「かひは、もなかの皮の様に、ものを包んで居るものを言うたので、(…)此かひは、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない、容れ物の中に、どこからか這入つて来るものがあると昔の人は考へた。其這入つて来るものが、たまである。」
「そして、此中で或期間を過すと、其かひを破つて出現する。即、あるの状態を示すので、かひの中に這入つて来るのが、なるである。」
「かやうに昔の人は、他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ舟・たまご・ひさごなどを考へたのである。」
「此石が、神の乗り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて来る場合がある。石にたまが這入ると言ふ信仰には、たま、がよそからやって来て這入るのと、既に入つたものが他界からやつて来ると考へたのと、此二つがあつた様だ。」
「かういふ風に考へて見ると、他界からやつて来るたま、は、単に石や木や竹の様なものゝ中に宿るのではなく人自身が、ものゝ中に這入つて、魂をうけて来るのであつた。(…)即、容れ物があつて、たまがよつて来る。さうして、人が出来、神が出来る、と考へたのであつた。」
〔折口信夫『霊魂の話』(所収「民俗学 第一巻第三号」1929(昭和4)年9月)〕
March 20, 2012
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時刻: 22:45
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