November 2, 2008

『事の縁』(旧坂本小学校・上野)

 昼過ぎに、西日暮里の駅前でTksさんと待ち合わせて、谷中までの道程を並んで歩いた。この日は穏やかに晴れていた。陽射しの有るところは少し汗ばむくらいに暖かく、逆に日陰は冷え々々としていた。風はなかった。
 上野まで歩き、旧坂本小学校で催されているグループ展『事の縁』を観に行った。
(以下、展示の雑感を記しておく)
 残念ながら、展示はどれも詰まらないものばかりだった。利部志穂の作品ですら、面白味に欠けたものだった。総括して述べれば、まだ作品の見せ方については技術的に拙く、そして制作態度としては投げ遣りな「もの」がそのまま「作品」として展示されていた。巷では、そのような「もの」の作り手を早から「作家」と呼んでもてはやすことも多いが、然しそれを観る側にとってみれば堪ったものではない。近頃では展示の頒布物だけが立派な体裁をして、そこに書かれている内容も随分と"それらしい"文言が並び立ててあるが、その一方で展示内容はと言えば非常にお粗末である、ということがよくある。これは偏えに「パッケージ主義」とも言い得る、"企画書先行型"の企画に有り勝ちな事態である。先ず「側」の体裁だけを整えて、後から作家の面々が展示枠に収まる。すると大抵の場合はそれを起点として作家が作品制作に取り掛かるのだから、何やら「企画コンセプト」をそれぞれの工夫で模倣したような(彼らはこの手順を指して「解釈」と言う)、とはいえてんでバラバラで足並みの揃わぬようなものが、外面の良いパッケージングによってひとまとめにされてしまう。作品に対するキュレーションというものは先ずない。あるのは人選だけであるから、企画者の意図は個々の作品に及ぶべくもなく、逆に作り手の方が企画者へと擦り寄るのである。とすればやはり、企画者の"提示の態度"としてみれば随分と無責任である。そしてこれが「にわかキュレーター」の横行と、近年みられるような「アート」と名の付くイベントの頻発へと繋がっている。
 個々の作品についての話に戻すと、そもそも個々の作家たちがそれぞれに「作品」というものに対して"どのような定義"を行っているのかが曖昧であることは大きな問題だろう。「作品」としての成果物が展示空間においてはどのような場を占めるのかについて、明晰な想像の及んでいる作り手はやはり少ない。これは企画者が、単に作家に展示場所を割り当てるだけの存在に過ぎないからであるが、とはいえ作家における責任が全然ないということでもない。なぜなら、今日の作家には、例え彼が画家でありまた彫刻家であったとしても、展示に際しては(上に述べたような状況によって)インスタレーション作家としての最低限の素養が必須となってきている——つまり、そのような条件を受け入れることで、作家は様々な「アート・イベント」での展示の場を得ているとも言えるからである。だが結局のところは、「作品」というもののかたちが成立しないことには、最早何を言うこともできないのであるし、近頃喧伝されている「批評の不在」については、「作品の不在」がその原因であるとも、またこの二つの「不在」が並行しているとも言い得るだろう。これは兎角「卵か、鶏か」のような問題であり、さらには批評の不在に有ってもなお「レヴュー」のような文章が作品に対して飽和し続けていることも、また「批評」と「レヴュー」との弁別がいまだ不十分であることもそのような「不在」の主な要因であるだろう。以上のような事柄に因り、やはり個々の作品について言い得ることは少ない。
 個人的には、宮川有紀の紙製の蔦の作品は面白いと思えた。これは天井から壁伝いに紙製の蔦(トレーシングペーパーに白色で葉脈が印刷されたものを用いて構成されている)が伸びて、校舎特有の水飲み場のシンクへと垂れ下がっているもので、それに対して型板硝子の梨地を透かして屋外の壁を伝う生まの蔦のシルエットが重なり合うという情景を描き出している。これは設置の仕方が控え目に抑えられた調子であることにより、観者を思わずはっとさせる効果を生み出している。趣きが有る。だが、敢えて難じれば、作品空間の右方に配置された小さな紙製の蔦と、サッシに挟み込まれて室内に導き入れられた生まの蔦による、いかにも導入的な演出は蛇足であるだろう。この"右方"というのは、展示の順回路が右から左への方向であったことに理由があったのだと思われるが、私は逆の順路から、左から右へとこの作品を発見したのだし、加えて順路のことを鑑みたとしても然し畢竟蛇足であるとしか思われなかった点は惜しい。
 利部の作品は、屋上への行き止まりとなっている階段に設置されていた。一階層分の階段を登る為には一度中間の踊り場で折り返さねばならないから、この作品空間の終点を一度に見通すことはできない。そしてこの見えない終端らしい場所から、ループ状に加工された機械音のようなものが聞こえてくる。階段に向かって右側の壁にはキャプションが貼られていたが、これは先ず無視した。階段を上り始めて踊り場に差し掛かる手前に、つっかえ棒状の単管が150cmくらいの高さに配置されていて、これを潜り抜けることになる。これは中々に面白い効果を生み出している。踊り場の窓からの逆光に因って(昼間の校舎というものは案外に暗い)、この"つっかえ棒"の出現は不意打ちのようにも感じられるからだ。折り返して次の半階を登る。絶妙の具合で個々のオブジェクト群が、まるで引っ掛けられたかのように配置されているのは、利部作品ならではの緊張感を生んでいる。が、今までの作品に比べると密度に薄い感じはした。そして行き止まりの踊り場に行き着く。だが、「何もない」という印象の方が勝った。案の定設置されていたスピーカからは、(キャプションに拠れば)この場所の近所に在るらしい機織りの音を反復している。これは当展示の企画に沿って、「縁(えにし)」という言葉に懸けられた「場所性」の暗示であるが、それが上手くいっているとは思えなかった。この小部屋状の空間からは、網入硝子越しに屋上の風景の覗き見る事ができる。その窓には小さなインクジェット印刷の風景写真じみたものが貼られていたのだが、これは却って屋上の日向の風景へと向かう視線の妨げとなっているように思える。寧ろ私は、それまでの階段での閉塞感から屋上への開放感(然し実際に足を踏み入れることはできない)に繋がる、何か全体を結論付けるオブジェクトをこの網入硝子の窓越しに期待したと思う。が、それが叶わなかったことはちょっとしたがっかりだった。