February 17, 2010

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元住吉に在る中古本屋にて、
かわぐちかいじ『太陽の黙示録[建国編]』(Bd. 1-4)、
を購入した。

ファシズム的とされる物言いに於いては「わたし」というものが一つの個性に拠って或る特定の集団を代表するものとして語られる。他方で近年あるような尊大な「わたし」に於いては、個人はあくまで彼(女)の所属していると看做す集団を代表するも没個性によりこの代名詞を支持しようとする。→四人称的
だから殊更に「私的」と当該の集団を狭めるような際に於いては、「わたし」という語についてのこの四人称的な性質の強調がみられる。→積極的な受動性に拠る自己存立
この傾向は、一時の「小集団におけるカリスマの多発」を個々人に於いて継承した、いわゆる"カリスマ"の顛末(成れの果て)と言えよう。これはカリスマが集団から支持されるのに対して、あくまで自分の所属する集団を支持するに過ぎない点に於いては、やはり結局のところひ弱な一個人の横暴である。→小皇帝
「われわれ」とか「みんな」とか言われるものは、今日的な意味合いに於いては結局「わたし」のことである。