February 28, 2003

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隠った生活。
寝起きに、まだ薄暗い中
LEDの(それも朦朧とした中では驚く程強いのだが、)光を眺める。
放射状に分裂し、忙しく動き回る。
近眼の為、だが鮮明に像を結び、平面的で、だが距離感を依託し
瞬きの度に分裂し、近接し溶け合う様相を見せる。
動き回り、溶け合い、放射し、個別化を促し、
点としての独立性を保持する(認知、客体への移譲或いは移入)ようにも思える。
総合、これは遠隔的な"点"。奥行きをして自殺せしめ、
放射体としての能動性を去勢する。

February 27, 2003

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昼間は春の陽気だ。
温暖で、(質感、時折そう云った痼りも在るが)とても軽い。
木々の此の堅さ、外皮の煤けた堅さ。
そして、外気との遅延(色温度差、或いは形態の違和感)。
然し朝は青く。だが遠くは霞み、白く濁り。
純然たる冬の光である。
チンダル現象の集合、その粒子を微分的に提示し、分析し、折り畳み、総合し、

February 26, 2003

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Internetのweb構造に
依然としてtopDown型の構造体が寄生し、
結果としてportalSiteとは別にある
個別のlink構造の為に僅かの2重化が起こっている。
此れに対して、類似性と偏差および時間性の
統括的なweb構造は非可分だろうか。

February 25, 2003

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久々に大学を通る。
どうやら合否発表があるらしく、
未経験の秩序によって、もはやバス停は混乱の一渦であった。
経験的に周囲の環境に従順な整合性を示すが、
それが日常的な立場(即ち"見る立場")からの不整合性として
この集団は非常に不可解に映る。
得て混乱窮まりない状態。

February 23, 2003

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駅の本屋にて
"基底材を猛り狂わせる" Jacques Derrida
を買う。
その後、iccへ。
ダニエル・リベスキンド展 -存在の6つの階段のための4つのユートピア-
を見る。(まさしく"見る"と云う量感の作業であった。)

February 21, 2003

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世界が加算か非加算かに於いて
やはり多くの悩みが起こる。
"個"と云うようなものが、
そもそも液状化した社会からの滲み出した固体(其れが各々に自覚した状態に於いて) ──。
境界決定不可能な存在としての予感は依然として頭を擡げてる。
然し尚も自覚すら否定しなければならない。

February 20, 2003

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最近、nhkの減力放送を
Vol offにして見るのが日課となっている。
nhkにはCMが無いというのが、そもそも此れに起因する。
画面を見続け、
ブラウン管が明るくなる頃に
丁度空も白んでくる。

February 19, 2003

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Thursday14、
Congo、Cuvette Ouest地域Mbomo地区で再びEbolaVirusの存在が報告された。
これは悪い予感だ。
コンゴ保健省、フランスビル国際医学研究センター(CIRMF)とWHOの合同チームによる発表だろう。
猿肉を食べた為、と言う事だが
この陰に風が吹く事を願う。

February 18, 2003

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駅の本屋にて、
"差異と反復" Gilles Deleuze
を、買う。
cyberArchitectureに関して、どうやら
# 可能的なものは、実在的なものに対立し、
# したがって可能的なもののプロセスは、「実在化[実現]」であって、
# 反対に、潜在的なものは、実在的なものに対立せず、
# それ自体ですでに、まったき実在性を所有しているからである。
# 潜在的なもののプロセスは、現実化なのである。
あたりのvirtual論からきているらしい。
また、此れに対しては
"Deleuze - La clameur de l'Etre" Alain Badiou
がある。

February 17, 2003

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實體の存在には空間が必要である。
そして認知された實體が、仮に交換可能ならば
其処にも又、等しい空間が必要であると考える。
然しながら、どうやら脳という物には領域と云うものが存在するらしい。
其れを見て其れと分かるのなら、そこに等しい空間が折り畳まれる。
此所に重複が起こるならば、その認識とは個別に酷く曖昧にも思われ、
無限への認識は可能な限りであるが、
それもまた経験的と云うには難しいとも思われる。

February 16, 2003

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# Feb15,16公演二日目、
# 公演終了後、軽い打ち上げをする。
雪が降った。
短い雪で、雨になった。

February 15, 2003

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# Feb15,16公演初日。
混雑した電車の中で
不自然な体勢からなんとか戻ろうと、
肩や肘を当て付ける様は、
接触では無く、むしろ復帰や復元の類いであるが。
縮んだスポンジにも似たこの行動が
然し頭の行いである事を思うと
何処からとも無く笑いが込み上げてくる。

February 14, 2003

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Feb15,16公演の仕込みの為
池袋へ。
朝迄別件の撮影を行っていた為に
体調が冴え無い。

February 12, 2003

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実体は身体に張付き、感覚へと浸透する。
実体は其処にはあるが、
向こうからやって来るように見い出され
はじめて知覚と云うものが起きる。
行動は、入力への素直な出力として外化し、
周囲の様々なものを揺らす。
若しくは同様にして自身をも揺らしているのである。
つまり、人間とは実に能動的な認識を持ちうる受動体であると言える。

February 11, 2003

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可能性とは、開かれた領域値では無く
閉じた内域に於ける多様性に過ぎない。
多様性は濃度で示され、
認識の上に知覚される。

February 10, 2003

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八王子の古本屋で数冊本を買う。
"饗宴" Platon
"単子論" Gottfried Wilhelm Leibniz
"脂肪の塊" Guy de Maupassant
"賃金・価格および利潤" Karl Marx
"桜の園" Anton Pavolovitch Tchekhov
"善の研究" 西田幾多郎
"侏儒の言葉" 芥川竜之介
"日本のアウトサイダー" 河上徹太郎
# 表象の連続性に対して懐疑的だ。
# 少なくとも空を"天球"と称して納得する事は無い。

February 9, 2003

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認識とは実体の影である。
上下と左右に対し、
奥行きとは時間とともに経験的な概念なのだ。
つまり、円柱の前面を見て
後面を見た時に、
改めてそれが"円柱"だと確保出来るのは
後面の内に前面が保証されているからだ。

February 8, 2003

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Feb15,16公演の照明プランを試行する。
大体のデッサンを重ね、
具体まで近付いたかに思う。
環境(milieu)を滲ませること。

February 6, 2003

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コンビニ迄の中程に
街灯の配電器があり、
うなりを上げる。
電子レンジでchickenが跳ねる、
何となく目を伏せて歩いた。

February 5, 2003

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オシロスコープが欲しいなと思い、
Tektoronix 7904を中古で探す。
感性みたいなものだ。
# negativeの底に居る。

February 4, 2003

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夕方、久々に現代芸術資料センターに行く。
どうやら入試の為、関係者以外の立入りが禁止だったらしいのだが
そういった事もあまり関係無さそうだ。
最近あまり本を読んでいないように思う。

February 3, 2003

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Feb15,16公演の為、
資材の運び出しをする。
叩き場の倉庫は埃が凄まじく、
敷いてあった布団の上で暫く寝る。
申し訳ないが。

February 2, 2003

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明け方からSTS-107(Columbia)事故関連のNewsを見る。
NASAの会見にあった
「人々は、Routineのように見てしまう傾向があるが」という言葉は、
現状でも宇宙開発が、依然として試行錯誤の結果である事を
悲痛にも、端的に表しているように思う。
その後、再びNASAのsiteにて
CenturionとHeliosに関する資料を集める。

February 1, 2003

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アニメーションは、landmarkとtrajectorが
交互に反復する。
つまり、1コマ1コマがそれぞれの役割を交互に兼ねる事によって
反復が時間性を、それに伴って差異の蓄積がイメージを引き起こす。
# 岡崎乾二郎の筆触にも
# 同様なlandmarkとtrajectorが存在する。