February 10, 2018

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Amazonにて注文していた、
土門拳『土門拳全集9 風貌』(小学館、1984/11/26)、
を受け取った。

F11とか16とか結構絞るものだな、と思いきや、斎藤茂吉のはF5.6で撮っている。
カメラもレンズも思いのほか色々と使っている(土門がテッサーを使っているのは、何か分かる、という感じがある)。
それにしても、誰も彼も肖像写真として知っているのよりも10は若い、という具合の写真が多い。
谷崎も川端も小林も、知っている風貌よりはやはり若いという感じがする。
知り馴染んだ風貌がどれも晩年に片寄る、ということだろうか。

秋葉原へ行き、3331にて、須賀悠介「afterburning」展(於:ex-chamber museum)を観た。
木彫りの、ジェットエンジンの花。

恵比寿へ行き、東京都写真美術館にて、 第10回恵比寿映像祭「インヴィジブル」を観た。
会場でKyoちゃんSgwさんと会う。
出展作品のうちの一つに盲目のイタコの祭壇の蝋燭に火をつけるシーンがあり、それが面白かった。
一見するとまるで健常者のように見える淀みない所作の流れには、自身に翻って想像する盲目の不便というものが感じられなかったが、
少しの間見ていると、そこには対象と自分との空間関係が、一つ一つ手探りで構築されていく様子が分かる。
つまり"そこに在るはずのもの"が、手探りで「あった」と把捉される。
当の対象と自分との距離として、"こういう身体感覚としての腕の曲げ伸ばし、云々"という空間的再構築が行われる。
空間の構築が一つ一つ手探りで、最初は触覚によって、手触りやかたちなどで"それ"と判定され、
さらに筋骨格の具合の伴う身体感覚によって対象が空間化されているように、思う。
いうなればその時々の対象らの空間化が一時的に保持されている(キャッシュ)。そこに更にエラー訂正が加わる。
該当シーンでは正面に並んだ2本の蝋燭に火をつけるに当たって、マッチをつけてから先ずは右側の蝋燭に火をつけて、
次いで左側の蝋燭に火をつけようとするが、その途中にマッチの火は消えてしまう。
蝋燭に火をつけるにあたっては、燭台の位置→蝋燭の先端の位置→灯心の位置という順で空間がキャッシュされ、
次いで、マッチに点火→マッチを灯心まで移動(着火)→蝋燭に手をかざす(熱い=着火されているかどうかを確認する)という順で状態がキャッシュされる。
しかしながら左側の蝋燭に火をつける前に"マッチ火が消えてしまったこと"という状態のキャッシュはまだ為されていないため、
その後の手順である「蝋燭に手をかざす」が一度行われ、そこで初めて"マッチの火が消えている"というエラー訂正が行われることで状態がキャッシュされる。
すると再びマッチの点灯の手順が繰り返されて、左側の蝋燭にも火がつけられる。

阿佐ヶ谷へ行き、「TOTALTOPIA」展(於:TAV Gallery)を観に行く。
布施くんがいた。オープニング・パーティは翌日だったことを勘違いしていた。
潘くんの紙を千切って貼り付けた画面の作品が心地よかった。

それから元住吉に在る居酒屋で軽く呑んだ。