November 3, 2009

untitled

自由が丘に在る中古本屋にて、
山田芳裕『デカスロン』(Bd. 8, 9)、
細野不二彦『ギャラリーフェイク』(Bd. 25)、
を購入する。
それから多摩美術大学上野毛校舎での "Sound Meeting" に顔を出す。
段取りが最悪で、目を覆う。
渋谷、Tower Records へ行き、
Jim O'rourke "the visiter"(2009.)、
"Ritual Music of the Tibetan Monks for Meditation"(Retro, Italia, 2007.)、
を購入する。

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どうだろう? 私はずっと、もっとずっと鬱憤が溜まっているのかもしれない。それは国外へ向けてのものである。私がいま手にしているもの——オランダ語の冊子、ドイツ語のフライヤー、ロシア語のフリーペーパー、中国語の詩集。それと、今日は埴谷雄高の小説を読んだ。が、物事を私は、是が非でも綯い交ぜにして、兎角いま居るこの国からは少しだけ離れて(タイやベトナムから眺めるようにして)、何か傍観染みた意識を連れていたいのだと、そのような切迫が近頃、目に見えて明らかに表れてきた。だが、私には何の取り柄でもあると云うのか? 私は旅行者にだけは成りたく無い。兼ねてから私は、自身が日本人であることが疑わしいのだけれど。かと云って何国人で有るかと問われたなら、それは不分明の侭であるが——言うなれば単に「アジア人」と云う感じがする。もう兼ねてから長い間外国で生活を続けている、かのような違和感はついぞ止む事が無いのだ。