February 19, 2012

『アントン・猫・クリ』

黄金町へ行き、快快『アントン・猫・クリ』を観た。

今回の快快『アントン』は、前回(STスポット)の時に比べるとずっとコンセプチュアルな印象だった。シノダ演出らしい湿っぽさ、情感みたいなものは消えていて、もっとポリフォニーの効果を追求している。端的に言って、役と身体性との関連はより強調される方向へ向かっている。

僕は『キレなかった〜』公演は観ていないので、あくまでSTと今回の比較になりますが、前回に比べてドキュメンタリー・パート(インタビュー)の比重が減っていたし、物語性への感情移入よりも状況の現前の方を整理していたと云う印象です。
第一部三幕目の4声パートは、前回だともっと音楽的に半ばリズムで強引に状況を立ち上げる仕方だったのですが、今回は身体性の比重を高める事でキャラの描き分けを簡便にして、その分、声=名詞の結び付け効果から立ち上がる状況の情報量を増やせている。且つ、前回よりも、役と役者の対応関係の分割や融合に演出を割いている、と云う印象がありました(この演出は『霊感少女ヒドミ』や『R時/Y時』でよく行われている)。その分、見え方としてポリフォニックな効果が分かり易くなっている分、前回よりもシステマチックに整理されていると云う感想です。

アントン、ホリゾントに映写されている字幕は、正面から見れば舞台(空間)の背景レイヤーとして重なっているように統合された見た目になるが、僕が今回観たのが側面からの位置だったので、舞台手前の演者と奥の字幕とが対分される。その分、舞台上に立ち上がる「劇状況」の空間性が薄っぺらに見えてしまうかもしれない、と云う感想は有る。正面から見た方が、演出的に再構成されたサラウンド感ははるかに効果が強い。

冒頭より、一人の演者から見た状況(主観)が舞台上に展開されるのだが、それが単にサラウンド的なのでは無く、あくまで舞台上の主観を経由した状況を鑑賞経験として立ち上げている演出が興味深い。
演者の声=名詞の音量変化は、その主観からの距離感や興味の度合いに伴って大小する。その主観を中心とした空間的な状況が立ち上がる。が、それを客席から観た際に、例えば右側から聞こえる音が即ち劇状況に於いて右側から聞こえているとは限らない。