July 23, 2006
July 12, 2006
紳士淑女諸君!
——さあ、議論を始めよう!
さて、これから議論を始める為には、
お互いに論理的でなければならないな。
その上でなら議論のテーブルに就いた者 同士
互いの「合意」は暗黙の裡に、
既に含み込まれている筈だ。
ふむ。それ故 議論は最低でも平行線か交差であり、
それに全く関与しない、と云うことは
よもや想像されないだろうな。
そこには「誤解」の自由だって、無論、在り得るのだから。
——素晴らしい!(拍手)
だから議論に於いて感情的になることは、
我々に共有された「ルール」に反する。
感情の持つ不可解さは、合理性を持たないから。
例え、机を怒り任せに殴りつけたとして、
我々は間違ってもテーブルから離れることを許されない。
そうだ。そのような行為は礼儀に背くのだ。
議論そのものを放棄すると云うのだから、
そのような不躾は、素直に負けを認めるということだから。
蓋し、これでは無神経で、極端に気の長い人間が
最終的に勝ち得て了うことも否めないな。
——馬鹿な!(一部、騒然トスル)
ここで、もう一度「議論の条件」とやらを鑑みれば、
互いに働く暗黙の裡の合意(「議論を続けよう」或いは
「それは確かにそうだ、然し、今度こそ私が」)
も有るが、
それと同時に、そもそも互いに異なる立場を持つと云う保証
(「それは飽く迄 君自身の意見だ」)を与える弁証法が機能している。
ふむ。それは暗黙の裡に互いに結ばれた合意を、
議論の上で目に見えるかたちに結実させようとする
(それは、納得のいくかたちであれ、物別れであれ、何らかの結果として)
議論の「機能」そのものであるが、
そのような短絡こそ、議論にそもそも含み込まれている欺瞞である!
——(一部カラ熱烈ナル拍手。ソレモ直グニ止ム)
つまり、議論をするからには必ず何らかの結論に辿り着くが
(「議論が成立しない」と云うのも結論だ)、
我々はそれを期待してはいけない筈だ。
議論に参加している主体は、それぞれに多面的であるが、
その多面性がそれぞれに個別で、数え上げ出来るもの
(「君のそのような"意見"は、"私の立場"とは異なる」)
だと考えてはいけない。
その多面性は、議論の未だ終わらぬ裡にはまだ保留されているので、
我々がそれぞれの立場について述べられるのは、
その議論が決着したあとであるだろうから。
——(観客ハ、オ互イノ顔色バカリ伺ッテイル)
だからと云って、それぞれの立場を初めから留保して議論を続けてもならない。
それでは、互いの立場を確認した上で、
敢えて言わないでいるのと変わらないのではないか?
それでは結局、それぞれの立場を確定し、
それらを先延ばしに保留する態度をとっているに過ぎないだろう。
つまり、議論に於けるそれぞれの立場 云々を初めから考えてはいけない筈だ。
だから諸君、ようく聞き給え。
何なれば、議論を始めるにあたって、それぞれが互いに顔を突き合わせている
その状況こそを議論の条件と考えよ!
——もう沢山だ! もう沢山だ!(拍手)
時刻: 06:31
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