November 30, 2013

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Amazonにて注文していた、
東浩紀編『福島第一原発観光地化計画』(株式会社、2013年)、
『Febri』(Vol.19, 一迅社、Nov., 2013.)[特集:艦隊これくしょん-艦これ- 大特集]、
を受取った。

台湾茶の茶器一式を荷造りし出掛ける。
元住吉の商店街にて台湾茶と菓子を買い、上野へ行く。
不忍池の岸辺に陣取り、nくんとLの3人で台湾茶の野点をした。

戸外で台湾茶を点てて飲むということは気持ちのよいものである。
気の合う友人同士でゆっくり語らうのには台湾茶を点てる手数の多さがリズムを作るために合っている。
ところで台湾茶の野点を楽しむにはどのような勘案が必要となるだろうか?
ロケーションというものが先ずは重要である。
が、必要となる道具も思いのほか嵩張るものである。
いかに身軽に野点を行ってみせるかという工夫が、野点の機知を明らかにする。
だから何も使う道具を単になるべく減らせばよい、ということには必ずしもならない。
その時々のロケーションに適った道具の選定は肝要である。
のみならず景色のことや移動のことなどに鑑みれば、ここには野点地理学なる思考が必要となってくる。
一日の中で景色は移り行く。地形や、周囲の建物の配置の加減によって陰日向の位置は異なってくる。
往来の混雑の変化や、時おり吹くであろう風のことも勘案せねばならない。
このように思いのほか目紛しく変化する状況に在って、最も気兼ねなく棲まう為にはどのような動線が要請されるだろうか。

November 29, 2013

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この日は仕事終わりに渋谷へと向かって、
大学時代のアルバイトで知り合って以来の友人であるTkhくんと久々に会い、酒を吞んで歓談した。

November 24, 2013

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この日は水道橋に在るTWS本郷へ、
西原さんが出展しているという"TOKYO EXPERIMENTAL FESTIVAL Vol.8"を観に行った。

トークとパフォーマンスのあと、西原さんたちと本郷三丁目の居酒屋で酒を吞んだ。

November 16, 2013

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この日は職場の歓送迎会だった。
帰宅して、Amazonにて注文していた、
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』(河出書房新社、1934年/2008年)、
中井英夫『虚無への供物 上』(講談社、1964年/2004年)、
を受取った。

November 13, 2013

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Amazonにて注文していた、
木村彰一訳『クォ ヴァディス 中』(岩波書店、1995年)[=Sienkiewicz, H. "Quo Vadis" 1894-96.]、
を受取った。

November 12, 2013

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Amazonにて注文していた、
中井英夫『虚無への供物 下』(講談社、1964年/2004年)、
永山薫『エロマンガ・スタディーズ——「快楽装置」としてのマンガ入門』(イースト・プレス、2006年)、
満留伸一郎訳『不鮮明の歴史』(ブリュッケ、2006年)[=Ullrich, W. "Die Geschichte der Unschärfe" 2002.]、
を受取った。

November 11, 2013

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No.573, Dec., 2013.)、
を購入した。

November 10, 2013

これっきりエンナーレ@武蔵小金井

Obkさんの誘いもあって、武蔵小金井にて催されていた企画展「これっきりエンナーレ」を観に行った。

November 9, 2013

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Amazonにて注文してた、
梅沢忠夫『知的生産の技術』(岩波書店、1969年)、
西澤丞『Build the Future』(太田出版、2010年)、
を受取った。

November 8, 2013

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日吉に在る書店にて、
二ノ宮知子『87CLOCKERS』(Bd.4)、
を購入した。
それから渋谷へ行き、大学院のときに先輩だったTmtさんが催した同窓会のような懐かしい会にて、西嶋先生やTtyさんなどとお会いし歓談した。

November 7, 2013

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この日は体調を崩して仕事を休んだ。
Amazonにて注文していた、
梅棹忠夫『文明の生態史観』(中央公論社、1974年)、
同『情報の文明学』(中央公論新社、1999年)、
同『文明の生態史観はいま』(中央公論新社、2001年)、
川勝平太『文明の海洋史観』(中央公論社、1997年)、
を受取った。

November 4, 2013

作品論に於けるキュレーションの弁別について

作家論的に、例えば「ゴッホは悲しんだときにこの絵を描いたから、この絵は悲しい」のような言い方が為されるが、では「この企画展はキュレータが悲しんだから悲しい」というような言い方は有り得ようか?

作品鑑賞に於いて、キュレーションが排除された場合/コミットした場合、それぞれの観想にどのような違いがあるのか?

この二つの観想は、然し作品論として述べる場合には明言されにくいか、予め弁別されてキュレーションの手つきは排除され易い。が、そもそも日常に於いてキュレーションなしに作品を鑑賞する機会はどのくらいあり得るだろうか?

ergon/parergonの指示に於ける時制のズレについて

エルゴンの内容とそれが置かれた環境とは、パレルゴンの作用により形式的な対称性をもつが、次にパレルゴンがエルゴンからは切り離されることによって、パレルゴンが幅をもつことによって、有り体に言えばこの対称性は破れる。かつ、初めに・次に、という仕方でパレルゴンは運動体とされている。

基底材はこのパレルゴンの運動により二度切断を受ける、が、そもそもパレルゴンの運動とはエルゴンの想定以外の何であろうか?

エルゴンの内容を絶対的に固定するパレルゴンも、鑑賞その都度一回ごとに立ち現れるパレルゴンも、主観的な見掛けに過ぎず、疑わしい。パレルゴンはエルゴンを必ず枠付けるが、このパレルゴンは動的であり、再定義を要し、そのためエルゴンの指示の為のパレルゴンは常に保留され、指示の時制が異なる。

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文フリへ行き、
はるしにゃんから『メンヘラリティ・スカイ』を、
犬っこさんから『一、 身体』を、買った。

November 3, 2013

非Google的インターネット圏

非Googleネットワークを可視化するポータルサイト。
全インターネット的”ではない”と云う、非Google的価値は、反SNS的傾向とは地続きにあるインターネットとの再接続可能性である。