June 5, 2008

戸谷森『it's about that time』展

昨日の晴天から、
打って変わって今日は曇天の雨。
気分は晴れ無いね。

渋谷へと行き用事を済ませて
折角だからと思い立ち銀座線に乗り外苑前へ、
戸谷森『it's about that time』展を観に
トキ・アートスペースへと足を向ける。

前回の秋山画廊での個展からそう日が経つ訳でも無い。
が、彼に会うのは何とも久々だと云う感じがした。
以前に会ったときよりも頭髪が伸びていて、
まるで彼の父親に瓜二つな印象を覚えた事に内心笑い声を上げていた。

この日は作品撮影の日であったらしく、
又、生憎の雨であるにも関わらず来客がひっきりなしに
入れ替わり立ち替わりしていた為に、
今回は彼とゆっくり話す事は出来そうに無いようだった。

 この時に展示されていたのは幾らかレリーフ的な匂いのする平面作品だった。奥行きの平板な雪原の風景を背景として、細々とした枝振りが画面の全体を覆っている。前者は艶の引いた、色彩の浅い平面であり、後者は絵具に艶を持たせた、観者の興味を惹く質感により描かれた平面である。この枝振りは絵画面から突出しているように見える——言わば"レリーフ状"の表象を提供している。一般的に絵画は、絵画面から奥行き方向に空間を表象する。他方、レリーフは基底面からの突出により、絵画的な奥行き方向の空間表象を成立させている。今回の彼の作品については、絵具に依る絵画的表現ではあるが、奥行き方向の空間表象よりも寧ろ絵画面から突出した空間表象の方が強いから、これはイリュージョン的な作品だと言える。初見では、この点が今回の作品に於いては余り上手く機能していないのではないか、と感じた。が、この少々トリッキーな視覚操作に、私は寧ろ興味を覚えた——なぜ彼はそのような手段を取ったのか?
 
 その為には、端的に先ず、展名『it's about that time』に於ける "time" の含める意味についてを彼に尋ねない訳にはいかないだろう。それを問うと、彼は即座に「お化け」と返した。そして、雪の降った森を見ていると——この話は、彼の今年2月の体験に遡るのであるが——光が余りにも強いが為に、足下に在る雪と遥か遠くに在る雪とが殆ど同じ白さに見える。言うなれば距離感を喪失したかのような体験に陥る。が、とは云え樹々の黒々としたシルエットの並びからは確かに遠近法的な奥行きの表象も理解されている。すると、頭の中では現実的な空間を把捉してはいるものの、それとは別に、奥行きの消失した仮想の垂直平面が立ち現れてもいる——これは絵画的な鑑賞経験の逆である——から、即ち「目眩」にでも陥ったかのような空間認識の宙吊りを経験するのである。彼に依れば、このような認識の空隙にその「お化け」は棲まうのだという。

 であれば——私は彼の注釈からこの疑問を発意した——、なぜ森の樹々の根元を描かずに、その枝振りのみを全面展開したのか。絵画的な空間表象とイリュージョンとの対比がこの作品には必要だったのではないだろうか? 加えて空間認識を宙吊りにする雪原の効果であるが、背景には平板で不透明性の高い強固な塗面が必要だったのではないか——特に後者の点に就いては、彼元来の彫刻的な感覚に由来するレリーフへの興味の上での昇華を期待して了うのだ。

兎角、その場では彼とゆっくり作品についてを話し合う事が出来なかった。
次の機会を7月に約束して、私は画廊を後にした。

帰りしな渋谷までの道程を歩き、
その途中に在る古書店に立ち寄り
日本古典文学大系『歌論集 能楽論集』(岩波書店、1961年)
を購入した。