September 16, 2012

快快『りんご』について

以下、雑感を記載。後にまとめる予定。

快快『りんご』千秋楽を観た。これはとても興味深い作品だ。盆暮れ正月に家族が一同一つの場所に集まると云う、日本人にとって何気ない習慣の体験が、縁の感覚から上手く演劇へ落とし込まれているように思う。
演劇を体験すること、作品上演を観ると云う体験では無くそれがまさに演劇作品の立ち上がりとして体験されること、つまり観客が作劇を追憶するような作品だった。
観客は先ず舞台の裏側から客席へと案内される。これは演者の通る道の追憶であり、かつ上演がいわゆる舞台上だけでは無く劇場と云う建築的空間に於いて行われていることを示唆している。

※ところで今回の『りんご』は、或る種の幽霊演劇だった感もある。だが、演じの話題で、「よんちゃん」だけは役柄では無く実名として登場している為の生々しさの効果と云うのが全体的に後を引いている印象はある。

「物語」の扱いについて、それがあたかも終始が確定した全体に於ける起承転結の構成のようなものだと捉えられている感想が散見されたが、違うだろう。寧ろ結果-原因の個人的な観測が物語として整理されることの提示だと思う。
だからメタ構造なんて大仰な装置では無く、あくまで日常的な、状況に対する逡巡と保留、なしくずしにメタ化するが放棄されるような多視点くらいなものかもしれない。

とにかく演者も色々なスタッフも観客も、舞台空間と云う一つの場で一同に会する機会を持った。故に殊更、最後にシノダが泣きじゃくりながら「みんな帰れ!劇場から早く帰れ!」と言ったのが印象的だったし、それより寧ろ公演が終わっても尚、席を立つ気配の無い観客の様子が気に掛かった。