March 5, 2016

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目黒にてObkさんと待ち合わせて、
『気仙沼と、東日本大震災の記憶−−リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史』@目黒区美術館を観に行った。
被災地の風景、そこで見出されたモノの写真が中心で、そこにモノの実物も数点展示されていた。
キャプションに意味的なウェイトが持たせてあって、震災後の日記的なフィールドワークの記述と、被災から抽出されたキーワードが羅列されている。
フィールドワーク的というか、正しい被災マニュアル的というか、事後的なのにドキュメンタリ的というか、
叙事的な記述にやはり叙情的な記述が避け難く、否、寧ろそうせざるを得ないとでもいうようなかたちで入り混じってしまった、
そういう風景が展示されていた。
然し、個人的には震災直後の風景の中を歩いてみたことがあるだけに、見慣れた地形がことごとく覆されるというあの荘厳を追想するというよりも、
やはりこれは写真として切り取られたある風景のうちの一つなのだと感じた。

『リアス・アーク美術館常設展示図録 東日本大震災の記録と津波の災害史』を購入した。

それからObkさんとは別れて青山|目黒へ行き、「88の提案に関する報告」(丹羽良徳×げいまきまき)というイベントに参加した。
これはいわゆる京都での"デリヘル・アート炎上"に関する当事者同士での報告イベントである。
僕は、個人的には丹羽くんとの付き合いがあり、炎上時には態度保留としながらも丹羽擁護派に回っていた。

結論としては、あの炎上については憶測に基づいた先走りといえる。原因としては、丹羽くんの意図がげいまきまきさんへ十分に伝わっていなかったという点があり、作品としては全く問題が無い。当の作品には、ある提案に対して観客との議論を共有するという意図がある。この点についての理解が現場でのこじれにより両者に通訳しなかった、ということがあの炎上の発端である。
今回は、その当事者からいきさつが説明されることで色々なものがスッキリとした、有意義なイベントだったと思う。そして何より、あの炎上を経由せず、直接に当事者同士が互いの視点から意見を交わすという公開の場を設けることで、あの炎上に関わった個々の当事者性というものさえもまた露わになったと感じる。だが先ずは両者間に生じてしまった性急な誤解の解決にこそ最大の利益があったのだ。なぜ、げいまきまきさんがあのような切迫した発言をしなければならなかったかという理由もよく分かった。何よりネット上でのやりとりで拗れるよりも、よほど直接会って膝を突き合わせることによる解決が極めて有効にはたらいた、という印象をもった。
そして、このイベントは、当の炎上の具合と比べて極めて注目度が低かったという点は気になる。燃やすだけ燃やして投げっ放しという多くの態度に対する不信感は拭いがたいものがある。そもそも当の炎上は半ば憶測に基づいた先走りの要素が多く、そこから作品への批判、丹羽くんの過去作品への嘲笑、丹羽くんの人格を否定するものや、更には現代美術、芸術への愚弄へと展開し、そのどれもが軽率な態度ではないか、と思う。炎上に加担した人には発言力のある人も散見されるが、そのような人たちにはぜひとも本件については投げっ放しにはせず、それなりの総括の態度を示して欲しいと、期待する。そうでなければ、その発言力自体が後に侮られる、という迂闊さを残すことになるだろう。ゆえに、本件によりセックスワーカーへの言及に対する萎縮を生じさせたこと、丹羽良徳作品への軽率な理解が生じたこと、これらの恢復を、また期待したい。なお、今回のイベントについては後にまとまったかたちでレポートとして公開されるとのことだから、その機会を以ってどのように展開するのかには注目したい。

イベント後の打ち上げに参加して、丹羽くんとは久々に話をした。また、げいまきまきさんとも色々な話ができたことは、個人的にかなり価値があった。