東京大学駒場キャンパスへ行き、国際シンポジウム『ドイツ語圏世紀転換期における陶酔と美』、この日の第一部「美的カテゴリーとしての陶酔——音楽と演劇」に参加した。全編に渡り使用されているのは独語。無論私は他国語を得意とはしないので、話題についていくのがやっと、と云った塩梅で。実はこの日、同じ構内で催された知人のミュージカル公演を観る筈が、それが満員の為にしぶしぶ追い出されたから、その埋め合わせにここに参加したのだが。アドルノ、ベンヤミン、ニーチェ! ロース、リーグルなど、レジュメに記載された内容はどれも見知ったかの、慣れ親しんだ話題であるけれども、それがただ独語で繰り広げられたとなればまた状況は異なるのである。どうにも単語が羅列し得るばかりで文法にはカラッキシというのは難しい。日本人同士が独語で議論するのを見て、思わず「ほう!」と感心し、そこに演劇のモチーフを探し当てたりなどして、終いには退屈していたのだけれど、大変に面白かった。
駒場東大前に在る古書店にて、
中上健次『鰐の聖域』(集英社、1992年)、
篠田浩一訳『アデン アラビア』(晶文社、1966年)[=Nizan, P. "Aden Arabie" 1931.]、
掛下栄一郎『瞬間と持続』(紀伊国屋書店、1969年)[=Bachelard, G. "L'intuition de L'instant" 1932.]、
小野忍ほか編『中国現代文学選集 少数民族文学集』(Bd. 20、平凡社、1963年)、
を購入した。
それから下北沢へ。古書店に寄り、
木村榮一訳『ボルヘル、オラル』(書肆風の薔薇、1987年)[=Borges, J. L. "Borges, oral" 1979.]、
柳瀬芳意訳『神の愛と知惠—宇宙創造論—』(静思社、1961年)[=Swedenborg, E. "Sapientia Angelica de Divino Amore et de Divina Sapientia" 1763.]、
柳瀬芳意訳『新しいエルサレムとその天界の教義』(静思社、1963年)[=Swedenborg, E. "De Nova Hierosolyma et ejus doctrina coelsti" 1758.]、
高橋義孝訳『フロイト著作集 2 夢判断』(人文書院、1968年)、
渡辺広士訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』(審美社、1972年)[ポール・ヴァレリー]、
多田智満子訳『ヘリオガバルス または載冠せるアナキスト』(白水社、1977年)[=Artaud, A. "Héliogabale ou l'anarchiste couronné" 1934.]、
これらを購入した。
February 21, 2010
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