September 27, 2012

快快インタビュー・メモ(20120927)

世界劇場→イエイツ

快快が演劇を作る目的
→自分と他者の目線を欲している。

他者の目線が入っている作品を作ることが大事

他者の目線を作品に内包する。
演劇:観客の目線が前提
作品と作品を観ている人(との関係)→関係性へ?

KAATと云う場所を意識している
→快快と悪魔のしるし
→両者はどこで誰と何をやるかと云う条件が、最初に大事になる(シノダ)

"KAAT"と云う(名詞、ハコ)よりも"劇場"と云う場、場所に意味を感じる(シノダ)←言い淀みが有る

快快『りんご』と悪魔のしるし『倒木図鑑』との類縁性について
快快と悪魔のしるしとの作劇スタンスの類似
→エンターテインメントでは無い。要求されているもの、人(他人)が観たいものを作るのでは無い
→自分たちが観たいもの∩お客さんが観たいもの"の実現・擦り合わせ
→劇場に(観客が?)来ると云う行為が関係しているのでは(シノダ)
→人間(大文字の)が観たいものを作る

旧約聖書を書かねばと思った人の欲求・自分自身が抱える個人的な悩み、とか

(スケッチブックのイラスト)リンゴの芯がエレベーター

エレベータの小扉を開く=歴史のフレーミング/演劇の事実(スケブ)

エレベーターに乗っているとき、ぼーっとしている(のは何故か?)
→個人的な時間?(シノダ)

●物語の中でエレベータとは何か
1. 一時停止する時間(ポーズ)=生そのものが求めるもの
2. 移動すること(ワープ)=ポーズした先にある移動した目線(自分の感動の状況に対するメタ視点)。(目線と云うか)浮いている状態
→宙吊りの思考、普段の生活では考えないテーマ(死について)を考える
3. エレベータの機構(プレーミング)=人間それ自体が求めるもの(瞬間的なものでは無い、先に続くような、長く続くような枠組み→人生や人生観とでもしておこう)
→建物の構造を表現している。逆に言えば、1.と2.の基礎付けになっている

何の特徴も無い人(主人公格=大文字の他者の人格化したもの)がそれなりに生活することが出来ている事実
→主人公がエレベータの中で死の妄想をする楽しみ

●演劇(作品)に(対して)要求されているもの(要求するのは誰か? と問えば、それは観客であろう)
1. ポーズ=一時停止(演じ(演出手法)、KAAT(場所)、(上演)事実。演出的視点)
2. ワープ=メタ視点-観客(演出的視点)
3. フレーミング=物語をさらに包括する演劇という構造(どう云う物語なのか、劇作家の視点)

「演劇と云う"こと"が必要だった」(シノダ)

(図説では)エレベーターの小扉を開けたときに見える事実(ラスト)が演劇(おそらく作品の構造)の外側へ超えている

(スケブから)ワープ・ポーズ・フレーミングを使ってエレベータの物語を立ち上げるのでは無く、エレベータが劇場に置換される鑑賞経験を立ち上げる

●KAATにおいて(作品に対して)求められているもの
ここでの「観客」は、実際にKAATへ足を運んで快快『りんご』を観劇した、具体的な人格を指している
1. ポーズ=観ている状態
2. ワープ=〈演劇〉(括弧付き)
3. フレーミング=快快『りんご』(上演の事実)

●現実において求められてるもの
1. ポーズ=日々の出来事、きっかけ(と云うか、或るイベント)動機
2. ワープ=移動すること(他者との共感(の予感))感動
3. フレーミング=選択肢、選ばなければいけないこと、決定の身振り。もしくは、身体=〈生〉。次のイベント(前段階イベントの結果としての新たなイベント)記憶とアーキテクチャ(寧ろ強固な経験、と云うより"体験"なのか)

(シノダ)人が閉塞感を感じている時には、ポーズからフレーミングへ直結していることが多いのではないか。
→フレーミングを前提としてポーズしがちになるのではないか?(行動がアーキテクチャに規定されている)
→結果的に「ふわっと感(ワープ)」が希薄になる→ポーズした意味が消失する

現実において求められている「フレーミング」と、物語における「エレベータ(ポーズ)」とが円環として循環。「内側であり外側である」(シノダ)

エレベータの小扉の空間は、死んだり病院に担ぎ込まれたり、普段の日常的な生活のタガの外れた状態になって初めて機能するような余剰であり、この空間の使用が要請される場合には多かれ少なかれ生活が脱臼している状態である、とは言い得る。