August 18, 2007

或る寓話

私は、カッフェで呆然となりながらも、
周囲の会話にだけは聞き耳を峙てていました。
手にしていた本に集中する事が出来ず、
字面ばかりを眺めていました。
ああ、人の声と云うものは何てうるさいのだろう
と、他人がとても煩わしいものに思えてきました。

「名詞と云うものは対象を捉えるものです。
言葉は対象に同化し、それに成り代わろうとします。
Je suis や Ich bin もそうでしょう、
そう云う時の一人称は、鋭く"私"と云うものを刺し貫くものです。
ところが、日本語に於いて"私"と言う時には
私と云うものがどこか遠くに在って
まるで彼であるようなものを眺めるように"私"と言うのです。」

誰かの言葉が不意に頭の中に流れ込んできたので
それを聞いた私は遂に怒り心頭となり、
思わず目の前に在る鉛筆を数本ばかり掴んで
床の上に投げつけたのでした。


August 13, 2007

August 11, 2007

失語症を覚えて

     現代兵器のコンピュータ化の為に、操作者は只決断を下すのみとなり、操作は尽く自動化され煩わしい作業からは解放された。最早、兵器を操縦する事は不要である、操作者は思考にだけ専念すれば善いと云うようになった。
     「クリーンな戦争」が実現すれば、いずれ攻撃をするか否かの判断すらも自動化され、操作者は「只、生存本能を発揮する」と云うような一つの"機能"として兵器に組み込まれる事になるだろう。機械に欠けているのは生存本能であるから、生き残りさえすれば他の雑事は全て機械がやってくれると云う訳だ。が、その代わりに鼠の1匹でも放り込んでおけば充分だ、と云う事でもある。
     ——こうして戦場には誰も居なくなった、と同時に、人間も消えて了った。