July 19, 2008

untitled

 今日は晴れていたので、洗濯物を済ませる。久々に生活の為に時間を砕いた。陽射しの下を少し動くだけで全身から汗がわっと滲む。春先の陽光を煮え切らない梅雨空の下でやり過ごしながら、気が付けば夏の季節に急き立てられている。
 それから、自転車に乗り駅前の市立図書館へと行き、借りていた書籍を返却する。代わりに、
Nancy, J.-L./Bailly, J.-C. "La comparution" Christian Bourgois, 1991.=大西雅一郎/松下彩子訳『共出現』松籟社、2002年。
Deleuze, G. "Un Nouvel Archiviste" 1970. / Foucault, M. "Theatrum Philosophicum" 1970.=蓮實重彦訳『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』叢書エパーヴ、1975年。
Guattari, F. "La Lévolution Moléculaire" Éditions Recherches, 1977.=杉村昌昭訳『精神と記号』法政大学出版局、1996年。
これらを新たに借り出した。
 駅前の通りからは少しだけ外れて、この辺りでは最も未来的な匂いのする錆び付いた歩道橋の上に立ち、そこから片側三車線もの広々とした車道を見下ろした。たったこれだけの隔てが風景を途端に大雑把なものにする、空は青く広くそして人の流れはずっと緩慢である。直下に向かい降り注ぐ夏の陽光は、屢々白昼夢のエア・ポケットを用意している。自動車の流れは悠長で、ただそこに留まっているようであるか、或いはじっとこちらへとにじり寄って来るように思える。だらだらと続く上り坂を、延々と蹴り上げながら登り、山王下を迂回し、中沢から唐木田へと抜けて、また段々と空は開けを増し丘陵のかたちは序々に極まってくる。そして、そこからは暫くの道程を下り坂が続く。壊れかけた自転車のブレーキのことを気に掛けながら、殆ど同じ斜度で、右に左にくねる車道を駆け下りる。忍耐に気遣うように、同じ角度を見詰めたままひたすらに地面との着地を心待ちにしているような気分になった。
 やがて近所の古書量販店に着き、
大塚英志『木島日記』(2000年)、
大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(1972年)、
id.『「救い主」が殴られるまで』(1993年)、
id.『揺れ動く〈ヴァシレーション〉』(1994年)、
id.『大いなる日々に』(1995年)、
を購入した。
大塚英志のものは、私が高校生のときに『多重人格探偵サイコ』のノベライズを読んで以来久々となる。
 そこから川沿いの遊歩道をひたすら疾走する。仄明るい夏の夕暮れに、街灯よりも暗いライトを点けて、今度はレンタル・ビデオ店へと向かった。途中、スーパーの店先に寄り掛かりながら真っ当な夕食のことを考えたりもしたが、それまで飲んでいた炭酸飲料の為に、とうとう食欲から喚起されることも無く豊かな食生活の実践は不発に終わった。
GAINAX『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)、
STUDIO4℃『Genius Party』(2007年)、
Christian Volckman "RENAISSANCE"(2006年)、
これらを借りた。
——『王立宇宙軍』を初めて観たのは、確か17年前のことになるだろうか。この作品の舞台となる世界は、或る部分では私たちの棲まう現実よりも進歩し、或る部分では遅れている——異形の可能性の裡に描かれた同時代なのだ。物語は、人類初の有人衛星の打ち上げを軸に、幾つかの紆余曲折を経て、その成功からの達成感を以て突然終わる。私の脳裏に深く染み付いていたのは、主人公シロツグが発射台を眺めながら「ハリボテの歌」を口ずさむシーンであり、最近になってやっとそれが何と云う作品の一場面であるかを知ることとなった。当時の幼い私の記憶を鑑みても、それは余りに断片的な印象にしかない為、再び符合を得ることには随分と困難を要した。それに、私の記憶に於いてこのシーンは物語の冒頭部に位置している筈であったが、実際には殆ど終端部にこれを発見することになる。
 帰宅して、DVDを観ようとTVを点けたら、画面に Karajan カラヤンの姿が映し出された——Mozart, D minor K. 626 "Requiem"、このプログラムの放送開始時刻から40分ほど経った一場面に、——カラヤンと云えば眼を瞑って指揮をするという印象が強いが、これは眼を開けたままのものだ。1986年、Wiener Phil.——思わず釘付けにされたのだった。