先日、私が原作と演出を手掛けた舞台公演『〜』が終了した。規模としては然程のものではない(公演数2回、動員数217人)が、予定していた200人の動員数を上回ることが出来たので、私はこの結果に満足している。
この公演に関する概要を述べよう。当公演は、昨年8月に知人の研究者R氏(彼は民族学的なアプローチにより説話における夢と踊りとの関係について研究している)から打診を受けたことに端を発する。当初は彼の研究発表を兼ねたイベントでの公演を予定していたのだが、作品に対する私の構想が発展しイベントの規模には収まらないものとなった為に、公演を関連企画として独立させ、都内の廃校で上演を行った。彼の研究対象が「夢と踊り」であるから、私は当公演のテーマを「集団化する自己」として原作を用意するところから始めた。これは、私が以前より関心を寄せる「四人称」的な主体について、他者との関わりの中で自己が集団の一部として振る舞うことを過剰に意識した主体が他者との間にどのような関係性を生み出そうとするかを演劇的アプローチにより実現する、という狙いがある。言うなれば聖書に登場するレギオン(Mark 5, 1-20)のように、一人の人間がまた何千人もの集団としても振る舞う様子を、舞台上に目に見えるものとする試みだった。これにより、数=量からくる質=量という通俗的な演出手法を排除したかった。単数でありまた複数でもあるような主体の集団がどのような関係性を形成することで説得力を持たせられるかに私は注目した。また、このような集団を扱うことで、あたかも狂人の宴のような喧噪が露わになってしまうことは避けたかった。プロットは単純なもので、恋に焦がれつつその想いに逡巡する青年が友人に打ち明け話をしながら次第に恋の実現を果たす、という内容だ。登場するのは主に青年とその友人、青年が恋い焦がれている女性——この三人だ。このいかにも陳腐なプロットと「四人称的な主体による社会形成」というコンセプトとの間を繋ぐべくストーリを制作した。青年と友人との関係、青年と女性との関係、友人を経ての青年と女性との関係、青年と女性とが恋愛関係に至る飛躍、これらの関係性を順序立てて反復することにより、単数の主体が四人称化するというアイディアは当初より有ったのだ。
原作の戯曲化については、友人の小説家N君に協力を仰いだ。
演出のコンセプトは以上の通りであるが、加えて今回は演出上のコンセプトをどのようにして作品に反映させるか、言わば作品制作に於けるプロセス面の工夫も重要な試みの一つであった。私が今回試行したのはアジャイル開発の手法を劇作のプロセスに転用することである。これはソフトウエア開発の現場においては昨今一般化しつつある手法であるが、当然ながら演劇の現場においてはまだ認知すらされていない方法論だと思われる。これについての概略を示すと、レイン・フォール型開発に対して考案されたXP(エクストリーム・プログラミング)開発をさらに発展させたものがいわゆるアジャイル開発である。この手法は問題解決に関わる個々の目的意識を最大限に尊重するものであり、また個々の勇気が常に試される。レイン・フォール型開発の難点が厳密なスケジューリングの先行と、その実現におけるスケジュールの非流動性からくる時間的制約の発生に対する代替手法であることが重要な視座を与えてくれる。一般的な劇作は半年から一か月(短い場合には一週間程度)の期間で行われる、比較的中短期的なプロセスを経ている。が、時間の長短に関わらずこのプロッセッシングは段階的であり、どの現場においても或る程度共通する、言わば典型的な経験則を伴ったスケジューリングが為される。例えば以下のように——台本の執筆→演出コンセプトの決定、キャスティング→台詞合わせ→立ち稽古→ゲネプロ→本番、と云った具合である。更に言えば音響・照明・舞台美術などのスタッフによる劇作へのアプローチは演者の習熟過程に対して二次的なプロセッシングを行い目立って段階的である。つまり演者の習熟過程と舞台効果スタッフのプロッセッシングはシームレスではなく、非同期的なアプローチをとることが一般的である。以上のプロセスにより既存の劇作手法は、作品としての視座からは序々に詳細化の作業が行われることになる。と同時に、作品に関わる演出面での決定事項は常に後回しにされることで冗長化している。言うなれば先ず演出コンセプトがありそれが制作チーム内で共有され、次いでこの演出コンセプトの実現に関わる詳細化とそれ対する問題解決、この仕様化(問題解決方法の共有化)による段階的な目的達成がある。つまり、作品全体の完成度を平均化して達成度を推し量り、段階的に完成度を上げていくのが既存の劇作手法である。この方法論を実践する限り、例えば制作チームの構成員が常に流動的なカンパニーにおいては予定されていたスケジュールの大幅な遅延が起こり易い。のみならず演者・スタッフ個々の技量の差が歴然とすることによる制作進度の遅れ、さらには個々へのフォローに費やす時間的浪費や詳細化の遅れによるプロッセッシングのロスも大きい。これらのことが既存の慣習的な劇作手法の問題点である。
以上の手法は熟練したカンパニー内では日常的に見られる手法でもあるが、この為には先ず熟練した演者・スタッフが必須であり、詳細な意思決定がこれまでのコミュニケーションの蓄積によって省略されることで初めて実現されるものである。また、このような手法が製作期間の短縮に用いられることはあれ、作品全体での演出意図の詳細化と共有について意識的な方法論として用いられることは少ないように思う。
最後にこの場を借りて、当公演の実現に惜しみない協力をして頂いた関係者の方々、類い稀な才能を如何無く発揮してくれた演者の方々にお礼を言いたい。
(以上、公演パンフレット掲載文よりの転載)
(今となっては、このような公演が実際に存在したのかさえ覚えていない:2013/09/23)
April 22, 2009
untilted
時刻: 00:00
label: memorandum, theatricality/performance