December 31, 2008

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 帰郷する。生家に帰り着くと、居間に在る簞笥の上に彼の遺骨を納めてある骨壺が置いてある。言葉もない。当然のように悲しみも起こらず、ただ了解が残る。「ああなるほど」というような具合にしか理解は動かない。
 思い掛けず両親が残しておいてくれたらしい彼の死顔の写真をPCのディスプレイ上に見る。彼の頬の、最期の床擦れで赤く斑らになった傷が痛々しい。視線がまるで定まっていない黒い瞳と、瞼の下に覗く白目からは、やはり死体を見ている感じがする。ここに生前の彼の愛嬌は一片も残ってはいない。単に在るものが、やはり思い直すまでもなく死んでいるという感じがする。生者は死体を、死のモニュメンタルなものとしてしか見ないようである。相変わらず言葉はなく、この無関心や、この違和感のことが寧ろ興味深いのだろうと思う。

December 25, 2008

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日吉の書店に、ていくえみ綾『潔く柔く』(Band. 9)を購入した。

飼犬に対する気持。

 今日、母親から、生家で飼っていた犬が死んだという報せがあった。秋田犬に似た雑種で、雄犬。狐色の毛並みに太めの垂れ尾、小型で、いつまで経っても子供のような、賢い犬ではなかったがそこに愛嬌があった。——以下、憧憬と愛着とを以てこの犬のことを「彼」と呼ぶ。
 彼の名前はクルンヌンと言う。これはタイ語で ครึ่งหนึ่ง と綴り、定訳では「半分」という意味を持つ。母親は「小さい」という意味合いで彼にこの名前を名付けた。彼が生まれてから17年、——彼は17年も生きた。その後半に当たる7年間は、私は上京の為に年に一二度、彼のことをたまに構ってやるだけだった。だからこの7年は、彼には殆ど構ってやれずじまいに終わった。それが今更ながら私にとって、このことが理解の上では悔やまれたのだった。
 また、途中から家猫が飼われるようになったことも、彼にとっての不幸であったかもしれない。彼は落ち着きのない性分を持っていた。家猫は屋内に居て、終始家族へ向けて気紛れな愛嬌を振りまいていた。彼を、段々と年老いてきたからといって屋内で飼うわけにはいかなかった。その結果として、彼は知らぬ間に疎遠にされて、新参者の家猫が家族らの愛情を一手に引き受けることになる。
 彼はそういう愛情の、言わば"おこぼれ"を得るような境遇に置かれ始めていた。そしてこの頃から、彼のフィラリアに侵された為に、夏に寄生虫が活発に働くようになると、ぜいぜいと苦し気な息遣いをするようになった。その姿は、やはり家族らに何ともいたたまれない心境を植え付けただろう。冬になればまた穏やかな息をするようになる。そういう安堵の繰り返しが、また完治が不可能であるという事実が、彼の安らかな死に方を家族らに願わせる引き金となった。——この点については、彼は随分と生き長らえたので、私も含め家族らは彼の結果に対して満足を得ているだろう。散歩に連れて行っても、彼を走らせることはできなくなった。のみならず彼を散歩に連れて行くことが、彼の健康の為にはよくないという共通認識が家族らの間に出来上がっていた。そして実際にも彼は、帰郷して久々に構ってやると、時々まるで跛を引くような不自由さを見せるときがあって、日向に寝転んでのんびりと欠伸をするような仕草にも、然し着々と彼の老いつつあることを感じたときには不憫で仕方なかった。彼は生家の庭先で穏やかな余生を過ごした。
 彼の死の報せを職場で知ったときには、私はまだ彼の死を本当の感じで理解することはできなかった。後の7年を片手間に扱った飼犬の死に対しては、寧ろ悲しみはずっと遅れてやってくることになる。私は取り敢えずは型通りに、彼の死を悲しもうと努めた。だが実感は、感情に遅れて付いてこなかった。脱力するような感覚があったが、それは気力で持ち直すことも可能だった。そして私が空の犬小屋を見て、彼の死を本当に実感するときには、もはや私の感情はすっかり古びたものとして呼び起こされることになる。彼の死は、そうやっていつまでも出来事の上ではズレ続けるのである。私はいつまでも、彼の死を思い出すことしかできないでいる。
 母親の送ってきたメールが、やけに情感たっぷりに綴ってあったので、私はそのことに腹が立った。それが却って私の涙を誘った。「陳腐だ、陳腐だ……」と言いながらも、私は泣くことを心掛けたかもしれない。私は母親に、彼の死顔を写真に収めてくれるように頼んだ。そうでもしなければ、私は一年前に彼を構ってやったときの光景を、彼の最期の姿として思い出すことしかほかにやり様を残されていなかった。だが、その願いはとうとう叶えられなかったのかもしれない。——次に、彼が灰になっていくという報せがあった。それから彼がどこへ埋められるのかはまだ知らない。このことを訊く気力は起こらない。せめて生家の庭先に埋めてやって欲しいと思っている。

December 23, 2008

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 昼過ぎになって、府中本町にある中古模型店「レオナルド府中店」へ行こうかと、不意に思い立った。晴れていたので聖蹟桜ヶ丘まで歩いた。駅前の書店で
『素粒子』(野崎歓訳、筑摩書房、2006年)[=Houellebecq, M. "Les Particules élémentaires" 1998.]、
を買った。というのも、先日の「破滅派」忘年会で、私が「フランス人が最近書いたもので何か面白いものはないか?」と訊いたうちの数人が、真っ先にウエルベックの名を挙げていたからであるが。
 京王線で分倍河原に着いて、そこから府中本町方面へと歩いた途中に「レオナルド府中店」はあった。が、想像していたよりもずっと小さい店構えだったので、多少訝しい心持ちになった。もう10年くらいは前のことになるが、私が初めて「レオナルド秋葉原店」を訪れたとき、店内ところ狭しと床から天井までのありとあるスペースに積まれた商品群に圧倒されたことをよく覚えている。その印象からすれば、目の前にある「レオナルド府中店」は余りにも小さかった。そして案の定というか、私の欲するものは見付からなかったので、また後日に他の支店を巡るか、或いは通信販売ででも手に入れようかと考えた。他にもぽつぽつとは面白いものはあったが、それらはまたの機会にでも。成果なく帰路に就くと、斜向いに鄙びた味の古書店があることに気が付いた。店に入ってみればこれも案の定、本の背が黴で黒く焦げているような、やけに年期の籠った本ばかりが陳列してあった。そこで目に付いた
子安宣邦『宣長と篤胤の世界』(中央公論社、1977年)、
崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会、1977年)、
これらを購入した。あとは、行きとは逆戻りに帰路に就いた。

December 22, 2008

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自宅の最寄り駅にある書店で、
石川雅之『もやしもん』(Bd. 7、通常版)
を購入した。

December 21, 2008

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 この日は同人誌『破滅派』忘年会の為に渋谷へ行った。着いたときに、待ち合わせの時間までには余裕が有ったから、Tower Records に立ち寄り、
Tortoise "It's All Around You"(2004)、
the Sea and Cake "Car Alarm"(2008)、
を購入した。
 それから待ち合わせ場所——渋谷マークシティの一階、Starbacks 前で、人待ちをしながら先に集まっていたメンバーらと暫し歓談する。その折『破滅派』(No. 2、3)を購入した。前回彼(女)ら会ったのが秋葉原での「文学フリマ」に創刊号を出品していた時のことだから、もう2年近く経つだろうか、だが相変わらずといった感じも有って然したる齟齬は生じなかったのだ。

December 13, 2008

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 近所の中古本量販店にて
幸村誠『プラネテス(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)』(Bd. 1-4)
を購入した。

December 10, 2008

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 夏目漱石『行人』を読み終えた。今までは序盤を退屈に思って、何度か読むのを断念していたのだが、改めて読み直してみると、今度は中盤まで上手い調子で読み進めることが出来た。だから残りはその惰性で読み切った。否、後半の話にはぐいぐいと引くような力があって、寧ろ飽きずに面白く読めた。新聞小説だからか、一節々々ごとに節くれてぶつ切りのようである。全体としても大きく四つに分たれている。だが今になってみると、あのバラバラな具合が善いのだと思った。結末の、特に纏まるでも救われるでもない具合が善いのだろうと思った。結末の筆致にはファニーな雰囲気が漂っていて、この物語を滑稽譚として読むことを充分に可能としているのだ。


「私が此手紙を書き始めた時、兄さんはぐう‥寐てゐました。此手紙を書き終る今も亦ぐう‥寐てゐます。私は偶然兄さんの寐てゐる時に書き出して、偶然兄さんの寐てゐ時に書き終る私を妙に考えます。兄さんが此眠から永久覺めなかつたら嘸幸福だらうといふ氣が何處かでします。同時にもし此眠から永久覺めなかつたら嘸悲しいだらうといふ氣も何處かでします」

[夏目漱石『行人』1913年]

December 9, 2008

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 今日は仕事帰りに下北沢へ寄って火曜会に顔を出した。H先生に会った。段々、何だか落ち着かないような気分になってきた。のみならず夏目漱石の『こころ』に登場するKの具合が気になってきた。私は文字通り「先生」の配役を与えられているような心持ちになった。躍起になって珍しく方々に電話をした。だが、やっぱり私は「先生」のままであった。
 またこの事柄とは別に、H先生が珍しく剽軽な振る舞いを見せたので、その様子が何だか私には可笑しなものに思えた。

December 7, 2008

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 昼過ぎにY君と西日暮里で待ち合わせ、谷中霊園へと向かった。もはや我らが定番となっている散歩コースである。晴れていて、何も無かった。行き交う人々が皆冬の陽光の下に活気づいていた。皆日陰を避けるように、温かい場所だけを選んで歩いている。私は手に持っていたチキンカツの端を飛んできた鴉に啄まれた。私はこのとき既に酒に酔っていた。この鴉に幾許か復讐でもしようと、塀沿いに飛び跳ねていたら手の甲を浅く擦り剥いた。
 谷中から上野、途中で上野東照宮に立ち寄り不忍池の脇を抜ける。そこから東大の本郷校舎へと歩いた。銀杏の落葉の、黄の折り重なって降り積もった具合は大変に美しかった。構内のカッフェで少し足を休めた。それから御茶ノ水へと向かい、総武線に乗って、代々木でY君とは別れた。

December 4, 2008

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 職場からの帰りしなに、Y君と稲田堤のカッフェで歓談をした。近頃は彼と会う機会が多い。というのも、以前に触れた通り、互いの通勤路が稲田堤の街路上で交差している為なのだが。
 話し終わって、店を出てから、また二人で向かいの古書店を素見した。