「きみが作りたいゲームとは何か?」と社長に訊かれ、ふと改めて考えたのだ。
私が作りたいゲームとは——、それは子供がプレイして率直にカッコイイと思えるもの、あわよくば「こんなゲームを作れる人になりたい」と思わせるゲームだ。
私は別に、例えば CERO Z のゲームを中学生がプレイすることそれ自体が問題だとは思わない。そこには彼らなりのスリルがあって、それ故に"Z指定であること"の意味が倍加するのだと考える。過激な表現があれば、そこに付随する意味の重さも変わるのだから。逆に問題であるのは、Z指定相当のコンテンツが平然と全年齢対象商品として流通することなのだと思う。だから寧ろ、私が作るゲームにおいては、その世界に尊厳のあることを求めたい。表現に込めた意味なるものがどれほどの重さを示すのかを試したいのだと思う。それ故に、私が作るべきゲームとは、子供に向かって、彼らに世界の在り方の可能性を一つ飛びで見せてやれるものであるべきなのだと、考えた。
September 25, 2009
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