February 14, 2010

untitled

Aと連れ立って竹橋、東京国立近代美術館へ行き、『ウィリアム・ケントリッジ——歩きながら歴史を考える』展を観た。最終日ということもあり、それなりに混み合っている。客層に若者の多いことは"映像もの"ということで想像通りであるが、それにしても彼(女)らに混じってちらほら見掛けるあの中年・老年の観客たちは、普段は何を職とした人々だろうか(出版関係か?)、異彩といえばそうも思える。
 展示については、混み合っていたこともあり、大体においては辟易させられた。先ずは「導線」のこと、映像作品が部屋の四面に対して投影される部屋では、鑑賞者らが自然中央に集まりがちとなり、部屋から部屋への自由な移動が困難となる(他の鑑賞者の前を、映像を遮って移動することが憚られるため)、結果人の流れが滞り混み合ってしまう。これは小部屋で一面に対してのみ投影を行う場合でも同様に、鑑賞者は最初上映されている作品の内容を窺い見定めようとするので、やはり自然入り口付近は混み合ってしまう。今回の場合、このように混み合った鑑賞者らの背後をくぐり抜けて移動しなければならない部屋もあったので、面倒は感じた。また、映像展示の場合、映画館でのように作品の初めから観始めて終わりまで観るということが出来ず、途中から観始めて一巡するまで観るという方法に依るので、大抵は途中からでは話の筋が掴めず半ばで観るのをやめてしまうか、或いは一巡するまでの忍耐を試されるか、混み合った困難の最中での鑑賞となり絵画を観るに比べれば随分と手間が多い。まして一つずつ作品を片付けていくとなれば総尺以上に時間が掛かる。となれば同時に複数の作品を並行して観ることが好ましく、さらに一巡までの時間がなるべく短い方が好ましい。このために鑑賞者の身勝手により、作品はなるべく内容が明快で短尺の——まるでTVCMのような類いのものが喜ばれる。が、それでは余りに無味乾燥。例えば長く広い廊下のような、一続きの空間の両側に映像が投影され(幅は15mあれば充分だろう)その中央が2mほどの通路となっている、或いはパノプティコンさながらの上映空間、また或いは一つの部屋で複数の作品を上映する場合でも、別個に上映するのではなくそれぞれの作品を一続きにして幾らかずつズラして上映する(映像を用いたインスタレーション作品では無効な方法であるが)などの工夫は欲しい。私は特に首尾よく作品の鑑賞を済ませたいとする性質なので、効率の良い鑑賞の導線が好ましいと感じる。が、無論、このような"効率主義"こそ無味乾燥と言う輩よ、であれば立ち止まれば善いのだし。次に照明のこと、今回は映像上映がされる暗箱の部屋と、作品に関わるデッサンを展示したプロムナードさながらの部屋とが交互に連続して(まるでムソルグスキー『展覧会の絵』かのように)構成されている。(補記。鑑賞者らの流れを暫し観察してみると、大抵彼(女)らは迫って次から次と映像上映の部屋を梯子し、デッサンの部屋ではそれほど留まらないように感じた。それ故に「プロムナード」)。つまり鑑賞者は一連の作品鑑賞においては暗い部屋と明るい部屋とを交互に、明順応・暗順応を繰り返しながら鑑賞するのだが、当然ながら初めのうちはこの明暗の変化にまだ目が慣れない。最初の映像上映の部屋は多面スクリーンであり、かつ先に指摘した通り導線が不適切なので混み合い、さらに部屋の暗さにまだ目が慣れないでいるので、結果人の流れが滞ってしまう。この部屋は特に混み合っているように感じた(時間帯、入場者数の増減にもよるが、滞りの原因を多く備えている)。そのため、この部屋に限り中央部には薄明かりのある方が具合が良いのではないかと思った。同様にプロムナードの照明は若干暗めに(作品に向かう照明はそのままで)した方が良いだろう。先に述べた通り鑑賞者らの大抵はこのプロムナードを飛ばすので、目は次第に慣れ始めるのだが。三つめに、補足ではあるが映像作品のキャプションはプロムナード側(映像上映の部屋への入口にあたる)に付けるか、紙面として配布するかが望ましい。というのも、相変わらず熱心にキャプションばかり目で追って作品を鑑賞する人は多いし、そのような人々の合間を縫ってこれを確認するようなことは(特に私のような性質にとっては)手間であるから。結論としては、美術館での映像展示においては、その建築的な制約から(基本的には美術作品の展示を主眼に設計されているため。インスタレーション作品に関しては空間的な基底の曖昧な作品が多いためにこの難をかろうじて逃れることが多い、それはそれで作品それ自体の難点ではあるものの)様々な鑑賞上の困難が生じる。先日観た『レベッカ・ホルン展——静かな叛乱 鴉と鯨の対話』(@東京都現代美術館)でも同様。ただ、近年のもので言えば、同じ東京国立近代美術館での『ビデオを待ちながら』展は例外的にストレスの少ない印象の展示だった。
 国立近代美術館では偶然、Ysdさんと遭遇した。
それから表参道へと移動し、青山 EAST and MEETS Cay 「蓮沼執太チーム『ワナパンチ!』ツアー・テン」に行く。快快が『Y時のはなし』プレビュー公演を行うということで、それを観に。久々に快快の面々と挨拶を交わす。相変わらず、基本的に彼(女)らの性状は変わらないのであるが、それでも何か思い掛けず、といった具合に、あれこれ吃驚したようにも感じた。

#
ブハーリン:死ぬのはつらいのです
スターリン:我々は気楽に生きていくとでもいうのか