January 31, 2009

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対談『詩と美術と野菜』(建畠晢・島袋道浩)@ワタリウム美術館

January 25, 2009

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東京藝術大学横浜校地馬車道校舎で催されていた"POCKET FILMS Festival in Japan 2009"へ行った。
会場の向かいに在る古書店にて、
米川正夫訳『検察官』(岩波書店、1928年)[=Гоголь, Н. "Ревизор" 1836.]、
折口信夫『死者の書』(中央公論社、1943/74年)、
和田忠彦訳『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社、2000年)[=Eco, U. "DIARIO MINIMO - Selection of 13 stories" 1992.]、
夏目漱石『こゝろ』(『漱石全集』Bd. 12、岩波書店、1914/65年)、
これらを購入した。

January 23, 2009

衛星「いぶき」が宇宙へ届いた日に、私は。

 風邪をひいた。
 昨日は午後からずっと呆としていた。軽く発熱があり、関節痛の気もあった。が、最寄り駅から走って帰宅する/キムチ入り雑炊を腹に詰め込めるだけ食べる/熱い風呂に浸かる/布団の中をドライヤで充分に温めてから眠りに就く、という様々な養生の甲斐有って今日は随分と持ち直していた。
 とは云え念のため、インフルエンザの検査のために一日仕事を休む。平日の昼間に街を歩くのは大学生振りのことになるか、他人の目を気にして、気恥ずかしい感じがする。
 そして「医者はどこだ!?」と。近所の思い当たる診療所へ端から出向くも、それは外科や放射線科であったり、骨接ぎ、歯医者など、何れも"内科"ではなく、ようやく内科の診療所を見付けたときには午前の受付時間を7分過ぎていた。それから15時30分——午後の受付開始時刻まで、暫くの間自宅でバナナを食べて過ごす。バナナを思い付きで買うと、一二本食べたあとには飽きて、大抵残りを全て腐らせてしまう。衛星「いぶき」打ち上げのJAXAライブTVを見逃していた。
 私の過度の医者嫌いは母方の祖父譲りなのだろうか、そんな因縁めいた理由付けを考えたくなるくらいに、私は医者へ足を向けることを億劫がる。だからこれが、多摩に移り住んでから8年も経って、やっと初めての受診になる。医者に掛かった人が、翌日の昼食のあとに何錠もの随分と複雑そうな組み合わせの処方薬を飲んでいるのを目にする度に、私は医者を敬遠したくなっている。これは風邪のような寝ていれば治る障りのほかには、さしたる病気や怪我に煩ったことのない所以の傲慢さだろうか。「精神病なんてものは脳のひく風邪のようなものだから、寝るか宗教でもやれば治るのだろう」と、精神科常連の人々に向かって言うと、彼らに鼻で笑われる。精神でさえも私は畢竟健康なのだ。
 この日初めて掛かった医者は、自宅から直ぐ近くに在る、いかにも"町医者"という風情の小さな診療所だ。患者の殆どはこのあたりの団地群からやって来るようだった。内装には昭和風の古めかしさがある。大きな型板ガラスの間仕切りや、ところ狭しと壁面を埋め尽くす啓発ポスターやら賞状やら、茶ニスが黒くくすんだ木製の靴箱など、どこか懐かしい風情がある。以前に一度だけ掛かった気仙沼の皮膚科や、郷里の小児科にも雰囲気がよく似ている。受付を済ませて、待合室のベンチに腰掛けながら検温をする。人工皮革張りの茶のベンチを撫でながら室内を見回していると、幼い頃の記憶が切れ切れに甦ってくるようだ。それほどまでに私は医者にはご無沙汰していたのだ。医者に掛かるのは検診でもなければ大抵が病気を患ったときだから、やはりよい思い出というものはない。こと苦痛や不快にまつわる記憶は兎角鮮明なものになりがちである。部屋の中は寒くも温かくもなく、このような由なし事を考えていたら、また午後になって軽い微熱が生じていたためにやおら混沌としだして、私は暫く居眠りをしていた。
 名前を呼ばれて不意に目が覚めた。「診察室」と書かれた——これもまた古めかしい、小学校の用務員室の扉に似ている——ドアーを開くと、初老の医者が待ち構えている。やはり一癖有りそうな顔付き、社交的な口振りとは相反した頑固そうな身振りに、彼の長年医者として培ってきた自信が感じられる。一見すると人の話を聞いてそうでいて、受け答えがのらりくらりとしている様子は坊主にも似ている。これもまた私が医者を嫌う理由である。相手から何を言われても、まるで既に用意されていたかのような返答をするのが坊主と医者の共通点だから。それにしても「町医者」というものは、どこであれ同じようなキャラクタが持ち回りでもしているかのように思える。不思議と以前にも彼に会ったことの有るような安心感がある。
 型通りの聴診のあとに、「風邪だと思うが、念のため」と前置きが為されてインフルエンザの検査を受けることになった。何でも近頃ではすぐに検査結果が分かるらしい、簡単な検査キットがあるのだ。見たことのない長い綿棒を鼻の穴から深々と鼻の付け根まで挿入される。滅多なことがなければこの箇所が内側から刺激されることはあり得ないだろう。鼻に刺さった綿棒の先が、そのまま目から飛び出すのではないかと思った。検査の結果は"陰性"。医者の蘊蓄を聞きながら、再三くしゃみの出るのが止まらなかった。
 「ありがとうございました」と、医者に礼を言って診察室を出てから、また暫く待合室で呆とする。再び私の名前が呼ばれる。受付で処方された薬の説明を受ける。塩野義のフロモックス100、科研のブルフェン200、よく分からない粉薬、頓服の解熱剤、堀井の含嗽用バウロ——至れり尽くせりだ。使わないで残った薬が有ったなら、使う宛てもないが、宝箱にでも蔵っておきたくなるくらいに。こうして私の知らないところで、医学は勝手に進歩していく。TVで『話題の医学』を観てたまに驚かされることが有るが、それとも似たような感想だ。「最近の医学は凄いね」と、まるで「へえ」という感嘆の声を無理強いにでも上げてみたくなるような気分だった。

January 18, 2009

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御茶ノ水でYkm君と待ち合わせ、彼の奨める居酒屋へ行き歓談した。
彼から、
阿部和重『グランド・フィナーレ』(講談社、2005年)、
『トワイヤン』(巖谷國士訳、アート・スペース・美蕾樹、1983年)[=Breton, A. "TOYEN" 1953.]、
『ゴダールの全映画』(ed. 梶尾和男、芳賀書店、1983年)、
これらを貰った。
中央線に乗り新宿へ着くと、京王線の乗るべき終電は既に逃していた。
仕方なしに若葉台までの電車に乗り、暫く腕組みをしながら車中で眠る。
多摩に帰り着き、駅を出ると雨が降っていた。
私は濡れながらに歩き、コートは水気を含んで重くなっていく。
そのまま歩いていると、雨脚は段々に弱まっていく。
この今降るものは、いずれ雪に変わらないのだろうか。
家に帰り着く頃には、すでに雨は止んでいた。

January 16, 2009

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自宅の最寄り駅にある書店で、
『軍事研究』(No. 515, Feb., 2009)、
『STUDIO VOICE』(Vol. 398, Feb., 2009)、
を購入した。

January 13, 2009

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 転居先が決まった。それに伴って、今は生活の新たな展望を想像している。例えば、新居の家具の配置や照明器具のこと、考えるだけで頭が痛いが蔵書の収納のこと、あれは持って行きこれは捨てるというようなこと。できれば全部捨ててしまいたい暴挙に思いを寄せ、また土壇場になってそれを捨てることが急に惜しくなってしまうのだろう、という想像。この雑誌は捨てる、この漫画は捨てない、この小説は捨てる、いや捨てない——云々。単なる重さにしてどれだけの量を捨てることができるか、という点には興味が尽きない。多少要るかと思うものであっても、売り払ってまで部屋を軽くすることができれば爽快だろう。
 書斎を手に入れること、椅子に座って本を読むことができること、論文の執筆に取り掛かること。台所の脇にイーゼルを置くことのできるちょっと場所を手に入れること、南窓からの陽射しを手に入れること、眠るに際して鬱積した本の山を見なくて済むということ。
 職場の人から、石黒正数『それでも町は廻っている』(Bd. 1-5)を借りたので、今はそれを読んでいる。

January 12, 2009

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 横浜中華街界隈を散歩。関帝廟、山下公園。
 夕方に、Parajanov, S. "The Color of Pomegranates(aka. Sayat Nova)"(79 min, SU, 1968.)を呆としながら観ていて、この映画は暫く前に——確か大学生の頃に観たことがあったな、ということを思い返していた。

January 11, 2009

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 昼間に不動産屋を回って、疲れた。

January 10, 2009

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 友人のKrhさんと待ち合わせて、岩波ホールにて Abuladze, T. "Monanieba(懺悔)"(153 min, GE, 1984.)を観た。
 いまいち掴みどころを得ない、これは単に文化的な差異によるものなのだろうか。終端部での老婆の台詞——「教会に通じていない道が何の役に立つのですか」という言葉に全てが集約されるのかもしれないが、よく分からない。単にそれだけではないと思う。

January 7, 2009

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 風邪をひいたのだろうか、紙巻き煙草の匂いがやけに——それも不快な具合に——鼻を突く。自分の服に染み入った煙草の匂いには敏感になる。自宅で煙草を吸っているときも、部屋に充満したまま暫く消えることがないこの匂いを幾らか不快に感じている。——だからといって即座に喫煙の習慣を止めることはなく、専ら喉が煙草の味を欲しているというふうに、私は相変わらず煙草を吸っているのだが。それにしても匂いに伴う嫌悪感は吐き気と同様に、理由に先立って立ち現れてくる。世に煙草の匂いに嫌悪感を抱く人間がいることは知っているのだが、それらの人々が、私が今まさに感じているような不快感のすぐ背後に嫌悪感すら引き連れているとすれば、そのような感情の運用がいかに性急なものであるにしろ、空恐ろしいことだと思った。思い返せるならば本当に馬鹿々々しい理由から生る嫌悪感に過ぎないのだけれども。

January 5, 2009

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 仕事始め。職場の人から、大西尹明訳『ラヴクラフト全集』(Bd. 1、東京創元社、1974年)[=Lovecraft, H. P. "The Shadow Over INNSMOUTH; and Other Stories"]を借りたので、今はそれを読んでいる。

January 3, 2009

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 郷里からの帰京。久々に新幹線のホームに立ってみると、在来線のそれとは異なる印象がありのまま新鮮に思える。線路の幅の広いことが頼もしく感じられる。視線が向かいのホームを越えていくと、そのまま那須連山の山の端まで、気分が一目散に走って逃げていく。地面というものの眺めが単に平らであり、この余りに平らである広がりのことを私は大地と呼ぶ。眼前を絶えず、右から左から新幹線が行き交うのだが、それはアナウンスがあって暫くすると轟音とともにやって来る、と思った瞬間には走り去っている。鳴らす音のわりに巻き起こる風は僅かだから、瞬く間に視界の外へと消えていく新幹線は疾走するという感じがする。
 途中、新宿の Book 1st. へ立ち寄り、
稲垣足穂『一千一秒物語』(『稲垣足穂コレクション』Bd. 1、筑摩書房、2005年)、
を購入して、多摩へと帰る。