June 13, 2009

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渋谷から原宿駅前を抜けて秋山画廊へ、『戸谷森——It's like this, it's like that』展を観に行く。その途中、TOWER RECORDS に立ち寄った。
戸谷君が在廊していたので今回の作品についての話をした。
以前の『(トキ)』での作品にモチーフとして現われていた、絵画基底面に並行して全面展開する木の枝が、今回は有効に機能していた。それは、この木の枝のすぐ背後に「棚」という極めて日常的で手の届き易いモチーフが配置され、画面全体に30cmほどの浅い空間表象が企図されていた為だろう。棚には陶器製らしいコップや積み重ねられた本が置かれている。これら木の枝と棚とは一見すると順当な前後の重なり合いを持つかのように見えるが、木の枝の裏で屢々棚板が分断されていることにより、絵画面・木の枝・棚板の前面(そして棚の背板)の並行性が強調されている。また、木の枝の輪郭を基点として緑の木の葉が生い茂りヴォリュームを成しているが、これも一見すると空間表象の最前面より突出しているかのように見えて、実のところは茂りとその基点と見えた木の枝とは空間的な隔たりがあるし、やもすれば木の枝のすぐ背後に控える棚板の前面よりもさらに向こうの奥にあるように見える。このような奥行き方向への段階的な空間表象を意識させる点について、私は即座にヒルデブラント『造形芸術における形の問題』[von Hildebrand, Adolf. "Das Problem der Form in der buildenden Kunst" 1893.](この論文の意味深さは、ボードレールによる彫刻作品の多視点性への批判に対して、彫刻作品の視覚的な読み取りにおいて手前から奥への段階的な方向性があることを指摘することにより、彫刻作品の構造的な正面性を保証することで応えているからである)のことを思い出した。ヒルデブラントも彫刻家であるから、なるほど彫刻から絵画へと転向した戸谷君にも何か共通する思考があるのかもしれない。彼と話している折に、立体物であるモチーフの平面上への移行について、彼はキャンバス面の手前にモチーフを配置し、(アトリエの電気を消して)そこへライティングをすることにより生じる影をトレースして制作を行ったと言っていた。また、絵画を専門とする人が立体物であるモチーフを頭の中で平面化して扱い、それを構成してキャンバス面上に平面として描き取るのとは異なる仕方で、モチーフの立体性をキャンバス面上で直に平面化する試みについても言っていた。この点について、絵画を専門とする人がモチーフの選び取りにばかり熱心となり、空間表象については近頃では特に甘さがある(考察が充分ではない)と私は感じることが多かったので、同意である。ただ、画面上の何箇所かには空間性が曖昧な箇所があり、彼はそれについて「穴のような無限の奥行き」と言っていたが、この点については表現がまだ不十分に感じた。とは云え彼が企図する浅浮き彫り(レリーフ状)の空間表象に対しては面白さを感じた。例えば、無限の奥行き表象については、穴とは異なり逆であるが、東京国立近代美術館の常設企画展で観た小林正人の青空を描いた作品のことが思い起こされる。この作品のモチーフとなっている青空とはそもそも空気の積層から成る"青み"であり、実際には眼球の直後から始まってそのまま宇宙空間の無限の奥行きへと抜けていく積層が"青み"を持って見えるのであるが、それが絵具という物質に置きかえられ、作品として手の届く距離に置かれているにも関わらず、また無限の奥行きを備えた色みとしても感じられることは驚嘆すべき鑑賞体験であったからだ。
それから新横浜へ行き、高校生時代の先輩と会った。