December 31, 2009

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郷里を自転車で以て走り回る。
何が潰れて消え去り、又何が新たに立ち上がったのか、それを見聞することが帰郷する毎に私がする習慣事となっている。
途中、中古本量販店を2件ばかり回り、
大江健三郎『いかに木を殺すか』(文藝春秋、1984年)、
手塚治虫『七色いんこ』(Bd. 1, 4、秋田書店)[傑作選集版]、
青柳裕介『土佐の一本釣り』(Bd. 6, 10、小学館)[スーパービジュアル・コミックス版]、
これらを購入した。

December 30, 2009

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鈍行を乗り継いで故郷へと帰る。
渋谷→上野→大宮→小山→宇都宮→野崎・西那須野

December 29, 2009

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元住吉に在る書店にて、
大江健三郎『水死』(講談社、2009年)、
を購入した。
それから駅前のカッフェーの2階で、買った本を読みながら具合の良い時間まで過ごした。
直ぐ隣に座る二人組の中年女性らの話し声が耳につく。
それは声質と話題によるものだったが、年甲斐も無く命運の強固さに結論を見出だして、納得し合っていたのが不快であり滑稽だった。
電車に乗り渋谷へ、井の頭線に乗り換えて下北沢へ。
火曜会へ向かう途中に在る古書店にて、
新庄嘉章訳『未完の告白』(新潮社、1952年)[=Gide, A. "Geneviève" 1936.]、
和田清・石原道博編訳『舊唐書倭國日本傅・宋史日本傅・元史日本傅』(岩波書店、1956年)、
若林真訳『C神父』(二見書房、1971年)[=Bataille, G. "L'Aabbé C." 1950.]、
スヴェーデンボルイ原典翻訳委員会訳『天界と地獄』(アルカナ出版、1975年)[=Swedenborg, E. "De Caelo et Ejus Mirabolibus et de Inferno" 1758.]、
金子光晴・斉藤正二・中村徳泰訳『ランボー全集』(雪華社、1970年)、
これらを購入した。
魚真が満席だった為、火曜会はその近くの虎龍で行われた。

December 26, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、
"grand theft auto IV"(XBOX360, Rockstar Games/CAPCOM, 2008.)、
を購入した。

December 23, 2009

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この日は少し遅めに、昼を過ぎたくらいに目覚めた。
この日は晴れていた。
元住吉から大手町へと行き、江戸城跡へ向かうもこの日は一般参賀の有る為に入園出来なかった。
(思えばこの日は天皇誕生日の祝日なのだ)
仕方無し、と濠沿いに歩き竹橋へ、北の丸公園を抜けて九段、靖国神社を通り、市ヶ谷へ。
カッフェに入り暫く本を読む。
それから綱島に在る中古本屋へ行き、
『フラゴナール展』(読売新聞社、1980年)[図録: 国立西洋美術館]、
『ゴヤ展』(毎日新聞社、1971年)[図録: 国立西洋美術館]、
『世界の大都市 モスクワ』(タイム ライフ ブックス、1978年)、
これらを購入した。

December 20, 2009

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六本木に在る森美術館へ行き、『医学と芸術展』を観る。
私は当初、この企画展を象徴するものはレオナルドの解剖図なのだと想像していた。
言うなれば芸術的観点からの解剖学的なアプローチに依る神学——制作物である作品を神の創造と並行させる為の試み、という態度である。
それは、第二室までの資料的な含みのある展示構成に於いて期待された。が、グロテスク(これは現代に於いて日常的に用いられるような意味合いで)の峻別を鑑賞者に対して喚起するような但し書きのある小部屋を経て、一転する。
例えばグロテスクな形態に対しての、企画者の個人的なフェティッシュに因る興味が表れることで、ここには「驚異の部屋」が現前している。折に触れて感じることであるが、この美術館の企画展それぞれに通底する見世物小屋的な、雑多性が見て取れるのだ。
とは云えこの雑多性が、今回の展示に於いては観覧者にとっての程よいヴォリューム感を生んでいたことは確からしい。転じて、豚骨醤油味のラーメンを食べた後のような気分である。
それから、バスで渋谷へと移動し中古本屋へと歩く。
鳥山明『鳥山明○作劇場 Vol. 3』、
手塚治虫『ネオ・ファウスト』、
を購入した。

December 14, 2009

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大戦期の国体保持に於いては"客観的な集団の総体"であるが、現代日本に於ける大衆的国家意識では"主観に拠る集団についての代弁"となる。つまり主観的なものが客体を代表するか、主観が客観的なものを経ることで客体化するかの違いがある。

December 13, 2009

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飯田橋に在るモロッコ料理屋へと行き、Aとその友人との3人で歓談した。
この友人——彼女は昨日、米国より帰国したばかりであるが、先日出会った、もう一人のAの友人はそれと入れ替わるように米国へと帰ってしまった。5匹のペキニーズを連れて。
私たちのテーブルの隣には、仏語を喋る3人が居て、どうやら"アネハ"だの"イチカワ"だのの話題で盛り上がっているらしかった。が、私は仏語を解さないから。
——飯田橋からは、元住吉まで南北線一本で通じている。飯田橋駅の近くに在る中古本量販店にて、
富樫義博『レベルE』(Bd. 1, 3)、
北条司『シティーハンター』(Bd. 29, 31, 32)、
を購入した。

December 12, 2009

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渋谷へ行き、同僚のDさんと待ち合わせた。
TOWER RECORDS にて、
"Musica Futurista : The Art of Noises"、
"TORU TAKEMITSU : November Steps, etc."[指揮 若杉弘、演奏 東京都交響楽団、1991年]、
Steve Reich "Octet / Music for a Large Ensemble / Violin Phase"、
を購入した。
東急ハンズにて、先日手に入れた机を修理する為の材料を購入した。
それから、同じく渋谷に在る中古本量販店にて、
北条司『シティーハンター』(Bd. 21-28, 30)、
を購入した。

December 9, 2009

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都立大前にあるGIANT直営店へ行き、どの自転車を購入しようか、
あれやこれと店員に尋ねて、何台かに跨がったりして、
徐々に食指のうごめくような心持ちにしていった。
(私は静かに商品を眺めたい性分なので、入店後3分以内に店員から呼び止められるようなことは好かない。かと云って、誰も居ない店で静かに商品を只々手に取って眺めているのも、盗人になったような後ろめたさが芽生えるようで好かない)
それから自由が丘に在る中古本屋へ行き、
北条司『シティーハンター』(Bd. 33-35)、
を購入した。

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日吉駅に在る書店にて、
松島正一編『対訳 ブレイク詩集——イギリス詩人選(4)』(岩波書店、2004年)、
小寺昭次郎・野村修訳『ベンヤミン 子どものための文化史』(平凡社、2008年)[=Benjamin, W. "Walter Benjamin, Aufklärung für Kinder. Rundfunkvorträge" Hrsg. v. R. Tiedemann. Fft a/M, 1985.]、
を購入した。

December 7, 2009

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パップコーン『越える人』(@グリーン・シアター)を観る為に池袋へ行く。
開演までの時間に中古本販売店へ立ち寄り、
北条司『シティーハンター』(Bd. 15-20)、
を購入する。
観劇後に打ち上げに混じる。

December 5, 2009

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
幸村誠『ヴィンランド・サガ』(Bd. 1, 2)、
鈴木由美子『アンナさんのおまめ』(Bd. 1-6)、
北条司『シティーハンター』(Bd. 1-15)、
サトウ・ユウ『独立戦隊黄泉』、
滝沢聖峰『蒼空の咆哮』、
同『碧の弧狼』、
これらを購入した。

#
 仕事の調子に一節が就いて、近頃では「一週間」と云う時間の長さが以前と比べて変じたようである。何だか長くなったように感じられる。一日‥が間延びでもして、それは余裕が生まれてきたからなのだが。とは云え、一週間を総じて振り返ってみれば、また一日‥は少々短かったようにも思われる。詰まり、前方に依っては長く、逆に後方に於いては短く——転じて、コンクリート護岸された河川は、晴れの日では申し訳程度に水が河底を撫でるかばかりで、魚が泳ぎ鳥が憩う、穏やかなものであるし。ところが一転して豪雨ともなれば忽ちに水位は上昇して魚も鳥の姿も跡形無く。奔流は泥水色であり静かに‥下流を目指すばかりの不屈な質量に変化する。この変容の過程は人知れず、気付けば起こっている。逆方の推移であれ同様だ。何時の間にかこの種の河川の様相はぎょっとする程に変じているのである。それ故に私はどの様にしてこの河川の水が透明から泥水色へと濁るのか、魚や鳥はどのようにして逃げ去ったのか、水位はいつの間に増したのか、流れが質量を備え始めるのは何時なのか、まるで知らないで居るのだ——と云う様な事柄とも同様に、私の「一週間」と云う時間単位は、点で長かったりや短かったりと、捉える所を知らぬと云った具合に、記憶の暗々裡に思い違いの奇妙さで変幻して了ったのだった。

December 4, 2009

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近所に在るレンタルビデオ屋にて、
古沢憲吾『ニッポン無責任野郎』(東宝, 1962.)、
同『日本一のゴリガン男』(東宝, 1966.)、
ツァイ・ミンリャン『楽日』、
これらを借りた。

December 2, 2009

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退社後に自由が丘に在る中古本屋へと行き、
"MIRROR'S EDGE"(XBOX360, EA, 2008.)、
を購入した。

November 30, 2009

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日吉に在る中古本屋にて、
徳弘正也『ジャングルの王者ターちゃん』(Bd. 1-7)、
を購入した。

November 29, 2009

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Aと新宿へ行き、同僚の米国人Dさんと待ち合わせて二丁目のバーで呑む。
それから新大久保のタイ料理屋へと移動し、Dさんの伴侶も合流して4人で歓談する。
今週は何かと理由が有って酒ばかり呑んでいた。

November 28, 2009

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Tokyo Filmexへ行った。
朝日ホール。
それから渋谷の魚真へ行きAと呑んだ。

November 27, 2009

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同僚のWtnさんの昇級祝いの為、日吉で呑んだ。

November 26, 2009

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近所の中古品販売店にて"PRINCE of PERSIA"(XBOX360, Ubisoft, 2008.)を購入した。
それから近所のコンヴィニーで、
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(Bd. 23)、
を購入した。

November 25, 2009

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退社後に新横浜へと向かった。高校生時代の先輩Yさんと会う。

November 24, 2009

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職場の壮行会の為、日吉で呑んだ。

November 23, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、"The Orange Box 【日本語版】"(XBOX360, EA, 2008.)を購入した。
それから東京大学本郷校舎へと足を伸ばし、御茶ノ水までを歩いた。
本郷の銀杏は思った程色付いてはいなかった。

November 21, 2009

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秋葉原へ行き、三菱製の液晶ディスプレイ(RDT231WM)と XBOX360 Elite を購入した。
ヴァリユーパックのため、"ACE COMBAT 6 : 解放への戦火"(NAMCO, 2007.)と"LOST PLANET : COLONIES"(CAPCOM, 2008.)が付属している。
近所の中古品販売店にて"ARMORED CORE : for Answer"(XBOX360, FROM SOFTWARE, 2009.)を購入した。

November 20, 2009

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日吉に在る中古本屋にて、
水木しげる『猫楠』、
を購入した。

November 15, 2009

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初台にあるICCにて『コープ・ヒンメルブラウ 回帰する未来』展を観た後、淳久堂へと行き、
関口浩『技術への問い』(平凡社、2009年)[=Heidegger, M. "Vorträge und Aufsätze" 1954.]、
合田正人・荒金直人訳『フッサール哲学における発生の問題』(みすず書房、2007年)[Derrida, J. "Le Probème de la Genèse dans la Philosophie de Husserl" 1990.]、
を購入した。
それから、二丁目でビールを強か呑み、帰宅した。

November 13, 2009

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この日は午前休を取り、精密検査の診断結果を聞く為に近所の総合病院へと向かった。
その結果は「心配ないから気にするな」だった。
随分とあっさりした応えだったものだから、呆気にとられ二の句に詰まった。
だが、あれだけ。何やかやと検査をし、その上で何も不調が無いというのは信じ難い。
寧ろあれだけの検査をしても尚、健康である、というお墨付きをうけたような気分であっても良さそうなものであるが、然しそのような心持ちには到底成り得ない。
せめて、——なるべくならば軽度の——不調でも見付かれば易々と腑に落ちるのだろうに。
元住吉の線路沿いにある中古本屋にて、
森博嗣『クレィドゥ・ザ・スカイ』(中央公論新社、2008年)、
それから、元住吉の別の中古本屋にて、
島田雅彦『エトロフの恋』(新潮社、2007年)、
志賀直哉『小僧の神様 他十篇』(岩波書店、1928年)、
同『清兵衛と瓢簞・網走まで』(新潮社、2007年)、
を購入した。

November 12, 2009

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 525, Dec., 2009.)、
を購入した。

November 11, 2009

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元住吉の線路沿いにある中古本屋にて、
大友克洋『AKIRA』(Bd. 1-6)、
を購入した。
Bd. 1-3、6が重複した。

November 8, 2009

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Aと秋葉原へ行き、Audio-technica 製のヘッドフォーンを購入した。
それから御茶ノ水、神保町へと歩き夕食を済ませたあと、竹橋から北の丸公園を抜けて九段下へと歩き、Aとはそこで別れた。

November 5, 2009

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井田病院→日吉本町BOOKOFF
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 32)、
→綱島BOOKOFF
山田芳裕『デカスロン』(Bd. 10, 12, 13, 18)、
→コジマ電気でDVDプレイヤ購入→元住吉幸楽苑

November 4, 2009

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
大友克洋『AKIRA』(Bd. 6)、
を購入した。

November 3, 2009

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自由が丘に在る中古本屋にて、
山田芳裕『デカスロン』(Bd. 8, 9)、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 25)、
を購入する。
それから多摩美術大学上野毛校舎での "Sound Meeting" に顔を出す。
段取りが最悪で、目を覆う。
渋谷、Tower Records へ行き、
Jim O'rourke "the visiter"(2009.)、
"Ritual Music of the Tibetan Monks for Meditation"(Retro, Italia, 2007.)、
を購入する。

#
どうだろう? 私はずっと、もっとずっと鬱憤が溜まっているのかもしれない。それは国外へ向けてのものである。私がいま手にしているもの——オランダ語の冊子、ドイツ語のフライヤー、ロシア語のフリーペーパー、中国語の詩集。それと、今日は埴谷雄高の小説を読んだ。が、物事を私は、是が非でも綯い交ぜにして、兎角いま居るこの国からは少しだけ離れて(タイやベトナムから眺めるようにして)、何か傍観染みた意識を連れていたいのだと、そのような切迫が近頃、目に見えて明らかに表れてきた。だが、私には何の取り柄でもあると云うのか? 私は旅行者にだけは成りたく無い。兼ねてから私は、自身が日本人であることが疑わしいのだけれど。かと云って何国人で有るかと問われたなら、それは不分明の侭であるが——言うなれば単に「アジア人」と云う感じがする。もう兼ねてから長い間外国で生活を続けている、かのような違和感はついぞ止む事が無いのだ。

November 2, 2009

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日吉から元住吉へ向かう途中に在る中古本屋にて、
山田芳裕『デカスロン』(Bd. 1-7)、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 17, 26)、
浦沢直樹『マスター・キートン』(Bd. 1)、
これらを購入した。

急に冬になった。

October 29, 2009

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日吉に在る中古本屋にて、
『唐詩三百首』(上海古籍出版社、1999年)、
を購入した。
日吉から元住吉へ向かう途中に在る中古本屋にて、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 15, 16, 31)、
を購入した。
元住吉に在る書店にて、
石黒正数『それでも町は廻っている』(Bd. 6)、
を購入した。
幸楽苑で中華そば大盛りを食べた。
近所に住むTmzさんが遊びに(漫画を読みに)来た。

October 28, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、
手塚治虫『ブッダ』(Bd. 1-3)[単行本、ハードカバー]、
を購入した。

October 27, 2009

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健康診断の結果が思わしくなく、心臓に疾患の有るようなので、精密検査を受ける為に近所の総合病院へと向かった。
一旦、家の前の坂を下り、右に折れて今度は坂を登る。この上り坂はどうにも古臭く埃を被ったような雰囲気が有って、中々気に入っている。家々が山の斜面に潜り込むように、その脇に至るところ細い雑多な造りの階段が分け入って伸びているのが面白い。
目指す病院は風通しの良い高台に在る。何でも、昔は結核の治療所だったようだ、というのは喫煙所で煙草を飲みながら職場の人より聞き知った話。
古めかしい総合病院と云うものは——きっと誰もが口にするに違いない、まるでカフカの「城」なのだ、と。
病院の内部はとにかく煩雑な感じがする。あちこちに何かを案内する為の表示があるが、それが為により一層、謎めいた・独特の文化を現しているようにも感じられる。
(渋谷のNHKが丁度似た印象を抱かせる)
そう、もうここは世知とは異なる法律を持った、別の国家なのである。
あちらこちら、そんな何かに向かって待機しているような住人たちを見続けていると、私のあちこちまでが序々に病に蝕まれていくように思える。おそらく「自分こそ健康なのだ」と云うような信念を抱く人間ほどこのような他人の不健康に対して一層嫌悪を感じるだろう。
さて、受付から初診の診察室へ、担当医の女性が色白の柔肌で一重瞼、顔や手にほくろの多いのが大変に可愛らしかった。
私が彼女にあちこち念入りに弄られた後、レントゲン撮影、心電図検査を経て再び診察室へ戻る。と、今度は威厳に溢れる年配の男性医が出迎えてくれた。
ライトボックスには私を写したレントゲン写真、「きみの心臓はかたちがおかしいね」、この男性医は言う。
(心電図検査室に居た、地黒で二重瞼の、眼鏡を掛けた看護士の女性も可愛らしかったような気がする、などと思い返していた)
先ほどの愛らしい女性医は、まるで教師に付き従う生徒のかように、恭しく彼の男性医の隣で控え目にしている。
「ほら」と彼が言うので、私がこのレントゲン写真を見遣ると、「確かに私の心臓のかたちは奇妙で、変形しているのだ」。
左心房のあたりが肥大している影が分かる。
正常と云われる心臓、人体解剖図で目にするような心臓のかたちは下膨れの球体形であるが、私の心臓は傾げた楕円球のようなかたちをしている。
だがまあ、こんなひしゃげた心臓になっても、私はなんとかこの身体と折り合いを付けていくものさ、とも考えた。
つまり目の前のレントゲン写真が示している事実を私は余り気に留めなかった。
とは云え面と向かって「医者」と呼ばれる人間に、自分の心臓を散々に"変"呼ばわりされ続けると、何ともなしに、遂には自信が無くなってしまうものである。
依って精密検査とやらはまだ続くことになった。来週のCTとエコーの予約をしてから、尿検査と採血へ——あの忌まわしい苦痛、採血!
会計を済ませる為に財布を手にしながら、病院のレジスターの前でもう、私はすっかりうんざりな気分になっていた。
また件の古めかしい坂を下りながら、かすかに心臓のあたりが滞るような、胸の上っ面のあたりに鈍痛を覚えて「ああ、すっかり騙されたな」とも考えた。家の前の再び上り坂では、歩きながら更に息苦しい感じがしたのだ。

October 26, 2009

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日吉駅に在る書店にて、
いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 11)、
を購入した。

October 25, 2009

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この日は上野へ行き、『聖地チベット——ポタラ宮と天空の至宝』展(上野の森美術館)を観る。
企画展図録『聖地チベット——ポタラ宮と天空の至宝』、
『チベットの宗教舞踊——ツェチュのチャム』[DVD, Hi8, Color, 96min.]、
を購入した。
美術館へ向かう途中、上野駅前の古書店に立ち寄り、
大江健三郎『ピンチランナー調書』(新潮社、1976年)、
『フリードリッヒとその周辺』(日本経済新聞社、1978年)[図録:東京国立近代美術館]、
を購入した。

October 24, 2009

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元住吉の線路沿いに在る中古本屋にて、
藤子不二雄『超兵器ガ壱號』(1982年)、
を購入した。

October 21, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、
手塚治虫『ブッダ』(Bd. 4-7)[単行本、ソフトカバー]、
を購入した。

October 19, 2009

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日吉に在る中古本屋にて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 23)、
小林源文『炎の騎士』、
同『タイム・トルーパー』、
同『鋼鉄の死神』、
を購入する。
それから、職場からの帰りしな元住吉の中古本屋にて、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 22, 27-30)、
田川水泡『のらくろ總攻撃』(講談社、1969年)[復刻版。原本は1937年]、
を購入した。

October 18, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 24-26)、
村松一人・竹内実訳『実践論・矛盾論』(岩波書店、1957年)[=毛沢東 "実践論", "矛盾論" 1937.]、
The Smith "The World Won't Listen" 1986.、
を購入した。

October 17, 2009

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昼過ぎに目覚め、元住吉の幸楽苑でラーメンセットを食べ綱島の中古本屋へ行き、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 17-22, 30, 31)、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 18-21, 23, 24)、
を購入した。
それから元住吉の中古本屋にて、
成大林『中国长城』(北京体育大学出版社、1994年)、
を購入した。
書斎に手持ちの40W蛍光灯を一本吊ったら、随分と居心地の良い明かりとなった。
気に入りの東芝製色評価用、Ra99の白色光と中華提灯の赤色とが馴染んで、淡い立体感が現われてくる。

October 16, 2009

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日吉に在る中古本屋にて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 28, 29)
なにわ小吉『王様はロバ 〜はったり帝国の逆襲〜』(Bd. 2)、
を購入した。

October 15, 2009

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日吉に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 524, Nov., 2009.)、
を購入した。

October 12, 2009

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元住吉に在る中古本屋にて、
井上義一訳『青い犬の目』(福武書店、1990年)[=Ma´rquez, G. "Ojos de perro azul" 1972. ほか]、
を購入した。

October 10, 2009

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今日は健康診断の為、昼過ぎに横浜へ行った。
尿検査でなかなか小便が出ず、苦心した。
採決の際に——私の血管は細いらしい——皮膚の下で腕に差込まれた採血針が血管を探って何度も抜き差しされるのをずっと見ていたら、動揺して気分が悪くなった。自分の皮膚の下に何が在るのかを直接見たことはまだ無い。痛覚は不随意の刺激である。血管を弄ぐる針の動きと断続的に鋭くなるその為の痛みとが、目で見ている限り滅多に噛み合うことがない。自分の肉体というものが奇妙に見える。
元住吉にある中古本屋にて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 1-6, 16)、
を購入した。

このところ面白いと思うものが新たに世に出てくることがない。
これは私が飽きっぽいからなのか、或いは世の中の面白いものが消え去ったのか。(又は、私の感度が鈍くなったのか。或いは私の感性が肥えたのか……)
私はここ暫く銀座にはそっぽを向いている。大したものが現れる匂いが無いし、暫くのあいだ立ち寄らなかったところで何も起こらないという確信があるから、見逃すものは何も無いと云う訳だ。(今や"現代美術"を扱うgalleryは至る場所に在るし、それらのどれも内容が似たり寄ったりで何の価値もない)
TVを見る習慣は無くなったし、radioを聞くことも減った。WSJとNTには相変わらず目を通すけれども、Google Newsと変わることが特に有る訳でも無く。世の中の流れは、表層では随分とあくせく流れているようでいて、実際には緩慢に何事も無く硬直している。と云うことに気が付くや、この引き攣れが笑いになる。噴飯ものの爆笑である。実に「何か変わった」と云う感じがするだけで、そんなものは錯誤だ。時間が経っていたに過ぎない。
気晴らしに古典と呼ばれているようなものを読み、聴き、観て、さて果たしてこれらを超える面白いものが、私の生きているあいだ新たに生み出されることがあるのだろうか、と。その結果は訝しいのではないか? 最新のものが最良であったことは無く、また最善であった時代も今や昔のことなのだ。知識だけ増え続けて教養の満たされないのが昨今の世代である。(私は増々過去の力に縋り付いてゆく)
創造力の有る人間なんて、もうとっくに誰かが喰い潰しているんじゃないかと、この頃そう思う。
(誰かが、新たな創造力を片っ端から食い潰しているんじゃないかと思う。その「誰か」というのは、多分「We」なのだ)

私が大学生の時にはいつもそのような調子だった。唯、森の中を歩いているだけで快楽だった。


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"See more glass, Mama!"(ママ、もっと鏡を見て!)
このところ面白いと思うものが新たに世に出てくることがない。
これは私が飽きっぽいからなのか、或いは世の中の面白いものが消え去ったのか。(又は、私の感度が鈍くなったか。或いは私の感性が肥えたのか……)
TVを見る習慣は無くなったし、radioを聞くことも減った。WSJとNTには相変わらず目を通すけれども、Google Newsと変わることが特に有る訳でも無く。世の中の流れは、表層では随分とあくせく流れているようでいて、実際には緩慢に何事も無く硬直している。と云うことに気が付くや、この引き攣れに誰もが笑う。噴飯ものの爆笑である。実に「何か変わった」と云う感じがするだけで、そんなものは錯誤だ。時間が経っていたに過ぎない。
気晴らしに古典と呼ばれているようなものを読み、聴き、観て、さて果たしてこれらを超える面白いものが、私の生きているあいだ新たに生み出されることがあるのだろうか、と。その結果は訝しいのではないか? 最新のものが最良であったことは無く、また最善であった時代も今や昔のことなのだ。知識だけ増え続けて教養の満たされないのが昨今の世代である。創造力の有る人間なんて、もうとっくに誰かが喰い潰しているんじゃないかと、近頃では思う。この「誰か」というのは、多分"We"なのだ。
("I"や"Me"は消滅してしまいました。"We"だけが残りました。ほかに名指すべき人称がもう有りません)

「今やすべてが輝かしい光の浸透するままになり、そしてわたしは無限の喜びにひたりながら、すべては現にあるのだ、すべてのものは現にあるのだと意識すると、とたんにもうそれ以外のことは考えられなくなってしまった。が、それと同時に、すべてのものはこれまでもあったのだが、それは今までとちがって、まったくちがって、恩寵の光に照らされ、繊細で壊れやすいものだったことも意識したのである。」
[Ionesco, E. "Journal en miettes" 1967.]

私が大学生の時には万事このような調子だった。唯、森の中を歩いているだけで快楽だった。誰もがこの「強い光」を多感な時代に体験する。何らの不思議も無い、今思えば——幾らか宗教的な体験だった、と云うだけのことである。ところで今の私には、このような快楽も、光に溢れた世界も、すっかり消え失せてしまった。意識が過去に向かう限り興奮する、というばかりだ。これから起こることも、また起こりつつあることも、全ては"繰り返されるようにして"現れる。私は「存在」と云うものに慣れきってしまって、老いの実感にも無頓着である。自分の今際を夢に見ても何も思わない。だが、あの「強い光」は幻で、感じ易い青年期特有の昂りなのか、と云うとそうでは無いと思う。それは霊感であり、既に経験としては分かりきっている。単にそれだけのことである。経験の鈍い人々だけが多くの感覚とともにこれを忘れ去ってしまうに過ぎない。

October 7, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
井上武彦『バガボンド』(Bd. 7-15)、
を購入した。

October 4, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
鳥山明『鳥山明○作劇場 Vol. 1』、
同『鳥山明○作劇場 Vol. 2』、
正岡子規『筆まかせ抄』(栗津則雄編、岩波書店、1985年)、
を購入した。
拾った椅子を補修した。

October 3, 2009

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自由が丘にある中古本屋にて、
手塚治虫『三つ目がとおる』(Bd. 2)、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 13)、
を購入した。

October 2, 2009

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日吉にある書店にて、
幸村誠『ヴィンランド・サガ』(Bd. 8)
沙村広明『シスタージェネレーター 沙村広明短編集』、
を購入した。

October 1, 2009

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職場からの帰り道に籐の安楽椅子を拾った。
日吉のコンヴィニーで
若杉公徳『デトロイト・メタル・シティー』(Bd. 8)、
を購入した。

September 30, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
内藤泰弘『トライガン・マキシマム』(Bd. 1-6)、
古谷実『僕といっしょ』(Bd. 1-4)、
を購入した。

September 27, 2009

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荻窪、吉祥寺を回り、代々木で友人(※Osmくん)のライブを観る。
行く先々で中古本屋へと寄り、漫画『BECK』数冊のほか、
大江健三郎『叫び声』(講談社、1970年)、
同『状況へ』(岩波書店、1974年)、
米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 4』(河出書房新社、1970年)[=収録:『死の家の記憶』、『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』]、
浅田彰監修『マルチメディア社会と変容する文化』(NTT出版、1997年)
これらを購入した。

"I"や"Me"は消滅してしまいました。"We"だけが残りました。ほかに名指すべき人称が(は)もう有りません。

「著述」というものが垂直性を備えるのは、それが完成され、強度を示す為であるが、他方で"著述の作為"は常に水平性の質を維持している。

September 26, 2009

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今日は、昼過ぎに駅前の商店街にある中古本屋を数件梯子し、漫画『BECK』を数冊購入してから、それをカッフェで読んだ。それが読み終わればまた次の中古本屋へ、という具合に。駅の辺りを何度となく往来した。『BECK』——一度は集めていて、後で友人に纏めて売り払ってしまったのが今更になって惜しくなり、再び買い直している。幸楽苑で醤油拉麺と半炒飯のセットを食べた。それで何となく満足した。
大江健三郎『キルプの軍団』(岩波書店、1988年)、
藤村昌昭訳『前日島』(文芸春秋、1999年)[=Eco, U. "L'isola del Giorno Prima" 1994.]、
松原健二監訳『「ヒットする」のゲームデザイン——ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン』(オライリー・ジャパン、2009年)[=Bateman, C./Boon, R. "21st Century Game Design" 2006.]、
これらを購入した。

September 25, 2009

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「きみが作りたいゲームとは何か?」と社長に訊かれ、ふと改めて考えたのだ。
私が作りたいゲームとは——、それは子供がプレイして率直にカッコイイと思えるもの、あわよくば「こんなゲームを作れる人になりたい」と思わせるゲームだ。
私は別に、例えば CERO Z のゲームを中学生がプレイすることそれ自体が問題だとは思わない。そこには彼らなりのスリルがあって、それ故に"Z指定であること"の意味が倍加するのだと考える。過激な表現があれば、そこに付随する意味の重さも変わるのだから。逆に問題であるのは、Z指定相当のコンテンツが平然と全年齢対象商品として流通することなのだと思う。だから寧ろ、私が作るゲームにおいては、その世界に尊厳のあることを求めたい。表現に込めた意味なるものがどれほどの重さを示すのかを試したいのだと思う。それ故に、私が作るべきゲームとは、子供に向かって、彼らに世界の在り方の可能性を一つ飛びで見せてやれるものであるべきなのだと、考えた。

September 20, 2009

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Aと横浜中華街へ行き、中国提灯、"电脑室"と書かれたプレートを手に入れる。
それから山下公園、大さん橋へ移動し、東京藝術大学向かいにある古書店にて、
草薙正夫訳『美と芸術の理論—カリアス書簡—』(岩波書店、1936年)[=Schiller, J. C. F. "Kallias. oder über die Schönheit" 25,Jan.,-28,Feb.,1793.]、
を購入した。

September 19, 2009

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Ykm君から本が届いた。
唐十郎『佐川君からの手紙——舞踏会の手帖』(河出書房新社、1983年)、
司修『夢は逆夢』(白水社、1990年)、
『ユリイカ』(青土社, No. 342, Jan., 1994.)[特集:ジョン・ケージ——拾得物としての音楽]、
松本百合子訳『肉体の悪魔』(アーティストハウス、1998年)[=Radiguet, R. "Le Diable au Corps" 1921.]、
『文學界』(文藝春秋社, Feb., 2009.)、
山川丙三郎訳『神曲』(上/中/下、岩波書店、1952-1958年)[=Dante, A. "La Divina Commedia" 1308-1321.]、
横光利一『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』(岩波書店、1981年)、
安部公房『カンガルー・ノート』(新潮社、1991年)、
阿部和重『シンセミア 下』(朝日新聞社、2003年)、
町田康『実録・外道の条件』(メディアファクトリー、2000年)、
町田康『東京飄然』(中央公論社、2005年)、
山下耕二訳『カルティエ』(光琳社、1997年)[=Tretiack, F. "Mémorie des marques Cartier" 1997.]、
『ブリジット・ライリー 1959年から1978年までの作品』(東京新聞、1980年)[=図録:東京国立近代美術館]
小松茂美『かな—その成立と変遷—』(岩波書店、1968年)、
窪川英水『英語から覚えるフランス語単語』(創拓社、1994年)、
和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波書店、1979年)、
永井均『〈子ども〉のための哲学』(講談社、1996年)、
竹田青嗣『現代思想の冒険』(筑摩書房、1992年)、
今村仁司編『現代思想を読む事典』(講談社、1988年)、
世阿弥『風姿花伝』(岩波書店、1958年)、
戸井田道三『能 神と乞食の芸術』(せりか書房、1972年)、
丸山圭三郎『ソシュールを読む』(岩波書店、1983年)、
丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社、1987年)、
丸山圭三郎『生命と過剰』(河出書房新社、1987年)、
丸山圭三郎『文化のフェティシズム』(勁草書房、1984年)、
廣松渉『科学の危機と認識論』(紀伊国屋書店、1973年)、
廣松渉『マルクス主義の地平』(勁草書房、1969年)、
野島秀勝訳『ハムレット』(岩波書店、2002年)[=Shakespeare "The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark" 1604/1623.]、
出淵敬子訳『ヴァージニア・ウルフ著作集 2 ジェイコブの部屋』(みすず書房1977年)、
外山弥生訳『ヴァージニア・ウルフ著作集 6 幕間』(みすず書房、1977年)、
神谷美恵子訳『ヴァージニア・ウルフ著作集 8 ある作家の日記』(みすず書房、1976年)、
滝口修造訳『芸術の意味』(みすず書房、1966年)[=Read, H. "The Meaning of Art" 1949.]、
斎藤栄治訳『ラオコオン—絵画と文学との限界について—』(岩波書店、1970年)[=Lessing, G. E. "Laokoon" 1766.]、
前田護郎編『世界の名著 12 聖書』(中央公論社、1968年)、
工藤精一郎訳『世界文学全集 17 罪と罰』(新潮社、1961年)、
以上35点。

September 18, 2009

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日吉にある中古本屋にて、
中村俊定校注『芭蕉七部集』(岩波書店、1966年)、
萩原恭男校注『芭蕉書簡集』(岩波書店、1976年)、
を購入した。

私の言葉は記述されるだろう。
皆が私の言葉を書き残すだろう。

September 15, 2009

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日吉駅にある書店にて、
『軍事研究』(No. 523, Oct., 2009.)、
を購入した。

September 12, 2009

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朝、蚊の羽音に悩まされて、暫くのあいだは彼とも格闘し、やがていじましく疲れてしまってまた寝入ったあと、それから再び目覚めたのは17時の鐘の音とともに、だった。どうやら随分と、土曜日の休日を寝過ごしたものだった。

’90年代以降の、日本人に典型的な症候として「ディアスポラ憧れ病(コムプレクス)」がある。これは度々、名称を違えて現われてくるものの、その大枠はついぞ変わらない(それゆえに"典型的"なのだが)。要は、自身の所属に対する倒錯した満足感があってのものらしいことが分かる。つまり、「私は、私自身の出自を有らん限り疑った上での、まさに今在るような私である訳だ。つまるところ私は、私という存在それ自体に大いなる疑問を抱いた一個体なのだ」という表明。記述するだに随分と壮大(否、尊大)な感じがするものだが、彼らがもし上手く喋れるものであれば、小差あれ大差なしと思う。換言すると、「私は私自身の存在について充分に疑うものなのだから、今ある私自身の在り方というものにも充分な正当性があるはずだ」という満足感。ひねくれた自己正当化の方式がここにはある。
 ディアスポラとはユダヤ人の振る舞いである。これに対して我ら"何となく日本人"は憧れてしまうのだ。というのも、日本で生活していく上では、とりたてて「私が日本人である」という強度のアイデンティファイを行う必要がないからだし、またTVなどのマスメディアを通じて、「世の中には実に様々な価値観がある、ということは格好善いね」と常々攻撃され続けてきたからだ。そういう人が海外に行き、またそういうライフスタイルが日常なのだという態度を示したがる。或いはそのような振る舞いに憧れる。彼らが海外を旅してその結果、「私は海外でも独力で充分に楽しんで生活することが出来たよ」ということだけが言いたい、実に旅というものを企てながらも日本での生活を延長してしまう怠惰が、声高らか(実際には抑制された口調で、充分に説得力を含ませるように)表明されることになる。
 ディアスポラであるユダヤ人が確固たるアイデンティファイを常々行わなければならないのはなぜか? (だが、行っている訳では無く、そのように見えるだけなのだろう)

September 5, 2009

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 「哭きたくとも、表立って咽び泣く訳にはいかない。それ故、虐げられたユダヤ人の如く、例えば舞踊に依って、音楽に潜めて、泣き笑う鷹揚さを発揮しなければならない。」という走り書きを見付けたのだが、これはいつ書いたものだろうか?

September 4, 2009

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 午前中は診療所へ行き、インフルエンザの検査をする。職場へは昼過ぎに出社する。体調は持ち直してきたかのようであるが、缶ビール1本がまだ応える。帰宅してから秋刀魚を捌いてブツにする。中々美味かった。ただ、包丁が鈍らであったために身の舌触りが芳しくなかった。

September 3, 2009

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 前日に引き続き、この日も夕方になると、徐々に体調を崩していった。

September 2, 2009

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 体調が著しく優れないものと思われたため、定時退社後にはすぐさま養生の必要となりそうなものを買い揃え、自宅での療養に励む。栄養の補給、熱い湯に浸かる、過度の睡眠、など。

August 30, 2009

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 この日は、北浦和にある埼玉県近代美術館へ行き、『長沢英俊展——オーロラの向かう所』を観る。思えば、氏の作品については1996年の水戸芸術館での展覧会図録を見るばかりだったから、ここぞと浮き足立つ歓びが感じられるのだ。ふと、M先生とT先生との対談が行われていることに気が付く。偶然にも。否、悦ばしきものは絶えず列を成して向こう側からやって来る。会談終了後に、久々に両氏とそれぞれ話をした。だが思いのほか気分は芳しくならかったのだ。そして海から陸へ上がったときのことを思い出した。雨がパラついていた。
 川越市立美術館、遠山記念館へは来週赴くことになるだろう。行きに湘南新宿ライン(宇都宮線直通)の下り電車に乗り、都心から郊外へ、やがて景色が閑散と透けていくのを見て、俄かに淡い恥を覚えたのは、このまま寝過ごしてしまえばいずれ郷里にも到達するのだという理解からである。帰宅路は京浜東北線を赤羽で乗り換えて再び湘南新宿ラインに、渋谷へと向かう。
 それから渋谷の TOWERRECORDS へ行き、
Shostakovich, D. "Symphony No. 7"(RCA/BMG, Toscanini, A., NBC Symphony Orchestra, Jul. 19. 1942, live.)、
Morzart, W. A. "K. 299/K. 297c/K. 447/K. 297b/Le Nozze di Figaro - Overture/K. 319/K. 543"(VЕНЕЦИЯ, Mravinsky, E., LenigradPhilhamonic Orchestra)、
Beethoven, L., "Piano Sonata No. 30-32"(SONY BMG, Gould, G., Jun. 28-29. 1956, Studio.)、
これらを購入した。
 雨は時折激しく降り、次第に小雨へと変じていった。

August 26, 2009

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元住吉の中古本屋にて、
漫☆画太郎『地獄甲子園』(Bd. 1-3、集英社、1996-1997年)、
を購入した。

August 23, 2009

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元住吉の中古本屋にて、
岩明均『寄生獣』(Bd. 1-10、講談社、1990-1995年)、
を購入した。

August 20, 2009

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See more glass, Mama!(ママ、もっと鏡を見て!)

 朝、揺すり起こされたような感じがして、何の気なしに目を覚ますと、自宅のすぐ前の路上でTVドラマのロケ撮影をやっていた。その怒号に叩き起こされたのだということが分かった。今だにTVなどという、くだらないものを見ている人間が幾らかいるのだということに驚いた。彼らは8時半から騒ぎ出し、9時きっかりにはいなくなった。

擦れ違いに出会ったと或る女性は、右肘の辺りに汗疹のような炎症を起こしていた。私もこの夏の湿度の為に皮膚を爛れていた。このような男女が肌を合わせるようなことがあれば、さぞ不快な感じがするだろう、と私は想像していた。彼女は何喰わぬ顔で私の直ぐ左脇を駆け抜けていった。

August 16, 2009

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帰京。
新宿、淳久堂にて、
齋藤磯雄訳『未來のイヴ』(創元社、1996年)[=L'isle-Adam, V. "L'éve Future" 1886.]、
岡谷公二訳『ロクス・ソルス』(筑摩書房、2004年)[=Roussel, R. "Locus Solus" 1914.]、
『軍事研究』(No. 522, Sep., 2009.)、
これらを購入した。

August 11, 2009

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 火曜会の為に下北沢へ行く。その会場の道すがらに在る古書店にて、
藤村昌昭訳『フーコーの振り子 上/下』(文芸春秋、1993年)[=Eco, U. "Il Pendolo di Foucault" 1988.]、
を購入した。
 会にてTzk君から『現代詩手帖』(思潮社、Aug.、 2009年)を貰った。

August 10, 2009

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 元住吉の書店にて、
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(Bd. 22)、
を購入した。

August 9, 2009

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 元住吉の書店に、
いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 10)、
を購入した。

August 7, 2009

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 "神と云うもの"の存在感が信仰心を以て乗り越えなければならぬ彼岸にあるのだとすれば、——この独自的な心情——或る他律的な理由に立脚する強度に対しての疑念とともに、我が身の裡に於いて例え"かりそめの神"としながらも、そのような性質の神を備えていることが凡例的な信仰心の姿とも対等ではないか、と考える。

July 29, 2009

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 元住吉の中古本屋にて、
伊藤潤二『道のない街』(朝日ソノラマ、1998年)[「伊藤潤二恐怖マンガCOLLECTION」Bd. 11.]、
を購入した。

July 25, 2009

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 六本木はミッドタウンにある 21_21 Design Sight へ、『骨』展の併設企画である菊地成孔氏のレクチャーを聞きに行く。名前こそよく聞けども彼の音楽をまともに聴いたことはない。勿論、生で見るのは初めてのことだ。上位倍音、差音・加音、リズムについて、ラモーの音楽理論概説を中心に。
 それから旧乃木邸の脇を抜け、乃木坂トンネルの上を歩き国立新美術館の前へ、それから脇道に逸れるようにして青山霊園内を散策する。幾つかの墓を詣でるも、手を合わせる途端に言葉が頭の中から消えていく、失語の感覚を常に味わうのだ。
 ゆっくりと、ビルの日陰を頼りながら渋谷方面へと歩く。青山学院大学の向かいに在る古書店にて、
野崎孝訳『フラニーとゾーイー』(新潮社、1976年)[=Salinger, J. D. "Franny and Zooey" 1961.]、
野崎孝・井上謙治訳『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア—序章—』(新潮社、1980年)[=Salinger, J. D. "Raise High the Roof Beam, Carpenters and Seymour: An Introduction" 1963.]、
天沢退二郎訳『青空』(晶文社、1968年)[=Bataille, G. "Le Bleu du Ciel" 1957.]、
これらを購入した。
 元住吉に戻り、暫く自宅での読書を楽しんだ後、近所の高台に在る公園へ行き、隅田川花火大会を見る。同時に二会場を見渡すことが出来るものの、音ばかりがして花火の殆どはビルの陰に隠れてしまう。時折、向こうの空が色鮮やかに数秒染まる。乙なものである。このような高みの見物は、「東京」という都市がスプロールしていく様をもまた、まじまじと見ることでさえある。会場の上空には数機のヘリコプターが滞空していたが、花火が終わると、やがてそれらはこちらへ向かって帰還していった。

July 23, 2009

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日吉駅に在る書店にて、
石川雅之『もやしもん』(Bd. 8)、
山田芳裕『へうげもの』(Bd. 9)、
これらを購入した。

July 22, 2009

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初めて日蝕を見た。

July 18, 2009

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 渋谷の TOWERRECORDS にて、
TORTOISE "Beacon on Ancestorship"(Thrilljockey, 2009.)、
を購入する。
 それから、大学院時代の友人たちと待ち合わせて酒を呑む。

July 16, 2009

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 私は、職場ではいつも音楽を聴きながら仕事をしている。アイディアーからルーチン・ワークへ、特に「タスク」をこなしているようなときには音楽が欠かせない。選曲に特には「コレ」というような基準がなく、寧ろ「音」であれば何でも良い、という場合もある。以前は "Seeq Pod" を頻用していたのだが、これが米著作権団体との係争の末にサービスが停止してしまったので、最近では "You Tube" のプレイリストを利用している。時たまに自宅からCDを持参して職場のPCに入れ込み、"iTunes"で聴くような場合もあれば、そのラジオ機能で WNCU の Jazz チャンネルを聴くこともある。私は朝、出社してからの1時間程は各種ニュースサイトをチェックする習慣を持っているが、いつも通り NYT と WSJ に目を通してから、"NHK Radio Online" で言語を取り替えながら暫く他国語の声を聞いているときもある(営為の耳慣らしか)。或いは、"NASA TV" を夕方の放送終了時刻まで垂れ流しにしているときもある。又は、果たせるかなここには職場での作業内容に対する"共鳴関係"の働き掛けもあるのだ。先ほどの「音であれば」という私の嗜好はこのような聴取習慣の雑多性において表れている。機能的には個人的な「記憶術」か。他方で私にはタスクをこなす最中にアイディアーの思考をする癖があり、並行する手順の流れが実に思考の雑多を統制する、というような経験則を持っている。だからこの場合の「音」とは、思考の混雑を筋道付ける「ノリ」であり「調子」であるだろう。「思い付き」の羅列がただ何ともなしに向きを揃えられただけのことで、直ちにこれらが強力な道具立てに仕上がっているということは往々にしてよくある。つまり「聴く」とはいえこの場合は「聞く」と記述した方が適切だろう。私は音を聴くことで常々思考の余地を残しておく、他律的な意識の流れを維持している。考えることを考えているような状態に在って、そこから導かれる結果とは散々なものだから、「考えるとはいえ、考え過ぎないようにしよう」。その一方で、「音を聴き過ぎないよう、あくまで聞くのだ」ということである。

July 15, 2009

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 職場からの帰りしな、日吉の書店にて、
『軍事研究』(No. 521, Aug., 2009.)、
港道隆訳『精神について』(平凡社、2009年)[=Derrida, J. "De l'esprit" 1987.]、
これらを購入し、さらに元住吉の中古本屋にて、
伊藤潤二『富江』(朝日ソノラマ、1997年)[「伊藤潤二恐怖マンガCOLLECTION」Bd. 1.]、
同『富江 PART 2』(朝日ソノラマ、1997年)[「伊藤潤二恐怖マンガCOLLECTION」Bd. 2.]、
を購入した。

(Ymm君より、貸していた Nord Lead 2 が返ってきた)



私は、父方の祖父の、あの顰め面しい顔付きを今でも覚えている。
私が大学進学の為に上京するまでは、盆の度に父の郷里に行くのが習慣であったから、この祖父とは積年の付き合いが有る。
その他方で、母方の祖父とは僅か4度ばかり顔を合わせただけにも関わらず、この祖父の商売人らしい人当たりから、私は彼との間に色々の話題を持ったような記憶が有る。
父方の祖父は漁師だった。その為に、彼の信条が自然との遣り取りにより形成されたからなのか、それが田舎らしい偏狭さに因るものなのか、私はこの祖父との遣り取りを酷く苦手にしていた。今思い返してみても、どのような言葉を交わしたのかさえ記憶の中に浮かび上がってはこない。幼い頃より、私にとっての彼は唯々畏れ敬うべき存在であった。(この意識の流れは、幼い頃に抱いていた父に対する印象にも似通ったものである)
そのような訳で、母方の祖父の気安さとは対照的に、父方の祖父とは実に気難しい人として在り続けていた。
私が大学在学中の折に先ず母方の祖父が死に、次いで父方の祖父が溢血の為に痴呆となった。余命はあと僅かばかりということで、母からは「もしもの場合に備えるように」と言付かっていた。この数ヶ月後に彼は死んだのだが——。
父方の祖父が溢血で倒れてから間もなくして、私は父に連れられこの祖父を見舞う機会を持った。
彼は病院のそれではなく、父の生家のベッドに縛り付けられていた。「唐桑御殿」とも称される、奥行きの深い古めかしい日本家屋に在って、畳の間の上に白い病院染みたパイプベッドと点滴のスタンドという取り合わせは、それまで抱いていたこの家に対する印象を裏切って異様であった。曾祖父も曾祖母も、晩年は和室の真ん中にでんと敷かれた布団の上に臥せっていたから、まるで思い掛けず見慣れぬものを目にしたような感覚である。


今朝見た夢。
地方の進学校らしい雰囲気の中に、突如として端正な美少女が転校してくる。
然も、早々の全国模試で彼女は一位をとってしまう。
幾ら進学校とはいえ、未だ「全国」という視座からは遠退いた平穏さに在って、彼女が突如として齎した「全国一位」という価値の余りの桁外れさに、一同沈黙ながらもひた隠しには出来ぬ騒然を共有することになる。
これまでの、自分たちが「進学校」というものに所属しているということからの田舎らしい優越感は尽く打ち砕かれる。
自分たちの学力というものが急に矮小化されたが為の卑屈が生じる。
とはいえ「全国」という、未だ知れぬモノサシの茫漠を前に、唯々うつらうつらと沈黙せざるを得ないのであった。

July 12, 2009

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蝉が鳴き始めた。

July 11, 2009

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 近所の高台に在る公園から都心方面を見遣ると、東京タワーのイルミネーションが青色に変わっていることに気付いた。何の変哲もない色なので、遠目には周囲のネオンに混じって直ぐにはそれと分からない、それも近くに寄れば"落ち着いた色"と見えるのかもしれないが。例えばスカイブルーと言われるような色味なら、夏の夜空に似合って良かったのに。
久々にラジオを付けて日中を過ごす。近頃、休日になれば家に籠って本を読んでばかりであったから、近隣の喧噪でもなく、閉鎖気味の環境へと新たな情報が次々流れ込んでくるのは新鮮だった。大衆歌というものの、一年振りに触れたとしても大して印象の変わらぬことに驚いた。聞き古した音の羅列であり、既に聞いた事が有ったかのような気さえする。見慣れたもの、聞き慣れたものに安心するのかもしれない。私がTV放送を見なくなって久しい。うんざりする程にその内容が下らないからだが。"ちょっとした何か"、そんなものが価値であり、"ほんのちょっと"生活上の変化について殊更注目してみる子供のような堪えの無さに、最早自分とは関係のない話題と思った。片や、インターネットの環境は復活させようかと思う。あれは自らの意志で、自らが"知るべき"情報を得ている、という感じがする。そんなところが殊更に大衆の自信と、能動的受動性(世間が何も変わらないことの確認)とを満足させるのだろう。結局のところ受動的なのに、何か積極的に"動き回っている"ような気にさせるからだ。
今朝、目覚めの際に見た夢は、新聞屋が集金に来る夢だった。それでか、目が覚めてみると何やら一か月は新聞を購読しているような気になり、郵便受けを改めてみたいような気がした。のみならず明日には集金に備えて代金を揃えておかなければならないような気もした。

July 7, 2009

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職場からの帰りしな、元住吉の古本屋にて
『マンガ夜話』(Vol. 5、キネマ旬報社、1999年)[特集:望月峯太郎『バタアシ金魚』/古谷実『行け!稲中卓球部』/士郎正宗『攻殻機動隊』]、
『電脳コイル アクセスガイドBOOK』(徳間書店、2007年)、
を購入した。

July 1, 2009

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近所のコンヴィニーにて、
浦沢直樹『PLUTO』(Bd. 8)、
を購入した。

June 30, 2009

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ピナ・バウシュが死んだ。68歳。

June 28, 2009

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 友人から映画へ行こうと誘われて渋谷へ行く。
 待ち合わせの時間までにはまだ余裕が有ったので TOWER RECORDS に立ち寄り "Heart of the Forest" を購入する。これは Baka Pygmies の固有な音楽集である。他、高木正勝の新譜 "Tai Rei Tei Rio" が出ていたので、それを試聴する。私はこれまで彼の映像作品のみを評価し、彼の音楽についてはさしたる興味を持たなかったのだが、本作については注目すべきものを感じた。即興らしさが先立つ作為となって空々しい箇所もあり、こと和声の軽んじられた印象があるものの、逆には即興的な匂いが為の瞬発力には琴線に触れるものがある。それは、以前に多摩美術大学で催された対談の折に目にした、『(不明:2013/09/23)』に感じられた ボルタンスキ, K. の作品にも似る感覚のあったことを想起させた。また、同梱された『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』には、『Homiĉevalo』の前例があるから芸術人類学研究所との関連を想像した——無論のこと、これは楽曲中に散見される文化人類学的な興味の束からも——のであるが、何のことはない、この冊子の監修・編纂を当研究所助手の石倉氏が行っている。
 それからユーロスペースへ行き、横浜聡子『ウルトラミラクルラブストーリー』を観る。この回は監督本人への質疑応答付き。尚、以下には私の個人的な見解を記載するが、その内容について、作品を鑑賞するよりも前に目にしたからと云って、作品の性格が少しも毀損されるものではないことを保証する。何故なら、作品に対する好嫌の感想は、観者個々に自由なものだからである。のみならず私は、私の興味に従い、作品に於ける構造にのみ注視してここに記述するのだから。
 この作品が青森県を舞台にして、舞台となる地方に固有の言葉遣い(津軽弁)により展開されることは、事前の知識として既に得ていた。この時点で先ず予想されたのは、標準語を話す人物の導入である。というのも、一般的には聞き取りの難しい津軽弁によって全てを展開することが作品の鑑賞に際しては障害と成り得るからであり、方言と標準語との遣り取りにより、このように特異な音に対して観者が次第に耳慣れていく効果が期待し得るからである。(私は東北地方の音に慣れ親しんだ耳を持っているので、作中の聞き取りにはそれほど苦労はしなかった)
 次に、作品の通奏低音となる「死者の声を聞くこと」についてを記述する。前半部中に登場するイタコに扮した人物が町子(主人公Aと恋仲に成ることが予感されている)に対して「死者の声が不明瞭であったとしても、それに耳を傾けるべきである」という強い宿命感を提示する。また、「誰もが空っぽの頭を持っている」とも提言する。前者について、先ずは冒頭部で(i)Aが亡き祖父の録音(カセットテープに収められた農作業指南の口述——これは技術の伝承である)された声に耳を傾けることを端緒として、中盤部で(ii)町子の元恋人であり故人の要(かなめ)の声をAが聞く(体験の伝承)こと、(iii)心臓が停止することで一度死に、にも拘らず生ける死者として在るAの声を町子が聞く(これは物語上の山場である)こと、さらには終盤部で(iv)Aが二度目に死んだ後に、録音されたAの祖父の声の再生という再現部を経て、Aの声もまた再生されるのを町子が聞くこと、そして明確な死者としてのAの声が提示されることを通じて、さらには保母である町子が子供たちへの語り掛けについて熱意を抱いている(知識の伝承)ことからも、世代を経た連関に於いて死者の声が伝達されていく構造が明らかなものとなっている(が、Aの両親については描写を欠いており、不明の侭である。これは、祖父から孫への血縁上の連関に於ける飛躍から、それに並行した、自己から他者への飛躍を補強するようにも見える)。と同時に、これらはAの身体が死へと移行する段階の在り様でもある(i. 死者の声を聞く為の耳を持った生者として。ii. 生者と死者との中間段階として。 iii. 死者として生者に語ることを可能にする存在として。iv. 完全な死者として、生者にとっては追憶も反復も可能な存在として。このような段階を経て、Aは死者と生者との間で媒介者としての役割を果たし、消滅する)。尚、「声の不明瞭さ」については質疑応答の際に監督自身が"明確な意味付けを避けた直感的な言葉"として補足していたが、これは"標準語からの方言に対する不明瞭さ"としても重合している(逆に、町子の明晰な声は、意味への妄信が表現されたものだ、とも彼女は補足していた)。後者については補足的に後述しよう。
 ところで、質疑応答の際に或る質問者より雑誌上の監督へのインタヴュー記事について——結末での町子のアンビヴァレントな表情のクロースアップ・シーンが「恍惚の表情」として演出されたらしいこと(出典は不明である)——の情報から、私は即座に バタイユ『エロティシズム』のことを想起する(「恍惚」の語を「エロティシズム」へと直結させる手続きは、非常に安易な仕方であるが)。なぜなら通俗的には恋愛描写に於いて必要とされる性衝動の表現(程度の差を伴う)がこの作品にはすっぽりと欠けている(このことによりAの無垢さが強調されている)為に、却って町子の恍惚がエロティシズムの欠如を止揚する(つまりは正常な男女関係への移行を可能とする)ということが、邪推とは云え有り得るべく充分な強度を備えていると考えられたからである。また同様に、質疑応答の際には監督の発言に散見された「空っぽの頭(純粋さから導き出された必然性)」より、頭部を欠損した亡霊として登場する要や、森の中で熊と誤認されて射殺(彼にとって二度目の死)されるAが毛皮を連想させる上着を纏っていること、結末でのAの脳を貪り食べる熊からAの熊への転移が想像されることと、それによりAが要同様に頭部の欠損した類似の存在として見出されることからも、又、バタイユの「無頭人(アセファル。頭部のない人間か、動物の頭部を持つ人間として表される)」のことを想起するものである。

では、批評とは何であるか。作家の作為を詳らかに暴くことだろうか? ひいては作家の作品に忍ばせた作為の矛盾を明らかにし、その拙さを難じるものであるか? 例えその言及が仔細に渡ろうとも、結局は論拠を作品へと還元してしまうのだから、一般的に「批評的」と称される遊戯の多くは主観的な陳述に留まるに過ぎない。敢えて言えば、作品に対する言及に臨んで仮にも「作品」と名指したものを当の作品それ自体に真っ当から屹立させることこそが批評的な態度であると言えないだろうか。

たったこれだけの証左により、監督にバタイユの素養が有るなどと結論付けてよいものだろうか? 無論、このような読み取りを保証する為の考察はまだ不十分であるが、分析の可能性として保留したい。
 では、この作品に於けるもう一つの主題である「空っぽの頭」についてを記述したい。

町子:陽人とは従属対称の関係に在る。
言うなれば町子には人格的な描写が乏しく、またその魅力にも欠けている。
つまり陽人の人格的な魅力を浮き立たせる為の地であり、その為に従属しているのだ。

 以上、概略的に作品を俯瞰すると、極めて明確な構造性のあることが分かる。が、質疑応答の際に監督が口にするのは、「目的に対してどのような手段を試みたか」ではなく「作中の人物であればこのように感じるだろう」というような観者の感情移入の仕方に沿うような発言であり、一見して作品に見られるような構築性とは矛盾する曖昧なものに留まっていたことが気に掛かる(なぜなら、制作者の発言としては作品について余りに無知であり過ぎるものだし、逆に何らかの意図により、観者にとっての読み取りのヴァリエーションを期待する態度にも思えたから)。私はこの作品がどのようなマーケティングを経て世に売り出されているのかを知らないが、今後、作品がどのようなターゲット層に希求していくのかについては一定の興味を維持したいと思った。

June 19, 2009

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複数のものを一体性により成立させていた舞台芸術(主に演劇)は、観客と云う歴然とした複数性を前に一対多であったが、観客の複数性によって保持されていた対称性が破れて、観客は「みんな」として四人称的な——となった。
(一対多の非対称性を正常なものとして成立していたものが予てよりの舞台芸術である)
一対一では対話である。つまり口語の優位が現われてくる。が、それが行き詰まったならば、一と成った観客と再び多のものとして解体するモダニスム的な(それはポストモダンを経た新たなる価値体系である)アプローチをとるか、退行して舞台上の一体性を再び解体して再-提示するポストモダン的な対応をとるか、或いは複数性を完全なまでに覆い隠すことでファシズム的な仕方をとる方法があるだろう。そして少なくとも中者はすでに為されている。
とすれば新たなるモダニスムか、それともファシズムか。後者は極めて商業的な劇作においては既に充分なかたちで一般化しているように見受けられる。

※個性を規定するもののうち、水平的なものには大きく三つの要素がある。
一つには彼の所属する国家であり、これは軍事行動により輪郭付けられている。次には宗教観があり、これは周辺において他の宗教とも混じり合う為に常に根源的な指向性を維持し続けることで個体性を保とうとする。三つには、言語があり、これも宗教の在り方と同様に周辺での混じり合いを伴うが、彼の意識を外部に現す仕方は唯この方法を以てしかないばかりか、彼の思考の仕方そのものを規定してもいる。
他方で垂直的なものには、時代と世代という二つの時間的な系列がある。前者は単線的であり、かつ客観的な仕方で主体との関わり合いを持つ。それに対して後者は内的な時間系であり個々の要素としては短期的であるが、非線的な構成素を総合するならばかなり長期的な、かつ具体的な経験に基づくような仕方の期間を持つ。

June 15, 2009

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※美術作品について言葉(ランガージュ)で以て語ることは、同様に文学作品について語るのとは異なる、全き「困難」というべきものに直面せざるを得ない。人は、ものについてを語る際には言葉を用いる。文学作品も——これは日常的な言葉とは屢々乖離する場合があるが——「言葉」が用いられ、また「言葉」で書かれている為に、円滑な意味の移行が可能で有るかのように、多くの人々には感じられるものである。だが、文学作品が、既に言葉として選び取られた対象の組み合わせであるのに対しては、美術作品というものは依然として言葉以前の地平にあるような対象として現れるかのようである。何なれば、美術作品というものには、文学作品が当然のようにして世界という対象から言葉によって選び取られているかのような関係を創造できることに対して、あたかも「言葉」を用いるという手段を敢えて回避したかのような対象を改めて言語化するという作業が必要で有るかのような印象をを与えるものである。このような認識により、人々は端から、先ず作品という対象をこれまで誰もなし得なかった偉業でも達成するかのように言葉に置き換えるという作業に対して、まるで苦慮しなければならないかのような困難を覚えるものである。が、これとは逆の言い方を試みるならば、敢えて言語化をする必要がなかった為にこのような作品としてのかたちに留め置かれている、とも言い得るものである。そして現に、「作品」といわれるものの全てが、何か高度で複雑な概念を言い当てる際には既に充分なかたちで整理されていると、後々になって遡及可能であることに留意したい。というのも、これは最早当然のことのように思われるのだが、人の理解において言葉による仕方が最も簡潔な方法だとは畢竟言い得ないからである。そして、このような誤謬の背後には、複雑で淀みがちな"日常的な言語使用"における表現の困難さが控えているための錯覚のあることが指摘し得るのである。人は、そもそも言語以前のものであるというような対象の前にあって、明らかに気負うが為に硬直し、そして失語に陥りがちなのである。

※子が親と結ぶ「世代」の関連を、今度は子が親と成ることにより反転するのであるが、最早親子の間にある世代の関連が上手くいかず、己れの自尊心ばかりを強みとしてく系列にあっては、その都度「時代」にあって絶えず繰り返されていく類似についても、やはりその都度、一回性ばかりが重視され、絶えず新しさだけが確からしい基盤となり連綿と繰り返され続けるのである。

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休憩時間中に日吉の古書店を梯子して、
江戸川乱歩『江戸川乱歩 全集 第三巻 パノラマ島奇談』(講談社、1978年)、
末永照和訳『芸術の手相』(法政大学出版局、1989年)[=Picon, G. "Les Lignes de la Main" 1969.]、
木田元・迫田健一訳『シェリング講義』(新書館、1999年)[=Heidegger, M. "Schellings Abhandlung Über das Wesen der menschlichen Freiheit: (1809)" 1995(1936).]、
これらを購入した。
また、帰りしなに日吉駅の書店へ寄り、
『軍事研究』(No. 520, Jul., 2009.)、
を購入した。

June 13, 2009

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渋谷から原宿駅前を抜けて秋山画廊へ、『戸谷森——It's like this, it's like that』展を観に行く。その途中、TOWER RECORDS に立ち寄った。
戸谷君が在廊していたので今回の作品についての話をした。
以前の『(トキ)』での作品にモチーフとして現われていた、絵画基底面に並行して全面展開する木の枝が、今回は有効に機能していた。それは、この木の枝のすぐ背後に「棚」という極めて日常的で手の届き易いモチーフが配置され、画面全体に30cmほどの浅い空間表象が企図されていた為だろう。棚には陶器製らしいコップや積み重ねられた本が置かれている。これら木の枝と棚とは一見すると順当な前後の重なり合いを持つかのように見えるが、木の枝の裏で屢々棚板が分断されていることにより、絵画面・木の枝・棚板の前面(そして棚の背板)の並行性が強調されている。また、木の枝の輪郭を基点として緑の木の葉が生い茂りヴォリュームを成しているが、これも一見すると空間表象の最前面より突出しているかのように見えて、実のところは茂りとその基点と見えた木の枝とは空間的な隔たりがあるし、やもすれば木の枝のすぐ背後に控える棚板の前面よりもさらに向こうの奥にあるように見える。このような奥行き方向への段階的な空間表象を意識させる点について、私は即座にヒルデブラント『造形芸術における形の問題』[von Hildebrand, Adolf. "Das Problem der Form in der buildenden Kunst" 1893.](この論文の意味深さは、ボードレールによる彫刻作品の多視点性への批判に対して、彫刻作品の視覚的な読み取りにおいて手前から奥への段階的な方向性があることを指摘することにより、彫刻作品の構造的な正面性を保証することで応えているからである)のことを思い出した。ヒルデブラントも彫刻家であるから、なるほど彫刻から絵画へと転向した戸谷君にも何か共通する思考があるのかもしれない。彼と話している折に、立体物であるモチーフの平面上への移行について、彼はキャンバス面の手前にモチーフを配置し、(アトリエの電気を消して)そこへライティングをすることにより生じる影をトレースして制作を行ったと言っていた。また、絵画を専門とする人が立体物であるモチーフを頭の中で平面化して扱い、それを構成してキャンバス面上に平面として描き取るのとは異なる仕方で、モチーフの立体性をキャンバス面上で直に平面化する試みについても言っていた。この点について、絵画を専門とする人がモチーフの選び取りにばかり熱心となり、空間表象については近頃では特に甘さがある(考察が充分ではない)と私は感じることが多かったので、同意である。ただ、画面上の何箇所かには空間性が曖昧な箇所があり、彼はそれについて「穴のような無限の奥行き」と言っていたが、この点については表現がまだ不十分に感じた。とは云え彼が企図する浅浮き彫り(レリーフ状)の空間表象に対しては面白さを感じた。例えば、無限の奥行き表象については、穴とは異なり逆であるが、東京国立近代美術館の常設企画展で観た小林正人の青空を描いた作品のことが思い起こされる。この作品のモチーフとなっている青空とはそもそも空気の積層から成る"青み"であり、実際には眼球の直後から始まってそのまま宇宙空間の無限の奥行きへと抜けていく積層が"青み"を持って見えるのであるが、それが絵具という物質に置きかえられ、作品として手の届く距離に置かれているにも関わらず、また無限の奥行きを備えた色みとしても感じられることは驚嘆すべき鑑賞体験であったからだ。
それから新横浜へ行き、高校生時代の先輩と会った。

June 12, 2009

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帰宅して鉄のドアーを開くと、足下で黒い猫が身を翻したようにわたしは錯覚した。——猫が? だがそれは開きかけたままドアーに立て掛けてあった黒い折り畳み傘の容姿だった。が、それからわたしは、足下に絶えず黒猫のまとわりつく幻覚に囚われ始めていた。のみならずその黒猫に餌を与えたい欲望に駆られ始めてもいた。夜、床に就く前に、台所の板の間の上にミルクを薄く張った皿と焼いたニシンの幾つかをそっと置いておくと、朝目覚めたときにはそれらが僅かながら、とはいえ確かに減っているかのように思えて仕方がない。

June 11, 2009

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或るものが社会に於いて価値を孕み、権力を備えるとき、人々はその力に対して何らかの対応をすることが正しさを持つと考えている。
「みんな」がそれについて価値があると認めていると人々は考える。
これは、「わたし」が考えている"この"価値観について、「みんな」も同様にして"それ"について価値があると看做していると、「わたし」が主観的に考えるということが、社会的に——つまり充分な客観性を伴うようにして"この"価値観が保証されている、と云う状況が反復的に思い返されようとも依然として維持され続けている、ということだ。
言葉が過剰な強度を持つとき、人々はこのように強い言葉について、先ず妄信してしまう悪癖を備え始めている。
このような営為の強度を持つ言葉に対して、人々は反論できないのだと(率直
な見方としては諦めに似て)考えている。
「強い言葉」は、一対多の関係が十全に成功した場合に於いてよくみられる。
これが、「力強い言葉」とは言い替えられないことは下記に詳述する。
このような「強い言葉」とは、例を挙げれば、煽動や啓蒙、啓天、啓示、喧伝など、一対多の関係が共有可能なものとして承認されるような「開かれ」に於いて認められる。
「一」から「多」に向けて拡散する場合と、又、「多」から「一」へと向かって集合する場合の両方に、このことは認められる。
そして、両者に共通することは、言葉がどちらの方向に発せられようとも、必ず事後にはその言葉が共有されていると承認されることにある。
また、「多」であるものが「一」として、「わたし」や「あなた」などの一者の口から語られる際に、人々は親密さと力強さとを感じるのであるが、この「力強さ」とは単なる多数者原理に対する暗黙の了解から至った"唖"に他ならない。
人々は、黙ることにも美徳を感じているからだ。


ぼくは、きみともっと仲良くなりたいと思って、きみと恋人になったんだ。
きみが好きだからと、これはだから、きみともっと仲良くなりたいのだとも置き換えてくれて構わない。
恋人のことは「好き」だから、友人とは仲が良くて、仲の良さでは恋人同士の方が寧ろ空々しいなんて、余りにないだろう?
愛しいことの深遠さが"仲の良さ"を毀損するとも思えないし、その逆もまた有り得なさそうだろう。
だからぼくは、仲の良さと愛しさとを、全く別の価値体系に置いて比較するなんてことナンセンスだと思っている。
きみがぼくについて相変わらず嫉妬深くたって構わないし、それが紛れもないぼくの好きなきみなのだとしても、やっぱり好きと仲の良さとのぼくなりの思い込みに対して誤解されるのはままならないことなんだ。

June 10, 2009

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今日は「火曜会」のある日だったので、いつもより早めに仕事を切り上げて下北沢へ向かった。駅から件の店への道すがらに在る古書店で、私はいつも本を買うことにしている。狭い店内をあちこちに物色していたらTzk君と鉢合わせた。——彼も火曜会に行く。
岩田良吉訳『ラ・プラタの博物学者』(岩波書店、1934年)[=Hudson, W. H. "The Naturalist in La Plata" 1892.]、
伊吹武彦訳『情念論』(角川書店、1959年)[=Descartes, R. "Les Passions de l'Ame" 1649.]、
原田敬一訳『ハプワース16 一九二四』(荒地出版社、1977年)[=Salinger, J. D. "Hapworth 16, 1924" 1965.]、
『エイミル 第二篇』(岩波書店、1950年)[=Rousseau, J.-J. "Emile ou l'éducation" 1762.]、
これらを購入した。
店に入ると、いつもよりも会の参加者が多いことに戸惑った。この日は100回目の節目となる為か——それにしても何年続いているのだろうか。H先生から、先日に文庫化されたばかりの『猫の客』を頂いた。この時、観返しにでも何か認めてもらえばよかったと、今になって気が付いた。『エイミル』はプレゼント交換の折に誰か初対面の学部生の手に渡って行った。

June 8, 2009

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他人の意見に対して常に鷹揚な態度を示そうとする輩、
全ての意見に対してわたしは寛容なのだ、と云う態度を顕示する輩こそ、
何と信用のおけないものだろうか。
先の、全てと云うことから、
彼はかように全てのことに対して、全き従属を端から決め込んでいるのと同義である。
そのような輩の寛容さに、果たして彼の意志にどれほどの価値があるのだろうか。

June 7, 2009

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なびす画廊にて『黒須信雄』展を観た。
双複性のモチーフが気に掛かる。
Mkrさんから、また幾冊か以下の本、
『BOOTLEG』(Vol. 1-3, 1994-'96.)、
『issues』(Vol. 2, 多摩美術大学大学院美術研究科芸術学, 1998.)[既に所持]、
『ART FIELD ——宇宙の芸術誌』(No. 4, アート農園, 2007.)、
『セゾンアートプログラム・ジャーナル』(No. 3, セゾンアートプログラム, 2000.)、
『R・4989』(No. 1, 2, 4, 1989-'91.)、
これらを頂いた。
それから山口ギャラリーにて『水上』展を観た。
土台方向の有無について、また気に掛かりを覚える。
正面性を持つもの、持たないもの。
土台方向を持つもの、持たないもの。
どちらの要素も備えている立体は得てして「彫刻」と名指し易い。
どちらの要素も備えない立体は「オブジェ」である場合が多い。
彫刻は、無理に立つことを嫌うことが多いので、
何らかの制約の上に、そのようにして置かれることに落ち着くことが多い。
が、この"置かれ方"について、作品としての強度を示す要件を維持し得ているかを勘案する必要は必ずある。
Y画廊を出てから直ぐの場所、ビルヂングの日陰に本が山積みとなって無造作に置かれていた。事務所の整理でもやっているらしい。次から次、山が継ぎ足されていくのだ。「ご自由に——」とのことだったので、少し時間を掛けて、
『INAX ART NEWS』(No. 82, INAX, 1989.)[『野村仁展——コスモ・クロノグラフィー』(1989 May. 1−28)]、
『リチャード・ロング——山行水行』(淡交社, 1996.)[企画展図録]、
『〈かたまり彫刻〉とは何か』(小原流, 1993.)[企画展図録、既に所持]、
『菅木志雄——周囲界合』(双ギャラリー, 1990.)[個展図録]、
『郭仁植 伊丹潤 巡回展』(HANEGI MUSEUM, 2000.)[企画展図録]、
『日韓現代美術展—自己と他者の間—』(目黒区美術館/国立国際美術館/国際芸術文化振興会, 1998年)[企画展図録]、
『幻触』(鎌倉画廊, 2006.)[企画展図録]、
『KWANG YEOP CHEON(千光燁)』(ȮN GALLERY, 1992.)[個展図録]、
『構造と記憶——戸谷成雄・遠藤利克・剣持和夫 木による作品を中心として』(東京都美術館, 1991.)[企画展図録]、
"PANAMARENKO---Cars & Other Stuff"(Galarie Tokoro, 1993.)[企画展図録]、
『YOKO ONO "FUMIE"』(草月会, 1990.)[企画展図録]、
『千崎千恵夫 1982-1989』(かねこ・あーと ギャラリー, 1990.)[個展図録]、
『DONALD JUDD』(ギャラリー ヤマグチ, 1989.)[企画展図録]、
『丁昌燮(Chung Chang-Sup)』(東京画廊, 1999.)[個展図録]、
『建畠覚造』(愛宕山画廊, 1989.)[個展図録]、
『「現代日本美術の動勢——絵画PART2」展』(富山県立近代美術館, 1988.)[企画展図録]、
"WAKIRO SUMI---WORKS 1981-1986"(ARGO Co., 1986.)[個展図録]、
『安喜万佐子』(BASE GALLERY, 2003.)[個展図録]、
『「宇宙のかけら・時のかけら展—笠井千鶴・野村仁・宮島達男—』(新潟市美術館, 2000.)[企画展図録]、
『写真で語るII—光が残した澱み—』(東京藝術大学陳列館, 1991.)[企画展図録]、
『菅木志雄——まなざしの周辺』(東高現代美術館, 1990.)[企画展図録]、
『黒川弘毅(GOLEM)』(東京画廊, 1991.)[個展図録]、
『小清水漸—水浮器—』(galerie 16, 1988.)[個展図録]、
『「見えない境界——変貌するアジアの美術」展 光州ビエンナーレ2000〈アジア・セクション〉日本巡回展』(宇都宮美術館, 2000.)[企画展図録]、
『彦坂直嘉 CTP & TP』(アルト・ギャラリー手, 1989.)[個展図録]、
『郭徳俊(Kwak Duck-Jun)』(フェイズ・テン実行委員会, 1992.)[企画展図録]、
『5 Drawings』(児玉画廊, 1989.)[企画展図録]、
『MOTアニュアル 2000——低温火傷』(東京都現代美術館, 2000.)[企画展図録]、
これらを選び取った。
人混みを避ける為に大通りに並行する脇道を歩き、八丁目まで至る。「ギャラリーせいほう」にて『Madan Lal』展を観る。初見の印象では黒川弘毅の「ゴーレム」シリーズに似ている。が、テラコッタという不定形の素材を造作することを示す為の、営為の作為とでも呼べそうなものに作者の意識が向いていることが分かる。カタログ文章にM先生が"Play with cry"と指摘していたが、その通りである。が、私はどちらかと言えば、テラコッタの表面が乾燥し始めた折の屈曲によるひび割れや、乾燥したテラコッタの原型がおそらく不随意により破損した欠けなどが、そのままブロンズによって写し取られることで存続する、表面上の質感の方に興味を惹かれた。この点は小川氏の作品にも似ている。勿論、当の作り手はそちらの方へ熱心に意識を割いているという感じはしないのだが。

June 1, 2009

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肉体の輸送
(肉塊の輸送手段)

見給え、あの女の無様にのたくって歩くすがたを!
まるで剛著な尻、そして魅力の欠片も見当たらないあの弛んだ乳房の膨らみを!

転じて華奢なあの女を見給え。
脆弱な骨格に、皮下脂肪の薄い尻。
まるで頼り無い尻だ。
この尻を蹴り上げたなら、即座に骨盤へと衝撃が伝わるような、殆ど骨と皮ばかりで何ら触覚の魅力を齎さない。
素晴らしく即物的な尻のかたちだ!

例えば舞台芸術に携わっていたり、或いは音楽演奏や講演など、多数の観客を目の前にして何かをする際に、「見せること」という外的な指向性を持った意識が唯一人の人間にしか限定し得ないと言えば、それは蒙昧になるのではないだろうか。果たしてこの目の前に在る多数の観客たちを一纏めにして、彼らの気分の移り変わりに一つの人格を与えているのではないだろうか。つまり、観客らを「みんな」という一括りにすることで、一対多のコミュニケーションを一対一のかたちへ簡約しているのではないだろうか。

May 31, 2009

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アフォリズム小説——400字詰め原稿用紙5枚以内の、さらにはその2枚以下から序々に俳句へと至るような——を書くことは難しい。だが、このような形式の小説を、例えば娯楽小説——マーケティングと云う無味蒙昧を模倣するように、歴然と他立するようなものを目指した——として書くのであれば、それは容易い作業になるかもしれない。何しろ大衆的な気分は花火のようにぱっと灯って、そして余韻も無く闇へと消え行く忍耐の欠如があるから。

※私が日本語に於いて"アフォリズム小説"と云うものを思考する際には、デリダの邦訳の内から幾つかの文体を盗み出している。

バルセローナ、サンパウロー、カツフエー、アクタイオーン……。
私は長音の具合をひた確かめながら、慎重にギリシアふうの音韻を確かめていった。

現代の価値とは、コカ・コーラのように——飲めば飲むほどにますます喉が渇く——欠如が必須なのだ。

May 30, 2009

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元住吉の中古本屋にて、
手塚治虫『三つ目がとおる』(Bd. 1)、
飯島宗享訳『初恋』(未知谷、2000年)[=Kierkegaard, S. "Enten - Eller, A-2" 1920.]、
を購入した。

May 29, 2009

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不安に駆られて描いた一枚というものは、当然ながら我々の心底を打つ訳では無い。

さも分かったように書く。決して分かった振りをして書くのではなく。

作品に対して批評的な態度を取り続けるほどに、私は作品との距離を明晰に隔てていく。

私は聞いた——まだ幼い子供が○○と言うのを。私は確かに(それを)聞き逃さなかったのだ。

The Google was the Eshlon, you see.

近頃では人々は余りに自身の無知をおくびなく晒す。
そうでなければ「ググれカス」の知ったかぶりか。
無論として、無知はそれ自体としては恥ではない。
やもすれば様々な無知の最中で人は常に何かを述べなければならないし、またそのように要請されもする。
だからこそこのような不確かさの上でも語気を強く保たねばならないが、それは言い切りの良さや断定に価値があるのではない。
自分がそれについて知らないということを安易に覆い隠すべきではなく、無知というものは常に発言の余地として保持しなければならない。
このことについて、一般的に言われているのは謙虚さ、広義には厳密さ、である。

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まだ?

「芸術が分からない」などと言って嘆いている人間を見ると、手を差し伸べたくなる。芸術の価値は、善し悪しや好き嫌いで定められるものでは、勿論無い。先ずは作品を観て「どう思うか」で充分ではないか。確かに「芸術とは何か」の問い立てに答えることは難しい。が、言葉にし難いものを直ぐに"難解なもの"と決めつけ、高尚なものに仕立て上げてしまう風潮は如何なものかと私は思う。何なれば芸術とは、人間であれば誰にでも感じ得るものであるし、また理解し得るものであると私は考えている。確かに、芸術を享受する為の余暇は必要となる。生活に余裕が無く、唯追い捲くられるように生きている或る種の人々にとって、また芸術とは余りに馴染みが無いものであり、そしてそのようなものとしてこの世の中は出来つつある。とは云え、それが為に芸術が必要な人間と、そうで無い人間とに是が非でも分けようとするような風潮はけしからんのだ。所詮は"するかしないか"であって、”分かるか否か”の問題では無い。「芸術が分かる」と言って特権意識を持つ人々よケツ喰らえ! あなたら素人が芸術について云々言うのはまだ早いのではなかろうか。ならば論じてみ給え! 何かものを言うだけならば誰にでも出来る。そう、"誰にだって"それは簡単なことなのだ。たかがその程度のことに、正当性もクソもあったものだろうか? 私にはここまで芸術に対して意固地に振る舞おうとする当世の風潮それ自体がよく分からない。だから、「芸術とは実に無感動なものだよ」と——こう言ってやれ。何故なら人々はこの無感動に、言うなれば余りに無感動で居る自分自身の感情に対して感動するのである。とすればこの感動とは、実に彼ら自身の持ち物である。この感情には何らの外的な理由が無く、それ故に純粋であり、だからこそ確信を以て誤謬へと陥りがちなのだ。感動は、心情の空虚へと向かって猛烈な勢いで惹き付けられていく——すると人々はあっと驚きふためいてしまうのだ。馬鹿らしい。「私はこの余りに素晴らしい感動を作品から受け取ったのだ」、否、そうでは無くて、このような感動は作品からは桁外れに離れ過ぎている。或いは「反射」と呼び得るほどに対極にある(だからこそ人々は、このように大きな感情のやり場を作品の上に理由付けようとする)。ところで考えてもみ給え。君らは当該の作品それ自体からは一体何を受け取り、またどのような仕方で関与したと言い得るのだろうか。
私は、——と云うような夢を見た。

May 27, 2009

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元住吉の中古本屋にて、
手塚治虫『ブラック・ジャック』(Bd. 1-6)[DX版]、
を購入した。
レンタル・ビデオ展にて、
ミシェル・ゴンドリー『僕らのミライへ逆回転』
を借りた。
冒頭の鏡文字、結末でのスクリーンの反転が一続きのセリーとなっている。
部屋の中から外へ。音声は消え、サイレンとに。
架空の人物の共在化と、承認。

May 24, 2009

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銀座テアトル・シネマにて
オリビエ・アサヤス『夏時間』(Olivier Assayas "L'HEURE D'ETE" 2008.)
を観る。
母の死を通じて出来事が進行する。
母への個人的な感情は、全てこの出来事に先行する祖父の死へと執拗に逸らされていく。
この作品において、肉親の死に対するセンチメンタリズムは徹底的に避けられている。
通俗的な「個人的な体験」からは離れて、もっと社会的な関連構造が描かれている。
(端的には終盤部のオルセー美術館のシーン)
歴史的な画家である祖父の死と、その遺産(具体的なものを含め、さらには文化的な価値へと拡大する)の相続というモチーフ——
ひいては客観的な意味合いにおける世代間の関連が、この作品の主題である。

May 23, 2009

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先週に引き続き東京国立近代美術館へ、『ビデオを待ちながら』展を観る。
講演を聴きにいく時間が無かったことは残念だ。
珍しく2時間ほど観て回った。
中々楽しめた。
が、キャプションの極めて断定的な口調——そして、やもすれば何かを論じ立てているような若書きの青臭さには否定的な気分を持った。
一見すると啓蒙的な、作品の核心へとせまるように要請するかの要点書きは、然しながら観者の浅はかな知識体系を固着させてしまう。
知識を持たない者に対しては固定観念を与えるし、多少なりとも知識のある者に対しては蛇足であり、さらには誤謬を与えもする。

それから「なびす画廊」へ行き、『利部志穂』展を観る。
彼女はこの空間にすっかり手慣れたようで、だからこそ余り目新しいものはなかった。
生まの植物、コンセントからの電気供給により駆動し続けるモーターやコンピュータ・ディスプレイ。
まるで下町の露地に居るかの乱雑と静けさがある。
「ディスプレイ(展示物)」とまではあからさまに提示されてはいないのだが、一つひとつの対称はあくまで見られるべきものとして最低限に留められている。
彼女がこの空間で展示を行うのは4回目になるが、このように手慣れた所作が、他の空間を扱う際のエピゴーネン(雛形)になるのだと思う。
そうこうするうちに撤去作業が始まり、それまでは堅固な組み合わせを維持しているように思えたそれぞれの"かたまり"が、解体の簡便さの順位に従って次々とバラバラにされていった。
それを眺めながら、帰りしなにMkrさんから『美術手帖』のバックナンバー(Vol. 57, No. 872, 2005./ Vol. 60, No. 903-906, 909, 915. 2008./ Vol. 61, No. 917, 920, 2009.)を頂いた。昨年11月に hiromiyoshii にて Dahlem, B. の展示が行われていたのを知らなかったことは迂闊だった(B.N.に目を通していて気が付いたから)。私はこの雑誌への興味を失って暫く経つが、相変わらず何かしらの手段で手許にはほぼ一続きのものが手に入るようになっている。必要と思われる箇所には目は通して、少しの間を書庫に留め置いたら、あとは誰かに譲るなりするつもりだ。

May 20, 2009

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話題はいつしか拗れて、――やがて別れ話になった。
彼女も私も負けん気が強いものだから、お互いに立場を一歩も譲らなかった。
そして、とうとう彼女の方から口火を切った。
だから私はここぞとばかり彼女のことを責め立てた。
議論となれば結局は男が勝つのだ。
彼女の口振りは、段々とどうでもよい理由で埋め尽くされていった。
最早無意味な"勝ち負け"の理由に突き動かされて、私はより一層過激になっていく。
私は、既に彼女のことをこてんぱんにやり込めたい気分でいっぱいだった。
すると彼女は泣き出した。
泣きながらに彼女は捲し立てていた。
私は心底満足感に満たされていた。
が、それと同時に後悔の心持ちにもなった。
涙を流しながら、必死に弁解するような口調に変わった彼女はとても可愛らしかった。
私は安堵した。
それから、私は彼女の涙に救われた気がした。
彼女が泣いてくれなければ、私はどこまでも彼女の冷徹さを呪っただろうに。
これまでの彼女の素振りを思い返して、そこかしこに彼女の善意のかたちを見て取ったのだった。
私は初めて、やっと彼女の本心に触れたような気がした。
今まで恐れていて、やもすると"気遣い"と称して怖じ気付いていた私の本心を笑った。
これまで以上に彼女のことが愛しかった。
のみならず私たちは離れて、これからはもう二度と会うこともないのだから。
これからは彼女の気分を全て理解出来るのに――と思うと、残念で仕方なかった。
一方で私は愛され、その他方で私は次第に嫌われ、無下にされていくのだ。
「彼女に身を寄せると、その口は葡萄酒臭かった。」

――と云うような夢を、私は見た。

May 17, 2009

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昨日に引き続き、飯田橋の日仏学院へ。「オリヴィエ・アサイヤス特集」プログラムのうち『デーモンラヴァー』("Demonlover" 2001.)と『ノイズ』("Noise" 2003.)を続けて観る。上演後、ジム・オルーク/青山真治の対談があった。対談後のライブには行かなかった。
『デーモンラヴァー』は、結末部へと至る過程によくわからない点があった。主人公が同僚を撃ち殺すシーンのアンヴィヴァレントな行動が物語を読み取る基点となるように思う。
『ノイズ』は、ノイズ・ミュージックを聴いていると、気分の善し悪しにより音楽から興味が離れて眠たくなることがあるが、この作品も例に漏れず、所々で個人的には退屈な瞬間があった。この感覚は人それぞれ、仕方のない点だと思う。Sonic Youth としては作品中に登場しない(このイヴェントの2日目に Sonic Youth のライブがあったようだが、その映像は作品中に収められていない)。
対談後、相変わらず退屈な質問をする輩がいた。否、あれは質問ではなく、唯、独自の見解を述べているに過ぎない。まるで己の特殊性を誇示するか、或いはひけらかすかのように、自己完結の見解を述べるのはいいが、舞い上がり、結局はそれを質問としての文脈にまとめることが出来ずに、口籠り、挙げ句に受け手は解答に苦慮する、という具合に。思うにこの傾向は非専門家に多い、思い込みが強過ぎる結果、感想を断定的に提示しがちだ。又、専門家やそれに準ずる知識を持っている聴衆は、講演内容にあらかた興味を満足させられるからか、或いは質問内容が専門的であり過ぎるのを嫌って控えるためなのか。結局はそうやって、講演会やシンポジウムでの質問で、良い質問に出会すことは少ない。

May 16, 2009

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竹橋へ。『ヴィデオを待ちながら——映像、60年代から今日へ』展(@東京国立近代美術館)の講演会、N先生の「60-70年代の構造映画と美術」を聞きに行く。
映画作家と美術作家とで映像の質が異なるということについて。
質問が長引いた為に展示を観る時間が無かった。来週、Kさんの講演会に参加しがてらに観ようと思う。
最初の質問は、要領は得なかったがN先生がいま抱えている疑問が詳らかになったという点で、結果的には有益な質問となった。
第二、第三の質問は、自身の意見表明に他ならず、質問としては必然性に欠けるものだった。蛇足である。
それから飯田橋にある日仏学院へ行き、「オリヴィエ・アサイヤス特集」プログラムのうちの一つ、『HHH:候孝賢』("HHH, portrait de Hou Hsiao-Hsien" 1997.)を観る。英語字幕。映画監督、候孝賢氏へのインタヴューを中心としたドキュメンタリー映画。奇妙なカメラワーク——おそらくフランス人の職業カメラマンによる——が興味深い、地となる語りに並行して、カメラマンの興味の赴くままに、思惟的な画面構成が散見される。スクーター、山芋の皮を剥く店員、カラオケのシーンに登場すると或る女性に対して。
最後は中国語で『乾杯』を熱唱する候氏。

May 15, 2009

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日吉駅の書店にて、
『軍事研究』(No. 519, Jun, 2009)、
を購入した。

May 13, 2009

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まだ?

人間は、対象の裡に存する根源性を、即ち自己と対象との関係を鑑みるに対象がどこまでも自己に対して先立っているのを感知し、それを崇高なものと捉えて、神への憧憬を自覚するに至るのである。

だが、まだ。

——まだ?

見掛けの上で永遠なる対象(もの)が自己に対して常に先立つのは、神(この時点では括弧書きされている)への憧憬をこの第一の理由に据えるからである。

世界が自己に対して先立つ感じを「理性」、自己が世界を自称として対象化する感じを「悟性」とすれば、この「感じ」というものがカント的な意味合いの「感性」であると説明する。

「感じ」を対象化した際には、最早それを起点(基点?)として生じた理性と悟性とは本性を曖昧なものへと変じてしまうのだから、「感じ」を対象化しようという意志は、どこまで行ってもやはり不明瞭なものになってしまうのである。

先ず「神」という対象があり、それと同時に神の「永遠なるもの」という性格付けが為されて、次にこのような対象である「神」というものが、果たせるかな「何であるのか」を問い立てる場合にはいつでも、この意志の根底には「神の永遠なる性性格」が先行して忍び込んでいる。

「この永遠なるものが神であるとして、では神とは何であるか?」という具合に、神を対象化することで先行した筈の自己は、常に自身の神に対する定義付けの為に、変わらず神に対しては従属し続けるのである。
曰く「神は世界を創造した」。
曰く「世界は神の発した言葉と同時に在る」、云々。

見掛け上、悟性的であった問い立てが、その実"理性的なもの"であったことに対しての気付きこそが、まるで「アキレウスの亀」であるかのように。

まだ。こんなものは単なる"騙し討ち"に過ぎない。

言葉を有するものはこの世界にただ人間が在るのみである。ところで言葉の本性は"神の所有の裡に存する”から、人間は言葉に於いては常に世界に対して述べ過ぎるのである。因って以下、云々。

「すなわち精神としての神は顕わとはならないであろう。」——何故なら精神こそが神の本性に他ならないものであるから。以下、云々。

まだ、まだ。まだ。三度まだ!
未だ、未だ。未だ。三度未だ。

よってシェリングは「悪の可能性」と定義するに至る。何故なら、彼にとっての「悪」とは、まさに対象に於ける両原理(同一性)の可分裂性を明らかにする原理だから。

※対称性とは即ち「主観上の同一性」の代わり名に他ならない。

人間は観念的原理との統一に於いて或る余地を見出だしてしまう。これこそが人間にとっての価値ある前進——。"I Think …"の極点である。これこそが、定義付けや、或いは定義の運用という行為のそもそもの誤謬である。


(いま改めて読み返してみると、さっぱり訳が分からない:2013/09/23)

May 11, 2009

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インタヴューを受けて——。

——プレイヤーのやりたいこと"しかできない"ゲーム、そういう対象がこの世の中には必要なのです。とはいえ、少なくとも、多くの人々がこのコンテンツを積極的に楽しむことになるでしょう。我々は暫しその状況の埒外に置かれますが、これは本当に少しの間だけなのです。

May 7, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
手塚治虫『ブラック・ジャック』(Bd. 8、9)
を購入した。

May 6, 2009

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ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』(Wesley Anderson "The Life Aquatic with Steve Zissou" 2004.)を観た。

May 5, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
手塚治虫『ブラック・ジャック』(Bd. 16)
を購入した。
ウェス・アンダーソン『ダージリン急行』を観た。
ホー・シャオシェンのDVDはPS2で再生することが出来なかった。

May 4, 2009

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新居へ引っ越してから暫くの間、私はブリキ製のバケツをゴミ箱として用い、生ゴミから可燃ゴミまで生活上に発生したあらゆるゴミをこの中へと投げ込んでいた。転居してから少しの間は冬のまだ寒い時期であったから都合が良かった。あらゆるものはこの冷気によって腐敗を免れていた。が、春の訪れとともに陽気がそこかしこへ充満するようになると、あらゆるものは腐敗から免れ得ないようになる。

火と水と、卵の殻は類似している。

また、木と土は、それらとは別の系統に属している。

貝殻は水との関連によれば火に属しているのだが、髪の毛やアブラナの茎との交わりによっては木と土との関連に属することになる。なぜならこれらのものは火により腐敗することが定められている為に、土や木との関連を先取しているからである。

May 1, 2009

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元住吉にある中古本屋にて、
手塚治虫『ブラック・ジャック』(Bd. 12、13)
を購入した。

April 26, 2009

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休日の朝に、平日に比べれば少し遅い時間ではあるが、かと云って昼でもなくまだ充分に朝である時間に私は目覚めた。この日はとてもよく晴れていて、清々しかった。散歩をするにはお誂え向きの陽射し、陽光を浴びてビールを呑むには丁度良い気温、私は気紛れにもまた青山霊園を散策しようと云う気になった。途中、大学院時代の後輩Iさんによる表参道での個展が最終日であったことを思い出して立ち寄った。
この日の青山霊園は快適な空気に包まれて涼しく、それまではアスファルトの上にじりじりと焼かれて、陽気が最早熱気となって煩わしかったこともあり、墓石をの間を縫うように散策をしていると、心地好い風に吹かれて忽ちに快活な気分になっていたことは言うまでも無い。

April 22, 2009

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 先日、私が原作と演出を手掛けた舞台公演『〜』が終了した。規模としては然程のものではない(公演数2回、動員数217人)が、予定していた200人の動員数を上回ることが出来たので、私はこの結果に満足している。
 この公演に関する概要を述べよう。当公演は、昨年8月に知人の研究者R氏(彼は民族学的なアプローチにより説話における夢と踊りとの関係について研究している)から打診を受けたことに端を発する。当初は彼の研究発表を兼ねたイベントでの公演を予定していたのだが、作品に対する私の構想が発展しイベントの規模には収まらないものとなった為に、公演を関連企画として独立させ、都内の廃校で上演を行った。彼の研究対象が「夢と踊り」であるから、私は当公演のテーマを「集団化する自己」として原作を用意するところから始めた。これは、私が以前より関心を寄せる「四人称」的な主体について、他者との関わりの中で自己が集団の一部として振る舞うことを過剰に意識した主体が他者との間にどのような関係性を生み出そうとするかを演劇的アプローチにより実現する、という狙いがある。言うなれば聖書に登場するレギオン(Mark 5, 1-20)のように、一人の人間がまた何千人もの集団としても振る舞う様子を、舞台上に目に見えるものとする試みだった。これにより、数=量からくる質=量という通俗的な演出手法を排除したかった。単数でありまた複数でもあるような主体の集団がどのような関係性を形成することで説得力を持たせられるかに私は注目した。また、このような集団を扱うことで、あたかも狂人の宴のような喧噪が露わになってしまうことは避けたかった。プロットは単純なもので、恋に焦がれつつその想いに逡巡する青年が友人に打ち明け話をしながら次第に恋の実現を果たす、という内容だ。登場するのは主に青年とその友人、青年が恋い焦がれている女性——この三人だ。このいかにも陳腐なプロットと「四人称的な主体による社会形成」というコンセプトとの間を繋ぐべくストーリを制作した。青年と友人との関係、青年と女性との関係、友人を経ての青年と女性との関係、青年と女性とが恋愛関係に至る飛躍、これらの関係性を順序立てて反復することにより、単数の主体が四人称化するというアイディアは当初より有ったのだ。

原作の戯曲化については、友人の小説家N君に協力を仰いだ。

演出のコンセプトは以上の通りであるが、加えて今回は演出上のコンセプトをどのようにして作品に反映させるか、言わば作品制作に於けるプロセス面の工夫も重要な試みの一つであった。私が今回試行したのはアジャイル開発の手法を劇作のプロセスに転用することである。これはソフトウエア開発の現場においては昨今一般化しつつある手法であるが、当然ながら演劇の現場においてはまだ認知すらされていない方法論だと思われる。これについての概略を示すと、レイン・フォール型開発に対して考案されたXP(エクストリーム・プログラミング)開発をさらに発展させたものがいわゆるアジャイル開発である。この手法は問題解決に関わる個々の目的意識を最大限に尊重するものであり、また個々の勇気が常に試される。レイン・フォール型開発の難点が厳密なスケジューリングの先行と、その実現におけるスケジュールの非流動性からくる時間的制約の発生に対する代替手法であることが重要な視座を与えてくれる。一般的な劇作は半年から一か月(短い場合には一週間程度)の期間で行われる、比較的中短期的なプロセスを経ている。が、時間の長短に関わらずこのプロッセッシングは段階的であり、どの現場においても或る程度共通する、言わば典型的な経験則を伴ったスケジューリングが為される。例えば以下のように——台本の執筆→演出コンセプトの決定、キャスティング→台詞合わせ→立ち稽古→ゲネプロ→本番、と云った具合である。更に言えば音響・照明・舞台美術などのスタッフによる劇作へのアプローチは演者の習熟過程に対して二次的なプロセッシングを行い目立って段階的である。つまり演者の習熟過程と舞台効果スタッフのプロッセッシングはシームレスではなく、非同期的なアプローチをとることが一般的である。以上のプロセスにより既存の劇作手法は、作品としての視座からは序々に詳細化の作業が行われることになる。と同時に、作品に関わる演出面での決定事項は常に後回しにされることで冗長化している。言うなれば先ず演出コンセプトがありそれが制作チーム内で共有され、次いでこの演出コンセプトの実現に関わる詳細化とそれ対する問題解決、この仕様化(問題解決方法の共有化)による段階的な目的達成がある。つまり、作品全体の完成度を平均化して達成度を推し量り、段階的に完成度を上げていくのが既存の劇作手法である。この方法論を実践する限り、例えば制作チームの構成員が常に流動的なカンパニーにおいては予定されていたスケジュールの大幅な遅延が起こり易い。のみならず演者・スタッフ個々の技量の差が歴然とすることによる制作進度の遅れ、さらには個々へのフォローに費やす時間的浪費や詳細化の遅れによるプロッセッシングのロスも大きい。これらのことが既存の慣習的な劇作手法の問題点である。

以上の手法は熟練したカンパニー内では日常的に見られる手法でもあるが、この為には先ず熟練した演者・スタッフが必須であり、詳細な意思決定がこれまでのコミュニケーションの蓄積によって省略されることで初めて実現されるものである。また、このような手法が製作期間の短縮に用いられることはあれ、作品全体での演出意図の詳細化と共有について意識的な方法論として用いられることは少ないように思う。


最後にこの場を借りて、当公演の実現に惜しみない協力をして頂いた関係者の方々、類い稀な才能を如何無く発揮してくれた演者の方々にお礼を言いたい。
(以上、公演パンフレット掲載文よりの転載)

(今となっては、このような公演が実際に存在したのかさえ覚えていない:2013/09/23)

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一先ず真理(と云う対象・もの)に近付いた、と云う自覚が生む高揚感、此れは後々に大仰に打ち捨てられもするのだが——を長らく"お預け"に味わっていないように感じる。
以前は何にせよこのような「気付き」に溢れ、すると私の生活は常に新鮮なものに更新されていると感じられ、私は私を自覚し、私はそう云った私自身を度々乗り越えて、また私自身の関わっている生活を常々更新し続けている、と云う実感の幸福が確かに備わっていたものだから。
ふと、そのような煩悶に浸されているときには必ず、この感情を沈めてしまったこと無く乗り越えを促す言葉が手許に転がり込んでくる——
或いは奇跡的とも形容したい欲求に駆られでもあるような、何か偶然の意図に衝突する。
はたとその様な匂いのする言葉が私の意識を目掛けて目の中へと飛び込んでくる!

厳しい言葉とは必ずしも過剰を示すものではない。どんなに激しく責め立てられようとも、然し機微にはぴくりとも感じさせないような叱咤もよくある。逆に、冷淡なほど適切な塩梅に調律された言葉には、背筋に冷や水を打たれたような恐ろしさがあるものだ。機械が厳しい物言いしかし得ないのは、それが機械の本性だからである。

それから帰路に就き自宅のドアを開くと、足下で何か黒猫が蠢き尻尾を振った。が、それは昨夜の雨に濡れたまま玄関に抛たれた折畳傘であった。ドアが開かれるのに任せて、持ち手を上にして置かれた折畳傘は床へとしなだれ掛かるようにして、やおらにゆっくりと開いたのである。
またここにも、日常の中に潜む幻想的なものが在った。

電話を通すと誰の声だろうが同じ声になる。声の高い低いはその時々の電波状況により容易に変わってしまう。だからもし声の主が誰なのか聞き分けるのなら、相手の放つ語調や調子、語彙や言い回しで判断するほかない。

サインペンを執って紙の上に人の姿を描いてみる。
線が何本か引かれるうちに、ゆるゆるとした線の調子が段々と互いに絡み合い、やがてひっそりと人の気配のようなものが現われ始めてくる。
すると私は途端に嬉しくなるのである。
朧げに姿を現した人影に親しみを感じて、思わず喋り掛けてみる。
すると増々、線が増々人のかたちを成していくようである。
「こっちを見ろ!」
私は画中の人物へ向かい呼び立ててみる。
が、次の瞬間にはもうすがた形が崩れてしまい、人らしき気配は跡形も無く消えて、紙の上には稚拙な線が幾筋か残るばかりであった。
これもまた万物の物化である。

私は一人の女性から熱烈なアプローチを受け続けていた。
彼女は私の、予てよりの友人である。
又、彼女は私の親友と五年ばかり以前には恋人の関係を持っていた。
私はその為に、私はその親友に対して気兼ねするばかりで、余り事については気が進まなかった。
が、そのような私の心持ちについてを彼女は意に介さないばかりか、さらなる熱を上げて彼女は私に向かい挑み掛かっていた。
こうなると最早私には断る理由が残されていない。
とうとう私は彼女の熱意を前に唯折れるしかなかったのだ。

僕を労っておくれ。僕は真面目過ぎて、気弱いんだよ。

君はこれらの事柄について、単なる狂人の戯れ言に過ぎないと断じるかもしれない。
だが、これこそが一人にとっての生活上の現実である。

人は自分の発する言葉について辛辣であろうとする余りに、つい過剰な言葉遣いを乱発する軽薄さが有るものだ。
例えば全ての言葉に「超」という接頭辞を尽く付けねばならぬようであるし、又全ての文言についても恭しく「非常に〜」などと前置きをせねばならない義務感に苛まれているかのようだ。
が、そのような含蓄の無い言葉に対して、一体誰が身を打たれて震えるような心の移ろいを感じるだろうか。
そのようなものは誰にとっても何の足しにならない事は明らかである。
そのように軽薄な言葉を浴びせ掛けられたところで、自身の機微には何らの動きも起こらない、心は微動だに揺らがないのである。

April 20, 2009

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元住吉の書店で、
石黒正数『ネムルバカ』(徳間書店、2008年)、
を購入した。

April 18, 2009

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昼過ぎから散歩がてらに、清澄白河から東京都現代美術館へ。『池田亮司 +/- [the infinite between 0 and 1]』展を観る。
会場は1FとB1F。地下にある吹き抜けの大きな空間は使われていなかった。展示作品は全部で7点。展示内容は上下の階で反復するような内容。上の階は暗く、プロジェクタによる映像投影が為され、下の階は明るくて白い(床にはフェルトが張ってあり、靴を脱ぐように言われる)。
清澄白河より青山一丁目へ。青山霊園を散策する。
表参道から国連大学を抜けて渋谷へ。その道すがらに在る古書店で、
竹内芳郎訳『自我の超越 情動論素描』(人文書院、2000年)[=Sartre, J.-P. "La Transcendance de l'Ego---Esquisse d'nne Description phénoménologique" 1937. / "Esquisse D'une Théorie des Emotions" 1939.]、
を購入した。

April 15, 2009

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日吉駅に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 518, May, 2009)、
Prefuse73 "Everyting she touched turned ampexian"(2009)、
これらを購入した。

April 12, 2009

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昼過ぎにのそのそと起き出し、中原の図書館へ本を返却しに行く。
代わりに、
桝屋友子訳『イスラーム美術』(岩波書店、2001年)[=Bloom, J./Blair, S. "Islamic Art" 1997.]、
竹山博英編・訳『現代イタリア幻想短篇集』(国書刊行会、1984/1995年)[Calvino, I.、Buzzati, D. などを所収]、
河島英昭訳『薔薇の名前』(東京創元社、1990年)[=Eco, U. "Il Nome Della Rosa" 1980.]、
これらを借り出した。

April 11, 2009

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14時過ぎに家を出て、秋葉原へ行く。12V1AのACアダプタを買う為にあちこち探すが、目当てのもの見付からない。探していたACアダプタのプラグが少々特殊なもののようだ。標準プラグからの変換プラグを探すが中々ない。めぼしい店を数件巡ってもとうとう見付からず、終いに高架下の小店街を経巡ってやっと購入することができた。
秋葉原からは菊名へ行き、東京都現代美術館で催されている『池田亮司展』を観るつもりだったが、それから清澄白河へ行くことを考えると余り時間もなさそうだった。電気街から万世橋を越えて銀座線神田駅へと行き、そのまま真直ぐ清澄白河へと向かう。
この日、小山登美夫ギャラリーでは Gelatin 展のオープニング・パーティが催されていた。会場にはKrhさんの友人が何人か居るらしく、無料酒を呑むには良い機会だと思った。
それまでに散々歩き回って疲れていたから、駅を出てからカッフェを探して暫く歩いた。が、この辺りはオフィス街だからなのか、定食屋などは在れどもカッフェは見当たらない。結局は隅田川を越えて日本橋へと行き、手近なファミリーレストランに入った。
定刻には少し遅れて19時頃に会場へ着いた。この建物のエレベータは、搬出用のいかにも倉庫といったふうな大きなものだ。それがなかなか下へと降りてこない。やっと降りてきたかと思うや、エレベータ・シャフトの上の方から何やら騒がしさも降りてきた。ドアが開いて、思わず笑ってしまった。Krhさんの友人の一人が、小さなレコード・プレイヤを前に、学ランを着てDJをやっていた。会場に入ると、案の定、居るのは外国人ばかりだった。見知った顔も幾つか有る。無論、その全てが知り合いという訳ではないが。軽く作品を観て回る。そのままの足で屋上へ向かい、早速酒にありつく。その間にKrhさんから友人を紹介される。私は、英語を聞いたり読んだりする分にはなんとかなるが、話すとはままならない。相手が簡便な英語を話すに任せて、私はそれに日本語で以て返答した。
展示されていた作品について、それらは大凡私の趣味からは外れたものだった。売値は見ていないが、多分値が張るだろう。オーストリアのグループ Gelatin、作品にはペニスやアヌス、糞便の類いが頻出する。他愛もない悪趣味な感じもする。既成のぬいぐるみを解体し、再構成をしたらしいオブジェ、コラージュふうのデザインが為された椅子やテーブルなどは、微笑ましい好感が持てた。他、粘土状の樹脂を貼付けた絵画作品の一部には面白いものがあった。これは、適度な大きさに丸められた様々な色合いの樹脂を画面に貼付けることで描かれたモザイク状の絵画だ。用いられた樹脂辺の一つ一つは外形が維持され、混じり合っていない。つまり、作品に掛かる手数を数え上げることができる。又、この樹脂辺の一つ一つは手垢のように汚らしいのでフェティッシュを喚起しない。それらの集合によって、何らかの観られるべき注意を惹こうという態度は面白い。まさに質感にこだわった結果、陳腐なイメージと結び合っている。
20時を過ぎて、他の階も観て回り、その都度酒に手を伸ばして呑んだ。他の会場には特に見るべき作品がないように思われた。その内の二つ、刺繍による絵画作品と、八木アンテナによるインスタレーション作品(以前にYsdさんから聞いていた作家の)は、それなりに面白かったかもしれない。
それから、Krhさんとその友人(オーストリアで建築を専門としているらしい)との三人で八丁堀の居酒屋へ行き、軽く呑んだ。外国人が日本食の何を好むのかがよく分からない。仮に私が他国へ行き、他国語で書かれたメニュを見たとして、そこに写真も何もないとすれば、確かに料理の注文には困ることになるだろう。果たして隣のテーブルを指差し「あれと同じものをくれ」と言うことになる。彼とは会場で建築の話をしていたので、ここでは都市論的な話をした。

April 10, 2009

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勤務中に、フランスから日本へ一時帰国しているらしいFnbさんから電話があった。暫し考えて、この日の夜にでも会うことにした。彼女がストラスブールの劇場で舞台美術についてを学んでいるということは知っていたが、それ以上の詳しいことはよく知らない。彼女とは2年ばかり前からネット上の遣り取りをするようになり、それは専らSNSかSkypeによるものだったからだ。つまりこれが初対面ということになる。
タイ料理が食べたくなったので、勤務先から新宿へと向かう途中、渋谷でKrhさんと合流する。Fnbさんは友人とゴールデン街で呑む予定だと言っていたから、私たちはその近くにあるタイ料理屋へ行くことにした。新宿へ着いてFnbさんに連絡をすると、彼女もこのタイ料理屋へ行くということになったので、東口前の広場でAltaVisionを観ながら到着を待った。新宿の街並は汚らしく、雑然としていて、電車の中で精神を患った人間たちが、街中へどっと繰り出したかのような喧噪があった。おそらくこういうものに対して誰もが互いに耳を塞ぎ合っているのだろう。
Fnbさんと合流して、目当てのタイ料理屋へ向かう。彼女の友人は後から追い付くとのこと。新宿駅からは幾分距離があるのでその友人が店まで上手く辿り着けるかが少々不安だ。
一先ず酒と料理を注文して、三人で呑み始める。後からFnbさんの友人が現れる。幾らか演劇関連の話、それと他愛もない日本の文化や世相に関する話をした。

April 4, 2009

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Krhさんと花見に行く。
上野駅公園前口を出て、国立西洋美術館にあるロダン『地獄の門』の傍で待ち合わせる。東京都美術館で『Arts & Crafts』展を観たあと、園内を抜けて、道すがらに缶ビールを買い不忍池へ。音楽堂の作の外でサニーデーサーヴィスのライブを聴きながらうだうだしていた。
それから散歩がてらに谷中霊園へ行った。谷中銀座に寄り、酒の肴を買った。
それから、外苑前まで移動して、ワタリウム美術館へ行く。Krhさんは友人と合流してイベントに行った。当日のイベント・チケットがなかった為に、私はすぐ近くのカッフェでイベントが終わるまでの時間を潰した。

March 30, 2009

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近頃では古書店を覗く度に、乱歩熱がやおら疼く。童心の頃を思い返しては、乱歩に読み耽りたい——否、そのような時間が欲しい、と思う。だが、そう云う時間は生活から毟り取ってでも生み出さねばならないものだし、余地として眼前に転がり出てくるものではない。
職場からの帰りしな、元住吉の中古本屋にて、
池上遼一『肌の記憶』(小学館、1999年)、
石黒正数『Presentforme』(少年画報社、2007年)、
これらを購入した。

March 29, 2009

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起き抜けの微睡みを曇天に過ごした。中原図書館までの道程を、用水路沿いに咲く四部咲きの桜を眺めながら歩く。序々に日が照ってくる。やがて汗ばむ陽気となる。
転居してから初めて最寄りの図書館を訪れた。図書カードを作成し、
宇野邦一・高橋康也訳『消尽したもの』(白水社、1994年)[=Beckett, S. "Quad et autres piéces pour la télévision suivi de L'épuisé par Gilles Deleuze" 1992.]、
飯吉光夫訳『パウル・ツェラン詩集』(小沢書店、1993年)[=Celan, P. "Gespräch im Gebirg" 1983. / "Gegenlicht" 1977. / "Ansprache Anlässlich der Entgegennahme des Literaturpreises" 1972.]、
鼓直訳『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』(現代企画室、1992年)[=Llosa, M.-V. "¿Quién mató a Palomino Molero?" 1986.]、
氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波書店、1967年)[=Nietzsche, F. "Also Sprach Zarathustra" 1883-84.]、
これらを借りた。

March 28, 2009

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桜木町「のげシャーレ」へ行き、岩渕貞太『タタタ』を観る。私はこの公演に機材提供をしていたので、招待扱いで観ることができた。
作品は2部構成になっている。前半部は酒井幸菜が踊り、10分の休憩を挟んで後半部を振付けの岩渕貞太が踊る。この二つのパートは同じ振付けである。つまり、再現されたものの本性が、反復されたものとして現れてくるのであるが。
舞台の床には白色のシートが敷かれている。照明・音響機材の他に目を引くもののない素舞台である(この「素舞台であること」を強調する為に、舞台奥のコンセント類は有孔ボードの穴までも描かれた紙で覆われている! これは、何もないことを表現する装飾の過剰である)。先ず、観客の静寂を破って、演者が上手奥の扉から現れる。そして腰溜めに俯き、腿から膝にかけてを手の平で叩く。バシバシバシ……と突然、場内に肌を打ち鳴らす音だけが響く。緩急を付けて強く、それから弱く、また強く——といった具合に。やがて観者の聴覚はこの一連の操作によって、どんな小さな音に対しても敏感に反応するようになる。それに伴い、観者の意識は舞台上へ居着くようになる。次に演者は、腰を大きく捻りながら水平方向に回転させる。すると股関節を中心に、パキパキと関節の鳴る音が場内に響く。例えば無音の状態で、何か慎重な身振りを行うとき、関節音が鳴ることで観者の興が削がれることがある。表現されたものに対して肉体の生々しさが勝ってしまう為であるが、この作品では敢えて関節音を効果として提示することで、以降のそういった意識の離れを低減している。そして私が面白いと思ったのは、この動作の後、一部の照明が消された際に、灯体が温度差によって音を発していたことである(これが音響的な操作によるものか分からなかったが、意図的なものに思えた)。なぜなら灯体が発するこのような音も、通常はノイズとして観者の興を削ぐものだから。
それから以後、ビートの強い音楽の導入によって、ダンスの振りは激しく盛り上がりを見せる。誰か「躍動感のある」とでも表現しそうな、舞台いっぱいに駆け摺り回る動きである。が、音楽の過剰な突出によって導入部で作り上げた慎重さは消え失せ、まるで音楽に踊らされているかのような見え方になる。すると今までは緊密に思えた演者と空間との関係が解け、広過ぎる場所で動き回る身体が矮小なものに見えてしまうのと同様に、それまでの緊張感は一気に霧散してしまう、堪えのなさが露わになってしまう。すると観者の集中力もぱっと消えてしまう。だからこの1/3は蛇足に見える。否、これは寧ろカタストロフが過ぎ去って残る疲労感を表現したものかもしれないが、とすれば却って若者らしいありきたりな印象が表立つ。これは本作が、最後に演者が床へ昏倒することで終わる——横たわることは、歩くことや転がり回ることへも連続しているが、横たわったままで終わりを迎える理由には疲労を必要とすることから。
用いられた音楽が明らかにそれ単体で聴かせるつくりであるからその音数を減らす、演者に及ぶ照明効果のコントラストを上げるなどの対応により、上述の演出的失敗に対処することはできただろう。

March 25, 2009

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世界を認識の中へ祓いのけること——この脱魔術化の行き過ぎの裡に、世界は再-魔術化される。芸術が現れるのは常にこの逸脱の地点より、カオスと共にである。とすれば、私たちがこのような芸術の様相から(カオスから作品を分離し)「作品」を見出だすのは、既に先行する脱魔術化の認識を基盤としてのことである。この反射運動によって、脱魔術化を否定的に受け入れ、そして私たちは社会構造の外側に「作品」を見出だすことになる。なぜなら脱魔術化とは見られた限りの社会そのものであり、主観的に経験し得る習慣それ自体だからである。

March 22, 2009

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今日は六本木・ミッドタウン内にある 21_21 Design Sight にて『U-Tsu-Wa』展を観た。
小川待子氏の講演が行われていたからだ。
大体100人ほどの参加者があり、盛況な客数だったと思う。
話題に並行してモニタにスライドショーを表示していたのだが、モニタの設置位置が低いために客席の後方からは画像を見ることができなかった。
モニタの位置を2mほどにするか、プロジェクタによる大画面投影、あるいは客席をひな壇状にすることが必要だろう。
講演会場が出入り口に近い事もあり、途中、参加者以外の客が立てる音が思いのほか気になる。
これはそもそもこの建築が公演に適した場所を想定していないことからくる弊害なのだが。
講演内容はとても興味深いものだったが、企画としては最低である。
個人的には、小川氏の近作についての話を聞くことができた点は収穫だったが、彼女の近作を実際に観ることができなかった点に不満が残った。
公演の後、企画展を足早に観て会場を後にした。
というよりも、企画それ自体には何の魅力も感じなかった。
これは展示内容に先立って、展示方法に対する不満が募ったからなのだが。
まるで平面図上で決定されたかの如き展示方法には違和感を覚える。
というのも、「器」というものは実用品であり、手に取り口をつけて用いるものである。
にも拘らず展示として器と観客との距離が余りにも離れている為に、最早"触れる"という好奇心が萎えてしまうのだ。
そして展示案内を見ると、展示物が何か星座を意図した配置をしているらしいのだが、それが分かるのはやはり平面図の上でのことであり、実際に展示を見ている限り、それを意識することには無理がある。
ましてや水盤や、滝の造作はまるで展示物である「器」との関わりを想像することが難しい、全き無駄なノイズである。
例えば実際的には困難であるが、展示された器を手に取ることができるくらいが好ましいように思うし、またそうでないとしたら器の備える「用の美」は殆ど失われてしまうから。
こういう憤りを感じると忽ちに、ミッドタウンという施設の薄っぺらさが気になって仕方がないのだ。
本当に何もない。
トポフィリア(場所-愛)というものが生じない、単に足早に通り過ぎる為の施設だ。
おおよそ「高級〜」という接頭詞が付く商品が並べてあるが、それは専ら都心外からの観光客向けに設えられた記号の集合体であり、高級指向というものからは離れているように思う。
先ずあれに満足するような輩は成金趣味なのだと思わねばならない。
ミッドタウンとは、そういう"高級っぽさ"を充足する為の施設にしかない。
少なくとも建築的なフェティッシュを満足させるものとは到底思えないのだ。

March 18, 2009

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この日は、一週間に一度の定時上がりの日だ。
日吉の書店にて(日吉駅の書店かもしれない。補記;2012/02/08)、
折口信夫『日本藝能史六講』(講談社、1991/1944年)
を購入した。

March 15, 2009

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この日も
麻布十番へ行き『春の祭典』のソワレを観た。
それから、打ち上げに参加した。

March 14, 2009

作品を観ること、それを語ること

例えばあなたが作品を観て、何か感動や、えも言われぬ満足感を得たとする。あなたはその作品についての素晴らしさを感じて、この感情をどうにかして誰か(他者)へと伝えようとするかもしれない。あなたはその作品から、何か素晴らしいものを手に入れたのだと思うかもしれない。

だが、その「素晴らしい」という感動は、紛れもなくあなた自身の持ち物である。
(このことは「あなたが素晴らしい感性の持ち主である」という讃辞を意味しない)
つまりあなたは、作品において反射したあなた自身の感情について、好き・嫌いや良い・悪いを感じているに過ぎないのである。

だからもし、作品が(あなたに対して)何か新しい感情を与えるのだとすれば、あなたはそれを「素晴らしいもの」として感じるのではなくて、「訳の変わらないもの」として(さらには「見慣れぬもの」や「馴染みのないもの」、「不気味なもの」としても)感じるはずである。

なぜなら、あなたが作品から得る、よく分かるものの感情は、あなた自身の感動が裏返されたものであり、そうであればこそ、作品はまだあなたに対しては何も与えずに、そしてあなたはただ、作品と対峙したまま平行しているに過ぎないからである。
作品の本当の姿(この表現は、幾らかの語弊を含むかもしれないが)は、このような対峙の、その向こう側にあるから。私たちはさらに、この状況からまた一歩、大きく踏み上らなくてはならないのだ。

越境するもの——では一体、作品上の何を踏み上って越えていくのだろうか?
何を越えて、さらなる作品の内部(内奥)へと踏み込んで行くのだろうか?

額縁。土台。
これらを一まとめに指し示す言葉としてパレルゴン(parergon)がある。
「作品」と名指されるものの全てには、必ずこのパレルゴンがある。
なぜなら、わたしたちが「作品」と名指すことのうちには、作品を、それが置かれている環境からは引き離す動きがすでに含まれているからだ。
わたしたちが"それ"を「作品」と名指す。と、すでにこの「作品」は、周囲の環境からは切り離され、作品とそうでないものとに区別されている。
つまり「作品」という名指しは、作品の外形を規定すると同時に、作品それ自体にも触れているのである。

作品の内側から述べること、これは批評だ。
作品を褒めることも、作品についての好き・嫌いを述べることも批評ではない。(その役割はレヴュが担っている!)
作品経験上に何が起こっているのかを(有らん限り)正しく記述し、そして伝えることこそが、批評の担う機能(役割)である。
(『aimai』展@横浜、赤煉瓦倉庫。頒布物に掲載)

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麻布十番にあるスタジオフォンテーヌへ行き、
『春の祭典』(演出: よこたたかお)を観る。
この公演に私はドラマトゥルクとして名を連ねてはいるものの、
作品を観るのは今回が初めてのこととなる。
言うなれば最初期のアドヴァイス以外、私は全く口出しをしていない。
「その割には——」と言ってしまえば彼よこたに失礼だが、
意外にも面白かった。
総尺110分の長さは、まだ彼の技量には荷が重いとはいえ、
序盤から中盤部までの見せ方は中々、
今までに観た彼の作品では一番よかった。

March 13, 2009

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前の職場の人たちと8ヶ月振りに呑む。
その後、今の職場の打ち上げ二次会に参加する。
(よく覚えていない。補記;2012/02/08)

March 12, 2009

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日吉の書店にて、
『軍事研究』(No. 517, Apr., 2009)、
幸村誠『ヴィンランド・サガ』(Bd. 7)、
を購入した。

March 8, 2009

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・地政学と交通地理学とに跨がる軍事地理学を追認すること。
・距離と時間とに対して、速度の優位を謳う未来派の口振りを真似ること。
・移動における時間。

・先ず初めに世界がある。
・次にその世界を発見する、と同時に、こちら側とあちら側とが区別される。
・実に、この世界があることは、境界概念が現れる事後である。
・こちら側の大地。海岸線。眼前の海原と、その向こう側に想起される、あるかもしれない"あちら側の陸地"(彼岸)。
・このような意識の移ろいと共に移動がある。
・或いは、この移動が、こちら側とあちら側の認識に先立って境界線と同時にある。
・境界線がよりこちら側に近いか、またはあちら側に近いかということは、単にこの境界概念がいまだ保留され続けていることを表すに過ぎないか、自身の立てる場所を、それ以外の場所とは依然として分たれている。

・ke-ke-me-na の空間(これが部屋だということは既に分かっている)
←空間という立ち上がりよりも、場という平板さに近い。room=余地

・作品と、それ以外(周囲の環境)とを区別(区分ける)境界——額縁と土台。
・作品に額縁や土台が見当たらない場合にも、parergon は常に、作品とそうでないものとを区分ける。
・作品における、絵画の画面とそれ以外の部分、土台のない彫刻がそれ自身で立てる為の構造(しくみ)。

・画中の人物がありありと生きていること、絵具が生身の人物としては世界に存在しないこととの間、ここに絵具の微笑みがある。
・このような画中に生きる人物と、作品のその人物のモチーフとなった人物が実在している事実とは、最早何らの関係もない。それは作品上に、事後的に形作られる関係である。

March 7, 2009

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この日は、昼過ぎに銀座へ行き、
『DE MYSTICA』展(@なびす画廊)を観る。
これは、以前に Gallery Art Point で催されていたものの第二回目。
それから渋谷へ行き、久々に会う前の職場の同僚(多分、Wtn・Sitの二人。補記;2012/02/08)を含めた3人で呑む。

March 4, 2009

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退勤後、日吉駅に在る書店にて、
浦沢直樹『PLUTO』(Bd. 7)、
を購入した。
久々に眠気でふらふらとする。
頭の中が朦朧とする感覚は、珍しいもので、面白い感じがする。
空腹感さへなければ、ビールを一本ばかり呑んでそのまま寝入っていたことだろう。
だが、とはいえ今夜は早めに眠るつもりだ。

March 3, 2009

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Web作業三日目。翌朝の5時頃に大枠が完成し、あとは細かなフォントスタイルの調整を残すのみとなったところで、Mに投げる。明け方の坂を駆け下ってコンビニへ行き、ビールを買って帰る。Mは恋人を連れて私の家へやって来た。私が作業をしている間、二人は黙々と漫画を読んでいる。BGMは"Sea and Cake"からStravinskyへ。二人の時折交わされる遣り取りが仲睦まじく、羨ましい限りだ。

March 2, 2009

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Web作業二日目。退勤後に渋谷にあるルノワールへ。殆ど進捗はない。引き続き作業をする為に、Mから Power Book と EM の端末とを借り受ける。久々に自宅でのネットサーフィン。回線速度はまあまあ。とは云え光り回線に慣れている身からすれば少々遅くもある。が、充分実用レヴェルには達している。この日は翌朝の5時まで作業。前日に組んだものを、"一から"組み直す。

March 1, 2009

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学部時代からの友人、Mから頼まれたWeb作業の為、打ち合わせも兼ねて、退勤後に新宿のルノアールへ行く。四時間ほどで少なくともベースデザインくらいは終わるだろうとタカを括っていたが一向に捗らず。だが何のことはない、暫くWeb制作からは離れていたから、色々とネタを忘れていた。思ったよりも捗らないことは、意外にもストレスに感じる。引越しの際にweb制作関連の書籍・雑誌類は全て処分したのだけれど、それがよくなかった。と、今更ながら思った。

February 28, 2009

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友人Yさんが私の家へ訪ねてきて、お好み焼きを作って食べた。
その前に、食材を買い揃える際に、商店街に在る中古本屋で、
高橋葉介『夢幻紳士 逢魔篇』(早川書房、2006年)
を購入した。

February 26, 2009

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夢から得られるものは、このところ何もなくなってしまった。
この夢というものが、見るものではなく、単に見せられるものになったことから、夢を見たいという欲求も消えてしまった。
夢が現実を拡張したものではなく、ただ現実の付随物になった時点から、夢には何らの面白味もなく、残るものは確認という作業に過ぎないという訳だが。
既に起きたことを、異なる形式において認識すること——これが今、私にとってある夢のかたちなのだ。
そこに新しいものを見出だすことは難しいだろう。
夢とは、実に主体的な経験情報の別途のかたちに他ならない。
では仮に、夢がこのように何らかを繰り返すものであり、かつ夢に現れてくる出来事が全き新しい物事だとすれば、その事柄が現実において現れる場合は何であろうか。
現実において新たに起こる出来事が、今まさに繰り返されるようにして現れたとしたならば、この既視感の経験とは何であろうか?
換言すれば、夢が現実と平行することとは何であろうか。

February 24, 2009

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今年の冬に帰郷した際、私は父親に向かって「将来的には学者になりたい」と、胸の内を明かした。父親はそれを聞くや笑ったが、然し驚きはしなかった。当然ながら「好きにしろ」というのが、結局のところこの話の落としどころである。

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日吉にある書店で、
岩明均『ヒストリエ』(Bd. 5)
を購入した。

February 23, 2009

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日吉に在る書店で、
山田芳裕『へうげもの』(Bd. 8)
を購入した。

February 22, 2009

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神保町へ行き、同窓のTgw君と待ち合わせ、飲み屋で歓談する。
モバイルコンテンツの色々のアイディアについて話をする。
こういう話していればいつも、ありそうだが意外にもまだないもの——然も、技術的にも実現がそれほど困難ではない——は、当然ながら結構思い付くものである。
要はそのコンテンツが幾らのカネに結び付くかが話の主眼になるが、近頃ではそのテの話題に盛り上がることがとても楽しい。

February 21, 2009

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多摩へ行き立ち会い。
それから小川町へ、日中交流会館にある亜東書店へ行く。
曹春平『闽南建筑』(福建人民出版社、2008年)、
纪红建『明朝抗倭二百年』(华文出版社、2006年)、
を購入する。
友人のKrhさんと源喜堂で待ち合わせ、ついでに、
西田秀穂訳『抽象芸術論—芸術における精神的なもの—』(美術出版社、1958年)[=Kandinsky, W. "Uber das Geistigi in der Kunst" 1956.]、
を購入する。
この古書店へ来るのは、覚えている限りで実に6年振り。
Krhさんから、ダブりで購入したという、
小林康夫/石田英敬/松浦寿輝訳『フーコー・コレクション 2 文学・侵犯』(筑摩書房、2006年)、
を貰う。
それから御茶ノ水へ。中央線に乗り新宿へ。
世界堂へ行き、ロッドリングを買う。
新宿から渋谷、元住吉へ。
駅でTndさんと偶然に鉢合う。
元住吉のカッフェで暫くの間、購入した書籍などを読む。
帰宅路で日用品を買い込む。
生活をするには、思ったよりも色々のものが必要になってくる。
既にあるものを、別の違った機能を備えるものへと代えていくことも必要である。

February 20, 2009

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この日は昼過ぎに日比谷へ行き、
日比谷パティオの特設会場で催されている『テオ・ヤンセン展 —新しい命の形—』を観る。
これは「オランダ年」に託つけた企画らしい。
こういう「〜年」というものはいつの間にか決まっていて、気が付けばあちこちで該当国に因んだ企画が催されている。
どうにもイベント業界へ向けて安定した年間予算を消化しているように思えて仕方がない。
入り口付近から既に、チケット売り場越しに会場内が一望できてしまう。
嫌な予感がする。
チケット代は1500円と、この規模のアート系イベントとしては割高である。
そして会場内へと入って行く。
案の定、目の届く範囲の他には何もない。
展示の仕方やキャプションの形式など、どうもアート系イベントとは余り関わりのないイベント会社による企画のようだ。
この程度の展示規模であれば、企画展であれば500〜800円がせいぜいだ。
チケット価格設定に企画コンセプトのズレを感じる。
とはいえテオ・ヤンセンの作品が日本で展示されるのはこれが初めてのことだそうだ。
そしておそらく、彼の企画展が催されることは今後二度とないのではないだろうか。
そういう意味では貴重な企画展である。
YouTubeなどのWeb上で彼の作品を観ると、その巧妙な動きに先ず圧倒される。
さも精密な作りをしているのだろう、という予想とはウラハラに、私の興奮を打ち破って目の前に露わとなったのは、意外にも素朴な作りであった彼のアニマル(作品)たちである。
プラスチック・パイプとビニル・テープによる造作は、映像から既に見聞きしていた印象とは大きく異なって素朴である。
それどころかガラクタか廃品のようでまるでアウラがない。
彼曰く「死体」——この言葉に案外納得させられる、ビニル・シート製の羽は破れて痛み、関節は所々で脱臼している。
つまりこのままの状態では、これらのアニマルたちは生き生きと動き回ることが出来ない、という意味での「死体」である。
それが堂々と展示されている、という企画の悪趣味にも笑いが起こるのかもしれないが、それよりもこの明け透けなまでの空虚感に私は驚かされた。
この感覚はまるで、以前に横尾忠則『テクナメーション』の中身を空けてみたときのものによく似ている。
さきほどまでの生き生きとした躍動、これは一体どこへ消えてしまったのだろうか? という唖然である。
こんなデタラメな造作がああも生き生きとした生命観を表現してしまうのだ。
このことには脱帽だ、唖然とさせられる。
そして換言するならば、この展示会場には彼の生きたアニマルたちは一つとしてなく、あるのはその記録映像と、そしてその死体という痕跡である。
作品と呼べるものが一つとしてなく、展示された全てが作品の痕跡をただ伝えるに過ぎないものである、という点が、いわゆる美術展とは大きく様相を異にしている。
だがやはり、私はこれら二次的なものから大いに驚きと感銘を受けて、そしてDVDまでも購入してしまったのである。

February 15, 2009

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日吉に在る書店にて、
『軍事研究』(No. 516, Mar., 2009)、
を購入した。

February 13, 2009

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昼休み、日吉駅に在るの書店にて、
木田元監訳『〈象徴形式〉としての遠近法』(筑摩書房、2009年)[=Panofsky, E. "Die Perspektive als "symbolische Form"" 1924-25.]、
吉田禎吾・江川純一訳『贈与論』(筑摩書房、2009年)[=Mauss, M. "Essai sur le don" 1925.]、
若杉公徳『デトロイト・メタル・シティ』(Bd. 7、白泉社、2009年)、
これらを購入した。

February 12, 2009

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新居からの出勤。
歩いて職場へ行けることが嬉しい。
帰宅は24時少し過ぎになった。

February 11, 2009

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引越し当日。
12時前くらいにOghくんが運転する2tロングが到着。
箱詰めしていたものを一先ず運び出してしまう。
それからTgshさんがバスで到着。
バス停まで迎えに行く。
台所周りの荷造りをしながら、片っ端からトラックへ積み込んでいく。
本を詰めた箱は50箱ほど。
荷台に詰め込んでみると案外に量が少ないように見える(思える)。
相当に時間が掛かった。
後半は、専ら捨てる作業に専念する。
部屋の端の方に埋もれていたものは、持って行っても使わない。
16時過ぎにようやく出発。川崎へ。
野猿街道から川崎街道へ、道の名前は多摩川を過ぎたあたりで府中街道に変わる。
2時間ほどで到着。
マンションの前の道路に停車、カーブを避けたため、
入り口から少し離れた位置からの荷下ろし。
トラックから階段の下、階段の下から部屋の前。
私は部屋の前から部屋の中に、あれこれの整理を加えながら
段ボールを仕舞っていく作業。
21時くらいに荷下ろしが終わる。
当然のことながら、部屋中に段ボール箱が散在して在る。
二人と焼肉屋安楽亭へ行き、苦労を労う。

February 10, 2009

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火曜会。
下北沢の、火曜会へ向かう道すがらに在る古本屋で、
多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』(講談社、1971年)[=Caillois, R. "Les jeux et les Hommes, édition revue et augmentée" 1958.]、
浅田彰『闘争論——スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房、1984年)、
井筒俊彦訳『コーラン』(岩波書店、1957-58年)、
高橋 健二訳『メルヒェン』(新潮社、1973年)[=Hesse, H. "Märchen" 1919.]、
これらを購入した。
『メルヒェン』は、火曜会恒例のプレゼント交換の際に、早速他人の手へ渡った。

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引越し作業のため、有休を取る。
暫く生活が慌ただしかったので、
やおら疲れが現れてきて呆とする。
事務手続きなどを済ませ、
荷造りなどの実質的作業は余り捗らなかった。

February 8, 2009

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Sdくん・GtTくん・Krhさんが手伝いにきてくれる。
荷造り。
大量の段ボール。
後藤くんが段ボールをさらに追加。
六畳間の方はほぼ荷造りが終わる。
台所周りなどの、これ以上の荷造りはスペース的に難しい状況。

February 7, 2009

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荷造り用段ボールを集めにいく。
荷造り用品を買いに行く。
GtTくんが車を出してくれる。
夕方になって、疲れが出て、23時くらいまで眠ってしまう。
それから朝まで、引き続き荷造り。

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荷造り用段ボールを集めにいく。
荷造り用品を買いに行く。
GtTくんが車を出してくれる。
夕方になって、疲れが出て、23時くらいまで眠ってしまう。
それから朝まで、引き続き荷造り。

February 6, 2009

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私たちが流暢で適切な日本語での表現を試みるとき、そこには多くの「こと」や「もの」が省略されている。
(実直に、厳密な仕方で「もの」や「こと」を補ってやると、忽ちにこの日本語は硬直して、そもそもの語の魅力が失われてしまう)
性急に言えば、日本語の主語には主題があるが対象は欠けている。そこには主題を成立させるための志向性だけが存続しているのである。

January 31, 2009

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対談『詩と美術と野菜』(建畠晢・島袋道浩)@ワタリウム美術館

January 25, 2009

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東京藝術大学横浜校地馬車道校舎で催されていた"POCKET FILMS Festival in Japan 2009"へ行った。
会場の向かいに在る古書店にて、
米川正夫訳『検察官』(岩波書店、1928年)[=Гоголь, Н. "Ревизор" 1836.]、
折口信夫『死者の書』(中央公論社、1943/74年)、
和田忠彦訳『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社、2000年)[=Eco, U. "DIARIO MINIMO - Selection of 13 stories" 1992.]、
夏目漱石『こゝろ』(『漱石全集』Bd. 12、岩波書店、1914/65年)、
これらを購入した。

January 23, 2009

衛星「いぶき」が宇宙へ届いた日に、私は。

 風邪をひいた。
 昨日は午後からずっと呆としていた。軽く発熱があり、関節痛の気もあった。が、最寄り駅から走って帰宅する/キムチ入り雑炊を腹に詰め込めるだけ食べる/熱い風呂に浸かる/布団の中をドライヤで充分に温めてから眠りに就く、という様々な養生の甲斐有って今日は随分と持ち直していた。
 とは云え念のため、インフルエンザの検査のために一日仕事を休む。平日の昼間に街を歩くのは大学生振りのことになるか、他人の目を気にして、気恥ずかしい感じがする。
 そして「医者はどこだ!?」と。近所の思い当たる診療所へ端から出向くも、それは外科や放射線科であったり、骨接ぎ、歯医者など、何れも"内科"ではなく、ようやく内科の診療所を見付けたときには午前の受付時間を7分過ぎていた。それから15時30分——午後の受付開始時刻まで、暫くの間自宅でバナナを食べて過ごす。バナナを思い付きで買うと、一二本食べたあとには飽きて、大抵残りを全て腐らせてしまう。衛星「いぶき」打ち上げのJAXAライブTVを見逃していた。
 私の過度の医者嫌いは母方の祖父譲りなのだろうか、そんな因縁めいた理由付けを考えたくなるくらいに、私は医者へ足を向けることを億劫がる。だからこれが、多摩に移り住んでから8年も経って、やっと初めての受診になる。医者に掛かった人が、翌日の昼食のあとに何錠もの随分と複雑そうな組み合わせの処方薬を飲んでいるのを目にする度に、私は医者を敬遠したくなっている。これは風邪のような寝ていれば治る障りのほかには、さしたる病気や怪我に煩ったことのない所以の傲慢さだろうか。「精神病なんてものは脳のひく風邪のようなものだから、寝るか宗教でもやれば治るのだろう」と、精神科常連の人々に向かって言うと、彼らに鼻で笑われる。精神でさえも私は畢竟健康なのだ。
 この日初めて掛かった医者は、自宅から直ぐ近くに在る、いかにも"町医者"という風情の小さな診療所だ。患者の殆どはこのあたりの団地群からやって来るようだった。内装には昭和風の古めかしさがある。大きな型板ガラスの間仕切りや、ところ狭しと壁面を埋め尽くす啓発ポスターやら賞状やら、茶ニスが黒くくすんだ木製の靴箱など、どこか懐かしい風情がある。以前に一度だけ掛かった気仙沼の皮膚科や、郷里の小児科にも雰囲気がよく似ている。受付を済ませて、待合室のベンチに腰掛けながら検温をする。人工皮革張りの茶のベンチを撫でながら室内を見回していると、幼い頃の記憶が切れ切れに甦ってくるようだ。それほどまでに私は医者にはご無沙汰していたのだ。医者に掛かるのは検診でもなければ大抵が病気を患ったときだから、やはりよい思い出というものはない。こと苦痛や不快にまつわる記憶は兎角鮮明なものになりがちである。部屋の中は寒くも温かくもなく、このような由なし事を考えていたら、また午後になって軽い微熱が生じていたためにやおら混沌としだして、私は暫く居眠りをしていた。
 名前を呼ばれて不意に目が覚めた。「診察室」と書かれた——これもまた古めかしい、小学校の用務員室の扉に似ている——ドアーを開くと、初老の医者が待ち構えている。やはり一癖有りそうな顔付き、社交的な口振りとは相反した頑固そうな身振りに、彼の長年医者として培ってきた自信が感じられる。一見すると人の話を聞いてそうでいて、受け答えがのらりくらりとしている様子は坊主にも似ている。これもまた私が医者を嫌う理由である。相手から何を言われても、まるで既に用意されていたかのような返答をするのが坊主と医者の共通点だから。それにしても「町医者」というものは、どこであれ同じようなキャラクタが持ち回りでもしているかのように思える。不思議と以前にも彼に会ったことの有るような安心感がある。
 型通りの聴診のあとに、「風邪だと思うが、念のため」と前置きが為されてインフルエンザの検査を受けることになった。何でも近頃ではすぐに検査結果が分かるらしい、簡単な検査キットがあるのだ。見たことのない長い綿棒を鼻の穴から深々と鼻の付け根まで挿入される。滅多なことがなければこの箇所が内側から刺激されることはあり得ないだろう。鼻に刺さった綿棒の先が、そのまま目から飛び出すのではないかと思った。検査の結果は"陰性"。医者の蘊蓄を聞きながら、再三くしゃみの出るのが止まらなかった。
 「ありがとうございました」と、医者に礼を言って診察室を出てから、また暫く待合室で呆とする。再び私の名前が呼ばれる。受付で処方された薬の説明を受ける。塩野義のフロモックス100、科研のブルフェン200、よく分からない粉薬、頓服の解熱剤、堀井の含嗽用バウロ——至れり尽くせりだ。使わないで残った薬が有ったなら、使う宛てもないが、宝箱にでも蔵っておきたくなるくらいに。こうして私の知らないところで、医学は勝手に進歩していく。TVで『話題の医学』を観てたまに驚かされることが有るが、それとも似たような感想だ。「最近の医学は凄いね」と、まるで「へえ」という感嘆の声を無理強いにでも上げてみたくなるような気分だった。

January 18, 2009

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御茶ノ水でYkm君と待ち合わせ、彼の奨める居酒屋へ行き歓談した。
彼から、
阿部和重『グランド・フィナーレ』(講談社、2005年)、
『トワイヤン』(巖谷國士訳、アート・スペース・美蕾樹、1983年)[=Breton, A. "TOYEN" 1953.]、
『ゴダールの全映画』(ed. 梶尾和男、芳賀書店、1983年)、
これらを貰った。
中央線に乗り新宿へ着くと、京王線の乗るべき終電は既に逃していた。
仕方なしに若葉台までの電車に乗り、暫く腕組みをしながら車中で眠る。
多摩に帰り着き、駅を出ると雨が降っていた。
私は濡れながらに歩き、コートは水気を含んで重くなっていく。
そのまま歩いていると、雨脚は段々に弱まっていく。
この今降るものは、いずれ雪に変わらないのだろうか。
家に帰り着く頃には、すでに雨は止んでいた。

January 16, 2009

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自宅の最寄り駅にある書店で、
『軍事研究』(No. 515, Feb., 2009)、
『STUDIO VOICE』(Vol. 398, Feb., 2009)、
を購入した。

January 13, 2009

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 転居先が決まった。それに伴って、今は生活の新たな展望を想像している。例えば、新居の家具の配置や照明器具のこと、考えるだけで頭が痛いが蔵書の収納のこと、あれは持って行きこれは捨てるというようなこと。できれば全部捨ててしまいたい暴挙に思いを寄せ、また土壇場になってそれを捨てることが急に惜しくなってしまうのだろう、という想像。この雑誌は捨てる、この漫画は捨てない、この小説は捨てる、いや捨てない——云々。単なる重さにしてどれだけの量を捨てることができるか、という点には興味が尽きない。多少要るかと思うものであっても、売り払ってまで部屋を軽くすることができれば爽快だろう。
 書斎を手に入れること、椅子に座って本を読むことができること、論文の執筆に取り掛かること。台所の脇にイーゼルを置くことのできるちょっと場所を手に入れること、南窓からの陽射しを手に入れること、眠るに際して鬱積した本の山を見なくて済むということ。
 職場の人から、石黒正数『それでも町は廻っている』(Bd. 1-5)を借りたので、今はそれを読んでいる。

January 12, 2009

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 横浜中華街界隈を散歩。関帝廟、山下公園。
 夕方に、Parajanov, S. "The Color of Pomegranates(aka. Sayat Nova)"(79 min, SU, 1968.)を呆としながら観ていて、この映画は暫く前に——確か大学生の頃に観たことがあったな、ということを思い返していた。

January 11, 2009

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 昼間に不動産屋を回って、疲れた。

January 10, 2009

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 友人のKrhさんと待ち合わせて、岩波ホールにて Abuladze, T. "Monanieba(懺悔)"(153 min, GE, 1984.)を観た。
 いまいち掴みどころを得ない、これは単に文化的な差異によるものなのだろうか。終端部での老婆の台詞——「教会に通じていない道が何の役に立つのですか」という言葉に全てが集約されるのかもしれないが、よく分からない。単にそれだけではないと思う。

January 7, 2009

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 風邪をひいたのだろうか、紙巻き煙草の匂いがやけに——それも不快な具合に——鼻を突く。自分の服に染み入った煙草の匂いには敏感になる。自宅で煙草を吸っているときも、部屋に充満したまま暫く消えることがないこの匂いを幾らか不快に感じている。——だからといって即座に喫煙の習慣を止めることはなく、専ら喉が煙草の味を欲しているというふうに、私は相変わらず煙草を吸っているのだが。それにしても匂いに伴う嫌悪感は吐き気と同様に、理由に先立って立ち現れてくる。世に煙草の匂いに嫌悪感を抱く人間がいることは知っているのだが、それらの人々が、私が今まさに感じているような不快感のすぐ背後に嫌悪感すら引き連れているとすれば、そのような感情の運用がいかに性急なものであるにしろ、空恐ろしいことだと思った。思い返せるならば本当に馬鹿々々しい理由から生る嫌悪感に過ぎないのだけれども。

January 5, 2009

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 仕事始め。職場の人から、大西尹明訳『ラヴクラフト全集』(Bd. 1、東京創元社、1974年)[=Lovecraft, H. P. "The Shadow Over INNSMOUTH; and Other Stories"]を借りたので、今はそれを読んでいる。

January 3, 2009

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 郷里からの帰京。久々に新幹線のホームに立ってみると、在来線のそれとは異なる印象がありのまま新鮮に思える。線路の幅の広いことが頼もしく感じられる。視線が向かいのホームを越えていくと、そのまま那須連山の山の端まで、気分が一目散に走って逃げていく。地面というものの眺めが単に平らであり、この余りに平らである広がりのことを私は大地と呼ぶ。眼前を絶えず、右から左から新幹線が行き交うのだが、それはアナウンスがあって暫くすると轟音とともにやって来る、と思った瞬間には走り去っている。鳴らす音のわりに巻き起こる風は僅かだから、瞬く間に視界の外へと消えていく新幹線は疾走するという感じがする。
 途中、新宿の Book 1st. へ立ち寄り、
稲垣足穂『一千一秒物語』(『稲垣足穂コレクション』Bd. 1、筑摩書房、2005年)、
を購入して、多摩へと帰る。