今日は六本木・ミッドタウン内にある 21_21 Design Sight にて『U-Tsu-Wa』展を観た。
小川待子氏の講演が行われていたからだ。
大体100人ほどの参加者があり、盛況な客数だったと思う。
話題に並行してモニタにスライドショーを表示していたのだが、モニタの設置位置が低いために客席の後方からは画像を見ることができなかった。
モニタの位置を2mほどにするか、プロジェクタによる大画面投影、あるいは客席をひな壇状にすることが必要だろう。
講演会場が出入り口に近い事もあり、途中、参加者以外の客が立てる音が思いのほか気になる。
これはそもそもこの建築が公演に適した場所を想定していないことからくる弊害なのだが。
講演内容はとても興味深いものだったが、企画としては最低である。
個人的には、小川氏の近作についての話を聞くことができた点は収穫だったが、彼女の近作を実際に観ることができなかった点に不満が残った。
公演の後、企画展を足早に観て会場を後にした。
というよりも、企画それ自体には何の魅力も感じなかった。
これは展示内容に先立って、展示方法に対する不満が募ったからなのだが。
まるで平面図上で決定されたかの如き展示方法には違和感を覚える。
というのも、「器」というものは実用品であり、手に取り口をつけて用いるものである。
にも拘らず展示として器と観客との距離が余りにも離れている為に、最早"触れる"という好奇心が萎えてしまうのだ。
そして展示案内を見ると、展示物が何か星座を意図した配置をしているらしいのだが、それが分かるのはやはり平面図の上でのことであり、実際に展示を見ている限り、それを意識することには無理がある。
ましてや水盤や、滝の造作はまるで展示物である「器」との関わりを想像することが難しい、全き無駄なノイズである。
例えば実際的には困難であるが、展示された器を手に取ることができるくらいが好ましいように思うし、またそうでないとしたら器の備える「用の美」は殆ど失われてしまうから。
こういう憤りを感じると忽ちに、ミッドタウンという施設の薄っぺらさが気になって仕方がないのだ。
本当に何もない。
トポフィリア(場所-愛)というものが生じない、単に足早に通り過ぎる為の施設だ。
おおよそ「高級〜」という接頭詞が付く商品が並べてあるが、それは専ら都心外からの観光客向けに設えられた記号の集合体であり、高級指向というものからは離れているように思う。
先ずあれに満足するような輩は成金趣味なのだと思わねばならない。
ミッドタウンとは、そういう"高級っぽさ"を充足する為の施設にしかない。
少なくとも建築的なフェティッシュを満足させるものとは到底思えないのだ。
March 22, 2009
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