December 31, 2008

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 帰郷する。生家に帰り着くと、居間に在る簞笥の上に彼の遺骨を納めてある骨壺が置いてある。言葉もない。当然のように悲しみも起こらず、ただ了解が残る。「ああなるほど」というような具合にしか理解は動かない。
 思い掛けず両親が残しておいてくれたらしい彼の死顔の写真をPCのディスプレイ上に見る。彼の頬の、最期の床擦れで赤く斑らになった傷が痛々しい。視線がまるで定まっていない黒い瞳と、瞼の下に覗く白目からは、やはり死体を見ている感じがする。ここに生前の彼の愛嬌は一片も残ってはいない。単に在るものが、やはり思い直すまでもなく死んでいるという感じがする。生者は死体を、死のモニュメンタルなものとしてしか見ないようである。相変わらず言葉はなく、この無関心や、この違和感のことが寧ろ興味深いのだろうと思う。

December 25, 2008

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日吉の書店に、ていくえみ綾『潔く柔く』(Band. 9)を購入した。

飼犬に対する気持。

 今日、母親から、生家で飼っていた犬が死んだという報せがあった。秋田犬に似た雑種で、雄犬。狐色の毛並みに太めの垂れ尾、小型で、いつまで経っても子供のような、賢い犬ではなかったがそこに愛嬌があった。——以下、憧憬と愛着とを以てこの犬のことを「彼」と呼ぶ。
 彼の名前はクルンヌンと言う。これはタイ語で ครึ่งหนึ่ง と綴り、定訳では「半分」という意味を持つ。母親は「小さい」という意味合いで彼にこの名前を名付けた。彼が生まれてから17年、——彼は17年も生きた。その後半に当たる7年間は、私は上京の為に年に一二度、彼のことをたまに構ってやるだけだった。だからこの7年は、彼には殆ど構ってやれずじまいに終わった。それが今更ながら私にとって、このことが理解の上では悔やまれたのだった。
 また、途中から家猫が飼われるようになったことも、彼にとっての不幸であったかもしれない。彼は落ち着きのない性分を持っていた。家猫は屋内に居て、終始家族へ向けて気紛れな愛嬌を振りまいていた。彼を、段々と年老いてきたからといって屋内で飼うわけにはいかなかった。その結果として、彼は知らぬ間に疎遠にされて、新参者の家猫が家族らの愛情を一手に引き受けることになる。
 彼はそういう愛情の、言わば"おこぼれ"を得るような境遇に置かれ始めていた。そしてこの頃から、彼のフィラリアに侵された為に、夏に寄生虫が活発に働くようになると、ぜいぜいと苦し気な息遣いをするようになった。その姿は、やはり家族らに何ともいたたまれない心境を植え付けただろう。冬になればまた穏やかな息をするようになる。そういう安堵の繰り返しが、また完治が不可能であるという事実が、彼の安らかな死に方を家族らに願わせる引き金となった。——この点については、彼は随分と生き長らえたので、私も含め家族らは彼の結果に対して満足を得ているだろう。散歩に連れて行っても、彼を走らせることはできなくなった。のみならず彼を散歩に連れて行くことが、彼の健康の為にはよくないという共通認識が家族らの間に出来上がっていた。そして実際にも彼は、帰郷して久々に構ってやると、時々まるで跛を引くような不自由さを見せるときがあって、日向に寝転んでのんびりと欠伸をするような仕草にも、然し着々と彼の老いつつあることを感じたときには不憫で仕方なかった。彼は生家の庭先で穏やかな余生を過ごした。
 彼の死の報せを職場で知ったときには、私はまだ彼の死を本当の感じで理解することはできなかった。後の7年を片手間に扱った飼犬の死に対しては、寧ろ悲しみはずっと遅れてやってくることになる。私は取り敢えずは型通りに、彼の死を悲しもうと努めた。だが実感は、感情に遅れて付いてこなかった。脱力するような感覚があったが、それは気力で持ち直すことも可能だった。そして私が空の犬小屋を見て、彼の死を本当に実感するときには、もはや私の感情はすっかり古びたものとして呼び起こされることになる。彼の死は、そうやっていつまでも出来事の上ではズレ続けるのである。私はいつまでも、彼の死を思い出すことしかできないでいる。
 母親の送ってきたメールが、やけに情感たっぷりに綴ってあったので、私はそのことに腹が立った。それが却って私の涙を誘った。「陳腐だ、陳腐だ……」と言いながらも、私は泣くことを心掛けたかもしれない。私は母親に、彼の死顔を写真に収めてくれるように頼んだ。そうでもしなければ、私は一年前に彼を構ってやったときの光景を、彼の最期の姿として思い出すことしかほかにやり様を残されていなかった。だが、その願いはとうとう叶えられなかったのかもしれない。——次に、彼が灰になっていくという報せがあった。それから彼がどこへ埋められるのかはまだ知らない。このことを訊く気力は起こらない。せめて生家の庭先に埋めてやって欲しいと思っている。

December 23, 2008

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 昼過ぎになって、府中本町にある中古模型店「レオナルド府中店」へ行こうかと、不意に思い立った。晴れていたので聖蹟桜ヶ丘まで歩いた。駅前の書店で
『素粒子』(野崎歓訳、筑摩書房、2006年)[=Houellebecq, M. "Les Particules élémentaires" 1998.]、
を買った。というのも、先日の「破滅派」忘年会で、私が「フランス人が最近書いたもので何か面白いものはないか?」と訊いたうちの数人が、真っ先にウエルベックの名を挙げていたからであるが。
 京王線で分倍河原に着いて、そこから府中本町方面へと歩いた途中に「レオナルド府中店」はあった。が、想像していたよりもずっと小さい店構えだったので、多少訝しい心持ちになった。もう10年くらいは前のことになるが、私が初めて「レオナルド秋葉原店」を訪れたとき、店内ところ狭しと床から天井までのありとあるスペースに積まれた商品群に圧倒されたことをよく覚えている。その印象からすれば、目の前にある「レオナルド府中店」は余りにも小さかった。そして案の定というか、私の欲するものは見付からなかったので、また後日に他の支店を巡るか、或いは通信販売ででも手に入れようかと考えた。他にもぽつぽつとは面白いものはあったが、それらはまたの機会にでも。成果なく帰路に就くと、斜向いに鄙びた味の古書店があることに気が付いた。店に入ってみればこれも案の定、本の背が黴で黒く焦げているような、やけに年期の籠った本ばかりが陳列してあった。そこで目に付いた
子安宣邦『宣長と篤胤の世界』(中央公論社、1977年)、
崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会、1977年)、
これらを購入した。あとは、行きとは逆戻りに帰路に就いた。

December 22, 2008

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自宅の最寄り駅にある書店で、
石川雅之『もやしもん』(Bd. 7、通常版)
を購入した。

December 21, 2008

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 この日は同人誌『破滅派』忘年会の為に渋谷へ行った。着いたときに、待ち合わせの時間までには余裕が有ったから、Tower Records に立ち寄り、
Tortoise "It's All Around You"(2004)、
the Sea and Cake "Car Alarm"(2008)、
を購入した。
 それから待ち合わせ場所——渋谷マークシティの一階、Starbacks 前で、人待ちをしながら先に集まっていたメンバーらと暫し歓談する。その折『破滅派』(No. 2、3)を購入した。前回彼(女)ら会ったのが秋葉原での「文学フリマ」に創刊号を出品していた時のことだから、もう2年近く経つだろうか、だが相変わらずといった感じも有って然したる齟齬は生じなかったのだ。

December 13, 2008

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 近所の中古本量販店にて
幸村誠『プラネテス(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)』(Bd. 1-4)
を購入した。

December 10, 2008

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 夏目漱石『行人』を読み終えた。今までは序盤を退屈に思って、何度か読むのを断念していたのだが、改めて読み直してみると、今度は中盤まで上手い調子で読み進めることが出来た。だから残りはその惰性で読み切った。否、後半の話にはぐいぐいと引くような力があって、寧ろ飽きずに面白く読めた。新聞小説だからか、一節々々ごとに節くれてぶつ切りのようである。全体としても大きく四つに分たれている。だが今になってみると、あのバラバラな具合が善いのだと思った。結末の、特に纏まるでも救われるでもない具合が善いのだろうと思った。結末の筆致にはファニーな雰囲気が漂っていて、この物語を滑稽譚として読むことを充分に可能としているのだ。


「私が此手紙を書き始めた時、兄さんはぐう‥寐てゐました。此手紙を書き終る今も亦ぐう‥寐てゐます。私は偶然兄さんの寐てゐる時に書き出して、偶然兄さんの寐てゐ時に書き終る私を妙に考えます。兄さんが此眠から永久覺めなかつたら嘸幸福だらうといふ氣が何處かでします。同時にもし此眠から永久覺めなかつたら嘸悲しいだらうといふ氣も何處かでします」

[夏目漱石『行人』1913年]

December 9, 2008

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 今日は仕事帰りに下北沢へ寄って火曜会に顔を出した。H先生に会った。段々、何だか落ち着かないような気分になってきた。のみならず夏目漱石の『こころ』に登場するKの具合が気になってきた。私は文字通り「先生」の配役を与えられているような心持ちになった。躍起になって珍しく方々に電話をした。だが、やっぱり私は「先生」のままであった。
 またこの事柄とは別に、H先生が珍しく剽軽な振る舞いを見せたので、その様子が何だか私には可笑しなものに思えた。

December 7, 2008

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 昼過ぎにY君と西日暮里で待ち合わせ、谷中霊園へと向かった。もはや我らが定番となっている散歩コースである。晴れていて、何も無かった。行き交う人々が皆冬の陽光の下に活気づいていた。皆日陰を避けるように、温かい場所だけを選んで歩いている。私は手に持っていたチキンカツの端を飛んできた鴉に啄まれた。私はこのとき既に酒に酔っていた。この鴉に幾許か復讐でもしようと、塀沿いに飛び跳ねていたら手の甲を浅く擦り剥いた。
 谷中から上野、途中で上野東照宮に立ち寄り不忍池の脇を抜ける。そこから東大の本郷校舎へと歩いた。銀杏の落葉の、黄の折り重なって降り積もった具合は大変に美しかった。構内のカッフェで少し足を休めた。それから御茶ノ水へと向かい、総武線に乗って、代々木でY君とは別れた。

December 4, 2008

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 職場からの帰りしなに、Y君と稲田堤のカッフェで歓談をした。近頃は彼と会う機会が多い。というのも、以前に触れた通り、互いの通勤路が稲田堤の街路上で交差している為なのだが。
 話し終わって、店を出てから、また二人で向かいの古書店を素見した。

November 30, 2008

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 Y君と、それとTさんとも待ち合わせて雑司ヶ谷霊園を暫く散策した。池袋でTさんとは別れて、それからY君と青山霊園に向かった。墓地に着くと、陽は傾き始めていた。Y君は「俺たちは天才だ!」と言ってしきり興奮していた。確かに尋常ならざるシチュエイションだろう。冬に差し掛かり、夕暮れになろうという時間に、男二人で、然も人も疎らな墓地を悠々と散策しているのだから——継いで二人にはここに立ち寄る特に明らかな目的もないときている——畢竟俺たちの天才は当然だった。我々は快活に笑った。並み居る過去の偉人たちは皆親しく旧い友人で有るかのように私たちは振る舞った。段々と陽が落ちて、墓石の垂直性がさも明白なもののように現れだした。影は真横に伸びる。墓石の陰を浸していたものが段々と横倒しになってくる。もはや墓石の文字を読むことも適わない。表面だったものが、気付けば内実へ変じている。数多あまたの石、真に硬い充実体らが我らの天才を囲っている。皆陰であり、地面もやはり影である。或いは私の手を浸すものや影だったか陰になったか——。こうなれば遠く街並の端の、文明の灯がより明るいものとなってくる。陽の当たる場所はもう地面に点々と少しばかりしか残されていなかった。やがて全てが真っ暗になった。辺りは夜になった。

November 23, 2008

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 新宿へ行き準久堂で『SITE ZERO/ZERO SITE』(No. 2)を購入した。特集は「情報生態論――生きるためのメディア」——書き手の多彩なことにも惹かれたのだが、それより若手の書き手がどのような文章を書くのかが気になった。今年の春に廃刊となった『10+1』や、或いは『Inter Comunication』、若干個人的な興味を持続させている『Review House』や、最近また面白味を取り戻した『STUDIO VOICE』など、私の興味の範疇にこれらの雑誌と並ぶもののように思われた。
 「TOKYO FILMeX」のコンペティション作品である Kulbai, A. "Strizh"(KZ, 2007.)を観た。概ね面白味が有った。字幕は日本語の他に英語のものが併記されていた。作中に話されていたのはおそらく露語だろうか、全く未知の声音という訳でもないし、英語の字幕は文化的なニュアンスの差異を埋める助けとなった。だが、私はこの作品の結末ついては笑えばよかったのかな? お互いの抱く理由に食い違いを見せながらも、一先ず肩を寄せ合っている父娘の姿にはパトスの固着があるのだが、然し結末のコメディめいた描写によってそれが解決されぬままにいまひとつ腑に落ちない気分が残った。彼女は思いの逸る余りに"CLINIC"の前を通り過ぎてしまった、ということなのだろうか。

November 22, 2008

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近所の中古本量販店にて、
夏目漱石『夢十夜 他二篇』(岩波書店、1986年)、
id.『倫敦塔・幻影の盾 他五篇』(岩波書店、1930年)、
『空想より科学へ』(大内兵衛訳、岩波書店、1946年)[=Engels, F. "Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft" 1883.]、
柳田国男『海上の道』(岩波書店、1978年)、
島田雅彦『美しい魂』(新潮社、2003年)、
岩明均『ヘウレーカ』(白泉社、2002年)、
『ルーマニア国立美術館展』(毎日新聞社、1979年)〔愛知県美術館、図録〕、
『東ドイツ美術の現在』(読売新聞社、1989年)〔西武美術館、図録〕、
Zemeckis, R. "Forrest Gump" 1994.〔VHS〕、
これらを購入した。

November 21, 2008

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 今朝の通勤途中、乗り換えの為に駅からまた駅へと街路を歩いていて、不意に誰かに肩を叩かれた気がして振り返ってみると、友人のYky君がそこにいた。彼は都心に住んでいる筈だから、このように郊外で鉢合わせるのは何だか意外な感じがした。お互い時間を気にしたように、足早に遠ざかりながら二三の言葉を交わして別れた。
 日吉の書店で漆原友紀『蟲師』(Band. 10)を購入した。物語はこの巻で完結となるようだ。
 それから夕方に、また不意の電話が掛かってきた。Yky君からだ。私の自宅の最寄り駅で再び会おうという話になった。私が駅に着くと、彼は(案の定)書店にいた。同窓のTzk君の文章が『現代詩手帖』に掲載しているのを確認していたようだ(彼の文章が紙面に掲載されるのは半年振りであるように覚えている)。駅からのスロープを公園へ向かって登り、オープンカッフェで暫く話をした。寒さは少し緩いのだが、風が吹くと紛れもなく冬の寒さのあるように感じられた。
 歓談の場所を居酒屋へと移して、また暫く彼と色々のことを喋った。彼が、私に向かって「君は作品をつくるべきだよ」と言ってくれたのが嬉しかった。私は3年後には個展をするつもりでいた。作品は油彩であるか金属彫刻であるか、或いは映像や文章になるかはまだ決めていない。だが「君は作品をつくるべきだよ」という彼の言葉が、私にとっては随分と励みになったことは変わらない。

November 16, 2008

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 新宿"COCOON"に開店した BOOK 1st. へ行く。友人と待ち合わせる。

Shinjyuku, Tokyo

 地下通路を通れば意外にも駅からは近い。通路を歩いていて、不意に吹き抜けからの太陽光が差しているのは面白い景だ。ショーウィンドウふうの陳列。カルチャー/ファッション系の雑誌については充実している。新刊とともにバックナンバーを陳列しているのは、便利なこともあるが、大抵の場合では余計だろう。文庫のコーナーは準久堂の方が多いかもしれないが、網羅的に一通りは揃えてある印象。人文書コーナーには行かなかった。
『かくも不吉な欲望』(大森晋輔・松本潤一郎訳、河出書房新社、2008年)[=Klossowski, P. "Un si funeste désir" 1963.]、
『作者の図像学』(林好雄訳、筑摩書房、2008年)[=Nancy, J.-L./Ferrari, F. "Iconographie de l'auteur" 2004.]、
を購入した。
 後者に関して、訳注に82頁も費やすことは馬鹿げている。のみならず、図版目録は、画像に併記すれば必要のない項目だと思われる。
 竹橋へ行き、江戸城天守跡を観る。平川門から天守台へ、「明暦の大火」で焼けた天守台の石組みが、その後の何百年かを経て角が欠けて、幾何学的な線分を現わにしていることが興味深かった。本丸の芝生は紅く色付き、それが小降り雨に濡れて滲み、美しかった。大手門から出て日比谷通りを歩き、銀座中央通りを南下して築地へと向かう。浜離宮を脇目に Nouvel, J. 電通ビルの脇を抜け、築地本願寺へ行く。
 それから丸ノ内線に乗り、新宿三丁目で降り、二丁目の行き慣れたバーでビールを呑む。

November 15, 2008

快快@横浜・リングドーム

 「横浜トリエンナーレ 2008」併催プログラム"idance 80's"の快快(faifai)イベントを観た。

Sakuragi-cho, Yokohama

 段ボールのパネルによって舞台のファサードが設定されている。この段ボールの壁面は、物語の進行によりマジックペンで図像を書き込まれ、穴を穿たれ、そして取り除かれる。最後はリングドームの中で、「五寸釘」と奇声を発しながらパフォーマンスを行う。待ち合わせ場所に現れない誰かとの携帯電話による遣り取り、カップルの他愛もない会話、二股を掛けていた男が見舞われる女同士の修羅場。「笑い」という点では適切なバランス。人間書道は爆笑もの。
 偶然にも居合わせた友人と、カッフェで暫し歓談する。
 その後、野毛の中華料理屋で快快メンバーと酒を呑んだ。のびアニキにサイン入りブロマイドを貰った。

November 13, 2008

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「この倫敦塔を塔橋の上からテームズ河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人か将た古えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺め入った。(…)見渡したところ凡ての物が静かである、物憂げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を軽蔑するように立っているのが倫敦塔である。(…)二十世紀の倫敦がわが心の裏から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻の如き過去の歴史をわが脳裏に描き出して来る。朝起きて啜る渋茶に立つ烟りの寐足らぬ夢の尾を曳くように感ぜらるる。暫くすると向こう岸から長い手を出して余を引張るかと怪しまれて来た。今まで佇立して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余は忽ち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい牽く。塔橋を渡ってからは一目散に塔門まで馳せ着けた。見る間に三万坪に余る過去の一大磁石は現世に浮遊するこの小鉄屑を吸収しおわった。」

[夏目漱石『倫敦塔』1904年]

November 11, 2008

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‘o pater, anne aliquas ad caelum hinc ire putandum est
sublimis animas iterumque ad tarda reverti
corpora? quae lucis miseris tam dira cupido?’

[Vergilius "Aeneis"]

November 7, 2008

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自宅の最寄り駅に在る書店にて、
『トポフィリア——人間と環境』(小野有五・阿部一訳、筑摩書房、2008年)[=段義孚(Yi-Fu Tuan)"Topophilia : A Study of Environmental Perception, Attitudes, and Values" 1974.]
を購入する。

November 3, 2008

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 今日は、神保町で催されていた「ブックフェスティバル」へ行く。
『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳、中央公論社、1980年)[=Shostakovich, D./ed. Volkov, S. "TESTIMONY : The Memoirs of Dmitri Shostakovich" 1979.]、
『ヴァルター・ベンヤミン』(大久保健治訳、河出書房新社、1996年)[=Adorno, T. W. "Über Walter Benjamin" 1970.]、
『世界民族モノ図鑑』(ed.『月刊みんぱく』編集部、明石書店、2004年)、
『近代日本の軌跡——都市と民衆』(ed. 成田龍一、吉川弘文館、1993年)、
『ソ連絵画50年展』(日本経済新聞社、1967年)〔東京国立近代美術館、図録〕、
『ドイツ・リアリズム 1919-1933』(日本経済新聞社、1976年)〔東京国立近代美術館、図録〕、
『スキタイとシルクロード美術展』(日本経済新聞社、1969年)〔東京国立博物館、図録〕、
『古代シリア展』(東京新聞・中日新聞、1977年)〔東京国立博物館、図録〕、
『中国敦煌壁画展』(毎日新聞社、1982年)〔日本橋高島屋、図録〕、
『アングル展』(日本放送協会、1981年)〔国立西洋美術館、図録〕、
『韓国美術五千年展』(朝日新聞社、1976年)〔東京国立博物館、図録〕、
『中華人民共和国出土文物展』(朝日新聞東京本社企画部、1973年)〔東京国立博物館、図録〕、
これらを購入した。
 その後、新宿のカッフェでYky君と待ち合わせ、いつもの如く色々のことを歓談する。彼から大江健三郎『われらの時代』(新潮社、1963年)の文庫本を貰った。私はこれと同じものを持っていた筈なのだが、紛失してしまった為に。

November 2, 2008

『事の縁』(旧坂本小学校・上野)

 昼過ぎに、西日暮里の駅前でTksさんと待ち合わせて、谷中までの道程を並んで歩いた。この日は穏やかに晴れていた。陽射しの有るところは少し汗ばむくらいに暖かく、逆に日陰は冷え々々としていた。風はなかった。
 上野まで歩き、旧坂本小学校で催されているグループ展『事の縁』を観に行った。
(以下、展示の雑感を記しておく)
 残念ながら、展示はどれも詰まらないものばかりだった。利部志穂の作品ですら、面白味に欠けたものだった。総括して述べれば、まだ作品の見せ方については技術的に拙く、そして制作態度としては投げ遣りな「もの」がそのまま「作品」として展示されていた。巷では、そのような「もの」の作り手を早から「作家」と呼んでもてはやすことも多いが、然しそれを観る側にとってみれば堪ったものではない。近頃では展示の頒布物だけが立派な体裁をして、そこに書かれている内容も随分と"それらしい"文言が並び立ててあるが、その一方で展示内容はと言えば非常にお粗末である、ということがよくある。これは偏えに「パッケージ主義」とも言い得る、"企画書先行型"の企画に有り勝ちな事態である。先ず「側」の体裁だけを整えて、後から作家の面々が展示枠に収まる。すると大抵の場合はそれを起点として作家が作品制作に取り掛かるのだから、何やら「企画コンセプト」をそれぞれの工夫で模倣したような(彼らはこの手順を指して「解釈」と言う)、とはいえてんでバラバラで足並みの揃わぬようなものが、外面の良いパッケージングによってひとまとめにされてしまう。作品に対するキュレーションというものは先ずない。あるのは人選だけであるから、企画者の意図は個々の作品に及ぶべくもなく、逆に作り手の方が企画者へと擦り寄るのである。とすればやはり、企画者の"提示の態度"としてみれば随分と無責任である。そしてこれが「にわかキュレーター」の横行と、近年みられるような「アート」と名の付くイベントの頻発へと繋がっている。
 個々の作品についての話に戻すと、そもそも個々の作家たちがそれぞれに「作品」というものに対して"どのような定義"を行っているのかが曖昧であることは大きな問題だろう。「作品」としての成果物が展示空間においてはどのような場を占めるのかについて、明晰な想像の及んでいる作り手はやはり少ない。これは企画者が、単に作家に展示場所を割り当てるだけの存在に過ぎないからであるが、とはいえ作家における責任が全然ないということでもない。なぜなら、今日の作家には、例え彼が画家でありまた彫刻家であったとしても、展示に際しては(上に述べたような状況によって)インスタレーション作家としての最低限の素養が必須となってきている——つまり、そのような条件を受け入れることで、作家は様々な「アート・イベント」での展示の場を得ているとも言えるからである。だが結局のところは、「作品」というもののかたちが成立しないことには、最早何を言うこともできないのであるし、近頃喧伝されている「批評の不在」については、「作品の不在」がその原因であるとも、またこの二つの「不在」が並行しているとも言い得るだろう。これは兎角「卵か、鶏か」のような問題であり、さらには批評の不在に有ってもなお「レヴュー」のような文章が作品に対して飽和し続けていることも、また「批評」と「レヴュー」との弁別がいまだ不十分であることもそのような「不在」の主な要因であるだろう。以上のような事柄に因り、やはり個々の作品について言い得ることは少ない。
 個人的には、宮川有紀の紙製の蔦の作品は面白いと思えた。これは天井から壁伝いに紙製の蔦(トレーシングペーパーに白色で葉脈が印刷されたものを用いて構成されている)が伸びて、校舎特有の水飲み場のシンクへと垂れ下がっているもので、それに対して型板硝子の梨地を透かして屋外の壁を伝う生まの蔦のシルエットが重なり合うという情景を描き出している。これは設置の仕方が控え目に抑えられた調子であることにより、観者を思わずはっとさせる効果を生み出している。趣きが有る。だが、敢えて難じれば、作品空間の右方に配置された小さな紙製の蔦と、サッシに挟み込まれて室内に導き入れられた生まの蔦による、いかにも導入的な演出は蛇足であるだろう。この"右方"というのは、展示の順回路が右から左への方向であったことに理由があったのだと思われるが、私は逆の順路から、左から右へとこの作品を発見したのだし、加えて順路のことを鑑みたとしても然し畢竟蛇足であるとしか思われなかった点は惜しい。
 利部の作品は、屋上への行き止まりとなっている階段に設置されていた。一階層分の階段を登る為には一度中間の踊り場で折り返さねばならないから、この作品空間の終点を一度に見通すことはできない。そしてこの見えない終端らしい場所から、ループ状に加工された機械音のようなものが聞こえてくる。階段に向かって右側の壁にはキャプションが貼られていたが、これは先ず無視した。階段を上り始めて踊り場に差し掛かる手前に、つっかえ棒状の単管が150cmくらいの高さに配置されていて、これを潜り抜けることになる。これは中々に面白い効果を生み出している。踊り場の窓からの逆光に因って(昼間の校舎というものは案外に暗い)、この"つっかえ棒"の出現は不意打ちのようにも感じられるからだ。折り返して次の半階を登る。絶妙の具合で個々のオブジェクト群が、まるで引っ掛けられたかのように配置されているのは、利部作品ならではの緊張感を生んでいる。が、今までの作品に比べると密度に薄い感じはした。そして行き止まりの踊り場に行き着く。だが、「何もない」という印象の方が勝った。案の定設置されていたスピーカからは、(キャプションに拠れば)この場所の近所に在るらしい機織りの音を反復している。これは当展示の企画に沿って、「縁(えにし)」という言葉に懸けられた「場所性」の暗示であるが、それが上手くいっているとは思えなかった。この小部屋状の空間からは、網入硝子越しに屋上の風景の覗き見る事ができる。その窓には小さなインクジェット印刷の風景写真じみたものが貼られていたのだが、これは却って屋上の日向の風景へと向かう視線の妨げとなっているように思える。寧ろ私は、それまでの階段での閉塞感から屋上への開放感(然し実際に足を踏み入れることはできない)に繋がる、何か全体を結論付けるオブジェクトをこの網入硝子の窓越しに期待したと思う。が、それが叶わなかったことはちょっとしたがっかりだった。

November 1, 2008

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自宅の最寄り駅に在る書店にて
『鼻行類』(日高敏隆・羽田節子訳、平凡社、1999年)[=Stümpke, H. "Bau und Leben der Rhinogradentia" 1952.]
を購入する。

October 26, 2008

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 東京都現代美術館で催されている『ネオ・トロピカリア——ブラジルの創造力』展を観に行く。思ったよりも出展作品が多彩で、中々楽しめた。併催されてた常設企画『サヴァイヴァル・アクション』展も良かった(MOTの常設企画展は毎回、内容が充実している)。
 「一二三美術店」には行きそびれた。
 上野でのKgbさんの展示を観に行こうかとも思ったが、この時は止めた。
 自宅の最寄り駅に在るカッフェで3時間ほど読書をする。8時を過ぎたあたりで、「君」がレジスターの前に立っていた!

October 25, 2008

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 新宿の準久堂にて、『Review House』(No. 2)を購入した。
 その後、三越の店先で、待ち合わせていた大学時代の同窓のKrhさんと合流し、区役所通り沿いのタイ料理屋に行った。

October 20, 2008

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 幼少期の記憶には思わぬ摺り替えが紛れていて、思い返してみれば整合性の欠ける事柄であっても、寧ろこの間違ったものこそが正しいのだと思えるようなことは多々有る。例えば、故人の口真似をしてみせる遺族の立ち振る舞いに、ふと当の故人本人の面影が宿るということが有りはしないか。この考えを突き進めてみれば、私は今まさに死者と対峙していると言うことは出来ないだろうか。そして、このような飛躍に在ってもなお正気が持続し得るというのであれば、私は誰か死者の記憶を知らぬ間に引き受けているということも当然有り得ることだろう。このような記憶もやはり私の持ち物として思い返されるのであるが、間断ない経験の時間において、ふと"引き結び"の結滞が発見される(対象は既に在る)ときには、記憶の流れは脇道へと押し遣られて、そして引き解かれた結び目の長さだけ余分な時間の経験を知ることになるのである。すると結び目は消え、また元の間断ない時間へと帰り着いている。この余分な時間が "Déjà vu" として、まるで初めて起こる事柄が既に在ったかのようにして繰り返されるのを目の当たりにするのである。

October 19, 2008

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 谷中巡りをする。昨晩は大学院時代の同窓生だちと久々に集まり酒を呑んだ。
 谷中霊園で、川上音二郎と重野安繹の墓を詣でる。そう云えば青山霊園には乃木希典と三島通庸の墓の在った事を思い出す。——オッペケペー、mon cul(けつ喰らえ)! ふらふらと宛てなく路地を歩き、やがて商店街へと至り、それから上野へ向かう。
 10年振りくらいに国立科学博物館へ行く。館内はすっかり改装されていて、今では昔の面影も無い、古生物の骨格標本と"Zeke"を観る。ふと、パリの国立自然史博物館へ行きたくなる。国立科学博物館についての記憶は、脇道を抜けるようにそこへと繋がっている。セコイアの年輪——これは Chris Marker "La Jetée"からの印象だ。私にとって、幾多の骨格標本や剥製標本の並ぶ光景は、NMNH を通り抜けて全てが MNHN へと結び付いている。
 自宅の最寄り駅に在るカッフェで、3時間ほど読書をする。8時を過ぎたあたりで、「君」がレジスターの前に立っていた!

October 14, 2008

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 仕事を終えた後、「火曜会」の為に下北沢へ行く。
 会の有る店は駅から坂を下ったところに在る。その途中の古書店で、
『文学と悪』(山本功訳、紀伊国屋書店、1959年)[=Bataille, G. "La litterature et le mal" Gallimard, 1957.]、
『色彩論』(菊池栄一訳、岩波書店、1952年)[=Goethe, J. W. v. "Zur Farbenlehre; Materialien zur Geschichte der Farbenlehre" 1810.]、
『家畜系統史』(加茂儀一訳、岩波書店、1935年)[=Keller, C. "Die Stammesgeschichte unserer Haustiere" 1909.]、
これらを購入した。
 会に出席するのは半年振りのことで、在る筈のものとは異なる店構えが私の意気を押し止めた。これは別の店ではないかと云う疑念や、のみならずここには誰も知った顔の一人も居ないのではないかという怖れも有ったが、店先に掛かる見覚えの有る看板に救われて、私は店の中に入ることが出来た。
 『家畜系統史』は、この会の恒例事に因り同窓のIshさんの手に渡った。

October 13, 2008

MTG "Message"@BankART NYK

 友人と BankART NYK へ行き、"Makhampom Theater Group"(TH)の演劇公演《The Message》を観た。運河に艀を浮かべ、その上を舞台として用いていた。近頃では夕方になると少し冷え込む。
 主にタイ語による劇作品で、ところどころで戯画的な日本語が用いられている。表現方法として、タイの大衆的な舞踏劇である「リケイ」の様式を用いている。演者はスパングルのきらびやかなタイの伝統的な衣装を着けている。字幕は舞台奥中央部にプロジェクションされている。さながら地方部でみられる観光客向けのショーといった感じがある。物語はクメール調の神話をモチーフとした宮廷もののコメディー劇で、その内容は他国語によるものとはいえ平易であった。
 BankART NYK で観劇をする前には、三渓園へ行き、園内を散策しながら古建築の趣きを楽しんだ。中谷芙二子の雲の作品を観た。

October 12, 2008

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「僕はオルケストラを横切って、腰を下ろした。僕はそれまで大理石の席がこんなにも優しいものだとは、また太陽に温められた石がこんなに弾力があって柔らかいもの——ほとんど肉体のように——だとは、思ってもみなかった。(…)舞台は山並みの一部になって、まさに地平線の上にあった。その向こうには、もう空しかなかった。空にはしみ一つなかった。人間のつくったものが自然をそこなわずにいるのと同じように。ここでは何一つ衰微するものはなく、何一つ品位を汚すものはなく、何一つ威厳を失墜させるものはなかった。一面の波になって広がるこの調和あるものを前に、僕はもう限界も矛盾も感じなかった。」

[『オディール』(宮川明子訳、月曜社、2003年)=Queneau, R. "Odile" Gallimard, 1937.]

October 11, 2008

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 水戸から駆け付けてくれた友人と夜の高尾山へ行く。彼との付き合いは既に10年を超えていて、言わば"腐れ縁"と云ったふうに小中高と同じ進路を共にした。然し大学は別々だったが、それでも年に何度かは交流が続いていた。気心の知れた、或いは気の置けない友人と言える。彼は相変わらずのクレイジーである。
 暗闇の高尾山で、私は山道の奥から声を聞いた。それですっかり恐ろしい気分になってしまい、「探検」と云う蛮勇を止めた。それは登山道ではなくて、地元民以外の人通りを退けるかのような、と或る閉鎖的な杣道だった。
 それから、私は彼と二人で、行き慣れた青木ヶ原樹海へと向かった。彼が私の他の友人とは異なってクレイジーなのは、こう云う発想の気軽さを易々と実行に移す為の機転に因るのだろう。兎角、それを提案した私が唖然を喰らうような気安さが有る。それで私は彼と共に、今は暗闇の樹海を目の前にしている。そして彼は、駐車場からそう離れていないような、昼間は明け透けな夜の遊歩道でと或る声を聞いた。それで私たちはすっかり縮み上がってしまった。それからほどなくして、私たちは帰路に就いた。

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「ローマがこの最果ての地に、茫然として、おそらく無尽蔵である真水の海にたどり着いた時——カエサルとローマ、この二つの誉れ高い名前がここにたどり着いた時——女神の焼け焦げた木像はすでにそこにあった。伝導の熱意がなく、むしろ敗北した神々を受け入れ取り込むことを好む帝国にふさわしい無関心さで、それはディアナもしくはミネルヴァと呼ばれることになっただろう。」

[『アトラス——迷宮のボルヘス』(鼓宗訳、現代思潮社、2000年)=Borges, J. L. "ATLAS" 1984.]

October 9, 2008

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仕事帰りに新宿の淳久堂へと立ち寄り、
『シネマ 1 運動-イメージ』(財津理/齋藤範訳、法政大学出版局、2008年)[=Deleuze, G. "Cinéma 1 L'image-Mouvement" 1983]、
『シネマ 2 時間-イメージ』(宇野邦一・ほか訳、法政大学出版局、2006年)[=Deleuze, G. "Cinéma 2 L'image-Temps" 1985]、
『霊界日記』(高橋和夫訳、角川書店、1999年)[=Swedenborg, E. "The Spiritual Diary" 1747-1765.]、
これらを購入した。

October 8, 2008

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 新宿二丁目に在る行き慣れた店で、SskさんOtnさんとの三人でビールを呑んだ。演劇の話題を中心に、芸術に向かう態度について話したのを記憶している。Sskさんは先日ポーランドから帰国したばかりで、現地のことを聞くのは非常に楽しかった。私は外国に居る友人と話す機会を見付けては現地の状況を知ることに楽しみを感じる。既に遠い過去となってしまったように思えるが、私が幼い頃に外国で過ごしたことを思い出すのは常にこう云う機会に於いてである。

October 6, 2008

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「「東京」というのは「日本」というのと同じで、その中にいろんな町があり、その町の中でもいいところ、いやなところがある。そして、日本全体を小さく寄せ集めたような「東京」のいいところもいやなところも、「日本」のいいところ、いやなところなのだ。」

[筒井康隆『愛のひだりがわ』岩波書店、2002年]

October 5, 2008

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 昨晩の深酒の為に昼過ぎに目覚めた。暫くの間は昨日買った Bruckner を聴きながらただ呆としていた。夕方になり、近所の中古本量販店へ行こうかと自宅を出ると、雨が降り始めていた。傘を持って行きはしたが、行きの道中はさほど降られることもなく、傘を差すこともなかった。
夏目漱石『それから』(『漱石全集』Bd. 8、岩波書店、1909/1956年)、
id.『彼岸過迄』(id., Bd.10、1912/1956年)、
id.『行人』(id., Bd. 11、1913/1956年)、
岡倉覚三『茶の本』岩波書店、1906/1929年、
芥川龍之介『歯車』岩波書店、1957年、
『古い医術について』小川政恭訳、岩波書店、1963年[=ΙΠΠΟΚΡΑΤΟΥΣ "ΠΕΡΙ ΑΡΧΗΣ ΙΗΤΡΙΚΗΣ"]、
筒井康隆『愛のひだりがわ』岩波書店、2002年、
萩原玲二『パプリカ』(原作: 筒井康隆)英知出版、2003年、
これらを購入した。
 店を出ると、これが今夜の本降りであるらしく、鬱陶しい具合に抑制の利いた、翌朝の雨を想像させる調子の夜に、私はしずしずと傘を差して帰路に就いた。

October 4, 2008

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 今朝は晴れた。最早習慣となった平日の起床時間に私は意地汚く目を覚まして、洗濯をし、部屋の掃除などを済ませてから、駅前のカッフェに行き数時間を読書の為に充てた。14時くらいには心地好い生活の疲労感によって眠気を感じた。
 それから友人との待ち合わせの為に、定刻よりは幾らか早めに渋谷へ行く。 TOWER RECORDS へと足を向ける。駅からの経路がすっかり足の運びに馴染んだような具合で。
Enesco, G. による Tchaikovsky, P. I. の Symp. No. 4 および自作自演のヴァイオリン・ソナタ第3番 "dans le caractère populaire roumain"、
Klemperer, O. による Bruckner, A. Symp. No. 4, 7, 8、
これらを購入した。
 友人のYkm君と豚しゃぶを食べる。「相変わらず」といったように、あれこれのことを歓談する。それは目の据わるような内容の会話で、私は幾ら酒を煽ろうとも、然しちっとも酔えないのではないだろうかと思った。そして案の定、浅い酔いを懐に仕舞って帰宅路に就いた。
 彼から、青野聰『愚者の夜』を貰った。

September 29, 2008

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職場からの帰りしな古本量販店に立ち寄り、
沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』(太田出版、2008年)、
つげ義春『リアリズムの宿』(双葉社、1983年)、
竹内桜『竹内桜短編集』(集英社、1999年)、
これらを購入した。

September 28, 2008

パップコーン『カンヌ』

 「パップコーン」としては第2回となる単独ライブ『カンヌ』の舞台撮影をする。前回の『ゴニン』からは実に1年8ヶ月振り、私は「カルコー」時代の第2回単独ライブ『田中革命』から何らかのかたちで関わりをもってきた訳だが、彼らとの付き合いも既に6年を数えるのだと思えばやはり感慨深い。「コント」というよりも寧ろ「演劇」に近い空気感は健在で、5人の演者がそれぞれ担う役割は一層明確なものとなってきている。演者が多いことから、TV放送向けの1、2分尺のネタを少々苦手としているものの、5分尺を超えたネタでは強みが現れてくる。小劇場演劇には余りみることのできない、客席における開放的な気分の横溢が殊更に楽しい。松谷の作る幕間映像の完成度については最早定評がある、今回は外部の作家をオープニング映像の担当に迎えることで、そこに余裕すら感じさせた。適度に力が抜けて、ラフな仕方で軽く舞台制作をこなしていく様子に、彼らの成長を感じて嬉しくなる。依然として、出会った頃と同じ道を歩み続けている彼らの姿が端的に嬉しいのだ。
 バラしの終わった後で、打ち上げに参加する。名残惜しさもあるが、終電の前にその場を辞した。

September 27, 2008

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代田橋駅そばに在る書店にて、
いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 8、集英社、2008年)
を購入する。
そのまま帰宅路に就き、自宅の最寄り駅に在る書店にて、
『巴里の憂鬱』(三好達治訳、新潮社、1961年)[=Baudelaire, C.-P. "Le spleen de Paris(Petits poèmes en prose)" 1869.]
を購入する。
それから、暫くの間は駅に在るカッフェで読書に耽る。

September 26, 2008

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自宅の最寄り駅に在る書店にて
Poe, E. A.『ポー詩集』(加島祥造訳、岩波書店、1997年)
を購入する。

September 24, 2008

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——一恵がね 死んで 一か月くらいした時にね オレんちの居間にね いたんだ。 オレさ なんかふつうに 「おまえもう死んでるんだよ?」って言ったら 「……うん わかってる…… わかってるんだけどね……」 ——って言って 消えました。
[いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 3)]

——そう! かわいいロク! 天使のロク 世界一のロク あの子はうちのアイドルだから 太陽だから!
[id.『潔く柔く』(Bd. 5)]

——あたし そいつ きらい。 おまえ そいつに関わると "ヘン"になるんだよ。 あたしそいつ なんか すごい 嫌だ!
[ibid.]

——「……ああ 知ってるよ」。 いいや 本当は知らない。 「瀬戸カンナ」はどんな人間なのか 中西の無防備な笑顔を見て あたしはとても知りたくなった。 とてもとても知りたくなった。
[id.『潔く柔く』(Bd. 6)]

September 23, 2008

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「イエスまた「なんぢの名は何か」と問ひ給へば「わが名はレギオン、我ら多きが故なり」と答へ、また己らを此の地の外に逐ひやり給はざらんことを切に求む。彼處の山邊に豚の大なる群、食しゐたり。惡鬼どもイエスに求めて言ふ「われらを遣して豚に入らしめ給へ」イエス許したまふ。穢れし靈いでて、豚に入りたれば、二千匹ばかりの群、海に向ひて崖を駆けくだり、海に溺れたり。」

[《And he asked him, What is thy name? And he answered, saying, My name is Legion: for we are many. And he besought him much that he would not send them away out of the country.
Now there was there nigh unto the mountains a great herd of swine feeding. And all the devils besought him, saying, Send us into the swine, that we may enter into them.And forthwith Jesus gave them leave. And the unclean spirits went out, and entered into the swine: and the herd ran violently down a steep place into the sea, (they were about two thousand;) and were choked in the sea.》
Mark 5:9-13]

September 22, 2008

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 私は文章を書く際には「これ」や「それ」などの所謂指示代名詞を多用するけれども、何だか詳細を言い包めたがるような性急さも感じられるから、時たまに居直りで濫用を決め込む時もあれば、やはり出来ることならば直ぐにでも止めたいとも思える悪癖なのだという気掛かりにもしている。

September 21, 2008

『横浜トリエンナーレ 2008』

 『横浜トリエンナーレ 2008』を見に桜木町へ行く。

Jonathan Meese, 2008.

 世間でこの催しがどのように扱われているのかは知らない。ここには Art も Kunst も Beaux-Arts も、そして勿論「芸術」もないのだということを明言する必要はある。問題となるのは「アート」という片仮名書きの日本語についてであるから、先ずこの点に誤解のないようにされたい。「アート」は Art の訳語などではなく、最早独立したマーケティング上の"一ジャンル"である。だから、真面目な人がこのような"語義の問題"に係って一層憤慨しているのをよく見掛けるのだが、それは余りに場違いな態度であると言える。同様に、このような語義の問題に自覚的であるような振る舞いによりちゃっかりとおこぼれに預かろうとする卑しい連中もちらほら見掛けるが、今では彼(女)らもすっかり古風な収利生活者に成っている。つまり、ここに「作品」は在るかも知れないが、その価値は「アート」という枠付けによる変質を免れてはいない、という点を理解するべきなのである。例えば、観客が皆神妙な面持ちで事の行く末を見守っている光景があるとして、その状況に客観性を導入する為の反射装置——例えば"監視カメラ"のようなもの——が彼(女)らのすぐ近くに設置されているとする。そして、モニターに映し出される彼(女)らの過剰なまでの深刻さをせせら笑う為の場所が他に用意されているのだとすれば、それは「作品」になるかもしれない——というのは、無論のこと「冗談」である。
 私見で言えば、この催しはカネを支払って観客の若い女の脚を観に行くことにこそ価値があると思う。「アート」の楽しみ方は人それぞれなのだということについては大いに結構である。せめてこの点についての誤解を退けるような配慮は必要である。

September 20, 2008

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 新宿の淳久堂書店にて
『シェリング著作集(Bd. 3)』(伊坂青司/西村清和訳、燈影舎、2006年)[=Schelling, F. W. J. V. "Darstellung meines Systems der Philosophie" 1801, "Fernere Darstellungen aus dem System der Philosophie" 1802, "Philosophie der Kunst" 1803.]、
『メタフラシス』(高橋透/吉田はるみ訳、未來社、2003年)[=Lacoue-Labarthe, P. "Métaphrasis suivi de Le théâtre de Hölderlin" 1998.]、
を購入した。
 それから新宿二丁目へ行き、相変わらず同じ店でビールを呑みながら、待ち合わせていたTkh君が現れるのを楽しみにしていた。顔を合わせるのは半年振りのことであるように思う。互いの近況の話題を交えながら色々のことを話した。暫くしてから場所を駅に近くにある線路沿いの店の2階へと移した。そこで深酒を呷り、少しばかり心許ない足どりながら連れ立ってファブロの《Passi》を観に行き、そのまま帰宅の途に就いた。

 あなたの耳が、私にとっては余りにも可愛らしいものだったから、私はまるで口説くような口調で、こうしてあなたに語りかけているのです。あなたは色の白い柔らかな肌をして、あなたの耳はやはり同じように色白で、電灯の明かりの為に仄かな暖色で色付き、そして耳の先のあたりがやおらに紅く染まり、するとあなたの耳は花の咲くように艶やかに、あなたの髪はその輝きを照り返すように、あなたの黒髪が右と左に流れる分水嶺の如き白く小さな耳のかたちが、あなたの耳はあなた自身であるかのような、あなたは私にとってのそのような薔薇の耳なのです。

September 19, 2008

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 あなたの耳が、私にとっては余りにも可愛らしいものだったから、私はまるで口説くような口調で、こうしてあなたに語りかけているのです。あなたは色の白い柔らかな肌をして、あなたの耳はやはり同じような色白で、電灯の明かりの為に仄かな暖色で色付き、そして耳の先のあたりがやおらに紅く染まり、するとあなたの耳は花の咲くように艶やかに、あなたの髪はその輝きを照り返すように、あなたの黒髪が右と左に流れる分水嶺の如き白く小さな耳のかたちが、あなたの耳はあなた自身であるかのような、あなたは私にとってのそのような薔薇の耳なのです。

September 18, 2008

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 カッフェで岩波文庫の漱石『硝子戸の中』を読んでいたら、あちこちへと持ち運ぶうちに段々と草臥れたらしいグラシン紙のカヴァが、背から真っ二つに破れてしまった。これはすっかり飴色に変色していたのが、その為に却って風情が匂っていた。この幾分か古風な様子は気品の漂ったふうにも感じられて、頁を捲る指先とは違った手触りが本の背を支える指に残るのも私は気に入っていた。
 むずかりながら破れたグラシン紙を取り除くと、随分と真新しいような感じのする表紙紙の様子を私は意外に思った。薄汚れて透明さの鈍ったカヴァを透かして読める表題の文字には、古びたが為に確かさの宿るような思い込みも有ったが、それが今や昨日今日にでも書店で買い求めたばかりのもののような、まだ新しいというだけで気恥ずかしさを思うような気分の生まれない訳にはいかなかった。不意にものの纏う魅力が消え去ってしまったかのような落胆が興った。表面ばかりが侘びて、然しその裏では着々と新しさの伏蔵されていたことには驚かされた。
 清々しい天色の帯には「定価100円」と書かれている。奥書を見れば、私のものは1983年の第53刷とある。これは丁度私の生年に相当する。その上には1963年改刷とある。さらに上には初刷りの年が書かれていて、これは1933年となっている。意外にもその出所は年の浅いもので、表紙紙のまだ初々しいのはこの為である。例えば私の持っている『東海道中膝栗毛』は1938年に刷られたものであり、その全体は黒ばみに汚れて背の表題はくすんで判然としない。(又、この頃の岩波文庫は当世のものよりも一回り大柄で、のみならず検印台紙が貼られている)二つの本を並べて見比べれば最早一目瞭然に、後者は実に無理なく侘びていた。半世紀ほどの幾年の差は、やはり思うまでもなく明らかなものだった。手品のカラクリを知った時にもこういう気分を抱くものらしい。魔術の備える魅力は幻惑に依るものだけれど、こうもあっさりと切り返しを喰らう小気味良さにこそ、寧ろその為の魅力は喚起されるように思う。
 破れて用を成すことも出来なくなったこのグラシン紙のカヴァは、仕方無しに二つ折りにして後の見返しの間に挟んである。

September 17, 2008

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仕事帰りに日吉の書店へ寄り
大川周明『回教概論』筑摩書房、2008年(=慶應書房、1943年)、
『わたしは花火師です』(中山元訳、筑摩書房、2008年)[=Foucault, M. "Je suis un artificier" 1975, "Se débarasser de la philosophie" 1975, "Qu'est ce que la critique? Critique et Aufklärung" 1978, "Histoire de la médicalisation" 1974, "L'incorporation de l'hôpital dans la technologie moderne" 1974.]、
を買った。

September 15, 2008

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 口を噤めば、世界で最も早く耳に届いた音楽が聞こえてくる。残影の音楽とでも言えようか、その旋律は口ずさむ間も無く消えて失せてしまい、と同時に次から次へと矢継ぎ早に頭蓋を駆け巡る。だが確かに聞こえた音楽のただ影として知るような直観を掴まえ、持続の手綱を繋いでおく事は難しい。つまり、音にして鳴らすには余りにも素早く、この音楽を書き留める為には非常な記憶力を要するか、——或いは"印象の力"であるかもしれない、この二度とは繰り返し聞く事の出来ない音楽を掴まえ留めておく為には、先ず何よりも才能が、次いで客観を介さぬままに持続を勝ち得た集中力(決して「今まさにその音楽を聴いている」などという理由を手にしてはならない)を必要とする。だからこそ、不意に響き渡る音楽との度重なる別れを惜しむよりも寧ろこの期に満ちた stimmung 気分を受け入れると云う事が、直観の響きが降り注ぐ為の歓待の礎となるように思われる。

September 14, 2008

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 今日は昼頃に目覚めた。昨晩の飲酒の為にか、少し胃の荒れているような感じがした。素晴らしい晴れ模様だった。が、数時間もすると陽は陰ってきた。久々にバイクの後席に跨る。秋めいた風にとても気分が善い。多摩動物公園から多摩センターへと抜ける道のいつの間にか開通していたことを知る。そのまま近所の古本量販店まで送り届けてもらう。
講談社刊「国際版・世界の美術館」シリーズのうち
『ボストン美術館』(Bd. 11)、
『ロンドン国立絵画館』(Bd. 13)、
『メキシコ国立博物館』(Bd. 15)、
芥川龍之介『奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇』岩波書店、1991年、
『「砂漠の美術館——永遠なる敦煌」展図録』1996年、
これらを購入した。

September 13, 2008

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 今日は高幡不動へ行き、以前の職場の同僚と酒を呑んだ。私がその職場を離れてから1年近くが経っていたので、久し振りに顔を合わせた筈なのだが、その為の感慨は不思議と起こらなかった。それぞれの今の仕事のことなど、近況についてを話した。1人が遅れてやって来た。
 トルコの綿菓子「ピシマニィエ(Pişmaniye)」の話題になったが、「あれはガラスマット(FRP成形に用いる)にしか見えない」という点で盛り上がった。私も初めてこの菓子を目にしたときはそう思った。指で摘んで、毛糸の絡まったようなのを解しながら食べると、ぽろぽろと毛綿の飴が溢れて散々な目に遭う。思い切って一口に食べるのが望ましいが、とても甘いからそれが難しいという人も多いだろう。口にすれば、親しみ易い白漉し餡のような味がする。
 18時から終電を過ぎるまで、6時間は酒を呑み続けていたことになる。酔い具合はそれほど深くもなく、だが少々"べらんめえ"の調子で、ほろ酔いに任せて勇んで高幡不動尊の暗い山道を3人で駆け擦った。

September 10, 2008

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 職場からの帰りしな古本量販店に立ち寄り、『ギタンジャリ』(森本達雄訳、第三文明社、1994年)[=Tagore, R. "GITANJALI" Macmillan, 1912.]を買った。

September 7, 2008

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 今日は平日に起床するのと同じ時刻に目覚めて、それから暫くは部屋の掃除をした。色々なものを捨てた。普段から折り畳んだり重ねたりして脇に押し遣っていたものを、あれこれと吟味しながらも次々と屑籠の中へ放り込んでいった。
 午後になり、北野武の映画の幾つかを飛ばし飛ばし観ていた。Bruckner の音楽を聴いていた。そして、そろそろ夕方の事などを思い起こすような時間になってからやっと、私は自転車に跨がり近所の中古本量販店へと向かった。何か気晴らしの為になるような本を探した。そこで、
筒井康隆『ヘル』(文芸春秋、2003年)、
『フォレスト・ガンプ』(小川敏子訳、講談社、1994年)[=Groom, W. "FORREST GUMP" 1986.]、
『好き? 好き? 大好き?』(村上光彦訳、みすず書房、1978年)[=Laing, R. D. "Do You Love Me? --- An Entertainment in Conversation and Verse" 1976.]、
これらを購入した。

September 6, 2008

《TOKYO!》

渋谷へ行き、シネマ・ライズで《TOKYO!》を観る。
ドゥルーズ, G./パルネ, C.『対話』(江川隆男・増田靖彦訳、河出書房新社、2008年)[="Dialogues" Flammarion, 1977; éd. augmentée, 1996.]を買った。その外観は、群青の帯が丁度「パルネ」の名を隠すような具合で、一見するとまるでドゥルーズの単著であるかの見せ方はあざとい。その反面、栞紐と花布の天色は何とも可愛らしく、清々しかった。装幀はお馴染みの戸田ツトム氏による。
この日に私が携えていたのはドゥルーズ『経験論と主体性』とバディウ『倫理』の2冊、さらに『対話』を加えて3冊である。フランス現代哲学の本を小脇に、流行りのフランス映画を観に行くというのは、周囲に並み居る世知に煩い洒落人に劣らずまた何とも洒落た振る舞いぢゃないか、などと自嘲する。
それから、学部時代の同窓であるY君と待ち合わせて、久々にあれこれの歓談に湧き立つ。

September 3, 2008

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 仕事場からの帰りしなに在る古本量販店に立ち寄り、
安彦良和『虹色のトロツキー』(Bd. 2, 3、単行本)
を購入する。

August 31, 2008

『所沢ビエンナーレ・プレ美術展——引込線』

 『所沢ビエンナーレ・プレ美術展——引込線』を観に所沢へ行った。この日はシンポジウムが併催されていたので、「所沢」の会場は後回しに、先ずは「航空公園駅」を下車し所沢市役所へと向かう。
 と、私がここに至るまでに執った経路は随分と煩雑なものだった。それが余りに可笑しなものだったので、以下に書き残しておく。私はバスで「聖蹟桜ヶ丘駅」に向かった。京王線に乗り2駅、「分倍河原駅」でJR南部線に乗り換えて1駅、「府中本町駅」でJR武蔵野線に乗り換えて4駅、「新秋津駅」を下車し路地を歩く。先ずは右に折れ、次いですぐに左へ曲がる。そのまま商店街を抜けると西武池袋線「秋津駅」が見える。道中の、この日の天気は素晴らしい晴れ模様で、大変に秋らしく、また風は心地好い具合で涼しく、まだ夏の事を思い返すには充分な陽射しの強さがあり、私は快活な気分でこの小旅行を楽しんだ。秋津駅から1駅、「所沢駅」で西武新宿線に乗り換えてまた1駅、「航空公園駅」下車。ここまでの乗り換えは5回。私は過去に一二度、この経路で所沢まで行った事が有った。

August 30, 2008

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 「パップコーン」の単独ライブ『カンヌ』に使う映像を撮影する為に久我山へ行く。『Scale-Out』展を観る為に銀座に在るコバヤシ画廊へ行く。それから再び久我山へと戻って『11.P.M』に顔を出し、その後の打ち上げにも参加する。今回で『11.P.M』は28回目、残す2回を以て終了となる。それは惜しくもあり、又た懐かしさもあり、メンバーの芸人たちと仲良くなれたことはもとより、様々の芸人とも話す機会の有ったことは何とも楽しかった。

August 26, 2008

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 今日でやっと、3ヶ月ほど前からお互いに不在着信を残し合い、然しながら一向に話題の進展することが無かったUsmさんとの電話が通じて、久し振りにそれぞれの近況のことなどを話をした。この奇妙な探信音の遣り取りが、一体どちらから何の用事の為に開始されたのかについては、もうすっかり忘れてしまった。彼女と最後に電話越しの会話を交わしたのは確か半年くらいは前のことで、私は新宿駅西口の舗道で彼女からの電話を受けたのだった。その時私は一人で居たのだけれど、それはこれから人との待ち合わせをするか、或いは誰かと別れた直後のことだったように思う。どちらにせよ、私の記憶はこの出来事と共に珈琲の味を覚えている。

August 24, 2008

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横浜は関内に在る ZAIM へ行き、照明プラン及びドラマトゥルクとして関わるNUDO『ペトルーシュカ』を観に行った。

August 23, 2008

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 今日は addidas 社製のスニーカを3足買った。靴を買うのは久し振りのことで、念入りに履き比べて品定めをした。暫くは生憎雨続きのようだけれど、明日は真新しいスニーカのどれかを履いて出掛けるのだから、それが楽しみでならない。黄緑味のある金色の革のもの、メッシュ地で細身の白銀色のもの、コーデュロイ地の緑色を基調としたジャマイカン・カラーのものを、3足枕元に綺麗に並べて私は嬉々としていた。

August 22, 2008

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 仕事が終わってから渋谷へと向かい、レコード店にて Mravinsky, E. による Bruckner, A. の交響曲集(Symp. No. 7 - No. 9)、Shostakovich, D. によるピアノ曲の自作自演集、Borodin Quartet による Shostakovich, D. の弦楽四重曲集(No. 1 - No. 15)のCDを購入した。これらは全て VЕНЕЦИЯ 盤のもの。

 8月15日の終戦記念日を経てから、気温は下がり、やがて秋めいてきた。蝉はまだ騒々しく鳴き喚いているが、その様相は随分と空々しく季節外れであるとも感じられるほどに、この数日の気象の変化はより一層明確に秋を表し始めていた。私が幼い頃に覚えた夏のイメージ——青空に立ち上る入道雲や、夕立や雷——は、この十年の間はすっかり失われていたのだけれども、今年の夏にはそれらがまるで一巡でもして再び開始されたかのようであり、四季に於いては最も強く激しい夏の気象の現れは、私の古い記憶を一括りにして一挙に蘇らせるものだった。巷で喧伝されているようにそれは確かに異常気象の片鱗であるかもしれないが、私は幼少期を過ごしたタイでの気分を呼び起こす荒々しい今年の夏のから直裁に懐かしさを覚えた。だが、その夏の姿も今や私の眼前を足早に過ぎ去ろうとしている。気が付けば散歩道を彩る風景の色合いもまた秋へと移り変わっていく。草木はその時々で最も華やかな種が連綿に異なるとは云え、このような眼に見える自然の変化について私は敏感でありたいと思う。

August 18, 2008

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「次いで七日目になり、彼らは早く、夜が明けるとすぐに起き、これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。その日だけ都市の周りを七回行進した。そして七回目のこと、祭司だちが角笛を吹くと、ヨシュアは民に向かってこう言った。「叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ。そして、この都市は滅びのために捧げられたものとされなければならない。それは、そこにある一切の物と共にエホバのものとなる(…)」。それで民たちは叫び声を上げた。それは〔祭司〕たちが角笛を吹きはじめた時であった。そして、民が角笛の音を聞き、民が大きなときの声を上げはじめるや、すぐに城壁は崩れ落ちていった。そののち民は、各々自分の前をまっすぐに進んで市内に入り、その都市を攻め取った。」

[《And it came to pass on the seventh day, that they rose early about the dawning of the day, and compassed the city after the same manner seven times: only on that day they compassed the city seven times. And it came to pass at the seventh time, when the priests blew with the trumpets, Joshua said unto the people, Shout; for the LORD hath given you the city. And the city shall be accursed, even it, and all that are therein, to the LORD(…). So the people shouted when the priests blew with the trumpets: and it came to pass, when the people heard the sound of the trumpet, and the people shouted with a great shout, that the wall fell down flat, so that the people went up into the city, every man straight before him, and they took the city.》
Joshua 6:15-17, 20]

August 16, 2008

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 駅前の書店にて、ヴァレリー, P.『エウパノリス・魂と舞踏・樹についての対話』(清水徹訳、岩波書店、2008年)[="Eupalinos ou l'architecte" 1922. "L'ȃme et la dense" 1922. "Dialogue de l'arbre" 1944.]を購入した。

August 15, 2008

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 この日は同窓のTksさんと上野で待ち合わせて、東京国立博物館で催されている『対決——巨匠たちの日本美術』展を観に行く。最終日が近付いていた為にか、平日であるにも拘らずまるで休日とも見紛うばかりの人出の多さだった。炎天下と、そして湿気に滲んだ色とりどりの人の海。皆銘々に気負った面持ちで、一堂に会した日の本の名物を拝んでやろうと躍起だ。そんな熱気の最中に紛れて、お互いに歩調も歩幅も合わないから、先ずは各自で順路を2巡して、それからロビーで待ち合わせて3巡目を一緒に観て回った。ガラス壁に汗の浮いた鼻を擦り付けるようにして、雑踏に偶然居合わせた隣人と肩を擦り合い身を捩るように前に出て、或いは二三歩ガラス壁からは退いて、苦心しながらも窮屈な鑑賞を終えた。企画展でもなければ、こうして合い並び立つことも無かったであろう名物の数々が、一挙に視界へと収まる景色の為に湧き立つ高揚感の何と騒がしいことか。「対決」の文句はあからさまに観者の批評的な態度を煽るものだけれども、寧ろこの企画展に於ける真骨頂は、名物の数々が織り成す異彩の景色にこそ集約されている。個々の作品をじっくり観たければ、銘々の収蔵先へと足を運ぶ方がずっとよい。間違ってもこの為に掛かる手間を省いて楽をしようなどとは考えないことだ。そうでなければ、わざわざ人混みに揉まれてげんなりと疲労するようなことは割に合わないし、馬鹿げているから。
 私は雪舟にちらと挨拶をして、長次郎を愛で、宗達には大いに笑い、蕪村に唸って会場を後にした。彼女とは等伯と若冲への好みについては共感し得たが、然し私の蕪村趣味には首を傾げていた。こう云う趣味が死を眼前に悠然と余生を楽しむ老成のものであることを私はしっかりと心得ている。そのような愉悦を、私はM先生から教えられていた。

——或いは別の夢。

 「見せかた」と「見えかた」との矛盾を記述することにかけては芸術批評の強みがあるが、そこへ理論的な正当性を織り込んでしまう点では文学に劣る欠点を備えている。だが、対象へと向かう態度に於いて何らの他人事の余地も挟まぬという点に、批評的言説の価値が宿る。これはジャーナリズムには到底及びも付かぬ真摯な態度である。予てより批評畑の人間は世情を退き何者かの歴史の為にかまけてきた訳であるけれども、然しふと娑婆へと眼を向けてほしい。そこに何が見えるのか、己れの真摯な態度はどのように発露されるのかを試してほしい。改めて言うまでも無いが、芸術は古典にしかない。それ以外のものはひと時も保ち堪えずに、目を離したその瞬間には跡形もなく消尽してしまうのだから、本当に下らない、それらを救い出そうなどと義務感を誤謬に貶めることなく、先ずは己れの眼前に何が現れているかを明敏に語ることこそが、最も真なる(そして内なる、私たちの)芸術に歩み寄る為の唯一の手立てである。当の芸術作品は、私たちに遅れて、宣言的に現れてくる。その差異に向かって我々は言葉を差し挟むのだから。

——さらに復た、別の夢。

 いよいよ以て重症だ!
 レコード屋を訪れても、聴きたい音楽が思い浮かばない。書店に立ち寄れど、欲しかった本を目にしても、それらを手に入れようとは思わなかった。
 近頃では新本を買わず、新譜を買わず、何もかもすぐに見飽きるだなんて、いよいよ老成の無気力が歩み寄って来たのか!?
 最近では文章を書く気もめっきり失せていたけれど、今ではリハビリ紛いにまた幾つかの文章を書き始める機会を得ているから。僕は程無くして、文学者に成っているかもしれない。

——このような気分を夢の中で思い出しでもしなければ、復た現世に於いても同じ気分が繰り返されることも無かったのだと思い、私は大変に悲しかった。と云うような夢を見た。

August 14, 2008

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 B社での仕事が今日で最後となったので、同僚の一人が気を利かせてくれて、居合わせた何人かと写真を撮った。本当に小さく、小ぢんまりとしたスナップ写真だ。Tさんが携帯電話で撮ったものを、職場で写真撮影をするなんて珍しいなと思いながら余り乗り気ではなく私が写り込んでいるそれを、彼女は退勤の際に何気なく私に手渡してくれた。並んで写る顔を見比べて、それにしても私は年齢の割に老け込んだなと思った。子供を連れて職場に顔を出していたOさんは、親子で写真に収まっていた。その子はとても大人しく、幾らかは緊張していたかもしれないが知的な性質の潜む控え目な立ち振る舞いで、私を直裁に驚かせるのだった。バルトから「眼の背後にではなくて、眼の上に、余分の知性を貯え、思考力を保ち包蔵しているように見える」[『表徴の帝国』]という言い回しを借りて、私にはこのような瞼への印象にOさんと息子であるH君との血の繋がりが端的に見出だされてくるのだと思えた。

August 13, 2008

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 仕事が終わって、一度帰宅してから自転車で漕ぎ出して川縁を走り、近所の古書量販店へと向かった。仕事で世界史の知識も必要となってくるように思われたから、河出書房新社刊『世界の歴史』のうちから「古代インド」「イスラム世界」「ルネサンス」「絶対君主の時代」(Bd. 6, 8, 12, 13)と、『交通地理学』(大明堂、1968年)、小学館刊『原色世界の美術』のうちから「ギリシア」(Bd. 11)を選び出し購入した。

August 11, 2008

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「眠れねえのか? 明日の今頃はよ、歴史上の人物だな。……昼間、下で工事してた連中、山ほど貝殻掘り当てたそうだぞ」
「へえ。何でこんなところに……」
「何でだと思う? ……ここは昔、石器人たちのゴミ捨て場だったんだ」
「へえ。」
「可笑しいだろ。この最新式宇宙船は、ゴミの中に立っているんだぞ」
「へえ……、まさか石器人だって、自分たちのゴミ捨て場が宇宙船の打ち上げに使われるなんて、思わなかっただろうな……」
「これからさ、さらに一万年後、ここで何かするヤツはいるんだろうか……」
「大量の食い残しの中にさ、鉄骨やらコンクリートやらが混じって、さぞかし壮絶だろうな」

[GAINAX『王立宇宙軍 オネアミスの翼』1987年]

August 9, 2008

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 尾久からの稽古帰りの埼京線で、隣に座るタイ人女性からタイ米の匂いが香るのを、妙な懐かしい気分に浸っていくように感じて、膝の上に開いた本に視線を落としながらも、瞼の裏へ懐かしい彼の地のすがたを想像する私には、幼い頃に過ごした熱気を嗅ぎ分けたならいつでも復たそこへと辿り着けるような気がした。オデュッセウスが遠く望郷の向こうに霞んでいくイタケーを見たようにして、私は度重なる困難にも勇敢に立ち向かいながら、やがて彼の地の土を踏み締めていることだろう。

——ただいま! 私は度重なる困難にも勇敢に立ち向かってまいりました! オデュッセウスはいまやっと帰り着いたのでございます!

August 8, 2008

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オペラシティアートギャラリーにて『近藤恵介展』を観る。

そして、そのついでと云う気分で、『トレース・エレメンツ——日豪の写真メディアにおける精神と記憶』展を観た。
事前に下調べをしていた訳では無いので、古橋悌二《LOVERS——永遠の恋人たち》(1994年)のキャプションを目にした時は、驚いたし興奮した。
この作品については以前より様々な媒体から知識(彼の死によって神聖視された)を得ていたが、実際に目にするのはこれが初めての事だったからだ。

なびす画廊にて『P——利部志穂展』を観る。
昨年に観た同画廊での作品と比較して、インスタレーションへの傾向をさらに強いものにしていたが、それにより扱われた素材の物質感は殊更に際立っていた。
その為に、私には最早「彫刻」と「インスタレーション」との差異が殆ど疑わしいまでに接近していると感じられた。
蓋し、初見の直観に従えば、この作品は歴然として「彫刻」である。
ただその根拠を明晰に述べる事が出来ないほどに、私は「彫刻」についてを掘り下げて再考せねばならないと云った具合に陥ったのだった。

August 7, 2008

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 仕事が終わって、一度帰宅してから、自転車で漕ぎ出して近所の古書量販店へと向かい、
大江健三郎『河馬に噛まれる』(1985年)、
id.『治療塔』(1990年)、
島田雅彦『夢使い』(1989年)、
id.『愛のメエルシュトレエム』(1991年)、
id.『忘れられた帝国』(1995年)、
id.『流刑地より愛をこめて』(1995年)、
id.『内乱の予感』(1998年)、
これらを購入した。

August 5, 2008

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 最近リリースされた2本のアルバム——Beck "Modern Guilt" と Primal Scream "Beautiful Future" を試聴していたら、何だか笑えてきてしまった。きっと皆な疲れているんだ。誰しもが今はこういう音楽に浸りたくなる。いかにも売れセンのポップ・ソングというのも嫌だし、かといってロック調のけれん味を欲している訳でもない。モダニズムの再来を志向するにしても、今すぐには The Beatles や Peter Ivers なんかの"王道"を聴く気分にはなれない。すぐに疲れてしまう。今年の余りに夏らしい夕立や雷の為に、北半球は一斉に夏バテを喰らっているような気がする(でもこれは、あくまで東京から世界を眺めた限りでの一方的な感想だ)。だからこんな寄り道みたいな音楽が出来上がったのだろう。3日ばかり我慢してこの2本のアルバムをヘヴィに聴き続けたら、きっと気分もすっかり良くなる予感がする。それも悪くない、何せ今はそういう気分なんだから。

August 4, 2008

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 大学時代の同窓たちと顔を合わせる機会を得る。1ヶ月振りや半年振り、中には数年振りと云う人も居た。私の他は女性ばかりで、奇妙な居心地を味わったがそれは決して嫌なものでは無かった。マドンナは来なかった。この日は昼から雷が鳴っていた。窓の外のヴェランダに在るオープンなテーブルセットが雨に濡れ続けている様子は、それらがネオン光と雷光とに照り出されていた為にか、奇妙なものに見えた。
 彼女たちはそれからカッフェに場所を移して歓談を続けるようだったが、郊外に住む私は終電の事を気にして足早にその場を辞した。よくよく考えてみれば、あと30分ばかりは時間の余裕も有ったかもしれない。

August 3, 2008

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有楽町へ行き、同窓のTksさんと『スカイ・クロラ』を観る。

August 2, 2008

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 『ペトルーシュカ』の稽古の為に尾久へ行く。初めての通し稽古だったということもあり、当然ながら緩慢なところや退屈なところが散見される。だが、Ykt君が本作の為に用意した結末には思いのほか面白い効果が生まれていて、これを起点としながら結末までに至る過程を整理するだけでそれなりに良いものにはなるだろうという予感はしたのだ。
 それから場所を新宿へと移して、舞台美術を担当するYmtさんを交えて作品全体を通底するイメージを決定する為の打ち合わせをする。その成果からは中々良い具合の空間になりそうだという直観が働く。そう思えたら、段々と作品の完成が楽しみになってきた。私にとっては蛍光灯の効果を充分に発揮することが出来るという点でもやり甲斐は大いに有るから。

August 1, 2008

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 遅めの朝に起きて、身の回りを簡単に整えた後に最近公開された『崖の上のポニョ』を観始めた。『千と千尋』以降のジブリ・アニメには繰り返し観るに値するだけの魅力が感じられないから、私はわざわざ映画館にまで足を運ぼうと云う気にはならなかった。周囲に先駆けてまで観るほどの情熱も湧かないし、何かの機会に観てその一度きりで終わりという感じだ。
 暫くの間は漠然と眺めていたけれども、それから映像の再生を中断して昨晩の残務処理をこなす為に日吉へと向かった。仕事は結局30分ほどで済んでしまったし、久々の休日にすっかり気も緩んでしまったから、慶応大学のキャンパスを少しばかり散策した後は武蔵中原に立ち寄り駅周辺を逍遙する。持参していた本をカッフェで読みながら、改めて久々に味わう余暇の充実を感じた。机上に積んだ数冊を全て読み終えてから、やや暗がりとなった帰路に就いた。そして帰宅してから身の回りを簡単に整えた後に、『崖の上のポニョ』の続きを再び観始めたのだった。

July 26, 2008

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「ある動物がなにか他の動物を食べるときに与えられるのは、いつでも食べる動物の同類である。この意味で私は、内在性と言うのである。
 つまりそれとして認識された一個の同類が問題になるわけではないのだ。食べる動物は、食べられる動物に対して超越性としてあるのではない。おそらくそこにはある相違はあるのだけれども、他の動物を食べるこの動物が、その相違 différence をはっきり肯定しながらその他の動物に対立するということはありえないのである。」
[Bataille, G. "Théorie de la Religion" Éditions Gallimard, 1973.=湯浅博雄訳『宗教の理論』筑摩書房、2002年。]

「ある種類の動物たちは、お互いに共食いすることはない……。なるほどそれは正しいけれども、大鷹が雌鶏を食べる場合に、われわれがある物=客体 objet をわれわれ自身から区別するのと同じような仕方で、大鷹がその雌鶏を自分自身から明確に区別しているのではないとしれば、それはたいした重要さを持たない。そういう区別がなされるためには、物=客体がそれとして定置されることが求められる。もし物=客体が定置されていないならば、補足しうる差異は存在しないのである。動物にとっては、時間の軸に沿ってずっと与えられているものはなにもない。物=客体が時間の内に、つまりその持続がそこにおいて捕捉されうるような時間の内に存在するのは、われわれが人間としてあることによるものであり、ちょうどまさしくその度合に応じてそうなのである。ところが反対に、別の動物によって食べられる動物は持続に至る手前に与えられており、それは消費され、破壊されるけれどもそうした動物の消滅とは、いま現在の時間の外にはなにものも定置されていないような一世界の内における消滅に過ぎないのである。」
[ibid.]

「たとえば誰かが料理を、ローストかグリルを用意しているとして、肉が調理されているときとテーブルの上でそれが食べられるときのと間には切断があります。食べることと調理することとの間には不均衡があるのです。この不均衡は、これは言っておかなければなりませんが、とても重要で本質的な何かです。この切断が人間と動物とを区別しているのです。動物はすぐに媒介なしに食べ、その食べ方は貪欲です。つまり動物は延期しない、原則として何ものにも後に延ばすということはありません。食物がなくて空腹になれば、動物は食物を捜しにいきます。空腹だということと食物を捜すこととの間に違いはありません。食物は見つかりさえすればすぐに食べられるわけですから、食物を捜すことは結果に従属した時間ではありません。」
[Bataille, G. "Conferences 1951-1953 Œuvres Completes, Tome VIII)" Editions Gallimard, 1976.=西谷修訳『非-知』平凡社、1999年。]

July 21, 2008

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 「白痴」と云う言葉から、即座に「娘」や「少女」のような年端も足りぬ女の姿が想像されるのは何故だろうか。私にとって「白痴」の意味するものが、女性にでは無く「女」と云う形象へと直裁に結び付く事は不思議に思える。この言葉から想起され得るものは、即ち「女性」と言われるような確固たる女として確立された人格にでは無く、それから幾分かの或る欠如を伴ったものとして立ち現れるものでなくてはならない、と云ったふうに。それについて、一つは私の自意識の表現形が歴然として男性的であると云うこともあるのだろうが、寧ろ彼女の年齢を理由とした私に対する従属の強制を、彼女を意のままに使役したいと云う願望から導き出す為なのかもしれない。
 例えば、或る女性に対して、私は彼女を己の娘として迎え入れたい欲求に駆られる事があるが、その場合に彼女を私と同格の世代に据えずその下の世代に留めておこうとするのは何故か、と云う不思議にもこの疑問は通じているように思われる。

July 20, 2008

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 この日は来月下旬に公演日を控えた『ペトルーシュカ』の会場を下見する為に、関内へと足を向けた。毎日の通勤路をそっくりなぞるようにして、明日もまた同じ道程を辿るというのに、歩き馴染んだ経路を足早にこなし日吉を更に越えて横浜へと至る。会場となる ZAIM に着くと、先に下見を終えたSd君(彼はこの公演では照明オペレーションを担当する)と合流し、夏の暑さを避けて近くのカッフェへと逃げ込んだ。そこで暫く、照明プランについての打ち合わせをする。再び ZAIM に戻り、プランの確認をする。用事を済ませた後、駅の近くでビールを飲みながら彼と世間話をして、それから電車に乗り私は新宿へと向かった。その途中までの経路を同じくする彼は新橋で下車し、私は東京駅で中央線に乗り換えた。
 次の打ち合わせまではまだ暫く時間が余った。それまでをどのようにして過ごすかが目下の緩慢な悩みどころとなった。私は駅周辺をふらふらと経巡って中古CD屋に入った。すると、偶然居合わせたKndさんとFjtさんとを運善く暫しの話し相手として掴まえることになる。不思議なものだ。Kndさんから彼の個展の観覧チケットを貰った。彼らとの会話の中で知人の近況を伝聞形で窺いながら、頃合いを見計らってその場に別れを告げた。次に再会するのはいつになるだろうか?
 それから数店舗を気の赴くままに梯子して、新宿二丁目へと行きまたビールを喉に流し込んでなけ無しの羽を伸ばした。靴底にも霊感を! とは云えここでようやく尻餅をついたような恰好になったので、私は店先のテーブルに寄り掛かり自らの陰気さのことを若干だけ気にしながら、少しの間は照明プランのことを考えていた。そしていま思い返すと身悶えするような拙い私の他国語を恥じながら、周囲を銘々に陣取る他国人の会話に耳を峙てていた。そこでYkt君と待ち合わせ、定刻に他の打ち合わせのメンバーとも合流して、なんやかんやと話し合いをし始めた。

July 19, 2008

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 今日は晴れていたので、洗濯物を済ませる。久々に生活の為に時間を砕いた。陽射しの下を少し動くだけで全身から汗がわっと滲む。春先の陽光を煮え切らない梅雨空の下でやり過ごしながら、気が付けば夏の季節に急き立てられている。
 それから、自転車に乗り駅前の市立図書館へと行き、借りていた書籍を返却する。代わりに、
Nancy, J.-L./Bailly, J.-C. "La comparution" Christian Bourgois, 1991.=大西雅一郎/松下彩子訳『共出現』松籟社、2002年。
Deleuze, G. "Un Nouvel Archiviste" 1970. / Foucault, M. "Theatrum Philosophicum" 1970.=蓮實重彦訳『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』叢書エパーヴ、1975年。
Guattari, F. "La Lévolution Moléculaire" Éditions Recherches, 1977.=杉村昌昭訳『精神と記号』法政大学出版局、1996年。
これらを新たに借り出した。
 駅前の通りからは少しだけ外れて、この辺りでは最も未来的な匂いのする錆び付いた歩道橋の上に立ち、そこから片側三車線もの広々とした車道を見下ろした。たったこれだけの隔てが風景を途端に大雑把なものにする、空は青く広くそして人の流れはずっと緩慢である。直下に向かい降り注ぐ夏の陽光は、屢々白昼夢のエア・ポケットを用意している。自動車の流れは悠長で、ただそこに留まっているようであるか、或いはじっとこちらへとにじり寄って来るように思える。だらだらと続く上り坂を、延々と蹴り上げながら登り、山王下を迂回し、中沢から唐木田へと抜けて、また段々と空は開けを増し丘陵のかたちは序々に極まってくる。そして、そこからは暫くの道程を下り坂が続く。壊れかけた自転車のブレーキのことを気に掛けながら、殆ど同じ斜度で、右に左にくねる車道を駆け下りる。忍耐に気遣うように、同じ角度を見詰めたままひたすらに地面との着地を心待ちにしているような気分になった。
 やがて近所の古書量販店に着き、
大塚英志『木島日記』(2000年)、
大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(1972年)、
id.『「救い主」が殴られるまで』(1993年)、
id.『揺れ動く〈ヴァシレーション〉』(1994年)、
id.『大いなる日々に』(1995年)、
を購入した。
大塚英志のものは、私が高校生のときに『多重人格探偵サイコ』のノベライズを読んで以来久々となる。
 そこから川沿いの遊歩道をひたすら疾走する。仄明るい夏の夕暮れに、街灯よりも暗いライトを点けて、今度はレンタル・ビデオ店へと向かった。途中、スーパーの店先に寄り掛かりながら真っ当な夕食のことを考えたりもしたが、それまで飲んでいた炭酸飲料の為に、とうとう食欲から喚起されることも無く豊かな食生活の実践は不発に終わった。
GAINAX『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)、
STUDIO4℃『Genius Party』(2007年)、
Christian Volckman "RENAISSANCE"(2006年)、
これらを借りた。
——『王立宇宙軍』を初めて観たのは、確か17年前のことになるだろうか。この作品の舞台となる世界は、或る部分では私たちの棲まう現実よりも進歩し、或る部分では遅れている——異形の可能性の裡に描かれた同時代なのだ。物語は、人類初の有人衛星の打ち上げを軸に、幾つかの紆余曲折を経て、その成功からの達成感を以て突然終わる。私の脳裏に深く染み付いていたのは、主人公シロツグが発射台を眺めながら「ハリボテの歌」を口ずさむシーンであり、最近になってやっとそれが何と云う作品の一場面であるかを知ることとなった。当時の幼い私の記憶を鑑みても、それは余りに断片的な印象にしかない為、再び符合を得ることには随分と困難を要した。それに、私の記憶に於いてこのシーンは物語の冒頭部に位置している筈であったが、実際には殆ど終端部にこれを発見することになる。
 帰宅して、DVDを観ようとTVを点けたら、画面に Karajan カラヤンの姿が映し出された——Mozart, D minor K. 626 "Requiem"、このプログラムの放送開始時刻から40分ほど経った一場面に、——カラヤンと云えば眼を瞑って指揮をするという印象が強いが、これは眼を開けたままのものだ。1986年、Wiener Phil.——思わず釘付けにされたのだった。

July 12, 2008

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近所の古書量販店にて
弐瓶勉『BLAME!』(Bd. 3, 4, 6, 7, 10)、
手塚治虫『三つ目がとおる』(Bd. 8)、
高橋和巳『わが解体』(1971年)、
島田雅彦『アルマジロ王』(1991年)
を購入する。

 窓を開け放ったまま昼寝をしていると、私の身体は夢を媒介としながら序々に大気の状況へと消え去ってゆくのだが、このようにして確立された夢の中の世界は、次第に私の想念へと収束していった。そして不意に夢は途切れた。私は依然として夢現の最中に在りながら、外界の状況でも確認するかように、深く内界へと落ち窪みつつ窓の外を見遣った。雨が吹き荒び、雷鳴が轟き、およそ重力がこの世界の原理とはなり得ないほどに、私の立てる理由はすっかり横流しにされていた。凄まじい嵐だった。びいびいと唸りを上げる突風は私の部屋の方形に捩じ曲げられながらも、その周囲を取り囲むようにして、眼前の栗林の樹々を殆ど根元から真横に押し倒していたが、寧ろそれにより栗の樹の具えるしなやかさが私の重力を恢復するための強情な彩りを露わにしているとも思えた。私はそのような或る外界の状況を眺めて、吹き荒ぶ風にすっかり横倒しにされたままに立てる己の姿を何度も幻視した。そしてまた深い眠りに就いた。

July 4, 2008

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「幽霊というのは私の関心事であり=私を眼差しており、もしおまえが生をもって、phantasmagoreuein〔幽霊ヲ語ル〕の言語行為でもって、それをおこなってもうまくゆかない。回り道という骨の折れる試練を経由しなければならないのだ。実践的諸構造を横断し変形travailler〕しなければならず、実在的、「経験的」等々の現実性が持つ確固とした媒介を横断し変形しなければならないのだ。さもなければおまえが追い祓えるのは身体の幽霊性のみであって幽霊の身体そのものではないだろう。」
[Derrida, J. "Spectres de Marx: L'État de la dette, le travail du deuil et la nouvelle Internationale" Éditions Galilée, 1993.=増田一夫訳『マルクスの亡霊たち——負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル』藤原書店、2007年]

June 28, 2008

『絵画のコスモロジー』展

今日は多摩美術大学美術館へ行き『絵画のコスモロジー』展を観た。

レセプションの会場でKgbさんと話す。
思い掛けず、久々のことだったから少し緊張した、例の如くにまた私は彼女に向かって一方的に喋り倒していた。
緊張すると心が上擦って饒舌になる悪癖は、相変わらず直らない。

June 22, 2008

toi『あゆみ』@駒場アゴラ劇場

駒場東大前に在る、駒場アゴラ劇場へと行き、
toi『あゆみ』を観る。

終演後の、関係者による打ち上げに顔を出す。

June 18, 2008

Art and Objecthood

「リテラリズムの感性は演劇的 theatrical である。なぜなら、まず第一にそれは、そこで観者がリテラリズムの作品に出会う諸々の現実的な環境にかかわっているからである。モリスがこのことを明らかにしている。かつての芸術においては、「作品から受け取られるべきものは、厳密に[その]内部に位置している」のに反して、リテラリズムの芸術の経験は、ある状況における客体の経験である——それは実質的には定義上、観者を含んでいるのである。」
[Fried, M. "Art and Objecthood in Minimal Art" E. P. Dutton&Co. Inc., 1968.=川田都樹子/藤枝晃雄訳『芸術と客体性』(『モダニズムのハード・コア』 所収)太田出版、1995年]

「あるものが観者にそれを考慮に入れること、それを真剣に受け止めることを要求するとき、——そして、その要求が満たされるのが、単にそれについて意識していること、いわば要求どおりに行っていることによってであるとき——、それは現前していると言われる。(…)ここで再び繰り返すと、問題の作品によって距離を取らされているという経験が重大であるように思われる。つまり、観者は、壁なり床なりにある無感動な客体に対する主体として、不確定ではっきりとした制限のない——そして厳しさのない——関係の中に自分が位置していることを知るのである。」
[ibid.]

「暗い夜で、灯も路肩標も白線もガードレールも何も無く、あるのはただ平地の風景の中を通って進んでいく暗い舗装道だけだった。風景は遠くの幾つかの丘に枠づけられ、だが叢煙突や塔や煙霧や色光が点々と見えていた。このドライブは意義深い体験だった。道路と殆どの風景は人工的なものだったが、それは芸術作品とは言えないものだった。他方で、それは私にとって、芸術には決してなかった何かがなされていた。最初私はそれが何なのか分からなかったが、しかしその効果は、私がそれまで芸術について持っていた多くの観点から私を解放することになった。そこには、芸術においてはどんな表現も持たなかったような、リアリティーが存在していたように思えた。」
[《It was a dark night and there were no lights or shoulder markers, lines, railings or anything at all except the dark pavement moving through the landscape of the flats, rimmed by hills in the distance, but punctuated by stacks, towers, fumes and colored lights. This drive was a revealing experience. The road and much of the landscape was artificial, and yet it couldn't be called a work of art. On the other hand, it did something for me that art has never done. At first I didn't know what it was, but its effect was to liberate me from many of the views I had about art. It seemed that there was a reality there which had not had any expression in art.》
ibid.; originally appeared as Samuel Wagstaff, Jr., "Talking with Tony Smith: 'I view art as something vast.'" Artforum 5, no. 4 (December 1966), 14-19.]

「高速道路と滑走路と教練場は、一方で、誰にも所属していない。他方で、スミスにとっての現前性によって確立された状況は、各々の場合、彼によって彼のものだと感じられたものだ。さらに言えば、各々の場合、無限に継続することができるということが、欠くべからざることなのである。客体に取って代わるもの——客体が閉ざされた部屋の中で行うこと、つまり観者を遠ざけるもしくは孤立させるという役目、観者を一主体にさせるという役目と同じ役目をするもの——は、何よりも接近なり突進なり眺望なりに終わりがないということ、もしくは客体がないということである。その明瞭性、換言すればその全き持続性によってこそ、その経験は外部から彼のところに(高速道路の上では車の外から)差し向けられたものとして現れるのだが、その明瞭性こそが、同時に彼を一主体 subject とし——彼を服従 subject させ——、またその経験自体を客体 object の経験というより客体性 objecthood の経験に似たようなものとして確立するのである。」
[ibid.]

諸芸術の成功または残存でさえもが、演劇性を打破するそれらの能力にますます左右されるようになっている。おそらくこのことが演劇自体の内部において以上に明白な場所は他にあるまい。(…)というのも演劇は、他の芸術ではあり得ない仕方で観衆を所有している——演劇は観衆にとって存在している——からである。(…)ここで言及されるべきことは、リテラリズムの芸術もまた観衆を所有しているということ、ただしそれはいくぶん特別な観衆であるということだ。つまり、観者が自分のものとして経験する状況の中でリテラリズムの作品に対面するということが意味するのは、ある重要な意味において、たとえ実際には、その時作品とともにいるのが自分だけではなかったにせよ、その問題の作品は自分ひとりにとってのみ存在するということである。」
[ibid.]

質と価値という概念——そしてこれが芸術にとって中心的なものであるからには、芸術それ自体の概念——は重要であるしかも個々の諸芸術の内部においてのみ全面的に重要なのである。諸芸術同士の間隙に位置しているものが演劇なのである。」
[ibid.]

「リテラリズムの時間への没頭——もっと正確には経験の持続への没頭——は、典型的に演劇的だと私は言いたい。それはあたかも演劇が観者に対面し、そのことで、単に客観性の終わりの無さだけでなく時間の終わりの無さによって、観者を隔離しているかのようである。もしくはあたかも、根底において演劇が喚起する感覚ははかなさの感覚、つまり無窮の眺望の中で捉えられたかのような、過ぎ去りつつ且つ至り来る時間、近づくと同時に退く時間の感覚であるかのごとくである……。」
[ibid.]

June 15, 2008

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近所の古書量販店へ行き、
島田雅彦『彗星の住人』(2000年)、
大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)、
村上春樹『アフターダーク』(2004年)、
を購入する。

June 14, 2008

08.06.14_15:54

Shinjyuku, Tokyo

08.16.14_15:51

Shinjyuku, Tokyo

June 12, 2008

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「演戯もまた〈始まる〉が、その始まりには真摯さが欠けている。それはいかにも軽々しい。いつでも好きなときに手を引くことができるからだ。演戯はいくつかの仕草や運動、決断、感情、といったものからなり、それだけの開始の行為を含んでいるが、しかし演戯そのものの現実性は、こうした基盤を超えたところに位置しており、本質的には非現実性によってなり立っている。だからこそ舞台上の現実は——そして注目すべき点はこれが詩や絵画には当てはまらないということだ——つねに演戯として解釈されてきた。舞台上の現実は、現実でありながら痕跡を残さない。その現実に先立つ無は、そのあとに続く無と同じである。その現実に含まれる出来事には、ほんとうの意味での時間はない。演戯には歴史がないのだ。演戯とは、永らえて所有となることのない逆説的な実存なのである。演戯の時間はあるが、この瞬間は自分自身に執着しない。この瞬間は自分自身と所有の関係を取り結ばない。それは何も持たないし、自分が消滅したあとに何も遺さず、「一切合財」を無のなかに沈めてしまう。そして演戯の瞬間がこれほどみごとに果てうるのは、じつはそれがほんとうには始まっていなかったからである。」
[Emmanuel Levinas "De l'existence a l'existant" Librairie Philosophique J. VRIN, 1984.=西谷修訳『実存から実存者へ』朝日出版社、1987年]

「行為の開始は「風のように自在」というわけにはいかない。これが飛躍(élan)なら、すぐにでも跳べる態勢であっさりそこにある。飛躍はいつでも自由に始まり、真っ直ぐ前に跳んで行く。飛躍には失うものは何もなく、気遣うことは何もない、というのも何ものも所有していないからだ。あるいはそれは、火が燃えながらみずからの存在を消尽する、そんな燃焼のようなものだと言ってもいい。開始にはそうしたイメージが示唆するような、そして演戯において模倣されているような、自在さや率直さや無責任に似たところはない。始まりの瞬間のなかにはすでに何かしら失うべきものがある。というのは、何ものか——たとえそれがこの瞬間それ自体でしかないとしても——がすでに所有されているからだ。始まりはただたんに〈存在する〉だけではない。それは自分自身への回帰のなかでみずからを所有する。行為の運動は存在すると同時にみずからを所有するのだ。」
[ibid.]

June 10, 2008

今日の美術批評について。

 「自己責任に基づく趣味判断」と云うものについてを簡便に触れておく。
 「趣味判断」の形式は、対象がなぜ美しいかと云う理由にでは無く、それについて「美しい」と言い得る為の純粋に主観的な証示に基づいている。だが仮に、そのような"証示"を自らの責任において"証明する"と云うような、過度の主体性の現れが日本における現代美術が現在置かれている状況の根幹を成す価値観であるとすれば? この「過剰な主体」が作品の枠付けに対して積極的に参与することから、観者が作品との関わり合いの裡に保有していた戯れの余地すらもが作品の内部に枠付けされ、作品への言明が鑑賞という行為に代替される事により、即ち批評における「失語」の症候がひきおこされるのではないか、と私は予想している。

June 9, 2008

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 なぜ最近の人々は、目の前に起こる事件を携帯電話によって記録し、即座に他人へと伝達し、共有しようとするのか? この一連の行為により、出来事との直接性は曖昧な間接話法へとすり替えられてはいないだろうか。つまり、人々が今まさに眼前で繰り広げられる余りにも悲惨な——それ故に言葉にすることが出来ない——事件に遭遇した際に、その場から少しだけ離れて己の身の安全を確保し、携帯電話の画面越しにカメラのズームで事件へと肉薄する時、彼(女)らは少し前に自らが占めていた位置を仮想的に取り戻す事で、自身が巻き込まれていた"筈"の事件を傍観しているのではないだろうか? だが実際には、当の事件は今でもまだ継続している。これからまだ何が起こるかも分からずに、彼(女)らは事件に対する迂闊な距離感に釘付けにされている——言うなれば、事件それ自体からはすっかり逃げ仰せた気でいるのである。その結果として、彼(女)らは事件に対する適切な隔てを確保する事も忘れ、現場から余りに近い位置を占めている。本来このような位置取りは職業カメラマンたちの職能であったが、今ではその役割を我々が代理している——この事は最早周知の事実である。このようにして私的なアマチュア・カメラマンたちは次第に公的な生活を排除する使命感を全うしているようにも思える。ところで、彼(女)らはそのように高度な専門性を代理するに足るような技能を備えているだろうか? というのが、私がそもそも抱く直裁な疑問である。彼(女)らは、当該の事件に対しては最早カメラのシャッタを切る事が精一杯の行為であったし、このようにして得られた記録(写真)には彼(女)ら自身の考察が一切付け加えられぬまま、ただ単にその事件に対する追憶から成る無限の反復作用がデジタルなデータのコピーという行為に転嫁されているに過ぎないようにも見えるからだ。換言すれば、彼(女)らがこのような一連の操作により期待するのは、自身が考察を保留した体験を記録へと置き換えインターネット上に投棄することで、その体験が他者の言葉により肉化する"可能性"を得る事であると言えるのではないだろうか。だが、この時点ではまだ共同体内においては何も共有されていない。とはいえ、一度インターネット上に投棄されたデジタル・データを完全に消去する事が不可能であるという復元の潜在性は、日常生活においては充分にリアルである。つまり、このようなインターネットの備える潜在性の強度こそが、彼(女)らの失語を回復し、便宜的に出来事との直接性を維持する為の理由である。我々は事件の記録のコピーを所有してはいるが、その内容は余りに惨たらしく、それについてを言及することが出来ない、というような後々までの保留も含めて、彼(女)らは当該の事件に今まさに対峙している。彼(女)らの事件に対する距離感の微妙さは、傍目には現実世界への鋭く柔軟な振る舞いにも見えて、実のところは彼(女)ら自身がまだ充分にその事件を理解出来ないが為に生じる機械的な復帰に伴う強張りが具体的に現れたものなのである。であれば彼(女)らは、自身が今どの場所を占めていることを知っているのだろうか? これらの事柄は紛れも無く冗談染みた形式である。例えばコピー・データを持ち歩く彼(女)らに、空の冠を頭に載せたホカヒビトの姿を重ねてみるというのはどうだろう。

June 8, 2008

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 今日は目覚めの瞬間からして鬱屈としていた。最早何をする気にもならないと云った具合であったし、——気力さえ許せば——その侭、酒を呑んで直ぐにでも泥酔し、今日の一日をすっかりやり過ごして了いたいような気分になった。私の周囲に居る短絡者達のことを考えると、それだけでまた随分と気が滅入った。昨日購入した大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を読み、Benjamin, W.『陶酔論(Über haschisch)』を読んだ。それから自転車に乗り近所の市立図書館へ行く。そこで
Derrida, J.『マルクスの亡霊たち——負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル(Spectres de Marx: L'etat de la dette, le travail du deuil et la nouvelle Internationale)』(1993年)、
Nancy, J.-L.『イメージの奥底で(Au fond des images)』(2003年)、
Levinas, E.『実存から実存者へ(De l'existence a l' existant)』(1984年)、
同『他性と超越(Altérité et transcendance)』(1995年)、
これらを借りた。

 先程の秋葉原での出来事は、人々に嬉々とした話題を提供し、さらには彼(女)らの大衆的なるものへの帰属意識をくすぐりさえした。近間で起きた他人事を見遣っては、そこからどれだけ自分が近い位置に居たのかを皆銘々に喧伝し合っている。子供が崖の縁迄歩み寄って、そこからきゃっきゃとはしゃぎながら戻って来る様子にも似ている。皆この出来事を自分の身の丈に宛てがい口々に安堵の言葉を擦り合っている。最早、そこでの倫理観とはこのような馴れ合いが為の飾りに過ぎない。私はこの種の親密さの醸成に対しては嫌悪感を覚えるのだ。皆銘々に、この出来事についての事実を知り得る限り述べ尽くした後、最後に自らの感想を付け加えるのであるが、その際に彼(女)らが口にする「私」に四人称的な振る舞いがある、それが為に「私」と「私たち」に因る共同体の形成と個人主義的な主観への偏重とが同時に伴っているのである。言うなれば客観が主観に於いて代理され、全く欠け落ちている状態がこれである。そしてこのように了解を起因とした共同体に於いて為される死者(他者)の記述が、一体どれ程に生活の実感を与えてくれると云うのだろうか? ——そのような考えも浮かばない訳では無かった。私は、明らかに他人の不快を楽しんでいたのだが、そのように無根拠な不快感に対して、私は全き不感覚であリ続けている。

June 7, 2008

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 今日は何をすることも思い付かなかったので、一通りの家事を済ませた後は、家の中で本を読み、今週に放映されたアニメを何本か観た。天気が良かったので自転車を整備し、それに乗って近所の古書量販店へ行った。
葛飾北斎『富嶽三十六景』、
歌川広重『東海道五十三次』、
歌川広重/渓斎英泉『木曾海道六十九次』、
これらの画集を見付け、参考資料として購入した。『富嶽三十六景』を全て通して見るのは久し振りで、とても懐かしい思いがした。他に、
大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
も併せて購入した。

 今夜はとても静かで、窓を開け放つと冷ややかな風が舞い込んで来る他にはしんとして、周囲に在る一切の空気が深く押し黙った侭で居る。平素は賑やかな隣人も今だけは唖なのだ。時たまに、向こうの山の端を風が撫で付けて樹々の葉の先端を鳴らす風切りの音が、そのさらに向こう側に在る路上の気配を連れて来る。エンジンやクラクソンの音に混じって、子供らの声、下水管を流れる水の音、ビデオデッキが発する高周波音が聞こえて来る。やがて、テレビの音や、笑い声、犬の足摺る音も聞こえて来る。それらは散々に私の耳元で戦慄き、大音響の騒音と成った後に、耳鳴りでもするかのように頭上で響き渡り、そして再び静まり返った。

June 5, 2008

戸谷森『it's about that time』展

昨日の晴天から、
打って変わって今日は曇天の雨。
気分は晴れ無いね。

渋谷へと行き用事を済ませて
折角だからと思い立ち銀座線に乗り外苑前へ、
戸谷森『it's about that time』展を観に
トキ・アートスペースへと足を向ける。

前回の秋山画廊での個展からそう日が経つ訳でも無い。
が、彼に会うのは何とも久々だと云う感じがした。
以前に会ったときよりも頭髪が伸びていて、
まるで彼の父親に瓜二つな印象を覚えた事に内心笑い声を上げていた。

この日は作品撮影の日であったらしく、
又、生憎の雨であるにも関わらず来客がひっきりなしに
入れ替わり立ち替わりしていた為に、
今回は彼とゆっくり話す事は出来そうに無いようだった。

 この時に展示されていたのは幾らかレリーフ的な匂いのする平面作品だった。奥行きの平板な雪原の風景を背景として、細々とした枝振りが画面の全体を覆っている。前者は艶の引いた、色彩の浅い平面であり、後者は絵具に艶を持たせた、観者の興味を惹く質感により描かれた平面である。この枝振りは絵画面から突出しているように見える——言わば"レリーフ状"の表象を提供している。一般的に絵画は、絵画面から奥行き方向に空間を表象する。他方、レリーフは基底面からの突出により、絵画的な奥行き方向の空間表象を成立させている。今回の彼の作品については、絵具に依る絵画的表現ではあるが、奥行き方向の空間表象よりも寧ろ絵画面から突出した空間表象の方が強いから、これはイリュージョン的な作品だと言える。初見では、この点が今回の作品に於いては余り上手く機能していないのではないか、と感じた。が、この少々トリッキーな視覚操作に、私は寧ろ興味を覚えた——なぜ彼はそのような手段を取ったのか?
 
 その為には、端的に先ず、展名『it's about that time』に於ける "time" の含める意味についてを彼に尋ねない訳にはいかないだろう。それを問うと、彼は即座に「お化け」と返した。そして、雪の降った森を見ていると——この話は、彼の今年2月の体験に遡るのであるが——光が余りにも強いが為に、足下に在る雪と遥か遠くに在る雪とが殆ど同じ白さに見える。言うなれば距離感を喪失したかのような体験に陥る。が、とは云え樹々の黒々としたシルエットの並びからは確かに遠近法的な奥行きの表象も理解されている。すると、頭の中では現実的な空間を把捉してはいるものの、それとは別に、奥行きの消失した仮想の垂直平面が立ち現れてもいる——これは絵画的な鑑賞経験の逆である——から、即ち「目眩」にでも陥ったかのような空間認識の宙吊りを経験するのである。彼に依れば、このような認識の空隙にその「お化け」は棲まうのだという。

 であれば——私は彼の注釈からこの疑問を発意した——、なぜ森の樹々の根元を描かずに、その枝振りのみを全面展開したのか。絵画的な空間表象とイリュージョンとの対比がこの作品には必要だったのではないだろうか? 加えて空間認識を宙吊りにする雪原の効果であるが、背景には平板で不透明性の高い強固な塗面が必要だったのではないか——特に後者の点に就いては、彼元来の彫刻的な感覚に由来するレリーフへの興味の上での昇華を期待して了うのだ。

兎角、その場では彼とゆっくり作品についてを話し合う事が出来なかった。
次の機会を7月に約束して、私は画廊を後にした。

帰りしな渋谷までの道程を歩き、
その途中に在る古書店に立ち寄り
日本古典文学大系『歌論集 能楽論集』(岩波書店、1961年)
を購入した。

June 2, 2008

快快『Chotto Dake YOn〜♥』

 快快『Chotto Dake YOn〜♥』も今日でやっと終わる。
 この公演に絡み色々な波乱事も有ったものだから、バラしが済んだ後には気疲れからくるような倦怠感が残った。

May 28, 2008

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新宿三丁目の古書店にて
安藤昌益『統道真伝(上・下)』(岩波書店、1966/67年)を購入する。

生活は相変わらず苦々しいものであるけれど、
こうして数百年前に書かれた文章を手に取り読む事が出来ると云うのは
やはりそれなりに幸せなことだと思う。

May 26, 2008

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火星探査機 "Phoenix" が火星への着陸に成功した。

NASA - Phoenix >>>
 http://www.nasa.gov/mission_pages/phoenix/main/index.html
Phoenix Mars Mission (Arizona Univ.) >>>
 http://phoenix.lpl.arizona.edu/index.php

May 21, 2008

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 今日は昼過ぎに日吉での用事を済ませた後、東急東横線で渋谷へと行き書店を巡った。
書店では、
Agamben, G.『スタンツェ——西洋文化における言葉とイメージ(Stanze)』、
Derrida, J.『条件なき大学(L’Université sans condition)』、
同『マルクスの亡霊たち——負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル(Spectres de Marx: L'etat de la dette, le travail du deuil et la nouvelle Internationale)』、
Negri, A./Hardt, M.『ディオニュソスの労働——国家形態批判(Labor of Dionysus: A Critique of the State-Form)』
などを手に取り、流し読みをする。
どれもこれも今直ぐに読みたくて仕方が無い。が、それらの購入は見合わせた——読む為の時間が無いと云うよりも、寧ろ購入する為の持ち合わせが無かったからだ。(人文書の類いは屢々、購入するには高価過ぎるということがある)
散々に悩み抜いた挙げ句に
『ロベスピエール/毛沢東——革命とテロル』(長原豊・松本潤一郎訳、河出書房新社、2008年)[=Zězěk, S. "MAO Tse-Yung, THE MARXIST LORD OF MISRULE and ROBESPIERRE, OR, THE "DIVINE, VIOLENCE" OF TERROR" 2007.]
を購入する。
と云うのも、やはり Melville, H. "Bartleby the Scrivener" に関する記述に惹かれたからだった。

 それから快快『ジンジャーに乗って』のソワレを観る為に王子へと赴く。会場で初音さんに遇う——前回『霊感少女ヒドミ』公演の後、新宿2丁目で呑んだ時以来久々であったから、彼女と歓談しながらも私は心底すっかり舞い上がってしまった。少しだけ幸せな気分になった。

May 18, 2008

快快『ジンジャーに乗って』の雑感。

 面白かった。僕にとっては非常に興味深い作品だったし、何より肩肘張らず気楽に観ることができた。前作の『霊感少女ヒドミ』もだけれど、それ以前の作品でも同様に描かれ続けている「東京」という都市の肖像が、雑然として生々しく目の前に開けていく。それが本作では「これでもか」というほど一層にあざやかだった。
 劇中に繰り返される「わかんない」と「ひさしぶり」に、僕は雑踏での邂逅を見た気がする。これは日常生活にある他者とのちょっとした擦れ違いのなかにも生じる触れ合いの質感とでも言えるだろうか、例えば肩を寄せてひしめき合う存在の喧噪への耐えられなさや、ふと他人同士の手と手がぶつかり合ってぱちんと乾いた音を鳴らすときに感じるスリル——都市が内包する刹那の緊張感——が、ダンス中の不安定な身体性に集約されていく。瞬間瞬間が、ふつふつと忘我の彼方へと消え去ってはまた新たに次々と現れてくる。浮遊ではなく"滑走"という感じ。キェルケゴールが「ほんとうの反復は前方に向って追憶される」と言ったように、延々と続くかのような「日常」の経験は、決死の跳躍、そして束の間の浮遊感の後に現れてくる欲動の滑空であり、重力との均衡を保ち続けるような滑走の疾走感なのだ。
 終演後の舞台に残存する気分は確かに切ない。が、これはノスタルジーなどではなく圧倒的なリアリティなんだと思う。
 「セグウェイに乗って、何もしない」——約めて言えばそういう印象の作品だろうか。この「何もしない」ということが、演劇における物語ることの過剰さ(「無駄」)を通じて描かれていく。それは、一幕においてはベケットを通じて、二幕では前幕の再現と展開を通じて、そして最後には、まるで折り紙を開け広げ解体したかのような幾筋もの折り目だけが残される。が、この折り目に物語の痕跡を認めてノスタルジーを感じても仕方がないのは上に述べた通り。
 本作では、日常にぽっかりと空いたエアポケットのような瞬間に感じられる爽快感が「晴れた日の散歩」として登場する。この感覚がもし、本作の演出シノダがアフター・トークで語っていたような「瞬間が死んでいく」こと(ハイデガーなら「先駆的了解」とでも言いそうなもの。本作では、演者が立ち上がって台詞を口にしては倒れる、という動作に還元されている)へも通じていくのだとすれば、それは「再極限の未了」(死の直前)でのスリリングな戯れともみえてくる。こうやってハイデガーを引き合いに出して語ると嫌が応なく壮語的な匂いがしてしまうものだけれど、この種の想像力が案外バカにならない作品だなと思った。
 近頃では他人の死が当然のごとく記述されていく時代になったが、それが戦時下のような肉体的な死の感覚とは違うとしても、やはりそれとは別種の仕方でありありと平明に認識されるようになっている。そして現に、インターネットを通じて今までは考えられなかったようなより多くの死亡者数を目の当たりにしている。だから焼け野原の六本木と普段の会話で口にするようないわゆる今の六本木とが結び合わされることには、もはや何の不思議もない。「死」を口にすると相変わらずドラマチックな感じのする世の中ではあるけれど、それでも自らの死は相変わらず自分自身のリアリティの核としてあり続ける(本作では「期限」とか「終わり」とか言われている)し、他者にとってもなお歴然とした事実としてはあり続けている。例えば死に関する記憶と事実とに向かい合った場合、そのような記憶は単に追憶されるものだとしても、事実はやはり事実として反復される(キェルケゴール的な「反復」は、初めて現れる出来事が既に在ったもののように繰り返される予言的な振る舞いをする)。だから2度目のデモのシーンのダンスから受ける爽快感は、こういう"強度の反復"——言うなれば「日常」の絶対的な肯定——によって現れるマイナー・トーンの清々しさなんだろうと思う。僕はこれを「生かされていることの自由さ」とでも言いたい。

08.05.18_17:23

faifai "Ride on Ginger"

May 16, 2008

08.05.16_21:11

faifai "Ride on Ginger"

May 15, 2008

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オルハン・パムクが来日。
そう云えば以前にM先生から『私の名は紅』を薦められたのだが、
まだ読めていない。
青山学院大学でのシンポジウムは、
公演期間と重なっている為に行く事が出来なかった。

#
CDを2枚購入する。
1枚は ORFEO 盤 Furtwãngler, W. - Beethoven Symp. No. 9(Live. 29 Jul 1951)—— EMI 盤とは別音源のバイロイト。
もう1枚は TELAC 盤 Kunzel, E. - Tchaikovsky "1812" Overture(6 Sep1978)——ノーリミッタのデジタル収録による教会の鐘や大砲の音響、"Damage could result to speakers or other components if the musical program is play back at excessively high levels." の注意書きは健在。

May 14, 2008

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快快『ジンジャーに乗って』の客席照明設置の為に王子小劇場へ行く。
今日でやっと、一先ずの完成に至る。
作業は三日目に突入していた。
けれども毎日セグウェイに乗れるのだから、少しだけ幸せ。

May 8, 2008

快快『ジンジャーに乗って』についての試論。

 快快『ジンジャーに乗って』の稽古に二三度立ち会った際、それを観て直ぐに想起したのはベケットの事であったが、今となっては寧ろメルヴィルの『バートルビー』こそがこの作品を読み解く上での立脚点になるのではないか、と云う印象が強い。
 演劇に於いては、「舞台」と云う枠付けが観者に承認されたその時から、例え展開される物語が不条理であり現実離れしたものだとしても、舞台上に投げ出されたものは何であれ対象(ob-jet)として観られ、関連付けられ、鑑賞経験上の持続として文脈を構成する。言うなれば時間経験が暴力的に空間化される表現形態こそが「演劇」であり、舞台面に搦め捕られた対象は図らずも「物語ること」を強制されている。ましてや主体たる演者は、その意志力を以て尚更観るべきものとして観られていると云う点に抗う事は最早出来ないだろう。つまり演者は、単に舞台上に立つと云うだけで過剰なのである。
 このように、演者は「舞台」が及ぶ圏域を規定するし、逆に演者は「舞台」と云う枠付けの効果により日常的な条理の一切から切り離されている。言うなれば相補的な関係が成立している。舞台上の対象は、観るべきものとして観られる、或いは、観るべきではないものとして観られる。このような「べき」の及ぼす道徳的な効果と、然しながら依然として観られる対象としては残存し続ける保留性の、その狭間にこそ「舞台」と云う枠付けが露わとなっている。この振れ幅こそが即ち、 prergon(額縁)の持つ厚みである。parergon は ergon(作品)を、その周囲の環境から切り離すと同時に、また ergon からも切り離される。[Derrida, 1978]この二重の境界線の厚みが、鑑賞経験を展開し前進させるような階梯となっているのである。
 『バートルビー』に於いて繰り返される定式 "I would prefer not to(しない方がいいのですが)" は、舞台上に於けるこのような潜勢力の現勢化を明らかにする為のヒントとなるだろう。バートルビーは「それをしない」と云う事で、一体何を実現しているだろうか? この定式に対して、雇主である法律家は "You will not?(したくないのか?)" と彼に尋ねる。これはつまり彼自身の意志への問い掛けであるが、彼はそれに対しても "I prefer not(しない方がいいのです)" と述べる。言うなればこの書き換えに於いて露わとなるのは、彼自身に於ける"意志"の否定である。つまり彼は、潜勢力の現勢力への移行に伴う意志の力を自ら否定する事で、彼自身が潜勢力の場を体現するのである。(「純粋な潜勢力という状態にあって、存在と無との彼方で、「より以上ではない」をもちこたえることができるということ、存在と無の両方を超出する非の潜勢力という可能性のうちに最後まで留まるということ——これがバートルビーの試練である」[Agamben, 1993])
 では、舞台上に於いて「何もしないこと」とはどのようなものであるのか? 何もしない状態に於いてすら、演者の行為は"何もしない演技"として「物語ること」を担わされてしまう。と云うのも、「舞台」という枠付けが観者に承認され続けている限り、演者の放つ意志力は尚過剰な状態にあるからだ。そして何よりも危険な事は、演者が舞台上に於いて「演じないこと」の態度表明をすることである。と云うのも、演者による「舞台」の枠付けと「舞台」の成立は同時であり、演者は「舞台」の成立に対しては宣言的な地位を占めているから、そのような表明は先ず作品内に於ける断裂を招くのである。つまり、分断化され複数化された「作品」の一体性を保証するものは、それらを包括するさらなる上位の基底であり、そのような再-回収により「舞台」は後続性を伴って延長されるのだ。言うなれば、演者の備える潜勢力が"断念"というかたちで露わとなるのがこの形式である。
 だが、作品内の断裂を避けながらも、今まさに現れつつある演者の潜勢力を舞台上に留めておくにはどうすればよいだろうか? 私はこの問いに対して、"演者の忘我" についてを言いたい欲求に駆られる。例えばそれは、舞台上の演者が不意に自らが次に成すべき事柄を忘却してしまい、「舞台」を保持しながらも何とか物語ることの持続を回復しようとするときに現れる作品上の裂け目である。忘我に際した演者は舞台上に於いて生身の身体を晒す危険性を伴う、と同時に、自らに課せられた役柄を遂行しようとする演者に於いては「演じること」それ自体の純粋な発露が現れている。つまり、演者と演じることとの重なりは演者の意志により規定され、即ち「観られるべきもの」として観者の承認を受けるが、この「意志」の否定に於いても尚「舞台」が継続される場にこそ演者の潜勢力が「演じ」として露わになるのである。

 これら上記の印象は数日前の稽古場においてのものであるから、本番までにはまた更に作品から受ける印象が変じていくことだろう。だから、これらの記述は雑感としての一時的な試論に他ならない。

#
Deridda, J. 1978 "La Vérité en Peinture" = 高橋允昭/阿部宏慈訳『絵画における真理』1997。
Agamben, G. 1993 "Bartleby o della contingenza" = 高桑和巳訳『バートルビー——偶然性について』2005。

May 6, 2008

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『Ghost Hound 神霊狩』を全話観る。

洗足池へ行き、快快『ジンジャーに乗って』の稽古に顔を出す。

時間にさえ都合が付けば、安藤昌益を読みたい。

May 5, 2008

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Nancy, J.-L.『無為の共同体(La Communautéœvrée)』を読み終える。

洗足池へ行き、快快『ジンジャーに乗って』の稽古に顔を出す。
稽古場にて、Beckett, S.『ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)』を読み直す。

結局、連休中に読めた本はと云えば4冊ばかり——先に挙げた2冊と、岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』、Levinas, E.『他性と超越(Altétité et Transcendance)』、それに『古事記』と『日本書紀』の断片、浄瑠璃関連の書籍数冊の断片。

May 1, 2008

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市立図書館にて、"リサイクル図書"となっていた朝日新聞社編『阪神・淡路大震災誌』を手に入れる。

第2回「泉の会」に参加する。

April 30, 2008

快快 @ the "exPoP!!!!! vol. 13"

"exPoP!!!!! vol. 13" に参加する「快快」のダンスパフォーマンスを観に o-nest(渋谷)へ行く。

April 29, 2008

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近所の古書量販店にて、岩波書店『漱石全集』のうち幾冊かを購入する。
内訳は、
「文学論」(Bd. 9)、
「文学評論」(Bd. 10)、
「初期の文章及詩歌俳句」(Bd. 12)、
「日記及断片」(Bd. 13)。
函の背は日に焼けているが、本体の状態は頗る良い。
他に、ファラデー『ロウソクの科学』も購入した。
ふと思い出し久々に読みたくなった、美しい講義録。

今日の天気は晴れだった。

April 28, 2008

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「大きい変革の時代ではあっても情熱がなく、反省をこととする時代では、力の表出も一種の弁証法的な芸当に変わってしまう。つまり、すべてを現状のまま存続させておきはするが、すべてのものから狡猾にもその意義をだまし取ってしまうのである。そのような時代は、反乱となって絶頂に達するかわりに、人と人との関係のもっている内面的な真実の力を萎えさせて、反省の緊張という奇妙なものに一変させてしまう。すなわち、すべてを存続させておきながら、全人類を一種の曖昧さに、つまり、事実、すべてはそこにありはするけれども、弁証法的なペテンがこっそりと——それはありはしないのだ、という——内密の読み方にすり変えてしまうといった曖昧さに一変させてしまうのである。」
[Søren Kierkegaard, Revolutions-Tid "og, Nutiden" (En literair Anmeldelse), 1846.=桝田啓三郎訳『現代の批判』岩波書店、1981年]

 近頃では誰もが、状況の全てを言い包めようと躍起である。これ程までに「包括的であること」が重宝される時代も珍しいだろう。発言の曖昧さは、それが捉える射程の広さへとすり替えられる。終わりよければ全て善し、その「終わり」を巡って、つまり「終わり」の記述が彼らにとっての急務である——余りに馬鹿々々しいのだけれど、人々がアト出しの帳尻合わせにせっつかれている。ましてやこれが「マーケティングの成果」なのだとすれば? これは明らかに茶番なのだ。様々な価値が限り無く"0"へと近付く最中で、今後現れて来るのはファシズムかモダニズムのどちらかだろう。

April 25, 2008

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 参加チケットを手に入れる幸運に恵まれた為、"TENORI-ON Launch EVENT in Tokyo" に行く。出演者は Paul de Jong(The Books)、To Rococo Rot、Atom Heart、Jim O'Rourke。途中、岩井俊雄氏による TENORI-ON プレゼンテーションが行われた。ステージは4時間程、終演は22:30を過ぎた。出演者はそれぞれにTENORI-ON を用いた演奏を披露した。Paul de Jong は電子チェロと共にサンプラー的に、To Rococo Rot と Atom Heart はリズム・シーケンサー的に、Jim O'Rourke は殆ど TENORI-ON のみで楽器的に使用していた。Jim は機材トラブルに見舞われたのか、肩を落とし項垂れて舞台から去って行った。


 会場にデモンストレーション展示されていた実機を早速触る。操作性は中々良い。ボタン類のクリック感も適度で、操作に合わせて白色LEDが点灯する事もデコラティヴな効果に留まらず直感的な操作を容易にしている。インターフェイスの完成度は高い。
 操作感としては Ableton 社製のソフトウェア "Live!" を想像してもらえると分かり易いだろうか、随分とそれに似ている。TENORI-ON の演奏は、16階層6種類ある「レイヤー」への直接の操作と、「ブロック」と呼ばれる最大16セットのレイヤー群を切り替える事によって為される。 16*16の計256個からなるボタンの並びにより旋律やリズムが発音されるのだが、"美的な光の配置"という意識が演奏者に与える影響は思ったよりも強い。岩井氏曰く「美しい旋律は美しい配列に由来する」とは、彼が TENORI-ON の着想を得た「手回しオルゴール」のパンチカードに見られる穴の配置から導き出した言葉であるが、このことから TENORI-ON に於ける音楽性が"グラフィカルな音の配置"とでも言い得るような、視覚的な操作に大きく依拠している事が伺える。
 ただ、岩井氏が述べるような「電子楽器としての新しさ」については、それ程の革新性があるようにも思えなかった。彼はプレゼンテーションに於いて、独自性を備えた楽器が満たすべき要件として「音色」と「形体」、「操作方法」の3つに個性を備える事を挙げていたが、少なからず音色に関して言えば、それは既存のシンセサイザーと大した違いは無い。また、この点に就いては本人も認めている。楽器とは、操作と発音との間にそれらを必然的に結び合わせる独自の「喉(音色)」を備えたものを指す。それ故にTENORI-ON は、あくまで鍵盤式シンセサイザーの操作性を拡張したものとして捉えられるべきだろう。(確かに、鍵盤楽器とリズム・シーケンサーとを混ぜ合わせたような操作性と、それに付随した諸機能、加えて"音と光の融合"を実現したインターフェイスは、TENORI-ON という楽器が持つ大きな特徴と言える)さらに、本機はMIDI信号のin/out端子を備えているから、Jazz Mutant 社製のインターフェイス "Lemur"(及び "Dexter")と共に、私にとっては寧ろ照明操作の為のインターフェイスとして使用する事への魅力が強かった。

#
"Drow Mode" を多用した際、LEDボタンを擦るように使うので、ボタン部の耐久性には疑問を感じる。マルチタッチUI+有機ELディスプレイの組み合わせにより、操作面の耐久性の向上と筐体のさらなる薄型化が図れないだろうか? また、極めてフィティッシュなマグネシウム・ボディには魅力を感じるものの、それ自体は単なる見た目の効果にしか過ぎず、音響特性に際立った変化を与える要素とも思えない。プレゼンテーションに於いては、このボディ部の加工に費やされる様々な手間についてが強調されていたが、その為に価格が上がってしまうのであれば、寧ろボディ素材をポリカーボネート等に変更する事で価格を抑えるべきなのではないか、と感じた。(マグネシウム・ボディを採用する事で、TENORI-ON の外見が玩具と混同されることを極力避けたいと云う意図は強いようだ)カラー・ヴァリエーションによる展開にも期待したい。(定価85,000円くらいで、例えば "TENORI-ON lite" のようなものが発売されたら一気に普及するようにも思う)

April 24, 2008

"DIRECT CONTACT VOL. 1"

 Temporary Contemporary(月島)で催された "DIRECT CONTACT VOL. 1" を観に行く。この日の演目は、木村覚氏企画の神村恵『ソロ+アルファ』と、大谷能生氏企画の大蔵雅彦『red scarf, red curtain (for violin and two electric guitars)』、杉本拓『Three speakers』、宇波拓『不在について』。
 神村恵『ソロ+アルファ』について、近年のダンス・パフォーマンスに見られる鍛えられていない身体(所謂「コドモ身体」)に対して、私は改めて否定的な感想を持たざるを得なかった。少なからず私は演劇に於ける「日常の身体」に肯定的な立場であるが、それは「演劇」と云う表現形態が備える「物語」に因り演者の身体が過度に確定記述される事への反発に由来している。ところがこのような弛緩した身体がダンス・パフォーマンスに於いて用いられると、演者の動きからは何の緊張感も生まれず、その行為(act)が観者の想像を超える事は有り得ない。それ故に、西洋的な万能主義に則った「鍛えられた身体」に対置されるべきは日常性を規範とした「弛んだ身体」では無く、その演目だけを完全に満たす為にのみ鍛え上げられた「奇形の身体」で無ければならない。確かに前者の万能性は過剰であるが、とは云え中者は作品の強度を保持する為には余りに非力なのである。
 後半の音楽企画については割愛する。まるで忍耐を酷使する修行のようだった。

#
 後日、木村覚氏とこのイベントについて話す機会を得た。その際、神村恵にバレエの素養がある事——言うなれば「踊れる身体」である点——への指摘があった。が、とは云え、あの作品を観る限りに於いて私にはそれを感じる事が出来なかった。それは筋肉のみならず関節の扱いや、伴って現れてくる振る舞いの一切からはまるで緊張感と云うものが発されず、演者の行為が必然性を伴うまでに昇華されず、作品に於いて要請された身体を彼女が充分に満たしているとは思えなかったからだ。だから確かに彼女はバレエを踊れる身体であるのかもしれないが、少なからずあの作品を自立させる為の身体を持ち併せているようには見えなかった。

April 23, 2008

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「けんど、高知は人が少のうてイイねや」
「何しろ、何もかも、この街一つでカタがつくかが嬉しいち。——東京は便利ち言うけんど、移動しよるうちに一時間ばあはあっちゅう間じゃけんの」
「一時間あったら、桂浜まで行って、散歩まで出来るやんか」
「そうや。神宮球場行くにも乗り換えや何やで一時間や」
「その点京都なら一時間ありゃ、大阪でも琵琶湖でも奈良でも、ほいほい行けるぞ」
「はは。何や、そっちの方がエエように聞こえるの」

[スタジオジブリ『海がきこえる』1993年]

April 20, 2008

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今日は disk union 企画のイベントを観る為に ERA・下北沢へ行く。
でぶコーネリアス、group_inou、QOMOLANGMA TOMATO が出演。

下北沢の古書店にて
武満徹『樹の鏡、草原の鏡』(1975)、
id.『音楽の余白から』(1980)、
キェルケゴール『現代の批判』を購入する。

その後、"11.P.M" のメンバーたちと合流し、
久我山で行われた 11.P.M(Vol.27)を観る。

April 18, 2008

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 今朝、職場へ向かう途中に在る立体駐車場から、ショスタコーヴィッチの音楽が聞こえてきた。私は、驚きと共に、ふと足早な歩調を緩めた。『ピアノ協奏曲第2番』第2楽章だ。楽し気な第1楽章、快活な第3楽章に混じって、この第2楽章は少し寂し気な雰囲気を備えている。
 私は直ぐにこの音楽の題名を思い出す事が出来なかった。流れてくる耳慣れた旋律に耳を澄ませつつ、暫し逡巡した。その間にも、私の傍を一台また一台と自動車が通り過ぎ、螺旋状の通路を駆け上っていく。私の記憶が確信へと至るまでには幾瞬かを要した。それ程までに唐突な巡り合わせだった。
 演奏には幾らか冗長なアレンジが為されていて、私にはそれが苛立たしかった。が、何よりも先ず、市井の傍らでショスタコーヴィッチの音楽に出会えた事が嬉しかった。私は既に、彼自身に依る演奏の録音を耳の奥で反芻していた。聞こえてくる音よりもずっと心地好いテンポ。そのまま最終楽章まで聴いていたかったのだけれど、次に立体駐車場から聞こえてきたのは別の曲だった。
 私は再び緩めていた歩調を戻して、続きの第3楽章を——あの、何度も登り詰め、伸び上がるような、高揚感に満ちた旋律を——大声で口ずさんだ。

April 16, 2008

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寝不足の日々が続く。
ここ2週間の平均睡眠時間は3時間と少し。
やはり8時間は眠りたいものだね。
ろくに文章を書く時間も無い。
読書に楽しむ時間も無い
(急かされながら活字を目で追うようなことはしている)。
只、音楽だけは四六時中鳴りっ放しで、私を楽しませる。
それは耳栓のように、私の聴覚を絶えず外界の騒音から遮断している。

April 15, 2008

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泉の会(読書会)に出席。

April 14, 2008

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神谷町に立ち寄った際に、久々に東京タワーを見上げる。
霊友会釈迦殿を見学する。

April 13, 2008

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11.P.Mの撮影。
山手線を周遊。

April 9, 2008

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group-inou "FAN" と DJ Codomo "Today" を購入する。
快快『ジンジャーに乗って』の顔合わせに行く。

April 5, 2008

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秋葉原・旧錬成中学校で催されている"101Tokyo"に行く。

April 3, 2008

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Stravinsky による自作自演録音集 "Works of Stravinsky" を購入する。

March 30, 2008

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 30日の東京藝術大学に於けるネグリ関連イベントには随分とがっかりさせられた。私はその冒頭部をインターネット中継により試聴し、そして結局は15時からのイベントに行く事を止めた。本郷東大にて友人が催した花見に顔を出す。途中、秋葉原に行き、4/3から "101Tokyo" の会場となる旧錬成中学校に立ち寄る。まだ全くの準備段階であり、ボランティア・スタッフが忙しそうに動き回っている。各員の役割分担が上手く連携されていないような印象を受けた。当日は少しまごつく場面を目にするかもしれない。会場を後にし、末広町から湯島へと歩く。小雨に降られる。不忍池を脇目に湯島天神への坂を上る。本郷東大の桜並木は薄く雨に濡れしんと静かである。友人たちはその傍らに陣取って既に酒盛りを始めていた。気温は序々に下がり、少しばかり凍えてくる。桜の花の咲き誇る枝振りの向こうには安田講堂が見える。それを眺めながら、前日に催された東京大学に於けるネグリ関連イベント姜尚中・上野千鶴子対談の事を想像し、寧ろ娯楽としてはこちらのイベントの方が面白かったのではないか? などとも考える。それから、私は連れ立っていた恋人と一緒に代々木上原へと行き、柿内崇宏『環状8号線∞ ——内側から外側へ 外側から内側に』を観る。多摩美術大学映像演劇学科出身の作家による自主制作映画。会場では私の知人や友人の又友人たちと歓談する。作品の内容は、登場人物たちがだらだらとした会話を続けると云うもので、繰り広げられていく話題には脈絡が無く、場面が淡々と移り変わることで次第に時間と場所との関連が忘却されていく。途中、VHSテープに対するノスタルジックな態度も見られたが、上映後に作家から話を聞く限りは、どうやらそれは主題の随伴線らしい。尤も、率直に、初めて映像装置を手にした時の拙い感動と驚きの事を想起しながらこの作品を鑑賞するべきなのではないか、とも思った。端的に、「眼前の世界が映像として置き換えられる事は不思議だ」と云う視座は、日常生活に於いては屢々失われがちであるから。

March 29, 2008

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善し悪しを通り越して、好き嫌いでしか語り得ない絵画を
私は"失語症絵画"と呼ぶことにしよう。

例えば林檎の描かれた絵があるとする。
この林檎は赤い、そして中央に大きく描かれている。
「この林檎は、あなたの心を表している。」
などと作家が言いはじめたなら、これを眉に唾して聞くべきだ。

この林檎は、右上に描かれた小さな手によって、握られようとしている。
この手は果たして握る手か? それとも林檎を放り投げる手か?
そういう問いを失語症絵画は、実に無化している。
紛れも無くその絵画にとって、それはどうでも善いことだからだ。
作家のエゴを極端に通したら、観者の解釈もどうでも善くなった。

だからそういう作品は、他の作品との比較を嫌がるし
さらには作品の内部に於いても対比や差異を必要としない。
そういうやり方で、唯一性を手にしている。

こういう絵画を前にして、作家はオリジナリティーを口にするが、
出来事による唯一性というより、キャラクター性を全面に押し出している。
つまり、それらの作品は複数化しうる訳だけれど
一つ一つ、表情が違うんだ、つまりそれはシリーズなんだ、と
作家はその絵を前にしてしたり顔だ。

いうなれば、その絵に対して何も言って欲しくは無い訳だ。

(2006.3.28)


March 27, 2008

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後輩のNmさんから1ダースもの缶ビールが送られてきた。
宅配員から手渡された段ボール箱は、小柄だがずっしりと重く、開封するまでその中身が何であるかは分からなかった。
(最初は、彼女が私に返却し忘れた照明機材であるかとも考えた)
箱の中で揺すられてバラバラに崩れた缶ビールの束を目にしたとき、私は思わず笑った。
そこには手紙も同封されていない、何故にこの1ダースの缶ビールが私の許へと送り届けられたのかについてを理解することが出来ず、私は暫く戸惑った。
(そして直ぐ後に、伝票の品名欄に書き添えられていた「happy birthday.」の文言に気が付いた)

有り難う。
私はあなたに対しては特に何もしてやれなかった情けない先輩であるけれども。

March 25, 2008

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 折口信夫『死者の書』を久々に読み返した。折口は『国文学の発生』や『言語情調論』ばかりを読んでいるので、たまに論述ではない彼の文章を読むのも楽しい。『死者の書』は、私の感覚からすれば幾らか読点が多めに打たれていて、喉を使って読むと閊えたようなリズムになる。が、それと同時に実に滑らかな日本語の語調も伏蔵されていて、この闊達な言い回しには屢々感じ入ってしまう。

 本屋で立ち読みした『KAWADE道の手帖 横尾忠則 ー画境の本懐ー』が非常に面白い、寄稿者のラインナップを目にしただけでその事が容易に想像出来る。但し、今このタイミングで横尾を扱う事は少々遅い、それ故に「横尾再考」の態を成している事は残念である。とは云え特集本のような真新しさは感じられないが、企画としては興味深い。それにしてもM先生『画狂人が神秘に触れると?』のグバイドゥーリナに寄る一節には笑った。相変わらずの奇矯振りである。

March 23, 2008

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春の陽気はすっかり我が物顔をしてやって来た。
辺りには花々が咲き誇り、山の端の色彩は序々に白味を帯び、霞掛かってくる。
それ(es)に在る気分(stimmung)は紛れも無く「春」である。
その「何ものか」が私に語り掛けてくる。
実に慌ただしい、まるで「紙だ、インキだ」と云う具合に成る。
私は「それ」についてを何一つ残らず、余すところ無く書き記すつもりで居る。
冬の風景に於いて発見されたものが次第に確信へと変じていくのである。
私の抱く予感——もの自体(Ding an sich)に孕まれていた時間が充足理由律の上に書き記されていくこと、私の所有する発見。
私の頭上に吹き荒ぶ風、私は「春」を発見した、私の心の真ん中を貫いて、春雷は私に霊感を与える——と或る"予見"、この穏やかならぬ騒めき——騒々しさ、この何ものかが私の眼前で喚き立て、私はそれを注視しながらも地団駄を踏む。

私の夢、私の錯覚は、この晴れ渡った空色の如く鮮やかで、澄み切っている——と云うような夢を見た。

March 22, 2008

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東京国際芸術祭2008『アレコ』ほかを観る。
UPLINKにて渋谷慶一郎 "filmachine" についてのレクチャーに行く。

March 20, 2008

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 3/20の朝日新聞朝刊(37面)で知ったのだが、アントニオ・ネグリ氏の来日が急遽延期(事実上の中止)となった。それに伴い、ネ氏来日に因んで企画されたイベントも中止又は内容の変更等が為されるだろう。
 今回の事は、端的に言って非常に残念である。

 尚、下記 url には、ネ氏来日中止に関する詳細と氏よりのコメント文が掲載されている。

財団法人「国際文化会館」>>>
 http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm

 これを読むと、20日に日本への渡航を控えたネ氏に対し、その直前に突如として法務省から彼の入国に横槍が入った事が窺える。この措置について、ネ氏が「出入国管理及び難民認定法」の第5条4項(「上陸の拒否」)「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」として日本法に抵触する事がその理由とされた。
 ネ氏は1979年、「赤い旅団(Le Brigate Rosse)」によるアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件への関与に対する嫌疑から逮捕・起訴された。その後、この件についての無罪が確定するが、彼の政治的な影響力を危惧したイタリア政府は新たに「国家転覆罪」を適用する。彼はその裁判中の'83年にフランスへと逃亡・亡命し、'97年にイタリアへ帰国、監獄に収監され6年間の禁固刑を受けている。
 今回の措置はこの事柄を受けてのものであるが、前述の第5条4項には「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りでない」ともあり、法務省はネ氏に対して彼が政治犯であったことの正式な証明を求めていた。が、彼がその証明を即座に行なうことが時間的にも難しい為に、今回の来日が中止とされたようなのだ。これについて、素人考えからは「国家転覆罪」が「政治犯罪」では無いと云う事には少々奇妙な印象を受ける。(フランス政府はイタリア政府からのネ氏身柄引き渡し要求に際して彼を政治亡命者としては扱わなかったのだが、彼がイタリア国内に於いて不実の政治犯の身であることは最早公然の事実であろう)只おそらく、この例外を適用するためには、どちらにせよ関係書類の用意が必須なのだろう。
 「アントニオ・ネグリ来日プロジェクト」と銘打たれ企画されたイベントのうち、東京芸術大学で催される『ネグリさんとデングリ対談』については、このまま企画を継続して欲しいと思う。今回の一連の自体を踏まえた上で、何らかのアクションが起こることだろうから。

March 19, 2008

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 「芸術」や「美術」、「デザイン」について、以前から用いている意味内容からの変更は無いが、ここで簡単にそれらの差異についてをまとめてみる。

 先ず「芸術」は「美術」をその範疇に含むものとし、「デザイン」について対比される。主に彫刻や絵画などの空間芸術を指す。因みに私は、美術とその他の芸術との区別を余り明確には意識しない。ジャンル(範疇)とはその場限りの便宜的な区分であり、それを数多の芸術作品群に対して適用する事は可能であるが、個々の作品一つ一つについて、それらが個別に属するジャンルは必ずしも作品それ自体が自立する為の明晰な理由とは成らない。何故なら「作品」とは、作品それ自体で合目的であるような対象であり、個々の作品は作品自身が備える parergon(額縁)を根拠に他の作品とは区別されるからである。
 「芸術」については "Beaux-Arts"(自由なアート)を、「デザイン」については "Lohnkunst"(報酬のアート)をそれぞれの基本的な概念として充てる。これらは単純に、 "physis"(所産)と "techne"(技術)との対立に対応している。また、カント『判断力批判』第43節の冒頭にあるように「技術が自然から区別されるのは、行為(facere)が動作或ははたらき(agere)一般から区別され、また技術の所産或は結果が"作品"(opus)として、自然の作用(effectus)〔による成果〕から区別されるのと同様である」として、技術(Kunst/Art)は自然の所産から区別される。ここで重要な事は、芸術に於ける所産と神の所産とが並立しているかのように見えると云う事である。その為に芸術作品は全きオリジナルなものとして世界に現れる。(このような「所産」についてはデリダ『エコノミメーシス』を参照。尚、この著作に見られる「太古の〔記憶以前の〕時代の無意識状態[inconscience]」や「天才は神の産出的自由に同化する」と云う件にはシェリング『人間的自由の本質』へと至るモチーフが予想される)加えて、作家の「同時代性」と云う事を鑑みる為には、「時代」に奉仕する道具的な性質を備えたものとしての「デザイン」についてを考慮しなければならない。この「道具」とは、作品素材であると同時に、それの魅力により鑑賞者の注意を喚起するような表象であり、換言すれば、作品の表象に於いて副次的な要素として看做されている「質料」及び質料性のことである。(このような「質料」についてはハイデガー『芸術作品の根源』及びデリダ『パレルゴン』を参照)作品に於ける「デザイン的な要素」は、鑑賞者の所属する時代性に追随し見慣れたものとしての親しみ易さを提供すると共に、作品が社会に於いて受容される為の要素でもある。
 一先ず、作品と云う自立的なものの"自立性"が芸術であり、そのような自立的なものが社会に於いて受容され共有される為に結ぶ"関係性"がデザインである、と定義しておく。だから厳密に言えば、作品に於ける芸術性とデザイン性とは不可分の要素である。

March 15, 2008

就 Ginger。

今日は掛川(静岡)にて Segway の試乗を行った。

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 Segwayについて。1ヶ月と少しばかり前に初めて Segway に乗る機会を得たとき、私はそれを目の前にしてひどく興奮していた。それは別に宙を走りなどしないが、紛れも無く未来の乗り物のかたちをしていた。電源を投入し、ステップに片足を載せた時、内蔵されたオートバランサが起動してぐんと自立する様はまるでSFの乗り物であった。恐る恐るもう片足を載せる、すると左右に付いた車輪だけで倒れずにぴたりと静止している。そこから前後に傾ければするすると走り出す。さらにハンドルを傾けることで、思いの侭にこの乗り物を操る事が可能となった。このような巡航速度30km/hの歩行様式により、今迄の都市論がすっかり書き換えられていく予感がした。

(2008.5.11)


March 14, 2008

『WKM/OO』、『ABCDの素晴らしき世界』

 以前から気になっていた "Art Center Ongoing" へ行き、東野哲史『WKM/OO』展を観る。駅からは少し離れた場所に在るが、別段迷う事も無く辿り着いた。1階はカッフェ、通りから硝子越しに内部の様子を窺う事が出来る。2階は展示スペースとなっていて、作家十数名のポートフォリオを閲覧出来る小部屋が併設されている。木造の構造体が剥き出しとなった空間。全体の雰囲気は "appel"(経堂)にも似ていた。
 さて、今回の『WKM/OO』展に就いて。入り口の硝子戸を開けて直ぐの少々傾斜の急な階段を上ると、「ワカメ、ワカメ……」と云う声が音楽混じりに聞こえてくる。先ず正面の壁に人形を成した乾燥ワカメが無数に貼付けてあるのが目に入る。次いで床に、漫画『サザエさん』のキャラクター「ワカメちゃん」の髪型を成す、これまた乾燥ワカメが敷き詰められている。そこから歩み出て窓の方を見遣ると梁からワカメちゃんの髪型を模したウィッグが鈴生りと成って吊り下がっている。これは機械仕掛けとなっていて、モーターが甲高い音を鳴らし回転を始めると、このウィッグの束が理由無さげに数回ばかり上下する。暫しの沈黙、そして再び上下運動——かなり滑稽である。その脇には所在無さげな飾り付け。足下にはTV、先程の声はここから発されている。短尺でループする声と音楽、終始鳴りっ放し。それから3階へ、またしても少々急な階段を上る。行き止まり、その壁には小さな台が設えてあって、延びきった乾燥ワカメと白濁した水の入った硝子コップが1つ置いてある。軽い溜め息を吐いて再び階下へ、壁面の人形乾燥ワカメ群に暫しの間ぢっと見入る。近寄ったり離れたり、眺めているとシャーロック・ホームズに登場する「踊る人形(Dancing man)」の事を、或いはジョエル・シャピロ(Joel Shapiro)の小躍りする人形のブロンズ作品を思い出す。生々しく透明色のボンドが糸を引いたまま残されている。まるで"手の届く範囲目一杯に"と云うふうに感覚的に配置され、そして周縁部では何やら物語めいた配置も為されている。一見して意味不明。戯けた振動、ダンス——この、半ばゆるっと弛緩した身体性にリアリティを感じた。例えとしては余りに仰々しいが、ラスコー洞窟壁画のように。

 それから路地をうろうろとして抜け、多田玲子『ABCDの素晴らしき世界 〜アイスクリームの百物語〜』展を観に、にじ画廊へと行く。1階のショップ・スペースを尻目に2階へ。「Kiiiiiii」のアートワーク等で見慣れた絵。物語文の刷られた紙と絵画作品とが交互にピンで壁に留められている。イラストレーション的ではあるが、絵画でもある。筆に興の乗ったような箇所も有り、単なる落書きであるとも言えない。ここで暫し、私の芸術観からは離れて首を傾げる。趣味として言えば決して嫌いな作品では無い。が、この「作品」と云う呼称に就いては取り敢えず保留しておく。
 尚、彼女は近々 Art Center Ongoing でも個展を行う。(『仮面ブドーのレース』展)

 今後、美術作品が増々「デザイン」へと接近していく事は避けられないだろう。それは絵画のイラストレーション化、デザイン的な要素の混入を例に挙げるまでも無い。美術はデザインと渾然一体になり、新たな社会性を獲得する。近年の美術作品は殆ど"表象の過剰"により成り立っている。この「デザイン」と云う言葉には、作品の表象に於ける時代性としての「デザイン的な処理」に留まらず、その作品がどのようにして社会に提示されるかと云う「見せ方」までもが含意されている。この為、「作品」と云う言葉が指示する対象の孕む圏域は、広く生活の中にまで染み入ってくる。とすれば作品の鑑賞経験に於ける「客観性」と云うものは、一体如何程に保証され得るだろうか?

March 12, 2008

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 Kant, I.『判断力批判』を読み直して——カント氏の言う事は、その部分々々に於いては非常に簡潔で、初見に於いても理解に難しく無い。が、彼の著作を読む上で肝要な事はそれらの一つ一つを総合し巨大な概念体系として理解する事であり、その為には他の著作——即ち、『純粋理性批判』と『実勢理性批判』——を含めた「三批判」の全てを網羅する必要がある為に多少の訓練を必要とする点が、その読解に後世の多くの人々が惹き付けられ又その理解に悩んだ挙げ句に挫折する原因ともなっている。だがその余りの甚大さ故に、読み直す度、新たな発見に巡り会う事が出来ると云うのが「三批判」に於ける魅力である。そして読みこなす迄に屢々その解釈や理解の為に翻弄されるのも確かではある。だから読み手に対して先ずは忍耐が、次に時間が必須とされる。けれども若者には忍耐が欠けている、老人には時間が欠けている。それ故に読み手に対しては(結局は何についても同じであるが)彼の著作に取り組む為のちょっとした才能も要求される、或いは中年の時分この著作に出会う為の機会に恵まれる必要があるかもしれない。
 又、デリダ氏も言うように、『判断力批判』は「三批判」を総合する要の著作である(Derrida, J.『パレルゴン』)。残りの二批判についてはDeleuze, G.『カントの批判哲学』と Kant, I.『プロレゴメナ』とを併読する事で足りるとしても、やはり『判断力批判』についてはそれ自体に当たらなければならない。カント晩年の余りに美しい著作である。

March 11, 2008

08.03.11_09:44

Tama-shi, Tokyo

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 ほとほと疲れて寝床に臥せ、眼を蓋ぎ、暗闇の中を暫しのあいだ浮遊していると、瞼の裏側に既視感を伴った光景がはっきりと浮かび上がってくることが有る。それは幼い頃に見た風景であったり、つい先程まで思い返していた由無し事についてであったり、或いはまだ見ぬ出来事の幻視であったりと実に様々ではあるが、これらの光景に於いて共通するのは、常にその場には居ながらも私は既に傍観を決め込んでいて、眼前に展開されていく出来事に対しては全く参加していないと云う事である。時たまに登場人物から話し掛けられる事も有るが、私はただ黙って頷くのみなのだ。全ての事柄は明らかであり、何一つ目新しいものを見出だすことは出来ない。そのような既知の出来事が、まるで"繰り返される"ようにして現れては消える。
 私は相変わらず疲れていた。殆ど気疲れと云うものによりすっかり脆弱になっていた。このとき瞼の裏に現れたのは生家で両親と夕食を共にする風景であり、私はまだ高校生くらいであるような感じがした。両親の他には誰か人の居るような気配がなかった。食卓の上にどのような料理が並んでいるのかは分からないが、両親を向かいにして3人で何かを食べながら、あれこれについてを歓談しているような感じがした。すると私が今臥せっている寝床の布擦る音と共に、耳元には幾つかそれらしい声が聞こえてくる。が、それらの声は両親のものともまた私のものとも似通っていない、或る普遍的な匂いのする声であった。段々に蓋がれた瞼の向こうが騒がしくなり、人々の居る気配が流れ込んでくる。皆行儀よく玄関から次々に部屋へと入ってくる。私は一人で部屋に臥せり、雑踏に囲まれて、両親との食事を楽しんでいる。然しながらふと「私の身体がここに在る」と云う考えが到来するや否や、それらの人々は記憶の中へと退隠し、瞬く間に私は再び一人になった。そして眼を開き、それまで在った生々しい感触を追憶しては何やら無性に寂しい気分になり、そして悲しくなった。

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米空軍が F117 Nighthawkの退役を発表。

March 9, 2008

08.03.09_16:33

Akihabara, Tokyo

March 8, 2008

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 ほとほと疲れて寝床に臥せ、眼を蓋ぎ、暗闇の中を暫しのあいだ浮遊していると、瞼の裏側に既視感を伴った光景がはっきりと浮かび上がってくることが有る。それは幼い頃に見た風景であったり、つい先程まで思い返していた由無し事についてであったり、或いはまだ見ぬ出来事の幻視であったりと実に様々ではあるが、これらの光景に於いて共通するのは、常にその場には居ながらも私は既に傍観を決め込んでいて、眼前に展開されていく出来事に対しては全く参加していないと云う事である。時たまに登場人物から話し掛けられる事も有るが、私はただ黙って頷くのみなのだ。全ての事柄は明らかであり、何一つ目新しいものを見出だすことは出来ない。そのような既知の出来事が、まるで"繰り返される"ようにして現れては消える。
 私は相変わらず疲れていた。殆ど気疲れと云うものによりすっかり脆弱になっていた。このとき瞼の裏に現れたのは生家で両親と夕食を共にする風景であり、私はまだ高校生くらいであるような感じがした。両親の他には誰か人の居るような気配がなかった。食卓の上にどのような料理が並んでいるのかは分からないが、両親を向かいにして3人で何かを食べながら、あれこれについてを歓談しているような感じがした。すると私が今臥せっている寝床の布擦る音と共に、耳元には幾つかそれらしい声が聞こえてくる。が、それらの声は両親のものともまた私のものとも似通っていない、或る普遍的な匂いのする声であった。段々に蓋がれた瞼の向こうが騒がしくなり、人々の居る気配が流れ込んでくる。皆行儀よく玄関から次々に部屋へと入ってくる。私は一人で部屋に臥せり、雑踏に囲まれて、両親との食事を楽しんでいる。然しながらふと「私の身体がここに在る」と云う考えが到来するや否や、それらの人々は記憶の中へと退隠し、瞬く間に私は再び一人になった。そして眼を開き、それまで在った生々しい感触を追憶しては何やら無性に寂しい気分になり、そして悲しくなった。

March 6, 2008

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Rozhdestvensky, G. 指揮の Tchaikovsky "Symphony No. 4-6"、
Stravinsky "Pétrouchka" を買う。

March 5, 2008

08.03.05_00:39

@BIGI

March 4, 2008

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group_inou の1stアルバム『FAN』の発売が "MyX" にてアナウンスされた。
思えば近頃は、それがやってくるまでを指折り数えて楽しみにして待ち望むような事は案外少ない。
こうやって世の中に対して興味を持ち続けるきっかけがぽつぽつと有るうちは、まだ幾らか救われているのだと思う。
そうで無ければ——私の好奇心が、全き「今(now)」と云うものからは離れてただ古典にのみ向かうのだとすれば——そして無論、その事すら充分に幸せな事だとも思えるのだが、然しながら私がこの "now" からはすっかり立ち去ってしまう事で、同時に "here" も欠如したまるで「幽霊」にも似た存在としてこの世を彷徨するのかと思うと、やはりそれは少し恐ろしい事のように感じられる。
だから、これら一つ一つの要因が束を成して私をこの世に繋ぎ留め続ける因果を夢想し、その偶然が織り成す和声に「福音」の陰を直観する事が、一先ず私がこの世に生き続ける為の理由の多くを担っている。

March 1, 2008

『いい地図』展

 近藤恵介『いい地図』展を観に Gallery Countach(新宿)へ行く。
 彼の絵柄は以前から知っていたのだけれど、実際に作品を観るのはこれが初めてである。それは印刷を経た image よりもずっと清々しく、何の先入見も用意しなかったが故に、却って作品に没入する事が出来たのかもしれない。率直に善い作品だと思うし、所有欲をも掻き立てられる。
 空白を広めに取った画面構成には随所に三角構図がみられる。彼によれば、最初に全体の構図を定めて描くのでは無く、先ず部分から描き始めて、描き進めていく過程で序々に最終的な構図を決定するとのこと。非常に緻密な筆致が重ねられている。近頃では、やもすれば手抜きとも思えるような勢い張った筆致の作品ばかりが目立つが、その中に在って、彼の丁寧な仕事には率直に安心感を覚える。
 初見に於いて、或る程度完結性を持った(キャラクター化された)モチーフ群がモジュール状に配置されているようにも思えた。そこから私は一連の失語症絵画との類似を認めて、端的にその徴候を読み取ろうと試みたが、作品に於ける個々のモジュール(部分)は決して交換可能なものとしては描かれていない、それらの絶対的な配置による構築性の有る事に気付き、寧ろその構成に於いて「曼荼羅」にも似た統制的な構造を見出だせるのではないか、と考えるに至った。画面全体を部分の積層により埋め尽くす事無く、適切な余白を維持し得たのはその為だろう。とすれば彼の作品に於いては、構図よりも構成と云う事に多くの力点が注がれているのかもしれない。部分から描き始められるにも拘らず、結果的には全体的な合致(停止性)を獲得していると云う点は非常に興味深い——余り優れていない描き手の場合、この「停止性」は画面の全てを埋め尽くす事に依って獲得される。

 私とは年の離れた、年下の友人Ykt君とギャラリーで待ち合わせ、彼の次の公演企画の話を聞く。

 それから私は銀座へと赴き、Gallery Art Point で催されたM先生によるレクチャー『"神秘"の俗解』に参加する。これは『DE MYSTICA —召命—』展との並行企画。M先生にお会いするのは久々であるけれども、「情調(Stimmung)」に関する考察にそれ程の進展がみられなかった事には少しがっかりとした。先生は今、何を考えていらっしゃるのだろうか?
 レクチャーの後に先生と少しだけ話をした。私の好物である白松がモナカの胡麻餡のものを一箱頂いた。先生は終始にこにことしている。
 先生が構想する「情調論」はまだ断片的であり、確かに巨大な問題系を孕んでいる。が、先生がやらないのであれば私が先にやろうとさえ思った。先生を奮起させるだけの理論をまだ私が持たない事に腹が立ったし、それが悲しくもあった。私が大学在籍時、先生が落ち着き無く宙に視線を漂わせながら話す日常の事柄からは離れてふっと紡ぎ出したその断片に、その声に! 私は確かにその場に居合わせて、そして"確かに"霊感を受け取ったのだ。私は今でも、緩やかながらも着実に、この霊感を絶えず吟味し考察を積み重ねている。だから仮にも私が先に「情調論」を完成するのであれば、先生にはそれを心から喜んで欲しいと思っている。

February 29, 2008

『national nursery』展

 今日は閏年。出掛けに『Inter Comunication』(No. 64)を買い、電車に乗る。戸谷森『national nursery』展を観に秋山画廊(千駄ヶ谷)へ行く。

>>>
 http://www.akiyama-g.com/exhibition/documents/46.html

February 28, 2008

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 この日は先ず秋葉原へ行きケーブルやプラグ類を買い付けた。重い。キャスター無し、全てを手持ちするには少々辛い。浮き輪のような電気ケーブルひと巻き100mを肩に担ぎ、両手にはプラグ類数箱や特殊工具類の入ったビニル袋、肩掛け鞄からは巨大な結束バンドが数袋顔を覗かせている。
 このような極めて正しい秋葉原スタイルは、無論周囲の目を引く。この姿のまま総武線に乗り込み市ヶ谷へ、Trちゃんとの打ち合わせに行く。
 それから新宿へと移動。

Akihabara, Tokyo


 新宿のジュンク堂にてハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』を購入する。まるで"できたてほやほや"と云う感じのする、小口がぶわっと開いたまま閉じない。
 『エクス・ポ』(vol. 2)を探すも、どうやらフライングだったようだ。

 その後、Galaxy Countach でのイベント・DJぷりぷり「ぷりぷり居酒屋」に顔を出し、すると友人たちがどやどや遅れてやって来たので、結局終電の時間までそこに居座る。途中、数人で寄り集まりトランプに興じる。
 このイベントはDJぷりぷり(イベンター)を中心に、八木沢俊樹(ギャラリスト)と近藤恵介(ペインター)の3人が訪れた客へ自作の料理を振る舞うと云うもの。チャージ料金は1,500円、1ドリンク付き。広く告知されなかった為か、やって来るのは誰かの友人。それ故に「店」と云うよりは「家」、あたかも友人宅で催されたホームパーティのように、その場に於けるコミュニケーションには親密さが強調され、居合わせた人々は互いに誰かの友人としての知人である。だからカウンター・テーブルを挟んだ対面式の会話と店の隅で交わされる密やかな会話、と云う個別の団欒では無く、もてなしは屢々カウンター・テーブルを越えてゆく。さらには客も自作の料理を持ち寄ることで、序々に純粋贈与のすがたが現れてくる。つまりは一旦確立された交換の図式が、コミュニケーションの横溢により次第に解体されていくのだ。とすれば"ぐだぐだ"を避け、この歓待のひと時を枠付け固着する為にはどうすれば善いだろうか? Rirkrit Tiravanija(リクリット・ティラバーニャ)や Félix González-Torres(フェリックス・ゴンザレス=トレス)のことを思い浮かべながら振る舞われた鍋を突ついた。

 ふと、私の周囲には「料理」を趣味として楽しむ人が多いことに気が付く。私はと云えば、特に"食"に対してこだわりを持たないようにも思えるし、そして時には食べることがとても煩わしいもののように感じられる。「料理」と云う作業、この幼児のする工作にも似た手遊びに、心が躍るような時もあるが、それよりは寧ろ空腹により急かされてする労働と云う気分になることの方が多い。そしてどちらかと云えば、使い終わった食器類をお湯で以て洗うことに対してなぜだか至福を感じてしまうのである。
 だからもし、食事について何か楽しみが有るとすれば、それは誰かと向かい合い食事に費やすひと時を共にすることついてだろう。

February 26, 2008

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 小説に於ける全てが口語で行われると云う事、そこに地と図との違いが差し挟まれることが無いということで、文法的な一貫性の欠如は曖昧さの中で許容される。これにより小説家は、その曖昧さの最中に様々なレトリックを差し挟むことが可能になる。言うなれば終始文法的に一貫した文体に於いては読者にすっかり吟味されていた筈のレトリックも、この「曖昧さ」に於いては読者による意図的な無視を受けると云う自由を獲得するに至る。つまりこの時の読者は、すでに小説家の尽くすレトリックの数々をすっかり受け入れる態度で居ると云うことだから、逆に飛躍無しの文体に対しては少なからず退屈を感じてしまうのである。何故ならば読者たちは、口語により確立された小説のスタイルを享受する過程で、寧ろこの曖昧さに頼ることで自身の夢想を充分に駆け巡らす事の快感をも獲得してしまったが為に、読み手による誤読の自由を差し挟む事の出来ない厳密なスタイルの文体に対して嫌悪感すら抱き、さらにはそのような文体を読みこなす為の忍耐力を失ってしまったからである。とすれば読者に対してこの失われた忍耐力の回復を要求する事には甚だ困難が付き纏う。と言うのも、彼らが何に於いても先ず真っ先に信頼するものは己の価値観、自身が何らか対象についての判断を下したと云う事実性に対して最も確信を覚えるのだから、彼ら読者を説得すると云う事が先ず不可能事になってしまっている。だから小説家は、彼らのより感じ易い対象物をその目の前に与えながらも、と同時にその背後から、そっと彼らの無意識へと語り掛けねばならない必要性に迫られている。何なれば技法と云うものには、まるで秘め事であるかのように読者の眼前からは姿を消す振る舞いが求められ、それ故に近頃の小説家たちはこぞって神秘のベールを探し求めている。が、当然ながらそんなものはこの世には無い。そしてどちらかと言えば、彼ら近頃の小説家たちに求められているのは詩人の素養である。

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 キャラクター小説の成立に必要となるのは、何に於いても先ず「キャラクター」である。つまりこの場合の「キャラクター」と云うものは既存のもので、既に"完成形"を備えている。換言すると小説内で用いられる「キャラクター」は、その「小説」の成立に対して先行しているのである。ここで重要な事は、キャラクターの性質は開かれて後天的な要素が付与出来ると云う事、小説とキャラクターとの関係が作品とモチーフとの関係に似ていると云う事、その2点である。一先ず前者について述べれば、既存の小説では物語の展開に従って登場人物の人格が徐々に醸成されていくのに対して、キャラクター小説に於いては登場人物の人格が物語の展開に先立ち既に成立している。それ故に読み手にとっては(寧ろ)物語に於いて描写されていく登場人物たちが「キャラクター」として適正か否かを或る種の批評性に則って吟味する事が可能となる訳であるが、それ故にこのようにして読み手に強いられる「委ねられた作品の自立」への参加が観者の鑑賞経験に於ける"内的(主観的)体験"を過度に補強してしまう為に、「作品の客観的な自立」をまるで彼岸の夢のように扱わざるを得ない点に、私は疑問を感じている。換言すれば、「キャラクター小説」の自立は読み手(観者)の鑑賞経験に対して寄生的だと思われるのである。

February 25, 2008

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 京都大学に於けるこの時期の風物詩、今年の折田先生像は「てんどんまん」だった、中々出来が良い。
 因みに、米国 MIT 恒例の hack により昨年9月、John Harvard 像は Master Chief(Halo 3)へと姿を変えた。

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 http://hacks.mit.edu/Hacks/by_year/2007/halo3_john_harvard/

February 24, 2008

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「(小指値)」の会議に行く。
その場に居合わせた木村氏から『REVIEW HOUSE』を直接手売りして頂く。
紙面では私と同世代の研究者も論考を寄せていて刺激を受けた。
批評文を書きたい、否、その為の"文体"を先ずは用意しなければならない——と、今はまだそのようにしか言えない。

それから久我山へ、「11.P.M」に顔を出す。
今日のゲストは「ミュータント」(吉本興業)、「カプリコーン」時代の"11.P.M Tシャツ"が妙に新鮮に見えた。

08.02.24_01:49


February 23, 2008

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 強い風。今日は本当に強い風が吹いた。高台より見渡せば、朦々と舞い昇る土煙は眼前に広がり、それらが川沿いの低地に沈殿している。街並は黄土色に染まっていた。足下を土埃が攫っていく。上を見遣れば空の青み、色めいて春の匂いがする。やや白んだ雲。まだ肌寒いが、夏の陽射しにも似た直進性の光線も感じられる。地表にはほんのりとした暖かみが湛えられている。その境を、土煙は行きつ戻りつしながらも絶えず自身の体積を露わにしていた。騒々しく交わる風と土、その毛羽立つ表裏一体の境界面に於いては、動相が現れては消えまた消えては現れてと云う具合に、殆ど無限にも感じられた様相が展開されている。それらは個々の領域を持たずにひと続きであり、或る明晰な部分が隆起したかと思えば次の瞬間にはもう跡形も無く消え去っている。この、土煙を構成する細かな粒子の運動や光線の生み出す陰影の加減を通じて、私たちは確かに風の在る事を知る。けれども私たちに見る事が出来るのは、あくまで土煙の変幻だけである。風それ自体を見る事は決して無い。つまり風は、何か明晰な物質の存在に仮託するようにして現象する。有から無へまた無から有へと、このような動相の持続こそが気象の本質である。変幻、その都度、気象が姿を現す為に仮託する物質は異なるが、ただその動相のみは連綿と持続している。気象は存在を越境する。私たちは風の孕む動相の持続を通じて、その連続性の中から「風」だけを切り分ける為の何か明晰な境界を認識するのでは無く、風がそのような境界を越境したと云う事実、即ち敷居経験を認識している。

February 22, 2008

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ハイデガーの「ナトルプ報告」が邦訳されると知り、俄かに興奮する。
『存在と時間』を読むと分かるように、難解な論文である事が予想される。
が、思索の萌芽期にみられるスリリングな躍動を先ずは楽しみたい。

『アリストテレスの現象学的解釈』高田珠樹訳、平凡社。(底本: "Phänomenologische Interpretationen zu Aristoteles (Natorp-Brecht)", hrg. von Günther Neumann, Reclam, 2003.)

February 19, 2008

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 近所の大型中古本量販店にて、おそらく多摩美術大学(八王子校舎)出身者にとっては最早"聖典"とさえ言い得るであろう漫画、沙村広明『おひっこし』を購入する。つまり、やっと買う気になった。
作中の大学は沙村の出身校である多摩美術大学八王子校舎がモチーフとなっており、そして実際にも、かなり正確な描写によってその再現が試みられている。また、大学への最寄り駅である「橋本」駅近辺から野猿街道沿いに「聖蹟桜ヶ丘」までの多摩地区特有の空々しい風景が散見される。そして物語の冒頭から、一般的とは言い難い独特の(美大生らしい)服装を身に纏った人物が多数登場する為に、私たちは増々「これは美術大学を舞台にした物語だろう」と考える。が、102頁左下のコマにある「文学部」のテロップによりその想像は見事に裏切られるのだ。これは、各所に尽くされる"いかにも美術大学臭い雰囲気"の描写が読み手である私たちに醸成する美大生としての親近感を見事に打ち破ってしまう瞬間でもある。(ここで一同、爆笑する)
けれども、この作品を読むに付けて必ずと言ってもいい程に私をしんみりとさせるのは、芸術学科棟とH棟(プレハブの建物)との間から遠くに見える南大沢の風景(54頁中段)だろう。と云うのも私が多摩美術大学に進学した当時は鑓水周辺の都市開発が中断しており、整地された区画が荒れ野となって延々と南大沢の公団住宅群へと続くのを眺めながら、私はその風景に対して密かに「世界の果て」を感じていたからである。この漠とした景色の最中に、あの場所に居た誰もがまるで孤独感にも似た「私」と云う自意識の在る事をひたひたと共有していたのではないか、と思えばそれは随分と感慨深いものでもある。だが、先の2つの建物は今となってはもう跡形も無い。
類似した感銘を私に与える作品として木尾士目『げんしけん』が挙げられる。

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その他に買った本は、島田雅彦『彼岸先生』、筒井康隆『七瀬ふたたび』。(この2冊はどちらも買い直しである)
BankARTにて『REVIEW HOUSE』(創刊号)が先行販売されているようだ。早く読みたい。

February 17, 2008

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 今日は午前中に神田へ行く用事が有ったから、午後は休日の為にシャッターの閉まる神田の古書店街を抜け御茶ノ水を経て湯島天神へと行き、そこから神田神社、秋葉原の電気街をぶらぶらと散歩した後に多摩へと帰宅した。

08.02.17_14:37

Akihabara, Tokyo

08.02.17_14:15

Kanda, Tokyo

08.02.17_13:43

Ochanomizu, Tokyo

February 16, 2008

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 次回の 「11.P.M」(ワタナベエンターテインメント所属の若手芸人11名による定期合同ライブ)で使用される企画映像の撮影の為に先ずは渋谷へと赴く。松谷(パップコーン)が寝坊。さすがに渋谷を行き交う人はカメラ慣れしているのか、芸人との絡みもすんなりこなす。次は巣鴨に移動。以前の企画映像でも撮影を行った為だろう、商店街の方々の反応も中々良い。佐藤(ワンクッション)がいち早くTV効果を発揮する。陽が傾き、気温が下がった為に撮影は一時中断。最後は新橋・SL広場での撮影、序々に陽が落ち夕暮れとなる。酒気帯びたサラリーマンを探すも、まだ時間の早い為に見付からず、コンパの待ち合わせと思われる若い男女に片っ端から声を掛けるのだが「時間が無い」などと理由をつけられ度々断られる。さすがにメンバーの顔にも疲れが見え始めたのでこの日の撮影は早めの終了となった。
 私はその後、五反田へ行き友人達(主に小指値の関係者)の集まるホームパーティに食客として参加。畳敷きの6畳間に十数人がひしめき合いながら酒を呑んだ。Kj君のプリンがとても美味しかった。それから、私は翌日に有る午前中の予定の為に名残惜しくも早々、新宿経由で帰宅路に就いた。

February 13, 2008

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市川崑氏死去。

February 10, 2008

浮遊するマルチプル・ゲンガー

 ——今はみんなで東京のことを考えている。《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》とはロラン・バルトの言葉、フランス人の彼がその本質をあっさり見抜いてしまった東京には皇居があって、私たちはみんなでそのまわりをぐるぐると日々回り続けている。意外にも案外でっかい東京、知らぬ間にバターになった私たち。みんなで空虚に振り回されて、みんなは何を共有しているのだろうか? でも、その何かを共有しているってことだけは相変わらず事実だったりもする。この私がみんなでは無い事実、「私」は私であるけれども、私は「あなた」と確かに繋がっている事実もあって、舞台でが成り立つ為にはそういう「みんな」が必要なのだ。

※ 小指値『霊感少女ヒドミ』当日パンフレット(有料版)掲載文、一部修正有り。

『霊感少女ヒドミ』









小指値『霊感少女ヒドミ』(原作: ハイバイ)、2008年2月、駒場アゴラ劇場。

(Photo: Kazuya Kato)


February 9, 2008

February 8, 2008

08.02.08_21:39

 終演後、そのまま舞台上で行われたパーティで、不意にDちゃんから「プロペラ犬」のお二人を紹介されると云う無茶振りにフリーズする。この時の私はどう仕様も無く惨めで、そして滑稽に振る舞う事しか出来なかった。憧れの女優Mzさんを目の前にして「『七瀬ふたたび』をTVで観たときからファンでした」なんて、当然ながら言えない。そのような度胸の持ち合わせが無かった。



February 6, 2008

小指値『霊感少女ヒドミ』

 今日の関係者向け公開ゲネプロを経てようやく「作品」としてのかたちが見え始めてきた。これから最終日に向け序々に作品が詰まっていくことを想像すると——例え、端から作品の最終形態を提示出来ないことを態度の"甘さ"として批判する人が在ったにしろ、やはり作品が作品足り得る為に常々闘争に晒されそれ自身の形態を変じていくことこそが、舞台芸術に於いては最も生々しく鋭いものであると思うから——次第に、結局はどう仕様も無く興奮してしまうのだ。




February 5, 2008

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駒場東大前駅すぐ近くの古書店にて『孤独な散歩者の夢想』(今野一雄訳、岩波書店、1960年)[=Rousseau, J.-J. "Les Rêveries du promeneur solitaire" 1778/1782.]を買う。

February 4, 2008

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 新番組『Mnemosyne —ムネモシュネの娘たち—』第1話を観る。
 このアニメでは、東京を舞台にグロテスクやエロスが展開されている。
 燐・ミミの口癖「永遠に」や前埜がする自己喪失感の吐露に、いかにも今ふうな刹那感の過剰が見られる。が、それらはフレーズにまで落とし込まれ、あくまで現状を諦観するような視座はやもすればステレオタイプであり、どちらかと云えば'80年代の「無気力・無感動」に近い。
 実を言えば今の若者たちは「無気力・有感動」であり、それ故に感情の構成要素が陳腐であり、けれどもその陳腐さについては充分に自覚している、と云う或る種の"動物的な焦燥感"(落ち着きが無く、忍耐に欠け、純粋で、主観的な価値観を重視し、伝統的な中央集権的組織を形成するのには向いていない——つまりゲリラ組織的である)を備えている。この特徴は確かに、彼(女)らの生産行動が生活に直結し情動労働に向いていると云う点ではマルチチュード的でもあるが、然しながら彼(女)らには主体性の芯が欠けており、1人称(I)が3人称(We)を常に代表する4人称的な性質がある——言うなればそれはレギオン(Legion)に似ている。

〈Then He(Jesus) Asked Him, "What is your name?" And he answered, saying, "My name is Legion; for we are many."〉
---Mark 5-9

February 3, 2008

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 今朝、目を覚ますと音が無くしんとして静かで、「雪が降ったのかしら」などと窓硝子に手を伸ばすとアルミサッシは結露し冷たい。曇り窓の向こうには鈍く、ぼんやりとした明るさが在る。雪を掻く音が聞こえる。この曇りを袖で拭った硝子の外は確かに雪景色だった。
 明日が小屋入りの為に夜は荷積みをするのだが、この雪降りしきる道程は少々難儀だな。

January 29, 2008

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折口「稀人(まれびと)」とシェリング『人間的自由の本質』に於ける「自由な存在者」とを並置すると、両者の主体性の現れに何らかの神的な「機会」が関わっていることに気が付く。

作品への参与者(主に観者)についてを分析する過程で以前からシェリングの「主体」に着目してはいたが、ここに折口の「稀人」を併せることで、作品を軸とした社会を受容論的に描くことが可能となるだろう。とすれば前述の「機会」は、観者をその鑑賞経験に於いて時代や世代へと関連付ける必須の要素となる筈である。

January 28, 2008

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有楽町へ行った折になびす画廊へと寄りMkさんと話す。
M先生の近況についてを尋ねた。
相変わらず精力的にあちらこちら足を運んでいるらしく、とても70歳を超えた老人とは思えない、話の端々から想像されるM先生の姿にはそう云う印象を受ける。
ふと吉田暁子(作家)の話題に移り、画廊の奥から彼女のポートフォリオを引っ張り出してもらい見る。初期作品に「椅子」をモチーフとした作品の有ることを認めて、彼女の作品に於ける土台にも利部に見られるような或る種の建築の匂いを感じた。片や平面、片や立体と云うような違いこそあれ、それらの根底部は非常に似通っているのだ。
それから帰りしな、隣のギャラリー21+葉にて青木野枝の個展が行われていたのでちらと観る。
その後、銀座中央通りを随分な早足で駆け抜けながら「やはりこの街は面白い」と思った。それは電飾の催すきらびやかな感官についてなのだけれども、このしっとりと土地柄に馴染んだ様子が渋谷の街に比較されるように思い、端的に「東京」と云うものを夢想した。何もかもが皆頼もしく思えたのだった。

January 25, 2008

『想起 アドルフ・ロースへの手紙』展

大室佑介『想起 アドルフ・ロースへの手紙』展を観に秋山画廊(千駄ヶ谷)へ行く。

 彼が大学院に在籍時から憑かれ、常々口にしていたロースの文言を下に引いておく。

「我々が森の中を歩いていて、シャベルでもって長さ6フィート、幅3フィート程の大きさのピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。 我々はそれを見て襟を正す気持ちに襲われる。 そして、それは我々の心の中に語りかけてくる。  「ここに誰か人が葬られている」と。 これが建築なのだ。」
[アドルフ・ロース『建築について』1908年]


>>>
 http://www.akiyama-g.com/exhibition/documents/43.html

January 23, 2008

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今日の東京は雪に覆われた。
日頃は「温暖化」の喧伝に不安を掻き立てられている人々も、
この時ばかりは正しい冬のすがたを享受する。
「とは云え数年前ならば、もっと雪も降ったものだけれど」
と云う台詞も詠嘆調の挨拶事となる。
だが近年の夏には、あの童心湧き立つ入道雲も、激しい夕立に追われて軒下に暫し身を隠す興奮もいつの間にか消えてしまった。
ただ冬の寒さだけが年々身に凍み入ってくるが、ふと思い返せば幼い頃の連日の雪には暖かさが有り、次第に春の香りが募る夜明けに身を捩った堪えの無い気分すら、今となっては忍耐の為に擦り切れていく事を想像して無性に悲しくなった。

打ち合わせの為にアゴラ劇場を訪れ、その後で駅前に赴いたら、
雪を被り頭の先からずぶ濡れになった腕白少年と出会った。
「大丈夫ですよ、今朝からこの恰好です」
と私に息巻いて見せた半袖の彼は俄に上気して頬を赤らめている。
が、その姿には思わず彼の肺炎を患う事を憂慮してしまうのだ。

写真に写るのはNbさん。駒場にて。



January 20, 2008

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 ポン・ジュノ(봉준호/Pong Jun-Ho)、ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)、レオス・カラックス(Leos Carax)ら三氏の共作となるオムニバス映画 "TOKYO!(仮題)" の公開が2008年晩夏に決定したと報じられ、その封切りが「今か今か」と待ち遠しい。タイトルはそれぞれ "Shaking Tokyo"(ジ氏)、"Interior Design"(ゴ氏)、"Merde"(カ氏)。
 "Lost in Translation"(Sofia Coppola、2003年)を観て以来「東京」と云うモチーフにかなり執心していた私にとってはこの上無い朗報。
 特にゴンドリーは、"La Science des rêves"(邦題: 恋愛睡眠のすすめ)での「恋愛」と云うデリケートな遣り取りを全て登場人物にとっての他国語として扱う演出が興味深かっただけに、さらに、彼にとってもおそらくそれ程馴染みが無いであろう日本語を扱いながら「東京」と云う混沌とした(謎めいた?)多文化都市の不条理をどのように描くのか、非常に気になる。
 因みに"Be Kind Rewind"はまだ観ていない。

"TOKYO!" >>>
 http://www.tokyo-movie.jp/

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 Om君の個展の設置作業を手伝う為に秋山画廊へ。
 彼の盟友とも言える利部が、作品の台座(parergon)として建築に依拠しながらも然し歴然として彫刻であるのとは逆に、彼は建築畑の出身にも拘らず、その作品の台座は建築が内包する展示空間としての void に依拠する事でインスタレーションとなっている。
 さて、インスタレーション染みた彫刻作品と彫刻染みたインスタレーション作品との差異、この定義上の曖昧さを超えて明晰に二種類の芸術を分つものは何であろうか?



January 19, 2008

08.01.19_23:13

Shibuya, Tokyo

08.01.19_16:05

Aoyama, Tokyo

08.01.19_15:36

Aoyama (Shinjyuku), Tokyo

January 18, 2008

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下北沢の古書店にて埴谷雄高『埴谷雄高作品集 外国文学論文集』(Bd. 5、河出書房新社、1972年)を買う。

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 私の専門は批評論であるが、その為に批評家に対してするのは作品についての「述べ過ぎ」や「述べ足らなさ」への指摘にしかない。
 それは批評家が作家に対してするのと丁度同じような態度である。決して主観的にでは無く客観的に、批評と作品との距離を適正に調停するのがその目的であるから、私の在り場所は作品の置かれる「社会」に溶け込む。
 結果私は、酷く当たり前の事を口にするに過ぎないのである。

January 17, 2008

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アニメ『墓場鬼太郎』の第2話を観る。
このテンポならば悪く無い。

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雪が降った。
おそらくこれは、東京での初雪ではないか?

January 16, 2008

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川上未映子が『乳と卵』にて第138回芥川賞を受賞。
やった! :-D 
前回に続けて今回も候補に挙がったとき、
「受賞は間違い無い」と感じたから尚のこと嬉しい。

彼女のする大阪弁の饒舌、
これが小説を成り立たせる質料となっている。
他方、あらすじだけで成り立つライトノベルに於いては、
「キャラ」の肉化が質料の役を担っている。
けれどもその「キャラ」と云うものは小説の外側に在る。

January 14, 2008

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新番組『ヤッターマン』を観る。
このアニメは幼い頃に親しんでいたので、リメイク版を観ると少なからず違和感が残る。
ストーリーに横滑りが有るのは『墓場鬼太郎』第1話と同じであるが、
この時間枠であるならば寧ろ適正なスピード感だろう。
ところで、主人公「アイちゃん」の肢体は細身であるが腰骨に幅の有るスタイリングは、今となってみると新鮮だ。
また設定上の年齢が12歳となっている事には驚いた。

January 12, 2008

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 昨年末、1度は会うことに失敗したものの再び、彼女のイタリアへ帰国する直前を縫うようにして会う機会を得ることが出来た。
 駒場アゴラでの簡単な打ち合わせの後にJR御茶ノ水駅前にて待ち合わせ、その少し前に(殆ど同時に)Om君とも待ち合わせて Loos, A.『装飾と罪悪』を手渡す——これは彼の今月末に秋山画廊で行われる個展に用いられる予定だ。
 待ち合わせ場所に現れた日本人の彼女は、私よりも幾つか年上の外国人男性を連れていた。少しばかり4人で歓談し、Om君とは別れた。駅近くのカッフェに入り引き続きの歓談。私は余り他国語を得意とはしない、ましてや喋ることなど全然出来ないのであるから、私は日本語で彼女と話し、それを彼女が適宜イタリア語に通訳して彼とも話した。ここで私の少しも英語の出来ないことを恥じた。が、それ以上の個人的な恥だけは避けたかった——それは他国語に於ける慣用句の運用についてである。
 兎角、そして相変わらず私は時間も惜しんでひたすらに喋り倒した。喋り過ぎたくらいでまだ随分と足りないくらいだった。
 私と彼女とは(そして当然ながら彼とも)初対面であった為に、始めのうちは自己紹介のようなことをしながらも話は少しづつ美術のことに移行する。と云うのも、彼女は現在イタリアで美術を勉強していて、Arte Povera への趣味を私と同じくしていたから。のみならず私の敬愛する彫刻家・長沢英俊氏の昨年 Galleria Stusio G7(Bologna)で行われた個展に、彼女がアシスタントとして参加していた事も縁深かった。
 最近の日本に於ける美術動向の話をしながら、話題は次第に日本の文化的傾向の変化についてや現代人の主観主義化傾向、自動車のプロダクト・デザインにみる文化的な比較、天皇制に於ける宗教的な側面、重力、触覚、"軽さ"と飛躍、都市部の建築や都市計画についてなど、次々に変幻した——それらは殆ど、私の「東京」への興味に費やされた。
 暫くして、彼女の次の待ち合わせの時間も差し迫っていたので、3人は銀座へと足を移し丁度日の重なった exhibit Live & Moris で行われている「ラディカル・クロップス」展(グループ展)のオープニング・パーティに顔を出した。ここで彼女から土台・額縁に関する所謂 parergon に関する言及の有った事に、私は彼女の問題意識との親和性を感じた。
 彼女らを銀座駅の入り口まで送り届けてから再び会場へと戻り、親しい作家と歓談しながら、場所を新橋の居酒屋へと移して引き続き美術に関する雑多な話題で盛り上がる。私は挨拶がてら顔を出すかのようにその場からは早々に立ち去った。
 それから皇居を迂回するようにして山手線外回り、渋谷を経て下北沢、小指値・舞監との顔合わせも兼ねたスタッフ・ミーティングに出席。

January 11, 2008

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夏目漱石『硝子戸の中』と寺田寅彦『柿の種』、
夏目漱石『こころ』と島田雅彦『彼岸先生』(及び、同『彼岸先生の寝室哲学』)、
『彼岸先生』と筒井康隆『文学部唯野教授』(及び、同『フェミニズム殺人事件』)。

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 ノイタミナ枠の新番組『墓場鬼太郎』(原作 水木しげる)を観た。絵柄はポップであるが、話のテンポに溜めが無く横滑りしている。動画の出来も良いし、陰影に於ける版画調の質感も熟れていて悪く無い。(『怪 〜ayakashi〜』の初見に、絵に用いられた千代紙の質感が新鮮だった)観ていて楽しみはしたがすぐに飽きてしまった、この回を再び観直そうとは思わないだろう。
 近頃の漫画も随分と絵柄が洗練されてきたが、それに伴って漫画を読む楽しみも失われてしまった。これは弁士のいない紙芝居をただめくっていても何の面白味も無い事に似ている。また近頃のTV番組にあれだけ大量の字幕が用いられている事とも関係が有る。物語に於いてエグ味や渋味、濁りが失われると、あらすじだけが残りデザイン的には洗練される。が、それでは余りに浅薄である。
 小説と云うものが何故あれだけ長いのかといえば、あらすじを用いて不鮮明なものを解きほぐさんとする為であるけれども、それを読み解く為に必要な忍耐と云うものを近頃の人は余りに好まない。又、作品のもつ「強度」は、このような不鮮明なものにより実現されている。
 とすれば何故、近頃の人があれほどまでに触覚について執心するのか? おそらく主観主義傾向への偏重と、それにより先ず「分かる」と云うことへの渇望が有るからに違い無い。が、意識的な訓練無しに理解出来る程「分かり易いもの」も世の中にはそう多く無いから、昨今の消費傾向過多の風潮もそろそろ一段落する筈である。(昨年『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーとなる珍事が起きたが、それは教養主義的な反動によるものだろう)
 とは云え、これはまだ第1話目であるから総括を下すには時期尚早であるし、それに今年の新作アニメには社会の新たな転換がいち早く実現されているようにも思われるのだから、あと暫くはこの状況を静観していようと思う。

January 10, 2008

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新番組『のらみみ』を観る。
これは明らかに子ども向けのアニメだろう。
深夜枠での放送なんて勿体無いと思う。

January 9, 2008

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新番組『狼と香辛料』を観る。
悪くは無い。

January 8, 2008

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小指値の役者・スタッフ顔合わせのミーティングの為に下北沢へ。
その途中、代田橋に寄り稽古の様子を窺いにも行く。
初音映莉子さんの美人振りに圧倒される。

January 5, 2008

——, Even.(——, même.)

「環境問題がシリアスなものじゃなくなって、ポップになったけれど、それがスタイルとして消費されることには抵抗がある。
 僕は"LOHAS"が大嫌いだ。ただしそういう気分が分らないわけでもない。おそらく誰もが——例えば砂漠なんかに行けばきっとそういう気分になる。けれども日本人にそういう感覚が実感されるかについては疑問だ。東京にいれば何だって疑わしく思えてくる。それは、日本人にとって、海外旅行がもはや日常のこととなったからだろうか。少なからず僕は「LOHAS的なもの」ってヤツが嫌いなのは間違いない。だってそれは余りに紛いものだから。
 僕はモダニストになりたいと思ってる。今さら? そんなことはない、きっとみんな繋がり過ぎているんだと思う。もう何やったってみんな繋がってる、そういうことへの嫌悪感ぐらい、きっと誰だってあるんじゃないか? 僕がそう感じるように君も同じようにそう感じてるって、でも、そういう事実ってひどく疑わしいものに見えてこない? 何か、自分の認識の手前に、既に事実が用意されている感じ、そういう浮遊感ってやつにもう随分と前からすっかり居心地が悪くなっているんだ。
 そうでなければ、今にみんなファシストになっちゃうよ。」

——というような夢を見た。
夢の中で思い出しでもしなければ、この気分が現実に表れることも無かったのかと思うと大変に悲しかった。

January 3, 2008