September 27, 2009

untitled

荻窪、吉祥寺を回り、代々木で友人(※Osmくん)のライブを観る。
行く先々で中古本屋へと寄り、漫画『BECK』数冊のほか、
大江健三郎『叫び声』(講談社、1970年)、
同『状況へ』(岩波書店、1974年)、
米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 4』(河出書房新社、1970年)[=収録:『死の家の記憶』、『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』]、
浅田彰監修『マルチメディア社会と変容する文化』(NTT出版、1997年)
これらを購入した。

"I"や"Me"は消滅してしまいました。"We"だけが残りました。ほかに名指すべき人称が(は)もう有りません。

「著述」というものが垂直性を備えるのは、それが完成され、強度を示す為であるが、他方で"著述の作為"は常に水平性の質を維持している。