May 31, 2011

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日吉に在る書店にて、
田中一江・金子浩訳『ねじまき少女』(上・下、早川書房、2011年)[=Bacigalupi, P. "The Windup Girl" 2009.]、
ハロルド作石『7人のシェイクスピア』(Bd.4)、
を購入した。

May 28, 2011

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「美学のいろは」@渋家に参加。
元住吉に在る書店にて、
倉田英之・okama『CLOTHROAD』(Bd.10)、
を購入した。

May 27, 2011

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職場の新人歓迎会のだった。

May 25, 2011

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日吉に在る書店にて、
いくえみ綾『プリンシパル』(Bd.1)、
木尾士目『げんしけん 二代目の壱』(Bd.10)、
を購入した。

"芸術である状態"が担うと考えることはできないだろうか?
 
この為、芸術としての承認が内発的に生じる場合には芸術に価値性として重要さを付与する事になるけれど、他方でそれが外発的に生じる場合には重要さが価値性として芸術を付与する事になる。

May 23, 2011

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対象が芸術性を有する場合とそうで無い場合とで、両者に重要か否かの違いが生じるか? と云う文脈に呼応する為に、僕は喩えて、或る作品が芸術として前提し得る場合のその重要さを芸術価値としたけれど、この価値のことを状態と置き換えて貰っても構わない。

なぜなら、或る価値は、それとは異なる価値との比較によって生じるとも考え得るから、実際的に或る価値が価値付けを受ける際には、当の価値の価値性がその根拠として対応すると言い換えることが出来る。

故にこの意味で、作品が芸術として価値付け(承認)を受ける場合には、この価値に対応可能な価値性が既に作品に於いて生じている、これを作品が有する価値の状態として、芸術価値に対置することが可能だと僕は考えている。

つまり、芸術(概念)と作品とはその都度に生じる価値性に於いて不可分だとも考え得るし、又、必ずしも作品に対して芸術(概念)が先行し得る事も無いと云こと。この上で芸術は作品に対して先行も後続も可能な半ば独立した概念であると規定可能ではないか?

May 4, 2011

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国立新美術館にて、『シュルレアリスム展ーパリ、ポンピドゥセンター所蔵作品によるー』を観た。
それから青山に在る書店にて、
『表象 05』(表象文化論学会、2011年)、
陸奥宗光『蹇蹇録』(岩波書店、1983年)、
を購入した。

May 3, 2011

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中目黒に在る中古本量販店にて、
桂正和『電影少女』(Bd.1-15)、
を購入した。