August 31, 2008

『所沢ビエンナーレ・プレ美術展——引込線』

 『所沢ビエンナーレ・プレ美術展——引込線』を観に所沢へ行った。この日はシンポジウムが併催されていたので、「所沢」の会場は後回しに、先ずは「航空公園駅」を下車し所沢市役所へと向かう。
 と、私がここに至るまでに執った経路は随分と煩雑なものだった。それが余りに可笑しなものだったので、以下に書き残しておく。私はバスで「聖蹟桜ヶ丘駅」に向かった。京王線に乗り2駅、「分倍河原駅」でJR南部線に乗り換えて1駅、「府中本町駅」でJR武蔵野線に乗り換えて4駅、「新秋津駅」を下車し路地を歩く。先ずは右に折れ、次いですぐに左へ曲がる。そのまま商店街を抜けると西武池袋線「秋津駅」が見える。道中の、この日の天気は素晴らしい晴れ模様で、大変に秋らしく、また風は心地好い具合で涼しく、まだ夏の事を思い返すには充分な陽射しの強さがあり、私は快活な気分でこの小旅行を楽しんだ。秋津駅から1駅、「所沢駅」で西武新宿線に乗り換えてまた1駅、「航空公園駅」下車。ここまでの乗り換えは5回。私は過去に一二度、この経路で所沢まで行った事が有った。

August 30, 2008

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 「パップコーン」の単独ライブ『カンヌ』に使う映像を撮影する為に久我山へ行く。『Scale-Out』展を観る為に銀座に在るコバヤシ画廊へ行く。それから再び久我山へと戻って『11.P.M』に顔を出し、その後の打ち上げにも参加する。今回で『11.P.M』は28回目、残す2回を以て終了となる。それは惜しくもあり、又た懐かしさもあり、メンバーの芸人たちと仲良くなれたことはもとより、様々の芸人とも話す機会の有ったことは何とも楽しかった。

August 26, 2008

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 今日でやっと、3ヶ月ほど前からお互いに不在着信を残し合い、然しながら一向に話題の進展することが無かったUsmさんとの電話が通じて、久し振りにそれぞれの近況のことなどを話をした。この奇妙な探信音の遣り取りが、一体どちらから何の用事の為に開始されたのかについては、もうすっかり忘れてしまった。彼女と最後に電話越しの会話を交わしたのは確か半年くらいは前のことで、私は新宿駅西口の舗道で彼女からの電話を受けたのだった。その時私は一人で居たのだけれど、それはこれから人との待ち合わせをするか、或いは誰かと別れた直後のことだったように思う。どちらにせよ、私の記憶はこの出来事と共に珈琲の味を覚えている。

August 24, 2008

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横浜は関内に在る ZAIM へ行き、照明プラン及びドラマトゥルクとして関わるNUDO『ペトルーシュカ』を観に行った。

August 23, 2008

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 今日は addidas 社製のスニーカを3足買った。靴を買うのは久し振りのことで、念入りに履き比べて品定めをした。暫くは生憎雨続きのようだけれど、明日は真新しいスニーカのどれかを履いて出掛けるのだから、それが楽しみでならない。黄緑味のある金色の革のもの、メッシュ地で細身の白銀色のもの、コーデュロイ地の緑色を基調としたジャマイカン・カラーのものを、3足枕元に綺麗に並べて私は嬉々としていた。

August 22, 2008

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 仕事が終わってから渋谷へと向かい、レコード店にて Mravinsky, E. による Bruckner, A. の交響曲集(Symp. No. 7 - No. 9)、Shostakovich, D. によるピアノ曲の自作自演集、Borodin Quartet による Shostakovich, D. の弦楽四重曲集(No. 1 - No. 15)のCDを購入した。これらは全て VЕНЕЦИЯ 盤のもの。

 8月15日の終戦記念日を経てから、気温は下がり、やがて秋めいてきた。蝉はまだ騒々しく鳴き喚いているが、その様相は随分と空々しく季節外れであるとも感じられるほどに、この数日の気象の変化はより一層明確に秋を表し始めていた。私が幼い頃に覚えた夏のイメージ——青空に立ち上る入道雲や、夕立や雷——は、この十年の間はすっかり失われていたのだけれども、今年の夏にはそれらがまるで一巡でもして再び開始されたかのようであり、四季に於いては最も強く激しい夏の気象の現れは、私の古い記憶を一括りにして一挙に蘇らせるものだった。巷で喧伝されているようにそれは確かに異常気象の片鱗であるかもしれないが、私は幼少期を過ごしたタイでの気分を呼び起こす荒々しい今年の夏のから直裁に懐かしさを覚えた。だが、その夏の姿も今や私の眼前を足早に過ぎ去ろうとしている。気が付けば散歩道を彩る風景の色合いもまた秋へと移り変わっていく。草木はその時々で最も華やかな種が連綿に異なるとは云え、このような眼に見える自然の変化について私は敏感でありたいと思う。

August 18, 2008

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「次いで七日目になり、彼らは早く、夜が明けるとすぐに起き、これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。その日だけ都市の周りを七回行進した。そして七回目のこと、祭司だちが角笛を吹くと、ヨシュアは民に向かってこう言った。「叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ。そして、この都市は滅びのために捧げられたものとされなければならない。それは、そこにある一切の物と共にエホバのものとなる(…)」。それで民たちは叫び声を上げた。それは〔祭司〕たちが角笛を吹きはじめた時であった。そして、民が角笛の音を聞き、民が大きなときの声を上げはじめるや、すぐに城壁は崩れ落ちていった。そののち民は、各々自分の前をまっすぐに進んで市内に入り、その都市を攻め取った。」

[《And it came to pass on the seventh day, that they rose early about the dawning of the day, and compassed the city after the same manner seven times: only on that day they compassed the city seven times. And it came to pass at the seventh time, when the priests blew with the trumpets, Joshua said unto the people, Shout; for the LORD hath given you the city. And the city shall be accursed, even it, and all that are therein, to the LORD(…). So the people shouted when the priests blew with the trumpets: and it came to pass, when the people heard the sound of the trumpet, and the people shouted with a great shout, that the wall fell down flat, so that the people went up into the city, every man straight before him, and they took the city.》
Joshua 6:15-17, 20]

August 16, 2008

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 駅前の書店にて、ヴァレリー, P.『エウパノリス・魂と舞踏・樹についての対話』(清水徹訳、岩波書店、2008年)[="Eupalinos ou l'architecte" 1922. "L'ȃme et la dense" 1922. "Dialogue de l'arbre" 1944.]を購入した。

August 15, 2008

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 この日は同窓のTksさんと上野で待ち合わせて、東京国立博物館で催されている『対決——巨匠たちの日本美術』展を観に行く。最終日が近付いていた為にか、平日であるにも拘らずまるで休日とも見紛うばかりの人出の多さだった。炎天下と、そして湿気に滲んだ色とりどりの人の海。皆銘々に気負った面持ちで、一堂に会した日の本の名物を拝んでやろうと躍起だ。そんな熱気の最中に紛れて、お互いに歩調も歩幅も合わないから、先ずは各自で順路を2巡して、それからロビーで待ち合わせて3巡目を一緒に観て回った。ガラス壁に汗の浮いた鼻を擦り付けるようにして、雑踏に偶然居合わせた隣人と肩を擦り合い身を捩るように前に出て、或いは二三歩ガラス壁からは退いて、苦心しながらも窮屈な鑑賞を終えた。企画展でもなければ、こうして合い並び立つことも無かったであろう名物の数々が、一挙に視界へと収まる景色の為に湧き立つ高揚感の何と騒がしいことか。「対決」の文句はあからさまに観者の批評的な態度を煽るものだけれども、寧ろこの企画展に於ける真骨頂は、名物の数々が織り成す異彩の景色にこそ集約されている。個々の作品をじっくり観たければ、銘々の収蔵先へと足を運ぶ方がずっとよい。間違ってもこの為に掛かる手間を省いて楽をしようなどとは考えないことだ。そうでなければ、わざわざ人混みに揉まれてげんなりと疲労するようなことは割に合わないし、馬鹿げているから。
 私は雪舟にちらと挨拶をして、長次郎を愛で、宗達には大いに笑い、蕪村に唸って会場を後にした。彼女とは等伯と若冲への好みについては共感し得たが、然し私の蕪村趣味には首を傾げていた。こう云う趣味が死を眼前に悠然と余生を楽しむ老成のものであることを私はしっかりと心得ている。そのような愉悦を、私はM先生から教えられていた。

——或いは別の夢。

 「見せかた」と「見えかた」との矛盾を記述することにかけては芸術批評の強みがあるが、そこへ理論的な正当性を織り込んでしまう点では文学に劣る欠点を備えている。だが、対象へと向かう態度に於いて何らの他人事の余地も挟まぬという点に、批評的言説の価値が宿る。これはジャーナリズムには到底及びも付かぬ真摯な態度である。予てより批評畑の人間は世情を退き何者かの歴史の為にかまけてきた訳であるけれども、然しふと娑婆へと眼を向けてほしい。そこに何が見えるのか、己れの真摯な態度はどのように発露されるのかを試してほしい。改めて言うまでも無いが、芸術は古典にしかない。それ以外のものはひと時も保ち堪えずに、目を離したその瞬間には跡形もなく消尽してしまうのだから、本当に下らない、それらを救い出そうなどと義務感を誤謬に貶めることなく、先ずは己れの眼前に何が現れているかを明敏に語ることこそが、最も真なる(そして内なる、私たちの)芸術に歩み寄る為の唯一の手立てである。当の芸術作品は、私たちに遅れて、宣言的に現れてくる。その差異に向かって我々は言葉を差し挟むのだから。

——さらに復た、別の夢。

 いよいよ以て重症だ!
 レコード屋を訪れても、聴きたい音楽が思い浮かばない。書店に立ち寄れど、欲しかった本を目にしても、それらを手に入れようとは思わなかった。
 近頃では新本を買わず、新譜を買わず、何もかもすぐに見飽きるだなんて、いよいよ老成の無気力が歩み寄って来たのか!?
 最近では文章を書く気もめっきり失せていたけれど、今ではリハビリ紛いにまた幾つかの文章を書き始める機会を得ているから。僕は程無くして、文学者に成っているかもしれない。

——このような気分を夢の中で思い出しでもしなければ、復た現世に於いても同じ気分が繰り返されることも無かったのだと思い、私は大変に悲しかった。と云うような夢を見た。

August 14, 2008

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 B社での仕事が今日で最後となったので、同僚の一人が気を利かせてくれて、居合わせた何人かと写真を撮った。本当に小さく、小ぢんまりとしたスナップ写真だ。Tさんが携帯電話で撮ったものを、職場で写真撮影をするなんて珍しいなと思いながら余り乗り気ではなく私が写り込んでいるそれを、彼女は退勤の際に何気なく私に手渡してくれた。並んで写る顔を見比べて、それにしても私は年齢の割に老け込んだなと思った。子供を連れて職場に顔を出していたOさんは、親子で写真に収まっていた。その子はとても大人しく、幾らかは緊張していたかもしれないが知的な性質の潜む控え目な立ち振る舞いで、私を直裁に驚かせるのだった。バルトから「眼の背後にではなくて、眼の上に、余分の知性を貯え、思考力を保ち包蔵しているように見える」[『表徴の帝国』]という言い回しを借りて、私にはこのような瞼への印象にOさんと息子であるH君との血の繋がりが端的に見出だされてくるのだと思えた。

August 13, 2008

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 仕事が終わって、一度帰宅してから自転車で漕ぎ出して川縁を走り、近所の古書量販店へと向かった。仕事で世界史の知識も必要となってくるように思われたから、河出書房新社刊『世界の歴史』のうちから「古代インド」「イスラム世界」「ルネサンス」「絶対君主の時代」(Bd. 6, 8, 12, 13)と、『交通地理学』(大明堂、1968年)、小学館刊『原色世界の美術』のうちから「ギリシア」(Bd. 11)を選び出し購入した。

August 11, 2008

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「眠れねえのか? 明日の今頃はよ、歴史上の人物だな。……昼間、下で工事してた連中、山ほど貝殻掘り当てたそうだぞ」
「へえ。何でこんなところに……」
「何でだと思う? ……ここは昔、石器人たちのゴミ捨て場だったんだ」
「へえ。」
「可笑しいだろ。この最新式宇宙船は、ゴミの中に立っているんだぞ」
「へえ……、まさか石器人だって、自分たちのゴミ捨て場が宇宙船の打ち上げに使われるなんて、思わなかっただろうな……」
「これからさ、さらに一万年後、ここで何かするヤツはいるんだろうか……」
「大量の食い残しの中にさ、鉄骨やらコンクリートやらが混じって、さぞかし壮絶だろうな」

[GAINAX『王立宇宙軍 オネアミスの翼』1987年]

August 9, 2008

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 尾久からの稽古帰りの埼京線で、隣に座るタイ人女性からタイ米の匂いが香るのを、妙な懐かしい気分に浸っていくように感じて、膝の上に開いた本に視線を落としながらも、瞼の裏へ懐かしい彼の地のすがたを想像する私には、幼い頃に過ごした熱気を嗅ぎ分けたならいつでも復たそこへと辿り着けるような気がした。オデュッセウスが遠く望郷の向こうに霞んでいくイタケーを見たようにして、私は度重なる困難にも勇敢に立ち向かいながら、やがて彼の地の土を踏み締めていることだろう。

——ただいま! 私は度重なる困難にも勇敢に立ち向かってまいりました! オデュッセウスはいまやっと帰り着いたのでございます!

August 8, 2008

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オペラシティアートギャラリーにて『近藤恵介展』を観る。

そして、そのついでと云う気分で、『トレース・エレメンツ——日豪の写真メディアにおける精神と記憶』展を観た。
事前に下調べをしていた訳では無いので、古橋悌二《LOVERS——永遠の恋人たち》(1994年)のキャプションを目にした時は、驚いたし興奮した。
この作品については以前より様々な媒体から知識(彼の死によって神聖視された)を得ていたが、実際に目にするのはこれが初めての事だったからだ。

なびす画廊にて『P——利部志穂展』を観る。
昨年に観た同画廊での作品と比較して、インスタレーションへの傾向をさらに強いものにしていたが、それにより扱われた素材の物質感は殊更に際立っていた。
その為に、私には最早「彫刻」と「インスタレーション」との差異が殆ど疑わしいまでに接近していると感じられた。
蓋し、初見の直観に従えば、この作品は歴然として「彫刻」である。
ただその根拠を明晰に述べる事が出来ないほどに、私は「彫刻」についてを掘り下げて再考せねばならないと云った具合に陥ったのだった。

August 7, 2008

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 仕事が終わって、一度帰宅してから、自転車で漕ぎ出して近所の古書量販店へと向かい、
大江健三郎『河馬に噛まれる』(1985年)、
id.『治療塔』(1990年)、
島田雅彦『夢使い』(1989年)、
id.『愛のメエルシュトレエム』(1991年)、
id.『忘れられた帝国』(1995年)、
id.『流刑地より愛をこめて』(1995年)、
id.『内乱の予感』(1998年)、
これらを購入した。

August 5, 2008

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 最近リリースされた2本のアルバム——Beck "Modern Guilt" と Primal Scream "Beautiful Future" を試聴していたら、何だか笑えてきてしまった。きっと皆な疲れているんだ。誰しもが今はこういう音楽に浸りたくなる。いかにも売れセンのポップ・ソングというのも嫌だし、かといってロック調のけれん味を欲している訳でもない。モダニズムの再来を志向するにしても、今すぐには The Beatles や Peter Ivers なんかの"王道"を聴く気分にはなれない。すぐに疲れてしまう。今年の余りに夏らしい夕立や雷の為に、北半球は一斉に夏バテを喰らっているような気がする(でもこれは、あくまで東京から世界を眺めた限りでの一方的な感想だ)。だからこんな寄り道みたいな音楽が出来上がったのだろう。3日ばかり我慢してこの2本のアルバムをヘヴィに聴き続けたら、きっと気分もすっかり良くなる予感がする。それも悪くない、何せ今はそういう気分なんだから。

August 4, 2008

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 大学時代の同窓たちと顔を合わせる機会を得る。1ヶ月振りや半年振り、中には数年振りと云う人も居た。私の他は女性ばかりで、奇妙な居心地を味わったがそれは決して嫌なものでは無かった。マドンナは来なかった。この日は昼から雷が鳴っていた。窓の外のヴェランダに在るオープンなテーブルセットが雨に濡れ続けている様子は、それらがネオン光と雷光とに照り出されていた為にか、奇妙なものに見えた。
 彼女たちはそれからカッフェに場所を移して歓談を続けるようだったが、郊外に住む私は終電の事を気にして足早にその場を辞した。よくよく考えてみれば、あと30分ばかりは時間の余裕も有ったかもしれない。

August 3, 2008

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有楽町へ行き、同窓のTksさんと『スカイ・クロラ』を観る。

August 2, 2008

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 『ペトルーシュカ』の稽古の為に尾久へ行く。初めての通し稽古だったということもあり、当然ながら緩慢なところや退屈なところが散見される。だが、Ykt君が本作の為に用意した結末には思いのほか面白い効果が生まれていて、これを起点としながら結末までに至る過程を整理するだけでそれなりに良いものにはなるだろうという予感はしたのだ。
 それから場所を新宿へと移して、舞台美術を担当するYmtさんを交えて作品全体を通底するイメージを決定する為の打ち合わせをする。その成果からは中々良い具合の空間になりそうだという直観が働く。そう思えたら、段々と作品の完成が楽しみになってきた。私にとっては蛍光灯の効果を充分に発揮することが出来るという点でもやり甲斐は大いに有るから。

August 1, 2008

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 遅めの朝に起きて、身の回りを簡単に整えた後に最近公開された『崖の上のポニョ』を観始めた。『千と千尋』以降のジブリ・アニメには繰り返し観るに値するだけの魅力が感じられないから、私はわざわざ映画館にまで足を運ぼうと云う気にはならなかった。周囲に先駆けてまで観るほどの情熱も湧かないし、何かの機会に観てその一度きりで終わりという感じだ。
 暫くの間は漠然と眺めていたけれども、それから映像の再生を中断して昨晩の残務処理をこなす為に日吉へと向かった。仕事は結局30分ほどで済んでしまったし、久々の休日にすっかり気も緩んでしまったから、慶応大学のキャンパスを少しばかり散策した後は武蔵中原に立ち寄り駅周辺を逍遙する。持参していた本をカッフェで読みながら、改めて久々に味わう余暇の充実を感じた。机上に積んだ数冊を全て読み終えてから、やや暗がりとなった帰路に就いた。そして帰宅してから身の回りを簡単に整えた後に、『崖の上のポニョ』の続きを再び観始めたのだった。