December 25, 2008

飼犬に対する気持。

 今日、母親から、生家で飼っていた犬が死んだという報せがあった。秋田犬に似た雑種で、雄犬。狐色の毛並みに太めの垂れ尾、小型で、いつまで経っても子供のような、賢い犬ではなかったがそこに愛嬌があった。——以下、憧憬と愛着とを以てこの犬のことを「彼」と呼ぶ。
 彼の名前はクルンヌンと言う。これはタイ語で ครึ่งหนึ่ง と綴り、定訳では「半分」という意味を持つ。母親は「小さい」という意味合いで彼にこの名前を名付けた。彼が生まれてから17年、——彼は17年も生きた。その後半に当たる7年間は、私は上京の為に年に一二度、彼のことをたまに構ってやるだけだった。だからこの7年は、彼には殆ど構ってやれずじまいに終わった。それが今更ながら私にとって、このことが理解の上では悔やまれたのだった。
 また、途中から家猫が飼われるようになったことも、彼にとっての不幸であったかもしれない。彼は落ち着きのない性分を持っていた。家猫は屋内に居て、終始家族へ向けて気紛れな愛嬌を振りまいていた。彼を、段々と年老いてきたからといって屋内で飼うわけにはいかなかった。その結果として、彼は知らぬ間に疎遠にされて、新参者の家猫が家族らの愛情を一手に引き受けることになる。
 彼はそういう愛情の、言わば"おこぼれ"を得るような境遇に置かれ始めていた。そしてこの頃から、彼のフィラリアに侵された為に、夏に寄生虫が活発に働くようになると、ぜいぜいと苦し気な息遣いをするようになった。その姿は、やはり家族らに何ともいたたまれない心境を植え付けただろう。冬になればまた穏やかな息をするようになる。そういう安堵の繰り返しが、また完治が不可能であるという事実が、彼の安らかな死に方を家族らに願わせる引き金となった。——この点については、彼は随分と生き長らえたので、私も含め家族らは彼の結果に対して満足を得ているだろう。散歩に連れて行っても、彼を走らせることはできなくなった。のみならず彼を散歩に連れて行くことが、彼の健康の為にはよくないという共通認識が家族らの間に出来上がっていた。そして実際にも彼は、帰郷して久々に構ってやると、時々まるで跛を引くような不自由さを見せるときがあって、日向に寝転んでのんびりと欠伸をするような仕草にも、然し着々と彼の老いつつあることを感じたときには不憫で仕方なかった。彼は生家の庭先で穏やかな余生を過ごした。
 彼の死の報せを職場で知ったときには、私はまだ彼の死を本当の感じで理解することはできなかった。後の7年を片手間に扱った飼犬の死に対しては、寧ろ悲しみはずっと遅れてやってくることになる。私は取り敢えずは型通りに、彼の死を悲しもうと努めた。だが実感は、感情に遅れて付いてこなかった。脱力するような感覚があったが、それは気力で持ち直すことも可能だった。そして私が空の犬小屋を見て、彼の死を本当に実感するときには、もはや私の感情はすっかり古びたものとして呼び起こされることになる。彼の死は、そうやっていつまでも出来事の上ではズレ続けるのである。私はいつまでも、彼の死を思い出すことしかできないでいる。
 母親の送ってきたメールが、やけに情感たっぷりに綴ってあったので、私はそのことに腹が立った。それが却って私の涙を誘った。「陳腐だ、陳腐だ……」と言いながらも、私は泣くことを心掛けたかもしれない。私は母親に、彼の死顔を写真に収めてくれるように頼んだ。そうでもしなければ、私は一年前に彼を構ってやったときの光景を、彼の最期の姿として思い出すことしかほかにやり様を残されていなかった。だが、その願いはとうとう叶えられなかったのかもしれない。——次に、彼が灰になっていくという報せがあった。それから彼がどこへ埋められるのかはまだ知らない。このことを訊く気力は起こらない。せめて生家の庭先に埋めてやって欲しいと思っている。