March 26, 2016

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代々木公園へ。
毎年恒例、Mynさん主催の「シャバの花見」に顔を出す。
桜は二分咲き。日没後はまだ冷え込む。
毎度のことながら強か酔っ払った。

March 25, 2016

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新宿に在る書店にて、
四方宏明『共産テクノ』(共同会社パブリブ、2016年)、
『ゲンロン1 現代日本の批評』(株式会社ゲンロン、2015年)、
まん◯画太郎『ミトコンペレストロイカ』(Bd.4)、
吉本ますめ『くまみこ』(Bd.6)、
いくえみ綾『太陽が見ている(かもしれないから)』(Bd.4)、
くらもちふさこ『花に染む』(Bd.7)、
を購入した。

March 19, 2016

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仕事上がりに中々引っ張られて、遅れながらに中目黒へ行きGFAに参加した。

Amazonにて注文した、
宮内邦子訳『ソ連海軍戦略』(原書房、1978年)[=Горшко́в, Серге́й Гео́ргиевич "戦時と平時の海軍" 1972-1973.]、
妹尾作太男監修/秋山信雄訳『ソビエト海軍 その歴史と戦略』(海文堂、1981年)[=Mitchell, Donald W. "A History of Russian and Soviet Sea Power" 1974.]、
栗飯原文子訳『崩れゆく絆』(光文社、2013年)[=Achebe, Chinua "Things Fall Apart" 1958.]、
村田全・清水達雄訳『ブルバキ数学史』(東京図書、1970年)[=Bourbaki, Nicolas "Éléments d'histoire des mathématiques" 1969.]、
を受け取った。

元住吉に在る書店にて、
中野勇訳『こシック美術形式論』(文藝春秋、2016年)[=Worringer, Wilhelm "Formprobleme der Gotik" 1911.]、
を購入した。

March 17, 2016

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この日は開発陣の交流会として、平塚にあるサーキットにてカートのレースをした。
遠目に上から見ている分には大したものではないように思えたが、
実際にカートに乗って走らせてみると随分と速い乗り物に感じる。

想像したよりも鋭く、無理が利いたようによく曲がる。
思いのほか強い横Gに当初は翻弄された。

なんとかオーダーを完遂してチーム優勝をもぎ取ることができた。

March 15, 2016

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Amazonにて注文した、
池澤夏樹訳『古事記』(河出書房新社、2014年)、
を受け取った。

この『古事記』はのっけから読み易い、名訳の予感がする。
これまで漢文書き下しのを読んで中々頭に入り切らず四苦八苦していた訳だが、
今後はこっちを大意の記憶用にしてそこから原文に辿れば随分と楽ができそうだ。

「私の身体はむくむくと生まれたけれど、でも足りないところが残ってしまったの」
「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」
「それはよい考えね」

「それはよい考えね、ジョン」みたいな、そんな軽いノリが却って荘厳に思える。
「ああ、なんてすてきな男」
「ああ、なんていい女なんだ」
蛭子(ひるこ)が生まれた。
神「もう一度、やり直してごらん」
ああ、最高だ。

March 13, 2016

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Amazonにて注文した、
宇野邦一訳『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(河出書房新社、2016年)[=Deleuze, Gilles "Francis Bacon - logique de la sensation" 2002/1981.]、
Tortoise "A Lazarus Taxon"(2006年)、
を受け取った。

March 12, 2016

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この日はIskMさんと横浜美術館へ行き、
『村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―』展、『荒木悠展 複製神殿』を観た。
それから、みなとみらいの街並みを軽く散歩した。

March 10, 2016

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元住吉に在る書店にて、
『軍事研究』(No.601, Apr., 2016.)、
を購入した。

March 6, 2016

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元住吉に在る書店にて、
滝沢聖峰『マリア・マンテガッツァの冒険』(Bd.2)、
を購入した。

March 5, 2016

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目黒にてObkさんと待ち合わせて、
『気仙沼と、東日本大震災の記憶−−リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史』@目黒区美術館を観に行った。
被災地の風景、そこで見出されたモノの写真が中心で、そこにモノの実物も数点展示されていた。
キャプションに意味的なウェイトが持たせてあって、震災後の日記的なフィールドワークの記述と、被災から抽出されたキーワードが羅列されている。
フィールドワーク的というか、正しい被災マニュアル的というか、事後的なのにドキュメンタリ的というか、
叙事的な記述にやはり叙情的な記述が避け難く、否、寧ろそうせざるを得ないとでもいうようなかたちで入り混じってしまった、
そういう風景が展示されていた。
然し、個人的には震災直後の風景の中を歩いてみたことがあるだけに、見慣れた地形がことごとく覆されるというあの荘厳を追想するというよりも、
やはりこれは写真として切り取られたある風景のうちの一つなのだと感じた。

『リアス・アーク美術館常設展示図録 東日本大震災の記録と津波の災害史』を購入した。

それからObkさんとは別れて青山|目黒へ行き、「88の提案に関する報告」(丹羽良徳×げいまきまき)というイベントに参加した。
これはいわゆる京都での"デリヘル・アート炎上"に関する当事者同士での報告イベントである。
僕は、個人的には丹羽くんとの付き合いがあり、炎上時には態度保留としながらも丹羽擁護派に回っていた。

結論としては、あの炎上については憶測に基づいた先走りといえる。原因としては、丹羽くんの意図がげいまきまきさんへ十分に伝わっていなかったという点があり、作品としては全く問題が無い。当の作品には、ある提案に対して観客との議論を共有するという意図がある。この点についての理解が現場でのこじれにより両者に通訳しなかった、ということがあの炎上の発端である。
今回は、その当事者からいきさつが説明されることで色々なものがスッキリとした、有意義なイベントだったと思う。そして何より、あの炎上を経由せず、直接に当事者同士が互いの視点から意見を交わすという公開の場を設けることで、あの炎上に関わった個々の当事者性というものさえもまた露わになったと感じる。だが先ずは両者間に生じてしまった性急な誤解の解決にこそ最大の利益があったのだ。なぜ、げいまきまきさんがあのような切迫した発言をしなければならなかったかという理由もよく分かった。何よりネット上でのやりとりで拗れるよりも、よほど直接会って膝を突き合わせることによる解決が極めて有効にはたらいた、という印象をもった。
そして、このイベントは、当の炎上の具合と比べて極めて注目度が低かったという点は気になる。燃やすだけ燃やして投げっ放しという多くの態度に対する不信感は拭いがたいものがある。そもそも当の炎上は半ば憶測に基づいた先走りの要素が多く、そこから作品への批判、丹羽くんの過去作品への嘲笑、丹羽くんの人格を否定するものや、更には現代美術、芸術への愚弄へと展開し、そのどれもが軽率な態度ではないか、と思う。炎上に加担した人には発言力のある人も散見されるが、そのような人たちにはぜひとも本件については投げっ放しにはせず、それなりの総括の態度を示して欲しいと、期待する。そうでなければ、その発言力自体が後に侮られる、という迂闊さを残すことになるだろう。ゆえに、本件によりセックスワーカーへの言及に対する萎縮を生じさせたこと、丹羽良徳作品への軽率な理解が生じたこと、これらの恢復を、また期待したい。なお、今回のイベントについては後にまとまったかたちでレポートとして公開されるとのことだから、その機会を以ってどのように展開するのかには注目したい。

イベント後の打ち上げに参加して、丹羽くんとは久々に話をした。また、げいまきまきさんとも色々な話ができたことは、個人的にかなり価値があった。