この日は昼過ぎに日比谷へ行き、
日比谷パティオの特設会場で催されている『テオ・ヤンセン展 —新しい命の形—』を観る。
これは「オランダ年」に託つけた企画らしい。
こういう「〜年」というものはいつの間にか決まっていて、気が付けばあちこちで該当国に因んだ企画が催されている。
どうにもイベント業界へ向けて安定した年間予算を消化しているように思えて仕方がない。
入り口付近から既に、チケット売り場越しに会場内が一望できてしまう。
嫌な予感がする。
チケット代は1500円と、この規模のアート系イベントとしては割高である。
そして会場内へと入って行く。
案の定、目の届く範囲の他には何もない。
展示の仕方やキャプションの形式など、どうもアート系イベントとは余り関わりのないイベント会社による企画のようだ。
この程度の展示規模であれば、企画展であれば500〜800円がせいぜいだ。
チケット価格設定に企画コンセプトのズレを感じる。
とはいえテオ・ヤンセンの作品が日本で展示されるのはこれが初めてのことだそうだ。
そしておそらく、彼の企画展が催されることは今後二度とないのではないだろうか。
そういう意味では貴重な企画展である。
YouTubeなどのWeb上で彼の作品を観ると、その巧妙な動きに先ず圧倒される。
さも精密な作りをしているのだろう、という予想とはウラハラに、私の興奮を打ち破って目の前に露わとなったのは、意外にも素朴な作りであった彼のアニマル(作品)たちである。
プラスチック・パイプとビニル・テープによる造作は、映像から既に見聞きしていた印象とは大きく異なって素朴である。
それどころかガラクタか廃品のようでまるでアウラがない。
彼曰く「死体」——この言葉に案外納得させられる、ビニル・シート製の羽は破れて痛み、関節は所々で脱臼している。
つまりこのままの状態では、これらのアニマルたちは生き生きと動き回ることが出来ない、という意味での「死体」である。
それが堂々と展示されている、という企画の悪趣味にも笑いが起こるのかもしれないが、それよりもこの明け透けなまでの空虚感に私は驚かされた。
この感覚はまるで、以前に横尾忠則『テクナメーション』の中身を空けてみたときのものによく似ている。
さきほどまでの生き生きとした躍動、これは一体どこへ消えてしまったのだろうか? という唖然である。
こんなデタラメな造作がああも生き生きとした生命観を表現してしまうのだ。
このことには脱帽だ、唖然とさせられる。
そして換言するならば、この展示会場には彼の生きたアニマルたちは一つとしてなく、あるのはその記録映像と、そしてその死体という痕跡である。
作品と呼べるものが一つとしてなく、展示された全てが作品の痕跡をただ伝えるに過ぎないものである、という点が、いわゆる美術展とは大きく様相を異にしている。
だがやはり、私はこれら二次的なものから大いに驚きと感銘を受けて、そしてDVDまでも購入してしまったのである。
February 20, 2009
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