December 11, 2007

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 世間に響いた「ググれ」の大号令により、近頃では「知らん」と言う事が大変憚られるようになった。それ故に皆、何かにつけて「分かる」と言う、が決してそれについてを理解している訳では無い。畢竟「目にした事がある」くらいの意味合いだから、負けん気の強さだけが人一倍に強まった。こうして人々がまだ知らぬものは新奇の事柄だけとなり、話の内容がよほど込み入りでもしない限りは相手の程度を気にする事も無くなった。そして道理の分からぬ相手にも「納得」だけは与えねばならない世知の義務が課されるようになった。のみならずこの無知奴は、例え自身の選択により失敗を蒙ったにしろ、寧ろ自ずからの信念がそれを選び抜いた結果であることに自信が有るから、反省を覚えようともしない。転じて彼の無知は私自身の責任と云うことになる。驚いたね。それ故に結局、私は何かを知らぬことに対しては真っ先に"恥"を覚えるようになった。

「ここぞという瞬間に、よりによって最近いちばん人気の高い流行歌に左右されてしまう人生があるとしたら」
[Benjamin, W. "Der Sürrealismus" 1929]

——と云う具合に。