March 16, 2007

『利部志穂』展@なびす画廊

私の同級生である利部志穂の個展を観る為になびす画廊(銀座)へ行く。

 作品を構成するのは廃品の寄せ集めで、用いられた素材それ自体は最早フェティッシュでしかない。「組み合わせ」と云う事が作品に於ける最低限の「形式」を成り立たせている。つまりこの作品に於ける大半は質料に対して費やされている。だから寧ろ、この作品の成り立ちの為に必要な"複数にして単数の土台"と云うことが問題になってくる。空間に於ける個々の部材の配置と云う事よりも、それぞれが共動しながら建築/場と関係を結んでいる事にこそ着目するべきである。
 この作品から催される情調は余りに彫刻的であるのに、もし「土台」と云うことが問題にならないのだとすれば、これは単なるインスタレーション作品と云う事になってしまうだろう。それではこの作品の持つ楽しみを欠いてしまうのだ。

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『利部志穂』展@なびす画廊 >>>
 http://www.nabis-g.com/exhibition/2007/kagabu-s.html

March 5, 2007

Shoegazer

冬の寒さに暖かな強風を感じる時、
それがどんなに乱暴な様子だとは云え、
人の心は浮き足立たずに居られない。
そろそろ春がやって来るのだと云うことを
鼻先に触れる好奇心から察している。

梅の花の咲く朝は、冬の景色である。
先日、上野恩賜公園を訪れた際に目にした大寒桜の紅色は
この時期のものとは云え、異様であった。

春はまだ来ない。
夜ともなれば空気は凍てつく。

ところが春の気配の目につく度に、
人の心は一層逸る。小躍りをする。
それは、春の気象と云うものを
生来から知り得た為の確信だった。

この慌ただしさが春である。
春は嵐と共に訪れる、生煮えの春だ。
湿気を孕んだ空気、粉雪の如く風に舞い散る雨。
乱気流と、雲の変幻の連続、そして仄暗の空。
全てに春雷を予感した。