August 22, 2014

『水野シゲユキ個展「崩」』について

馬喰町に在るラディウムーレントゲンヴェルケにて、水野シゲユキ展のオープニングパーティに顔を出した。

【以下編集中】

素材表現スゴい。プラモデルは美術のシーンからは少し離れたところにあるが、技術発達の速度がすごく速くてプロダクトに近い速度感がある。プラモデルの技術発達史を美術分析的に行ったら興味深いだろう・

例えばレールと貨物車の作品(大きい方)では、フレーム内では地面であったものがフレーム外では和紙のようなものとして、素材感の転換がみられる。つまり、土のように塗られたものが塗られた紙へと変化する・

地面表現に使用されたスタイロフォームもフレーム外では塗り残されてそれ自体の素材性が露出している・

彫刻論とオブジェ論の衝突する地点に作品がある。物質的なヴォリューム感を構成する点では彫刻的であるが、塗られた立体という点ではオブジェ的である。ただしどちらの視点からも完全に補完することができない突出があり、これは色彩的な半立体としてのレリーフ的なものに近そうである・

プラモデル、およびジオラマは既製品の寄せ集まりであり、例えば「これは〇〇社製の1/35戦車に、△△社製のフィギュアを改造、これは××社製エッチングパーツだ」などと分解してみることができる。美術のキャプションでは”ミクストメディア”と記載するが、プラモデルではリスト形式で使用した製品名が羅列されるのが普通である。これは写真作品のキャプションで使用レンズやシャッタースピードなどが羅列されるのに似ている・

画廊の外で池内さんと語ったことの結論は、 1.水野作品は美術論から言及できる質的要素が多い。プラモデルをサブカルのものと排除するのではなく、この成果には美術論的な金脈が見出だせる 指摘できる・

2.作家が正規の美術教育を受けていて、美術分野以外でその素養が発揮されているが、美術には組み込まれていない質的要素の数々が明らかに指摘できる。それは統合可能であり、美術論に取り入れることも可能ではないか・

パーツが1mm厚のプラスチックであるという実際の製品についての知識と、塗りの技術によって対象がスケール感を伴って、実物の縮小としてそれが0.7mm厚のヴォリューム感を持つように見えるという、彫刻的なマッスの操作が見える・

ジオラマの空間構成や彩色には、写真写りを意識した操作がしばしば行われる。つまりファサード、鑑賞視点の想定がある。この操作についてはメダルド・ロッソの作品を参照する・

スケール感というシミュラークルと、プラモデルがプロダクトであるためのヴォリューム感との交差に、特異なマッスが発生している・