June 30, 2009

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ピナ・バウシュが死んだ。68歳。

June 28, 2009

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 友人から映画へ行こうと誘われて渋谷へ行く。
 待ち合わせの時間までにはまだ余裕が有ったので TOWER RECORDS に立ち寄り "Heart of the Forest" を購入する。これは Baka Pygmies の固有な音楽集である。他、高木正勝の新譜 "Tai Rei Tei Rio" が出ていたので、それを試聴する。私はこれまで彼の映像作品のみを評価し、彼の音楽についてはさしたる興味を持たなかったのだが、本作については注目すべきものを感じた。即興らしさが先立つ作為となって空々しい箇所もあり、こと和声の軽んじられた印象があるものの、逆には即興的な匂いが為の瞬発力には琴線に触れるものがある。それは、以前に多摩美術大学で催された対談の折に目にした、『(不明:2013/09/23)』に感じられた ボルタンスキ, K. の作品にも似る感覚のあったことを想起させた。また、同梱された『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』には、『Homiĉevalo』の前例があるから芸術人類学研究所との関連を想像した——無論のこと、これは楽曲中に散見される文化人類学的な興味の束からも——のであるが、何のことはない、この冊子の監修・編纂を当研究所助手の石倉氏が行っている。
 それからユーロスペースへ行き、横浜聡子『ウルトラミラクルラブストーリー』を観る。この回は監督本人への質疑応答付き。尚、以下には私の個人的な見解を記載するが、その内容について、作品を鑑賞するよりも前に目にしたからと云って、作品の性格が少しも毀損されるものではないことを保証する。何故なら、作品に対する好嫌の感想は、観者個々に自由なものだからである。のみならず私は、私の興味に従い、作品に於ける構造にのみ注視してここに記述するのだから。
 この作品が青森県を舞台にして、舞台となる地方に固有の言葉遣い(津軽弁)により展開されることは、事前の知識として既に得ていた。この時点で先ず予想されたのは、標準語を話す人物の導入である。というのも、一般的には聞き取りの難しい津軽弁によって全てを展開することが作品の鑑賞に際しては障害と成り得るからであり、方言と標準語との遣り取りにより、このように特異な音に対して観者が次第に耳慣れていく効果が期待し得るからである。(私は東北地方の音に慣れ親しんだ耳を持っているので、作中の聞き取りにはそれほど苦労はしなかった)
 次に、作品の通奏低音となる「死者の声を聞くこと」についてを記述する。前半部中に登場するイタコに扮した人物が町子(主人公Aと恋仲に成ることが予感されている)に対して「死者の声が不明瞭であったとしても、それに耳を傾けるべきである」という強い宿命感を提示する。また、「誰もが空っぽの頭を持っている」とも提言する。前者について、先ずは冒頭部で(i)Aが亡き祖父の録音(カセットテープに収められた農作業指南の口述——これは技術の伝承である)された声に耳を傾けることを端緒として、中盤部で(ii)町子の元恋人であり故人の要(かなめ)の声をAが聞く(体験の伝承)こと、(iii)心臓が停止することで一度死に、にも拘らず生ける死者として在るAの声を町子が聞く(これは物語上の山場である)こと、さらには終盤部で(iv)Aが二度目に死んだ後に、録音されたAの祖父の声の再生という再現部を経て、Aの声もまた再生されるのを町子が聞くこと、そして明確な死者としてのAの声が提示されることを通じて、さらには保母である町子が子供たちへの語り掛けについて熱意を抱いている(知識の伝承)ことからも、世代を経た連関に於いて死者の声が伝達されていく構造が明らかなものとなっている(が、Aの両親については描写を欠いており、不明の侭である。これは、祖父から孫への血縁上の連関に於ける飛躍から、それに並行した、自己から他者への飛躍を補強するようにも見える)。と同時に、これらはAの身体が死へと移行する段階の在り様でもある(i. 死者の声を聞く為の耳を持った生者として。ii. 生者と死者との中間段階として。 iii. 死者として生者に語ることを可能にする存在として。iv. 完全な死者として、生者にとっては追憶も反復も可能な存在として。このような段階を経て、Aは死者と生者との間で媒介者としての役割を果たし、消滅する)。尚、「声の不明瞭さ」については質疑応答の際に監督自身が"明確な意味付けを避けた直感的な言葉"として補足していたが、これは"標準語からの方言に対する不明瞭さ"としても重合している(逆に、町子の明晰な声は、意味への妄信が表現されたものだ、とも彼女は補足していた)。後者については補足的に後述しよう。
 ところで、質疑応答の際に或る質問者より雑誌上の監督へのインタヴュー記事について——結末での町子のアンビヴァレントな表情のクロースアップ・シーンが「恍惚の表情」として演出されたらしいこと(出典は不明である)——の情報から、私は即座に バタイユ『エロティシズム』のことを想起する(「恍惚」の語を「エロティシズム」へと直結させる手続きは、非常に安易な仕方であるが)。なぜなら通俗的には恋愛描写に於いて必要とされる性衝動の表現(程度の差を伴う)がこの作品にはすっぽりと欠けている(このことによりAの無垢さが強調されている)為に、却って町子の恍惚がエロティシズムの欠如を止揚する(つまりは正常な男女関係への移行を可能とする)ということが、邪推とは云え有り得るべく充分な強度を備えていると考えられたからである。また同様に、質疑応答の際には監督の発言に散見された「空っぽの頭(純粋さから導き出された必然性)」より、頭部を欠損した亡霊として登場する要や、森の中で熊と誤認されて射殺(彼にとって二度目の死)されるAが毛皮を連想させる上着を纏っていること、結末でのAの脳を貪り食べる熊からAの熊への転移が想像されることと、それによりAが要同様に頭部の欠損した類似の存在として見出されることからも、又、バタイユの「無頭人(アセファル。頭部のない人間か、動物の頭部を持つ人間として表される)」のことを想起するものである。

では、批評とは何であるか。作家の作為を詳らかに暴くことだろうか? ひいては作家の作品に忍ばせた作為の矛盾を明らかにし、その拙さを難じるものであるか? 例えその言及が仔細に渡ろうとも、結局は論拠を作品へと還元してしまうのだから、一般的に「批評的」と称される遊戯の多くは主観的な陳述に留まるに過ぎない。敢えて言えば、作品に対する言及に臨んで仮にも「作品」と名指したものを当の作品それ自体に真っ当から屹立させることこそが批評的な態度であると言えないだろうか。

たったこれだけの証左により、監督にバタイユの素養が有るなどと結論付けてよいものだろうか? 無論、このような読み取りを保証する為の考察はまだ不十分であるが、分析の可能性として保留したい。
 では、この作品に於けるもう一つの主題である「空っぽの頭」についてを記述したい。

町子:陽人とは従属対称の関係に在る。
言うなれば町子には人格的な描写が乏しく、またその魅力にも欠けている。
つまり陽人の人格的な魅力を浮き立たせる為の地であり、その為に従属しているのだ。

 以上、概略的に作品を俯瞰すると、極めて明確な構造性のあることが分かる。が、質疑応答の際に監督が口にするのは、「目的に対してどのような手段を試みたか」ではなく「作中の人物であればこのように感じるだろう」というような観者の感情移入の仕方に沿うような発言であり、一見して作品に見られるような構築性とは矛盾する曖昧なものに留まっていたことが気に掛かる(なぜなら、制作者の発言としては作品について余りに無知であり過ぎるものだし、逆に何らかの意図により、観者にとっての読み取りのヴァリエーションを期待する態度にも思えたから)。私はこの作品がどのようなマーケティングを経て世に売り出されているのかを知らないが、今後、作品がどのようなターゲット層に希求していくのかについては一定の興味を維持したいと思った。

June 19, 2009

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複数のものを一体性により成立させていた舞台芸術(主に演劇)は、観客と云う歴然とした複数性を前に一対多であったが、観客の複数性によって保持されていた対称性が破れて、観客は「みんな」として四人称的な——となった。
(一対多の非対称性を正常なものとして成立していたものが予てよりの舞台芸術である)
一対一では対話である。つまり口語の優位が現われてくる。が、それが行き詰まったならば、一と成った観客と再び多のものとして解体するモダニスム的な(それはポストモダンを経た新たなる価値体系である)アプローチをとるか、退行して舞台上の一体性を再び解体して再-提示するポストモダン的な対応をとるか、或いは複数性を完全なまでに覆い隠すことでファシズム的な仕方をとる方法があるだろう。そして少なくとも中者はすでに為されている。
とすれば新たなるモダニスムか、それともファシズムか。後者は極めて商業的な劇作においては既に充分なかたちで一般化しているように見受けられる。

※個性を規定するもののうち、水平的なものには大きく三つの要素がある。
一つには彼の所属する国家であり、これは軍事行動により輪郭付けられている。次には宗教観があり、これは周辺において他の宗教とも混じり合う為に常に根源的な指向性を維持し続けることで個体性を保とうとする。三つには、言語があり、これも宗教の在り方と同様に周辺での混じり合いを伴うが、彼の意識を外部に現す仕方は唯この方法を以てしかないばかりか、彼の思考の仕方そのものを規定してもいる。
他方で垂直的なものには、時代と世代という二つの時間的な系列がある。前者は単線的であり、かつ客観的な仕方で主体との関わり合いを持つ。それに対して後者は内的な時間系であり個々の要素としては短期的であるが、非線的な構成素を総合するならばかなり長期的な、かつ具体的な経験に基づくような仕方の期間を持つ。

June 15, 2009

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※美術作品について言葉(ランガージュ)で以て語ることは、同様に文学作品について語るのとは異なる、全き「困難」というべきものに直面せざるを得ない。人は、ものについてを語る際には言葉を用いる。文学作品も——これは日常的な言葉とは屢々乖離する場合があるが——「言葉」が用いられ、また「言葉」で書かれている為に、円滑な意味の移行が可能で有るかのように、多くの人々には感じられるものである。だが、文学作品が、既に言葉として選び取られた対象の組み合わせであるのに対しては、美術作品というものは依然として言葉以前の地平にあるような対象として現れるかのようである。何なれば、美術作品というものには、文学作品が当然のようにして世界という対象から言葉によって選び取られているかのような関係を創造できることに対して、あたかも「言葉」を用いるという手段を敢えて回避したかのような対象を改めて言語化するという作業が必要で有るかのような印象をを与えるものである。このような認識により、人々は端から、先ず作品という対象をこれまで誰もなし得なかった偉業でも達成するかのように言葉に置き換えるという作業に対して、まるで苦慮しなければならないかのような困難を覚えるものである。が、これとは逆の言い方を試みるならば、敢えて言語化をする必要がなかった為にこのような作品としてのかたちに留め置かれている、とも言い得るものである。そして現に、「作品」といわれるものの全てが、何か高度で複雑な概念を言い当てる際には既に充分なかたちで整理されていると、後々になって遡及可能であることに留意したい。というのも、これは最早当然のことのように思われるのだが、人の理解において言葉による仕方が最も簡潔な方法だとは畢竟言い得ないからである。そして、このような誤謬の背後には、複雑で淀みがちな"日常的な言語使用"における表現の困難さが控えているための錯覚のあることが指摘し得るのである。人は、そもそも言語以前のものであるというような対象の前にあって、明らかに気負うが為に硬直し、そして失語に陥りがちなのである。

※子が親と結ぶ「世代」の関連を、今度は子が親と成ることにより反転するのであるが、最早親子の間にある世代の関連が上手くいかず、己れの自尊心ばかりを強みとしてく系列にあっては、その都度「時代」にあって絶えず繰り返されていく類似についても、やはりその都度、一回性ばかりが重視され、絶えず新しさだけが確からしい基盤となり連綿と繰り返され続けるのである。

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休憩時間中に日吉の古書店を梯子して、
江戸川乱歩『江戸川乱歩 全集 第三巻 パノラマ島奇談』(講談社、1978年)、
末永照和訳『芸術の手相』(法政大学出版局、1989年)[=Picon, G. "Les Lignes de la Main" 1969.]、
木田元・迫田健一訳『シェリング講義』(新書館、1999年)[=Heidegger, M. "Schellings Abhandlung Über das Wesen der menschlichen Freiheit: (1809)" 1995(1936).]、
これらを購入した。
また、帰りしなに日吉駅の書店へ寄り、
『軍事研究』(No. 520, Jul., 2009.)、
を購入した。

June 13, 2009

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渋谷から原宿駅前を抜けて秋山画廊へ、『戸谷森——It's like this, it's like that』展を観に行く。その途中、TOWER RECORDS に立ち寄った。
戸谷君が在廊していたので今回の作品についての話をした。
以前の『(トキ)』での作品にモチーフとして現われていた、絵画基底面に並行して全面展開する木の枝が、今回は有効に機能していた。それは、この木の枝のすぐ背後に「棚」という極めて日常的で手の届き易いモチーフが配置され、画面全体に30cmほどの浅い空間表象が企図されていた為だろう。棚には陶器製らしいコップや積み重ねられた本が置かれている。これら木の枝と棚とは一見すると順当な前後の重なり合いを持つかのように見えるが、木の枝の裏で屢々棚板が分断されていることにより、絵画面・木の枝・棚板の前面(そして棚の背板)の並行性が強調されている。また、木の枝の輪郭を基点として緑の木の葉が生い茂りヴォリュームを成しているが、これも一見すると空間表象の最前面より突出しているかのように見えて、実のところは茂りとその基点と見えた木の枝とは空間的な隔たりがあるし、やもすれば木の枝のすぐ背後に控える棚板の前面よりもさらに向こうの奥にあるように見える。このような奥行き方向への段階的な空間表象を意識させる点について、私は即座にヒルデブラント『造形芸術における形の問題』[von Hildebrand, Adolf. "Das Problem der Form in der buildenden Kunst" 1893.](この論文の意味深さは、ボードレールによる彫刻作品の多視点性への批判に対して、彫刻作品の視覚的な読み取りにおいて手前から奥への段階的な方向性があることを指摘することにより、彫刻作品の構造的な正面性を保証することで応えているからである)のことを思い出した。ヒルデブラントも彫刻家であるから、なるほど彫刻から絵画へと転向した戸谷君にも何か共通する思考があるのかもしれない。彼と話している折に、立体物であるモチーフの平面上への移行について、彼はキャンバス面の手前にモチーフを配置し、(アトリエの電気を消して)そこへライティングをすることにより生じる影をトレースして制作を行ったと言っていた。また、絵画を専門とする人が立体物であるモチーフを頭の中で平面化して扱い、それを構成してキャンバス面上に平面として描き取るのとは異なる仕方で、モチーフの立体性をキャンバス面上で直に平面化する試みについても言っていた。この点について、絵画を専門とする人がモチーフの選び取りにばかり熱心となり、空間表象については近頃では特に甘さがある(考察が充分ではない)と私は感じることが多かったので、同意である。ただ、画面上の何箇所かには空間性が曖昧な箇所があり、彼はそれについて「穴のような無限の奥行き」と言っていたが、この点については表現がまだ不十分に感じた。とは云え彼が企図する浅浮き彫り(レリーフ状)の空間表象に対しては面白さを感じた。例えば、無限の奥行き表象については、穴とは異なり逆であるが、東京国立近代美術館の常設企画展で観た小林正人の青空を描いた作品のことが思い起こされる。この作品のモチーフとなっている青空とはそもそも空気の積層から成る"青み"であり、実際には眼球の直後から始まってそのまま宇宙空間の無限の奥行きへと抜けていく積層が"青み"を持って見えるのであるが、それが絵具という物質に置きかえられ、作品として手の届く距離に置かれているにも関わらず、また無限の奥行きを備えた色みとしても感じられることは驚嘆すべき鑑賞体験であったからだ。
それから新横浜へ行き、高校生時代の先輩と会った。

June 12, 2009

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帰宅して鉄のドアーを開くと、足下で黒い猫が身を翻したようにわたしは錯覚した。——猫が? だがそれは開きかけたままドアーに立て掛けてあった黒い折り畳み傘の容姿だった。が、それからわたしは、足下に絶えず黒猫のまとわりつく幻覚に囚われ始めていた。のみならずその黒猫に餌を与えたい欲望に駆られ始めてもいた。夜、床に就く前に、台所の板の間の上にミルクを薄く張った皿と焼いたニシンの幾つかをそっと置いておくと、朝目覚めたときにはそれらが僅かながら、とはいえ確かに減っているかのように思えて仕方がない。

June 11, 2009

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或るものが社会に於いて価値を孕み、権力を備えるとき、人々はその力に対して何らかの対応をすることが正しさを持つと考えている。
「みんな」がそれについて価値があると認めていると人々は考える。
これは、「わたし」が考えている"この"価値観について、「みんな」も同様にして"それ"について価値があると看做していると、「わたし」が主観的に考えるということが、社会的に——つまり充分な客観性を伴うようにして"この"価値観が保証されている、と云う状況が反復的に思い返されようとも依然として維持され続けている、ということだ。
言葉が過剰な強度を持つとき、人々はこのように強い言葉について、先ず妄信してしまう悪癖を備え始めている。
このような営為の強度を持つ言葉に対して、人々は反論できないのだと(率直
な見方としては諦めに似て)考えている。
「強い言葉」は、一対多の関係が十全に成功した場合に於いてよくみられる。
これが、「力強い言葉」とは言い替えられないことは下記に詳述する。
このような「強い言葉」とは、例を挙げれば、煽動や啓蒙、啓天、啓示、喧伝など、一対多の関係が共有可能なものとして承認されるような「開かれ」に於いて認められる。
「一」から「多」に向けて拡散する場合と、又、「多」から「一」へと向かって集合する場合の両方に、このことは認められる。
そして、両者に共通することは、言葉がどちらの方向に発せられようとも、必ず事後にはその言葉が共有されていると承認されることにある。
また、「多」であるものが「一」として、「わたし」や「あなた」などの一者の口から語られる際に、人々は親密さと力強さとを感じるのであるが、この「力強さ」とは単なる多数者原理に対する暗黙の了解から至った"唖"に他ならない。
人々は、黙ることにも美徳を感じているからだ。


ぼくは、きみともっと仲良くなりたいと思って、きみと恋人になったんだ。
きみが好きだからと、これはだから、きみともっと仲良くなりたいのだとも置き換えてくれて構わない。
恋人のことは「好き」だから、友人とは仲が良くて、仲の良さでは恋人同士の方が寧ろ空々しいなんて、余りにないだろう?
愛しいことの深遠さが"仲の良さ"を毀損するとも思えないし、その逆もまた有り得なさそうだろう。
だからぼくは、仲の良さと愛しさとを、全く別の価値体系に置いて比較するなんてことナンセンスだと思っている。
きみがぼくについて相変わらず嫉妬深くたって構わないし、それが紛れもないぼくの好きなきみなのだとしても、やっぱり好きと仲の良さとのぼくなりの思い込みに対して誤解されるのはままならないことなんだ。

June 10, 2009

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今日は「火曜会」のある日だったので、いつもより早めに仕事を切り上げて下北沢へ向かった。駅から件の店への道すがらに在る古書店で、私はいつも本を買うことにしている。狭い店内をあちこちに物色していたらTzk君と鉢合わせた。——彼も火曜会に行く。
岩田良吉訳『ラ・プラタの博物学者』(岩波書店、1934年)[=Hudson, W. H. "The Naturalist in La Plata" 1892.]、
伊吹武彦訳『情念論』(角川書店、1959年)[=Descartes, R. "Les Passions de l'Ame" 1649.]、
原田敬一訳『ハプワース16 一九二四』(荒地出版社、1977年)[=Salinger, J. D. "Hapworth 16, 1924" 1965.]、
『エイミル 第二篇』(岩波書店、1950年)[=Rousseau, J.-J. "Emile ou l'éducation" 1762.]、
これらを購入した。
店に入ると、いつもよりも会の参加者が多いことに戸惑った。この日は100回目の節目となる為か——それにしても何年続いているのだろうか。H先生から、先日に文庫化されたばかりの『猫の客』を頂いた。この時、観返しにでも何か認めてもらえばよかったと、今になって気が付いた。『エイミル』はプレゼント交換の折に誰か初対面の学部生の手に渡って行った。

June 8, 2009

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他人の意見に対して常に鷹揚な態度を示そうとする輩、
全ての意見に対してわたしは寛容なのだ、と云う態度を顕示する輩こそ、
何と信用のおけないものだろうか。
先の、全てと云うことから、
彼はかように全てのことに対して、全き従属を端から決め込んでいるのと同義である。
そのような輩の寛容さに、果たして彼の意志にどれほどの価値があるのだろうか。

June 7, 2009

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なびす画廊にて『黒須信雄』展を観た。
双複性のモチーフが気に掛かる。
Mkrさんから、また幾冊か以下の本、
『BOOTLEG』(Vol. 1-3, 1994-'96.)、
『issues』(Vol. 2, 多摩美術大学大学院美術研究科芸術学, 1998.)[既に所持]、
『ART FIELD ——宇宙の芸術誌』(No. 4, アート農園, 2007.)、
『セゾンアートプログラム・ジャーナル』(No. 3, セゾンアートプログラム, 2000.)、
『R・4989』(No. 1, 2, 4, 1989-'91.)、
これらを頂いた。
それから山口ギャラリーにて『水上』展を観た。
土台方向の有無について、また気に掛かりを覚える。
正面性を持つもの、持たないもの。
土台方向を持つもの、持たないもの。
どちらの要素も備えている立体は得てして「彫刻」と名指し易い。
どちらの要素も備えない立体は「オブジェ」である場合が多い。
彫刻は、無理に立つことを嫌うことが多いので、
何らかの制約の上に、そのようにして置かれることに落ち着くことが多い。
が、この"置かれ方"について、作品としての強度を示す要件を維持し得ているかを勘案する必要は必ずある。
Y画廊を出てから直ぐの場所、ビルヂングの日陰に本が山積みとなって無造作に置かれていた。事務所の整理でもやっているらしい。次から次、山が継ぎ足されていくのだ。「ご自由に——」とのことだったので、少し時間を掛けて、
『INAX ART NEWS』(No. 82, INAX, 1989.)[『野村仁展——コスモ・クロノグラフィー』(1989 May. 1−28)]、
『リチャード・ロング——山行水行』(淡交社, 1996.)[企画展図録]、
『〈かたまり彫刻〉とは何か』(小原流, 1993.)[企画展図録、既に所持]、
『菅木志雄——周囲界合』(双ギャラリー, 1990.)[個展図録]、
『郭仁植 伊丹潤 巡回展』(HANEGI MUSEUM, 2000.)[企画展図録]、
『日韓現代美術展—自己と他者の間—』(目黒区美術館/国立国際美術館/国際芸術文化振興会, 1998年)[企画展図録]、
『幻触』(鎌倉画廊, 2006.)[企画展図録]、
『KWANG YEOP CHEON(千光燁)』(ȮN GALLERY, 1992.)[個展図録]、
『構造と記憶——戸谷成雄・遠藤利克・剣持和夫 木による作品を中心として』(東京都美術館, 1991.)[企画展図録]、
"PANAMARENKO---Cars & Other Stuff"(Galarie Tokoro, 1993.)[企画展図録]、
『YOKO ONO "FUMIE"』(草月会, 1990.)[企画展図録]、
『千崎千恵夫 1982-1989』(かねこ・あーと ギャラリー, 1990.)[個展図録]、
『DONALD JUDD』(ギャラリー ヤマグチ, 1989.)[企画展図録]、
『丁昌燮(Chung Chang-Sup)』(東京画廊, 1999.)[個展図録]、
『建畠覚造』(愛宕山画廊, 1989.)[個展図録]、
『「現代日本美術の動勢——絵画PART2」展』(富山県立近代美術館, 1988.)[企画展図録]、
"WAKIRO SUMI---WORKS 1981-1986"(ARGO Co., 1986.)[個展図録]、
『安喜万佐子』(BASE GALLERY, 2003.)[個展図録]、
『「宇宙のかけら・時のかけら展—笠井千鶴・野村仁・宮島達男—』(新潟市美術館, 2000.)[企画展図録]、
『写真で語るII—光が残した澱み—』(東京藝術大学陳列館, 1991.)[企画展図録]、
『菅木志雄——まなざしの周辺』(東高現代美術館, 1990.)[企画展図録]、
『黒川弘毅(GOLEM)』(東京画廊, 1991.)[個展図録]、
『小清水漸—水浮器—』(galerie 16, 1988.)[個展図録]、
『「見えない境界——変貌するアジアの美術」展 光州ビエンナーレ2000〈アジア・セクション〉日本巡回展』(宇都宮美術館, 2000.)[企画展図録]、
『彦坂直嘉 CTP & TP』(アルト・ギャラリー手, 1989.)[個展図録]、
『郭徳俊(Kwak Duck-Jun)』(フェイズ・テン実行委員会, 1992.)[企画展図録]、
『5 Drawings』(児玉画廊, 1989.)[企画展図録]、
『MOTアニュアル 2000——低温火傷』(東京都現代美術館, 2000.)[企画展図録]、
これらを選び取った。
人混みを避ける為に大通りに並行する脇道を歩き、八丁目まで至る。「ギャラリーせいほう」にて『Madan Lal』展を観る。初見の印象では黒川弘毅の「ゴーレム」シリーズに似ている。が、テラコッタという不定形の素材を造作することを示す為の、営為の作為とでも呼べそうなものに作者の意識が向いていることが分かる。カタログ文章にM先生が"Play with cry"と指摘していたが、その通りである。が、私はどちらかと言えば、テラコッタの表面が乾燥し始めた折の屈曲によるひび割れや、乾燥したテラコッタの原型がおそらく不随意により破損した欠けなどが、そのままブロンズによって写し取られることで存続する、表面上の質感の方に興味を惹かれた。この点は小川氏の作品にも似ている。勿論、当の作り手はそちらの方へ熱心に意識を割いているという感じはしないのだが。

June 1, 2009

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肉体の輸送
(肉塊の輸送手段)

見給え、あの女の無様にのたくって歩くすがたを!
まるで剛著な尻、そして魅力の欠片も見当たらないあの弛んだ乳房の膨らみを!

転じて華奢なあの女を見給え。
脆弱な骨格に、皮下脂肪の薄い尻。
まるで頼り無い尻だ。
この尻を蹴り上げたなら、即座に骨盤へと衝撃が伝わるような、殆ど骨と皮ばかりで何ら触覚の魅力を齎さない。
素晴らしく即物的な尻のかたちだ!

例えば舞台芸術に携わっていたり、或いは音楽演奏や講演など、多数の観客を目の前にして何かをする際に、「見せること」という外的な指向性を持った意識が唯一人の人間にしか限定し得ないと言えば、それは蒙昧になるのではないだろうか。果たしてこの目の前に在る多数の観客たちを一纏めにして、彼らの気分の移り変わりに一つの人格を与えているのではないだろうか。つまり、観客らを「みんな」という一括りにすることで、一対多のコミュニケーションを一対一のかたちへ簡約しているのではないだろうか。