diptychの岡崎作品に関して、
もう一つの絵の存在について仮説を立てる。
これは"岡崎作品"を見ると、
途端に筆触の対応関係を追う事を要請されてしまう点に着目したものである。
ある筆触、即ち"図"を追う過程で、"地"である周囲の筆触がサブリミナル的に記憶に蓄積される。
これにより記憶の中で混合が行われるのではないかという説だ。
つまり、作品として提示されたものが機能として存在する事により、
まさに"筆舌し難い"triptychの中心が浮かび上がる。
ちなみに、
この可能性を岡崎氏本人に聞いてみたところ
曖昧な答えが返ってきた。
December 14, 2002
untitled
時刻: 00:00
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