June 19, 2009

untitled

複数のものを一体性により成立させていた舞台芸術(主に演劇)は、観客と云う歴然とした複数性を前に一対多であったが、観客の複数性によって保持されていた対称性が破れて、観客は「みんな」として四人称的な——となった。
(一対多の非対称性を正常なものとして成立していたものが予てよりの舞台芸術である)
一対一では対話である。つまり口語の優位が現われてくる。が、それが行き詰まったならば、一と成った観客と再び多のものとして解体するモダニスム的な(それはポストモダンを経た新たなる価値体系である)アプローチをとるか、退行して舞台上の一体性を再び解体して再-提示するポストモダン的な対応をとるか、或いは複数性を完全なまでに覆い隠すことでファシズム的な仕方をとる方法があるだろう。そして少なくとも中者はすでに為されている。
とすれば新たなるモダニスムか、それともファシズムか。後者は極めて商業的な劇作においては既に充分なかたちで一般化しているように見受けられる。

※個性を規定するもののうち、水平的なものには大きく三つの要素がある。
一つには彼の所属する国家であり、これは軍事行動により輪郭付けられている。次には宗教観があり、これは周辺において他の宗教とも混じり合う為に常に根源的な指向性を維持し続けることで個体性を保とうとする。三つには、言語があり、これも宗教の在り方と同様に周辺での混じり合いを伴うが、彼の意識を外部に現す仕方は唯この方法を以てしかないばかりか、彼の思考の仕方そのものを規定してもいる。
他方で垂直的なものには、時代と世代という二つの時間的な系列がある。前者は単線的であり、かつ客観的な仕方で主体との関わり合いを持つ。それに対して後者は内的な時間系であり個々の要素としては短期的であるが、非線的な構成素を総合するならばかなり長期的な、かつ具体的な経験に基づくような仕方の期間を持つ。