July 15, 2009

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 職場からの帰りしな、日吉の書店にて、
『軍事研究』(No. 521, Aug., 2009.)、
港道隆訳『精神について』(平凡社、2009年)[=Derrida, J. "De l'esprit" 1987.]、
これらを購入し、さらに元住吉の中古本屋にて、
伊藤潤二『富江』(朝日ソノラマ、1997年)[「伊藤潤二恐怖マンガCOLLECTION」Bd. 1.]、
同『富江 PART 2』(朝日ソノラマ、1997年)[「伊藤潤二恐怖マンガCOLLECTION」Bd. 2.]、
を購入した。

(Ymm君より、貸していた Nord Lead 2 が返ってきた)



私は、父方の祖父の、あの顰め面しい顔付きを今でも覚えている。
私が大学進学の為に上京するまでは、盆の度に父の郷里に行くのが習慣であったから、この祖父とは積年の付き合いが有る。
その他方で、母方の祖父とは僅か4度ばかり顔を合わせただけにも関わらず、この祖父の商売人らしい人当たりから、私は彼との間に色々の話題を持ったような記憶が有る。
父方の祖父は漁師だった。その為に、彼の信条が自然との遣り取りにより形成されたからなのか、それが田舎らしい偏狭さに因るものなのか、私はこの祖父との遣り取りを酷く苦手にしていた。今思い返してみても、どのような言葉を交わしたのかさえ記憶の中に浮かび上がってはこない。幼い頃より、私にとっての彼は唯々畏れ敬うべき存在であった。(この意識の流れは、幼い頃に抱いていた父に対する印象にも似通ったものである)
そのような訳で、母方の祖父の気安さとは対照的に、父方の祖父とは実に気難しい人として在り続けていた。
私が大学在学中の折に先ず母方の祖父が死に、次いで父方の祖父が溢血の為に痴呆となった。余命はあと僅かばかりということで、母からは「もしもの場合に備えるように」と言付かっていた。この数ヶ月後に彼は死んだのだが——。
父方の祖父が溢血で倒れてから間もなくして、私は父に連れられこの祖父を見舞う機会を持った。
彼は病院のそれではなく、父の生家のベッドに縛り付けられていた。「唐桑御殿」とも称される、奥行きの深い古めかしい日本家屋に在って、畳の間の上に白い病院染みたパイプベッドと点滴のスタンドという取り合わせは、それまで抱いていたこの家に対する印象を裏切って異様であった。曾祖父も曾祖母も、晩年は和室の真ん中にでんと敷かれた布団の上に臥せっていたから、まるで思い掛けず見慣れぬものを目にしたような感覚である。


今朝見た夢。
地方の進学校らしい雰囲気の中に、突如として端正な美少女が転校してくる。
然も、早々の全国模試で彼女は一位をとってしまう。
幾ら進学校とはいえ、未だ「全国」という視座からは遠退いた平穏さに在って、彼女が突如として齎した「全国一位」という価値の余りの桁外れさに、一同沈黙ながらもひた隠しには出来ぬ騒然を共有することになる。
これまでの、自分たちが「進学校」というものに所属しているということからの田舎らしい優越感は尽く打ち砕かれる。
自分たちの学力というものが急に矮小化されたが為の卑屈が生じる。
とはいえ「全国」という、未だ知れぬモノサシの茫漠を前に、唯々うつらうつらと沈黙せざるを得ないのであった。