January 23, 2009

衛星「いぶき」が宇宙へ届いた日に、私は。

 風邪をひいた。
 昨日は午後からずっと呆としていた。軽く発熱があり、関節痛の気もあった。が、最寄り駅から走って帰宅する/キムチ入り雑炊を腹に詰め込めるだけ食べる/熱い風呂に浸かる/布団の中をドライヤで充分に温めてから眠りに就く、という様々な養生の甲斐有って今日は随分と持ち直していた。
 とは云え念のため、インフルエンザの検査のために一日仕事を休む。平日の昼間に街を歩くのは大学生振りのことになるか、他人の目を気にして、気恥ずかしい感じがする。
 そして「医者はどこだ!?」と。近所の思い当たる診療所へ端から出向くも、それは外科や放射線科であったり、骨接ぎ、歯医者など、何れも"内科"ではなく、ようやく内科の診療所を見付けたときには午前の受付時間を7分過ぎていた。それから15時30分——午後の受付開始時刻まで、暫くの間自宅でバナナを食べて過ごす。バナナを思い付きで買うと、一二本食べたあとには飽きて、大抵残りを全て腐らせてしまう。衛星「いぶき」打ち上げのJAXAライブTVを見逃していた。
 私の過度の医者嫌いは母方の祖父譲りなのだろうか、そんな因縁めいた理由付けを考えたくなるくらいに、私は医者へ足を向けることを億劫がる。だからこれが、多摩に移り住んでから8年も経って、やっと初めての受診になる。医者に掛かった人が、翌日の昼食のあとに何錠もの随分と複雑そうな組み合わせの処方薬を飲んでいるのを目にする度に、私は医者を敬遠したくなっている。これは風邪のような寝ていれば治る障りのほかには、さしたる病気や怪我に煩ったことのない所以の傲慢さだろうか。「精神病なんてものは脳のひく風邪のようなものだから、寝るか宗教でもやれば治るのだろう」と、精神科常連の人々に向かって言うと、彼らに鼻で笑われる。精神でさえも私は畢竟健康なのだ。
 この日初めて掛かった医者は、自宅から直ぐ近くに在る、いかにも"町医者"という風情の小さな診療所だ。患者の殆どはこのあたりの団地群からやって来るようだった。内装には昭和風の古めかしさがある。大きな型板ガラスの間仕切りや、ところ狭しと壁面を埋め尽くす啓発ポスターやら賞状やら、茶ニスが黒くくすんだ木製の靴箱など、どこか懐かしい風情がある。以前に一度だけ掛かった気仙沼の皮膚科や、郷里の小児科にも雰囲気がよく似ている。受付を済ませて、待合室のベンチに腰掛けながら検温をする。人工皮革張りの茶のベンチを撫でながら室内を見回していると、幼い頃の記憶が切れ切れに甦ってくるようだ。それほどまでに私は医者にはご無沙汰していたのだ。医者に掛かるのは検診でもなければ大抵が病気を患ったときだから、やはりよい思い出というものはない。こと苦痛や不快にまつわる記憶は兎角鮮明なものになりがちである。部屋の中は寒くも温かくもなく、このような由なし事を考えていたら、また午後になって軽い微熱が生じていたためにやおら混沌としだして、私は暫く居眠りをしていた。
 名前を呼ばれて不意に目が覚めた。「診察室」と書かれた——これもまた古めかしい、小学校の用務員室の扉に似ている——ドアーを開くと、初老の医者が待ち構えている。やはり一癖有りそうな顔付き、社交的な口振りとは相反した頑固そうな身振りに、彼の長年医者として培ってきた自信が感じられる。一見すると人の話を聞いてそうでいて、受け答えがのらりくらりとしている様子は坊主にも似ている。これもまた私が医者を嫌う理由である。相手から何を言われても、まるで既に用意されていたかのような返答をするのが坊主と医者の共通点だから。それにしても「町医者」というものは、どこであれ同じようなキャラクタが持ち回りでもしているかのように思える。不思議と以前にも彼に会ったことの有るような安心感がある。
 型通りの聴診のあとに、「風邪だと思うが、念のため」と前置きが為されてインフルエンザの検査を受けることになった。何でも近頃ではすぐに検査結果が分かるらしい、簡単な検査キットがあるのだ。見たことのない長い綿棒を鼻の穴から深々と鼻の付け根まで挿入される。滅多なことがなければこの箇所が内側から刺激されることはあり得ないだろう。鼻に刺さった綿棒の先が、そのまま目から飛び出すのではないかと思った。検査の結果は"陰性"。医者の蘊蓄を聞きながら、再三くしゃみの出るのが止まらなかった。
 「ありがとうございました」と、医者に礼を言って診察室を出てから、また暫く待合室で呆とする。再び私の名前が呼ばれる。受付で処方された薬の説明を受ける。塩野義のフロモックス100、科研のブルフェン200、よく分からない粉薬、頓服の解熱剤、堀井の含嗽用バウロ——至れり尽くせりだ。使わないで残った薬が有ったなら、使う宛てもないが、宝箱にでも蔵っておきたくなるくらいに。こうして私の知らないところで、医学は勝手に進歩していく。TVで『話題の医学』を観てたまに驚かされることが有るが、それとも似たような感想だ。「最近の医学は凄いね」と、まるで「へえ」という感嘆の声を無理強いにでも上げてみたくなるような気分だった。