November 29, 2010

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つまり形式の成立の為には否応無しに観者の参与が要請され、かつ客観的には自立し得ない点を「演劇的(演劇に劣るもの)」として批判可能である。換言すれば、この形式には展示可能性しかなく、実在性が欠けている。

November 27, 2010

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青山目黒での『青田真也展』のオープニングへ行く為に中目黒へ向かった。
その途中、商店街に在った古書店にて
『独和辞典』(博友社)、
『コンパクト日中辞典』(三修社)、
平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社、2001年)、
蓮見重彦訳『マゾッホとサド』(晶文社、1973年)[=Deleuze, G. "Présentation De Sacher-Masoch" 1967.]、
大久保譲訳『コミック 文体練習』(国書刊行会、2006年)[=Madden, M. "99 Ways to Tell a Story: Exercises in Style" 2005.]、
を購入した。
それからオープニングへ、久々に会う人ともこうやって話すことが出来るのは良い機会だった。青田くんの作品は奇妙に思える。手を触れることを抑制する手触りが有る。これはヤスり取られた表面が触視的に不快を引き起こすからだろう。(少し引いて、離れてみて)見た目の滑らかさ、読み取ることの出来る情報の少なさには、逆に興味の感覚が引き起こされる。言うなれば手に取ることの出来る距離に於いての押し引きが内観に生ずる。かと云って、これを実際に購入し、所有して、手近に飾ろうと云う気にはさせることがない。おそらく我が身の生活の中に、元来は生活の産物であったものが、一度は展示価値を得たもののまた再び生活へと再-参入してすっかり消え入ってしまうように創造されるからだろう。
この後、二次会にも顔を出し、ざっくばらんな歓談を楽しめた。

November 3, 2010

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秋葉原へ行き、必要な電材を購入した。秋葉原を訪れるのは久々なので楽しい。
それから、豊洲に在る大型ホームセンターへ行く。彼れや此れと、素材に用途を見出だしながら買い物をするのは楽しい。
有楽町線から三田線へ乗り換えて西巣鴨の稽古場へ行く。