March 21, 2014

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αM(小伝馬町)にて八幡亜樹の個展『楽園創造(パラダイス)—芸術と日常の新地平—』展を観る。

映像作品は3点展示されている。
作品1"introduction"(3:53)、作品2"Pand ending"(13:49)、作品3"sidestory"(8:25)。
作品1は展示空間の奥の壁面に投影されている。作品2は、壁から柱へ渡し掛けた布に投影され、投影光が布を透かして作品1へ掛かるようになっている。作品3は入り口正面の壁に投影され、質的にも作品1・2からはやや独立した格好になっている。
作品1を観て、優しいグリッヂが特徴的な、美術の映像作品というよりは短編映画に分類されるような—つまり鑑賞経験に空間的拡張がない—作品だと思えた。作品2を観るまでは。実際のところ、作品1と作品2はセットでインスタレーションと言い得る(それゆえ、キャプションにあるような作品単体でインスタレーションとすることは難しい)。映像のテイストとしてはスナップショット・カットアップ、ミュージックビデオのようなテンポ感に似ているように感じる。ここに時折、優しいノイズ・エフェクトが掛かったカットが混じり合って、これが作品1と作品2をインスタレーション作品足らしめるべく両者を空間的に跨ぐシーケンスとなっている。

この作品には簡単なストーリーがある。カメラに残された映像記録が軸となって構成され、展開していく。
主人公はフィリピンの街中をビデオカメラを回しながら、モノローグを呟きながら歩き回る。映し出されるのはその手持ち撮影の映像だ。主人公は撮影の途中で事故に遭い、現場にカメラを置き去りにしたまま病院へ搬送される。事故の瞬間にカメラは地面に投げ出され、そして地面に倒れたまま動かない主人公を撮影し続ける。カメラはこの出来事を傍観する。この事故=出来事の衝撃はカメラに機械的な不具合をもたらし、映像にはノイズ(グリッヂ的な)が出来事の痕跡として残り続ける。
このカメラはフィリピン人の若者たちに拾われ、彼らの生活圏の細切れの記録の為に使われる。
やがて彼らの持つカメラは主人公の知人に発見され、主人公の元へと引き渡される。このときカメラにはフィリピンの若者たちが撮影した映像が残されている。
カメラは主人公の手から不意に放り投げられ、他者の記録と混じり合い、再び戻ってくる。作品はこれらの、自身と他者の記録の混在により構成されている。

そして、映像に掛かるノイズ・エフェクトの有無は、事故の瞬間を起点にその前後の区別を示唆している。また、このような分水嶺はそれ以外の様々なモチーフの対立にも延長されている。例えば、銃殺されたホセ・リザールと事故に遭っても死ななかった主人公、焼かれて死ぬ蛾と死なない蛾、フィリピンで死んだ日本兵と事故で死ななかった作家、など。あるいは、パンデサル(フィリピンで常食されるパン)のモチーフ性について、パンデサルがスペインから伝来したことや、パンが経済の中で交通すること、つまり売買されること、地域に特有の食品であること、狭い範囲での消費によりヴァナキュラーであること。これとビデオカメラの受け渡しや事故、つまり出来事の時間的・空間的な系列との対応が引き出せる。
重要なこととして、これらの系列の連関は、作品1と作品2の両方を観ることで初めてもたらされる、つまり作品1と作品2は空間的に異なる配置であるが、これらが一つのパースペクティブ上に結び付くことでインスタレーション作品として空間的な立ち上がりを獲得することができる、という点だ。それゆえ、作品2の投影光が作品1へと掛かるような空間的配置は、インスタレーションとしての作品の質を呼び起こす導きの糸である。

作品について悪くないけど、という感じで感銘は受けなかった。むしろ「映画と美術としての映像作品との違いは何か?」ということばかり考えていた。それゆえ、スクリーンのシワや、投影がライトレールに掛かって画面左上が欠けていたことは気になった。
経験的には、美術としての映像作品の定義は、”鑑賞経験における空間的拡張が有ること”これであるが、このため複数の映像作品の音声が互いに浸潤し合うことへの寛容が生じているのではないか、という考えに至った。

秋葉原へ移動し、アニメイトにて、
『アニメグラフ』(No.3)、
を購入した。

そこから少し歩いて、JIKKA 実家へ、荒木くんの個展『MOTHERLANDS』のオープニングに顔を出す。
展示されていたのは、滞在したアイスランドの村(人口500人くらい)にあるレストラン、アメリカ・ルート66沿いの地名に因んだメニューを4人で次々制覇してハリウッドを目指すロード・ムービーとか、その村の老人に見よう見まねでオスカー像の木彫像を彫ってもらったその記録とか、アホなネタだなと思いつつも、スパイであるところの荒木くんらしい作品だった。
二次会はすぐ近くに在る米線にて。