June 28, 2008

『絵画のコスモロジー』展

今日は多摩美術大学美術館へ行き『絵画のコスモロジー』展を観た。

レセプションの会場でKgbさんと話す。
思い掛けず、久々のことだったから少し緊張した、例の如くにまた私は彼女に向かって一方的に喋り倒していた。
緊張すると心が上擦って饒舌になる悪癖は、相変わらず直らない。

June 22, 2008

toi『あゆみ』@駒場アゴラ劇場

駒場東大前に在る、駒場アゴラ劇場へと行き、
toi『あゆみ』を観る。

終演後の、関係者による打ち上げに顔を出す。

June 18, 2008

Art and Objecthood

「リテラリズムの感性は演劇的 theatrical である。なぜなら、まず第一にそれは、そこで観者がリテラリズムの作品に出会う諸々の現実的な環境にかかわっているからである。モリスがこのことを明らかにしている。かつての芸術においては、「作品から受け取られるべきものは、厳密に[その]内部に位置している」のに反して、リテラリズムの芸術の経験は、ある状況における客体の経験である——それは実質的には定義上、観者を含んでいるのである。」
[Fried, M. "Art and Objecthood in Minimal Art" E. P. Dutton&Co. Inc., 1968.=川田都樹子/藤枝晃雄訳『芸術と客体性』(『モダニズムのハード・コア』 所収)太田出版、1995年]

「あるものが観者にそれを考慮に入れること、それを真剣に受け止めることを要求するとき、——そして、その要求が満たされるのが、単にそれについて意識していること、いわば要求どおりに行っていることによってであるとき——、それは現前していると言われる。(…)ここで再び繰り返すと、問題の作品によって距離を取らされているという経験が重大であるように思われる。つまり、観者は、壁なり床なりにある無感動な客体に対する主体として、不確定ではっきりとした制限のない——そして厳しさのない——関係の中に自分が位置していることを知るのである。」
[ibid.]

「暗い夜で、灯も路肩標も白線もガードレールも何も無く、あるのはただ平地の風景の中を通って進んでいく暗い舗装道だけだった。風景は遠くの幾つかの丘に枠づけられ、だが叢煙突や塔や煙霧や色光が点々と見えていた。このドライブは意義深い体験だった。道路と殆どの風景は人工的なものだったが、それは芸術作品とは言えないものだった。他方で、それは私にとって、芸術には決してなかった何かがなされていた。最初私はそれが何なのか分からなかったが、しかしその効果は、私がそれまで芸術について持っていた多くの観点から私を解放することになった。そこには、芸術においてはどんな表現も持たなかったような、リアリティーが存在していたように思えた。」
[《It was a dark night and there were no lights or shoulder markers, lines, railings or anything at all except the dark pavement moving through the landscape of the flats, rimmed by hills in the distance, but punctuated by stacks, towers, fumes and colored lights. This drive was a revealing experience. The road and much of the landscape was artificial, and yet it couldn't be called a work of art. On the other hand, it did something for me that art has never done. At first I didn't know what it was, but its effect was to liberate me from many of the views I had about art. It seemed that there was a reality there which had not had any expression in art.》
ibid.; originally appeared as Samuel Wagstaff, Jr., "Talking with Tony Smith: 'I view art as something vast.'" Artforum 5, no. 4 (December 1966), 14-19.]

「高速道路と滑走路と教練場は、一方で、誰にも所属していない。他方で、スミスにとっての現前性によって確立された状況は、各々の場合、彼によって彼のものだと感じられたものだ。さらに言えば、各々の場合、無限に継続することができるということが、欠くべからざることなのである。客体に取って代わるもの——客体が閉ざされた部屋の中で行うこと、つまり観者を遠ざけるもしくは孤立させるという役目、観者を一主体にさせるという役目と同じ役目をするもの——は、何よりも接近なり突進なり眺望なりに終わりがないということ、もしくは客体がないということである。その明瞭性、換言すればその全き持続性によってこそ、その経験は外部から彼のところに(高速道路の上では車の外から)差し向けられたものとして現れるのだが、その明瞭性こそが、同時に彼を一主体 subject とし——彼を服従 subject させ——、またその経験自体を客体 object の経験というより客体性 objecthood の経験に似たようなものとして確立するのである。」
[ibid.]

諸芸術の成功または残存でさえもが、演劇性を打破するそれらの能力にますます左右されるようになっている。おそらくこのことが演劇自体の内部において以上に明白な場所は他にあるまい。(…)というのも演劇は、他の芸術ではあり得ない仕方で観衆を所有している——演劇は観衆にとって存在している——からである。(…)ここで言及されるべきことは、リテラリズムの芸術もまた観衆を所有しているということ、ただしそれはいくぶん特別な観衆であるということだ。つまり、観者が自分のものとして経験する状況の中でリテラリズムの作品に対面するということが意味するのは、ある重要な意味において、たとえ実際には、その時作品とともにいるのが自分だけではなかったにせよ、その問題の作品は自分ひとりにとってのみ存在するということである。」
[ibid.]

質と価値という概念——そしてこれが芸術にとって中心的なものであるからには、芸術それ自体の概念——は重要であるしかも個々の諸芸術の内部においてのみ全面的に重要なのである。諸芸術同士の間隙に位置しているものが演劇なのである。」
[ibid.]

「リテラリズムの時間への没頭——もっと正確には経験の持続への没頭——は、典型的に演劇的だと私は言いたい。それはあたかも演劇が観者に対面し、そのことで、単に客観性の終わりの無さだけでなく時間の終わりの無さによって、観者を隔離しているかのようである。もしくはあたかも、根底において演劇が喚起する感覚ははかなさの感覚、つまり無窮の眺望の中で捉えられたかのような、過ぎ去りつつ且つ至り来る時間、近づくと同時に退く時間の感覚であるかのごとくである……。」
[ibid.]

June 15, 2008

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近所の古書量販店へ行き、
島田雅彦『彗星の住人』(2000年)、
大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)、
村上春樹『アフターダーク』(2004年)、
を購入する。

June 14, 2008

08.06.14_15:54

Shinjyuku, Tokyo

08.16.14_15:51

Shinjyuku, Tokyo

June 12, 2008

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「演戯もまた〈始まる〉が、その始まりには真摯さが欠けている。それはいかにも軽々しい。いつでも好きなときに手を引くことができるからだ。演戯はいくつかの仕草や運動、決断、感情、といったものからなり、それだけの開始の行為を含んでいるが、しかし演戯そのものの現実性は、こうした基盤を超えたところに位置しており、本質的には非現実性によってなり立っている。だからこそ舞台上の現実は——そして注目すべき点はこれが詩や絵画には当てはまらないということだ——つねに演戯として解釈されてきた。舞台上の現実は、現実でありながら痕跡を残さない。その現実に先立つ無は、そのあとに続く無と同じである。その現実に含まれる出来事には、ほんとうの意味での時間はない。演戯には歴史がないのだ。演戯とは、永らえて所有となることのない逆説的な実存なのである。演戯の時間はあるが、この瞬間は自分自身に執着しない。この瞬間は自分自身と所有の関係を取り結ばない。それは何も持たないし、自分が消滅したあとに何も遺さず、「一切合財」を無のなかに沈めてしまう。そして演戯の瞬間がこれほどみごとに果てうるのは、じつはそれがほんとうには始まっていなかったからである。」
[Emmanuel Levinas "De l'existence a l'existant" Librairie Philosophique J. VRIN, 1984.=西谷修訳『実存から実存者へ』朝日出版社、1987年]

「行為の開始は「風のように自在」というわけにはいかない。これが飛躍(élan)なら、すぐにでも跳べる態勢であっさりそこにある。飛躍はいつでも自由に始まり、真っ直ぐ前に跳んで行く。飛躍には失うものは何もなく、気遣うことは何もない、というのも何ものも所有していないからだ。あるいはそれは、火が燃えながらみずからの存在を消尽する、そんな燃焼のようなものだと言ってもいい。開始にはそうしたイメージが示唆するような、そして演戯において模倣されているような、自在さや率直さや無責任に似たところはない。始まりの瞬間のなかにはすでに何かしら失うべきものがある。というのは、何ものか——たとえそれがこの瞬間それ自体でしかないとしても——がすでに所有されているからだ。始まりはただたんに〈存在する〉だけではない。それは自分自身への回帰のなかでみずからを所有する。行為の運動は存在すると同時にみずからを所有するのだ。」
[ibid.]

June 10, 2008

今日の美術批評について。

 「自己責任に基づく趣味判断」と云うものについてを簡便に触れておく。
 「趣味判断」の形式は、対象がなぜ美しいかと云う理由にでは無く、それについて「美しい」と言い得る為の純粋に主観的な証示に基づいている。だが仮に、そのような"証示"を自らの責任において"証明する"と云うような、過度の主体性の現れが日本における現代美術が現在置かれている状況の根幹を成す価値観であるとすれば? この「過剰な主体」が作品の枠付けに対して積極的に参与することから、観者が作品との関わり合いの裡に保有していた戯れの余地すらもが作品の内部に枠付けされ、作品への言明が鑑賞という行為に代替される事により、即ち批評における「失語」の症候がひきおこされるのではないか、と私は予想している。

June 9, 2008

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 なぜ最近の人々は、目の前に起こる事件を携帯電話によって記録し、即座に他人へと伝達し、共有しようとするのか? この一連の行為により、出来事との直接性は曖昧な間接話法へとすり替えられてはいないだろうか。つまり、人々が今まさに眼前で繰り広げられる余りにも悲惨な——それ故に言葉にすることが出来ない——事件に遭遇した際に、その場から少しだけ離れて己の身の安全を確保し、携帯電話の画面越しにカメラのズームで事件へと肉薄する時、彼(女)らは少し前に自らが占めていた位置を仮想的に取り戻す事で、自身が巻き込まれていた"筈"の事件を傍観しているのではないだろうか? だが実際には、当の事件は今でもまだ継続している。これからまだ何が起こるかも分からずに、彼(女)らは事件に対する迂闊な距離感に釘付けにされている——言うなれば、事件それ自体からはすっかり逃げ仰せた気でいるのである。その結果として、彼(女)らは事件に対する適切な隔てを確保する事も忘れ、現場から余りに近い位置を占めている。本来このような位置取りは職業カメラマンたちの職能であったが、今ではその役割を我々が代理している——この事は最早周知の事実である。このようにして私的なアマチュア・カメラマンたちは次第に公的な生活を排除する使命感を全うしているようにも思える。ところで、彼(女)らはそのように高度な専門性を代理するに足るような技能を備えているだろうか? というのが、私がそもそも抱く直裁な疑問である。彼(女)らは、当該の事件に対しては最早カメラのシャッタを切る事が精一杯の行為であったし、このようにして得られた記録(写真)には彼(女)ら自身の考察が一切付け加えられぬまま、ただ単にその事件に対する追憶から成る無限の反復作用がデジタルなデータのコピーという行為に転嫁されているに過ぎないようにも見えるからだ。換言すれば、彼(女)らがこのような一連の操作により期待するのは、自身が考察を保留した体験を記録へと置き換えインターネット上に投棄することで、その体験が他者の言葉により肉化する"可能性"を得る事であると言えるのではないだろうか。だが、この時点ではまだ共同体内においては何も共有されていない。とはいえ、一度インターネット上に投棄されたデジタル・データを完全に消去する事が不可能であるという復元の潜在性は、日常生活においては充分にリアルである。つまり、このようなインターネットの備える潜在性の強度こそが、彼(女)らの失語を回復し、便宜的に出来事との直接性を維持する為の理由である。我々は事件の記録のコピーを所有してはいるが、その内容は余りに惨たらしく、それについてを言及することが出来ない、というような後々までの保留も含めて、彼(女)らは当該の事件に今まさに対峙している。彼(女)らの事件に対する距離感の微妙さは、傍目には現実世界への鋭く柔軟な振る舞いにも見えて、実のところは彼(女)ら自身がまだ充分にその事件を理解出来ないが為に生じる機械的な復帰に伴う強張りが具体的に現れたものなのである。であれば彼(女)らは、自身が今どの場所を占めていることを知っているのだろうか? これらの事柄は紛れも無く冗談染みた形式である。例えばコピー・データを持ち歩く彼(女)らに、空の冠を頭に載せたホカヒビトの姿を重ねてみるというのはどうだろう。

June 8, 2008

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 今日は目覚めの瞬間からして鬱屈としていた。最早何をする気にもならないと云った具合であったし、——気力さえ許せば——その侭、酒を呑んで直ぐにでも泥酔し、今日の一日をすっかりやり過ごして了いたいような気分になった。私の周囲に居る短絡者達のことを考えると、それだけでまた随分と気が滅入った。昨日購入した大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を読み、Benjamin, W.『陶酔論(Über haschisch)』を読んだ。それから自転車に乗り近所の市立図書館へ行く。そこで
Derrida, J.『マルクスの亡霊たち——負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル(Spectres de Marx: L'etat de la dette, le travail du deuil et la nouvelle Internationale)』(1993年)、
Nancy, J.-L.『イメージの奥底で(Au fond des images)』(2003年)、
Levinas, E.『実存から実存者へ(De l'existence a l' existant)』(1984年)、
同『他性と超越(Altérité et transcendance)』(1995年)、
これらを借りた。

 先程の秋葉原での出来事は、人々に嬉々とした話題を提供し、さらには彼(女)らの大衆的なるものへの帰属意識をくすぐりさえした。近間で起きた他人事を見遣っては、そこからどれだけ自分が近い位置に居たのかを皆銘々に喧伝し合っている。子供が崖の縁迄歩み寄って、そこからきゃっきゃとはしゃぎながら戻って来る様子にも似ている。皆この出来事を自分の身の丈に宛てがい口々に安堵の言葉を擦り合っている。最早、そこでの倫理観とはこのような馴れ合いが為の飾りに過ぎない。私はこの種の親密さの醸成に対しては嫌悪感を覚えるのだ。皆銘々に、この出来事についての事実を知り得る限り述べ尽くした後、最後に自らの感想を付け加えるのであるが、その際に彼(女)らが口にする「私」に四人称的な振る舞いがある、それが為に「私」と「私たち」に因る共同体の形成と個人主義的な主観への偏重とが同時に伴っているのである。言うなれば客観が主観に於いて代理され、全く欠け落ちている状態がこれである。そしてこのように了解を起因とした共同体に於いて為される死者(他者)の記述が、一体どれ程に生活の実感を与えてくれると云うのだろうか? ——そのような考えも浮かばない訳では無かった。私は、明らかに他人の不快を楽しんでいたのだが、そのように無根拠な不快感に対して、私は全き不感覚であリ続けている。

June 7, 2008

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 今日は何をすることも思い付かなかったので、一通りの家事を済ませた後は、家の中で本を読み、今週に放映されたアニメを何本か観た。天気が良かったので自転車を整備し、それに乗って近所の古書量販店へ行った。
葛飾北斎『富嶽三十六景』、
歌川広重『東海道五十三次』、
歌川広重/渓斎英泉『木曾海道六十九次』、
これらの画集を見付け、参考資料として購入した。『富嶽三十六景』を全て通して見るのは久し振りで、とても懐かしい思いがした。他に、
大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
も併せて購入した。

 今夜はとても静かで、窓を開け放つと冷ややかな風が舞い込んで来る他にはしんとして、周囲に在る一切の空気が深く押し黙った侭で居る。平素は賑やかな隣人も今だけは唖なのだ。時たまに、向こうの山の端を風が撫で付けて樹々の葉の先端を鳴らす風切りの音が、そのさらに向こう側に在る路上の気配を連れて来る。エンジンやクラクソンの音に混じって、子供らの声、下水管を流れる水の音、ビデオデッキが発する高周波音が聞こえて来る。やがて、テレビの音や、笑い声、犬の足摺る音も聞こえて来る。それらは散々に私の耳元で戦慄き、大音響の騒音と成った後に、耳鳴りでもするかのように頭上で響き渡り、そして再び静まり返った。

June 5, 2008

戸谷森『it's about that time』展

昨日の晴天から、
打って変わって今日は曇天の雨。
気分は晴れ無いね。

渋谷へと行き用事を済ませて
折角だからと思い立ち銀座線に乗り外苑前へ、
戸谷森『it's about that time』展を観に
トキ・アートスペースへと足を向ける。

前回の秋山画廊での個展からそう日が経つ訳でも無い。
が、彼に会うのは何とも久々だと云う感じがした。
以前に会ったときよりも頭髪が伸びていて、
まるで彼の父親に瓜二つな印象を覚えた事に内心笑い声を上げていた。

この日は作品撮影の日であったらしく、
又、生憎の雨であるにも関わらず来客がひっきりなしに
入れ替わり立ち替わりしていた為に、
今回は彼とゆっくり話す事は出来そうに無いようだった。

 この時に展示されていたのは幾らかレリーフ的な匂いのする平面作品だった。奥行きの平板な雪原の風景を背景として、細々とした枝振りが画面の全体を覆っている。前者は艶の引いた、色彩の浅い平面であり、後者は絵具に艶を持たせた、観者の興味を惹く質感により描かれた平面である。この枝振りは絵画面から突出しているように見える——言わば"レリーフ状"の表象を提供している。一般的に絵画は、絵画面から奥行き方向に空間を表象する。他方、レリーフは基底面からの突出により、絵画的な奥行き方向の空間表象を成立させている。今回の彼の作品については、絵具に依る絵画的表現ではあるが、奥行き方向の空間表象よりも寧ろ絵画面から突出した空間表象の方が強いから、これはイリュージョン的な作品だと言える。初見では、この点が今回の作品に於いては余り上手く機能していないのではないか、と感じた。が、この少々トリッキーな視覚操作に、私は寧ろ興味を覚えた——なぜ彼はそのような手段を取ったのか?
 
 その為には、端的に先ず、展名『it's about that time』に於ける "time" の含める意味についてを彼に尋ねない訳にはいかないだろう。それを問うと、彼は即座に「お化け」と返した。そして、雪の降った森を見ていると——この話は、彼の今年2月の体験に遡るのであるが——光が余りにも強いが為に、足下に在る雪と遥か遠くに在る雪とが殆ど同じ白さに見える。言うなれば距離感を喪失したかのような体験に陥る。が、とは云え樹々の黒々としたシルエットの並びからは確かに遠近法的な奥行きの表象も理解されている。すると、頭の中では現実的な空間を把捉してはいるものの、それとは別に、奥行きの消失した仮想の垂直平面が立ち現れてもいる——これは絵画的な鑑賞経験の逆である——から、即ち「目眩」にでも陥ったかのような空間認識の宙吊りを経験するのである。彼に依れば、このような認識の空隙にその「お化け」は棲まうのだという。

 であれば——私は彼の注釈からこの疑問を発意した——、なぜ森の樹々の根元を描かずに、その枝振りのみを全面展開したのか。絵画的な空間表象とイリュージョンとの対比がこの作品には必要だったのではないだろうか? 加えて空間認識を宙吊りにする雪原の効果であるが、背景には平板で不透明性の高い強固な塗面が必要だったのではないか——特に後者の点に就いては、彼元来の彫刻的な感覚に由来するレリーフへの興味の上での昇華を期待して了うのだ。

兎角、その場では彼とゆっくり作品についてを話し合う事が出来なかった。
次の機会を7月に約束して、私は画廊を後にした。

帰りしな渋谷までの道程を歩き、
その途中に在る古書店に立ち寄り
日本古典文学大系『歌論集 能楽論集』(岩波書店、1961年)
を購入した。

June 2, 2008

快快『Chotto Dake YOn〜♥』

 快快『Chotto Dake YOn〜♥』も今日でやっと終わる。
 この公演に絡み色々な波乱事も有ったものだから、バラしが済んだ後には気疲れからくるような倦怠感が残った。