ氏身柄引き渡し要求に際して彼を政治亡命者としては扱わなかったのだが、彼がイタリア国内に於いて不実の政治犯の身であることは最早公然の事実であろう)只おそらく、この例外を適用するためには、どちらにせよ関係書類の用意が必須なのだろう。
「アントニオ・ネグリ来日プロジェクト」と銘打たれ企画されたイベントのうち、東京芸術大学で催される『ネグリさんとデングリ対談』については、このまま企画を継続して欲しいと思う。今回の一連の自体を踏まえた上で、何らかのアクションが起こることだろうから。
時刻: 14:01
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historical_fact,
memorandum