February 20, 2010

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六本木、21_21 DESIGN SIGHT へ行き、『クリストとジャンヌ=クロード』展を観る。
クリストのデッサンは"印刷されたもの Printed matter"でしか目にしたことが無かったので、それが明白にコラージュだったのを知ることが出来たのは良い機会だった。
紙面で見たときには、彼のデッサンの質感は生々しいと感じていたが、実物の作品を目にする事で、それらがデッサン(絵画)ではなくてコラージュ(彫刻の亜種)であることがよく分かった。このマティエールの"生々しさ"という点を喜ぶべきであるが、このマティエールの生々しさはあくまでそれ自体の質感である。故に、これは描かれた質感ではない。絵画的表現とは、質感を描きとることで、対象の質感を実存から剥ぎ取る行為であるから、彼のコラージュは寧ろ作品中に於ける特異なマティエールを絵画的に塗り込め、絵画である為の平版性を獲得するつもりでいる。作品のカヴァとなっているアクリル・ケースもまた絵画的な平面性を示唆する企図であるが、ではアクリルの平面が画面の(ところで"画面"はどこから始まるのか?)、否、作品の基底面の手前に充分な空間を保持している為に、コラージュとして貼り込められたマティーエールは有無無くその厚みを誇示するのである。が、クリストの作品が言わばランドスカルプチャー的な、まさに"それ"だとすれば、私が今ほど支持した「作品(コラージュ)」というものは実に彼の作品の記録として他立したそれである。とはいえプロジェクトとしては失敗した"作品"、他立する為の紐を失った作品もあるが、ではこれも一つの自立した作品足り得るだろうか。
それからAと合流して、イメージフォーラムにて『ストーカー』[=Тарковский, A. A. "Сталкер" 1979.]を観た。