December 31, 2007

untitled

冬で始まり、
冬に終わる哉。

untitled

父親に連れられて近くの大型中古本量販店へ行き、
筒井康隆『着想の技術』('83年)と『TECHNODON(テクノドン)』('93年、YMO再生の際に作られた鼎談記録)を買ってもらう。
「買ってもらう」だなんて、今時分の身の上となっても
やはり随分と微笑ましいものぢゃないか。


#
「今ちょっとね、出まかせっていうか、思いつきで言ってみるとね、東京って今、音楽は「ドリ・カム」みたいに、TV の主題歌にならないとヒットしない――みたいなパターンがあるでしょ。「愛」っていう普遍的なテーマがミリオンセラーになる条件だったり。けれど、逆に全く「愛」とか何も言ってない「無意識の塊」みたいなものがミリオンセラーのマーケットにポンと出て、それがなおかつミリオンセラーになっちゃえば、大きくマーケットを変えちゃうきっかけにならないとも限らない。」
[『TECHNODON (テクノドン)』1993.1.23, 坂本龍一]

「何か日本の連中って、家に戻れちゃう空間でやってるって感じしない? だから何も見えてこない、出てこられないのかも知れない。ままごとだよね。(…)日本のロックって「今、家を出よう」とか「街を捨てよう」とか言うけれど、この 30年間で死んだのって阿部薫と尾崎豊ぐらいしかいないんだから、日本て平和な国だよね。デタラメになっていくのは女の子ばかりでね。女は国境を越えてゆく。」
[ibid., 1993.2.17, 細野晴臣]

「いろんな意味でね、日本は鎖国してるよ。特に東京は、世界の情報や文化が陳列されてる空間なんですよ。隙間なく並べられていて、だからそれ以外の情報は存在しないかのように見えてしまう。情報がないんじゃなくて、あるように見せることで「異質」なものを認めない。(…) 「離れている」というのは一種のフィルターになっていて、そこには輸入と翻訳というプロセスがあるからさ。」
[ibid., 1993.2.25, 坂本龍一]

December 30, 2007

untitled

 正月に帰郷するのは3年振りとなる。
散歩がてらに、駅から実家までの擦れっ枯らしの夜道を歩く。

 帰宅して久々に栄養のあるものをたらふく食べ、
これまた久々に畳敷きに伏せって、ちばてつや『おれは鉄兵』を全巻読み通す。

December 28, 2007

『小指値の忘年会』@STスポット

 『小指値の忘年会』の為に STスポット(横浜)へ行く。
 私は彼(女)らの公演を映像でしか観た事が無かったので、これが生までの初見となる。

 舞台上で繰り広げられるのは、どこまで行っても"素人芸"である。けれども素人にはここまでの芸事に昇華する事は出来ない。その態度は、近年の素人主義的風潮に釘を刺す。彼(女)らは決して上手では無いが、それでも彼(女)らの身体性の底にある「技術」こそが、単なる素人芸から明晰に一線を画する作品の為の強度となる。それ故にディレッタントな技術指向に陥らず、かと云って過度の嘲笑が含まれている訳でも無い。ちょっとした高揚感は在る。少しばかりの享楽性も感じられる。言うなれば非常にポップで、短絡的な浅薄さとも無縁な、表現に於ける「軽さ」が在る。だから今、彼(女)らが面白いのである。

07.12.28_20:11


07.12.28_19:12


December 27, 2007

07.12.27_16:34


07.12.27_16:28


07.12.27_16:27


07.12.27_16:26


untitled

 晴れたので、恋人と連れ立って神奈川県立近代美術館(葉山)へ行く。
この日は大変に気分が善く、そして陽気だった。
催されていたのは『プライマリー・フィールド 美術の現在——七つの〈場〉との対話』展、
出品作家に大森・青木・田和の名が有った事に惹かれた。
 京急に1時間以上揺られ、その間にも刻々と光の様相は変化し
そしてとうとう気候の違いまでをも示し始めていた。
それは何と云うか、「随分と遠くまで来たな」と云うような実感をもたらした。
 新逗子駅からバスで海岸沿いに10分少々——既に朗らかな日差しの為に眠たくなる。
 冬の太陽は低く滑らかで、けれども幾らか毛羽立っているようにも思える。
それはおそらく、ガラス越しの故だろうか。

December 26, 2007

untitled

友人のブランド "mögno" のショーを手伝う為、品川に行く。
一部で「てんやわんや」もしたが、全体としてはほぼダイヤ通り。
まずまず。悪く無い。

December 24, 2007

untitled

会う度に母が他人の死を連れてくるように、
私も誰かの為の死を連れていたい。

December 23, 2007

untitled

EDGE(渋谷)にて『ぬかった日』を観た。

「何て酷い演劇なんだろう!」と思った。
そこにはただ形式だけがあって、
それ以外には何も無かったからだ。

#
つまり「内容」が無かった。
演劇として成立する為の形式をすっかり満たしているにも関わらず、
然しながら、不活性な物質(骨、残余)すらも形式だったのだ。

untitled

『蟲師』と『もやしもん』との比較なんてこと、
してみると面白いのではないかしら。

December 22, 2007

untitled

巷では鋭い感じの作品を取り上げて「芸術の為の芸術」つまり「純粋芸術」なんて言い方をするけれども、私はそれが好かない。
というのも、何かの為に奉仕するものを、もはや「作品」とも「芸術」とも呼ばないからだ。

untitled

Gracq, J.氏死去。

December 21, 2007

『ぬかった日』





『ぬかった日』、2007年12月、HDGE(渋谷)。

December 20, 2007

untitled

引き続き、やっぱり仕込み作業をやっていた。
今日で完成。
舞台空間の肌合いの調子が、水銀灯の光により
上手く浮かび上がったように思う。

07.12.20_21:39


December 19, 2007

untitled

今日も件の仕込み作業。
で、明日も仕込み作業。

December 18, 2007

untitled

後輩の卒業制作公演『ぬかった』の仕込み@HDGE(渋谷)。
帰りしなの電車の中で、柄谷行人『漱石論集成』を読んだ。
2年振りに映像作家の天才I氏と喋る。

古谷実『ヒミズ』(Bd. 1-4) を読み直す。

untitled

君にハマったらどうしよう!
別に、それが怖いとかヤバいとかじゃ無くて。
でももしそうなったとしたら、きっとスゴく面白いことになる。
なんか上手くいきそうって、君もそんな気にならない?

December 17, 2007

untitled

「小指値」のスタッフ・ミーティングの為に新宿へ行く。
酒を呑みながら簡単にアイディアを出し合う。
終電で帰宅する。

December 14, 2007

07.12.14_16:44

Takebashi, Tokyo

untitled

東京国立近代美術館『日本彫刻の近代』展の為に竹橋へ行く。
常設展を観た後に、工芸館を経由し北の丸公園を抜けて武道館、靖国神社へと経巡る。
それから新宿へと赴き、「小指値」の軽い顔合わせ。
小指値の演出家・篠田が私に提示してきたモチーフは「東京」、それと「国道16号線」——つまり「東京」との距離感の経験こそが今回のメインテーマである。
あっは! まさに"今"。
まるで願ったりと云うようなお題目に、私は久々興奮した。

December 13, 2007

untitled

森博嗣『ダウン・ツ・ヘヴン(Down to Heaven)』、『フラッタ・リンツ・ライフ(Flutter into Life)』を買う。どちらも文庫版。

December 11, 2007

untitled

 世間に響いた「ググれ」の大号令により、近頃では「知らん」と言う事が大変憚られるようになった。それ故に皆、何かにつけて「分かる」と言う、が決してそれについてを理解している訳では無い。畢竟「目にした事がある」くらいの意味合いだから、負けん気の強さだけが人一倍に強まった。こうして人々がまだ知らぬものは新奇の事柄だけとなり、話の内容がよほど込み入りでもしない限りは相手の程度を気にする事も無くなった。そして道理の分からぬ相手にも「納得」だけは与えねばならない世知の義務が課されるようになった。のみならずこの無知奴は、例え自身の選択により失敗を蒙ったにしろ、寧ろ自ずからの信念がそれを選び抜いた結果であることに自信が有るから、反省を覚えようともしない。転じて彼の無知は私自身の責任と云うことになる。驚いたね。それ故に結局、私は何かを知らぬことに対しては真っ先に"恥"を覚えるようになった。

「ここぞという瞬間に、よりによって最近いちばん人気の高い流行歌に左右されてしまう人生があるとしたら」
[Benjamin, W. "Der Sürrealismus" 1929]

——と云う具合に。

December 10, 2007

untitled

山田芳裕『へうげもの』(Bd. 5) を買う。

December 9, 2007

untitled

レーニン『国家と革命』、エンゲルス『フォイエルバッハ論』、夏目漱石『硝子戸の中』を買う。全て岩波文庫。

#
レーニン『国家と革命』=В. И. Ленин "Государствс и революция" 1818.
エンゲルス『フォイエルバッハ論』=Friedrich Engels "Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie" 1888.

December 6, 2007

untitled

Jean Giraud (Gir/Moebius) [fr.wikipedia] >>>

#
ジャン・ジロー: 1938.05.08-、仏、漫画家。

December 5, 2007

untitled

junk堂新宿店にて森博嗣『ナ・バ・テア(None But Air)』を買う。文庫版。

untitled

Stockhausen, K. 氏死去。

The New York Times >>>
tagesschau.de [video] >>>

December 4, 2007

untitled

いくえみ綾『潔く柔く』(Bd. 6) を買う。

December 1, 2007

untitled

下北沢の古書店にて埴谷雄高『影絵の時代』を買う。

November 30, 2007

untitled

浦沢直樹『PLUTO』(Bd. 5)、井上武彦『バガボンド』(Bd. 27)、森博嗣『スカイ・クロラ(The Sky Crawlers)』(文庫版)を買う。

November 18, 2007

『家を持ち替える』

利部志穂『家を持ち替える』を観る為に登戸へ行く。







November 17, 2007

untitled

"Tokyo FILMeX 2007" の為に有楽町へ行く。
この日に上映されたものは、"Chacun son cinéma"(邦題『それぞれのシネマ』)と賈樟柯(Jia Zhang Ke) "無用(Useless/Wuyong)" の二本。前者はオープニングセレモニー付き。
間に一時間程の休憩を挟み、続けざまに観る。

October 20, 2007

untitled

『神霊狩/GHOST HOUND』を観る。
方言・字幕無しと云うのが新鮮。
さてそろそろ、再び阿部和重を読もうか?

September 24, 2007

September 5, 2007

ソテの味

I.
「机のソテとは、それは実に珍しいものではあるけれども。美味しいのですか?」
——美味しいのです。
「それは本当ですか? 本当に美味しいのですね。」
——そうなのです、私は嘘は言いません。本当に美味しいのです。
「そうですか。不思議な事に、何だか私はそれがとても食べてみたくなりました。」

——と云うような夢を見た。

II.
「机のソテとは大変に珍しい。然しながら、美味しいのですか?」
——美味しいのです。
「それは本当ですか? 本当に美味しいのですね。」
——そうなのです、私は嘘は言いません。本当に美味しいのです。
「そうですか。不思議な事に、何だか私にもそれがとても美味しいもののように思えてきました。」

——と云うような夢を見た。

III.
「机のソテとは大変に珍しい。然しながら、美味しいのですか?」
——美味しいのです。
「それは本当ですか? 本当に美味しいのですね。」
——そうなのです、私は嘘は言いません。試してみたら如何かしら。
「そうですか。不思議な事に、何だか私にもそれがとても美味しいもののように思えてきました。」

——と云うような夢を見た。

IV.
「机のソテとは、それは実に珍しいものではあるけれども。美味しいのですか?」
——美味しいのです。
「それは本当ですか? 本当に美味しいのですね。」
——そうなのです、私は嘘は言いません。本当に美味しいのです。
「馬鹿ぢゃないかしら、机のソテなんて。然しながら、どうやら私はそれを欲しているようです。」

——と云うような夢を見た。

V.
「此処かね? 机のソテを食わせる店は。」
——美味しいのです。
「それは本当ですか、本当は美味しい机のソテなんぢゃありませんか?」
——そうなのです、私は嘘は言いません。本当に美味しいのです。
「そうですか。不思議な事に、私は心底、机のソテが嫌いになりました。」

——と云うような夢を見た。


August 18, 2007

或る寓話

私は、カッフェで呆然となりながらも、
周囲の会話にだけは聞き耳を峙てていました。
手にしていた本に集中する事が出来ず、
字面ばかりを眺めていました。
ああ、人の声と云うものは何てうるさいのだろう
と、他人がとても煩わしいものに思えてきました。

「名詞と云うものは対象を捉えるものです。
言葉は対象に同化し、それに成り代わろうとします。
Je suis や Ich bin もそうでしょう、
そう云う時の一人称は、鋭く"私"と云うものを刺し貫くものです。
ところが、日本語に於いて"私"と言う時には
私と云うものがどこか遠くに在って
まるで彼であるようなものを眺めるように"私"と言うのです。」

誰かの言葉が不意に頭の中に流れ込んできたので
それを聞いた私は遂に怒り心頭となり、
思わず目の前に在る鉛筆を数本ばかり掴んで
床の上に投げつけたのでした。


August 13, 2007

August 11, 2007

失語症を覚えて

     現代兵器のコンピュータ化の為に、操作者は只決断を下すのみとなり、操作は尽く自動化され煩わしい作業からは解放された。最早、兵器を操縦する事は不要である、操作者は思考にだけ専念すれば善いと云うようになった。
     「クリーンな戦争」が実現すれば、いずれ攻撃をするか否かの判断すらも自動化され、操作者は「只、生存本能を発揮する」と云うような一つの"機能"として兵器に組み込まれる事になるだろう。機械に欠けているのは生存本能であるから、生き残りさえすれば他の雑事は全て機械がやってくれると云う訳だ。が、その代わりに鼠の1匹でも放り込んでおけば充分だ、と云う事でもある。
     ——こうして戦場には誰も居なくなった、と同時に、人間も消えて了った。


July 24, 2007

新鮮な魂

私は、陽も暮れた川沿いを2台の自転車で並走していた。
——親し気な伴侶を連れて。
夕闇は明るく、演劇的な慣習により
夜道は青い光を照り返していた。

彼女の口元だけが優しく微笑んでいる、
私は上機嫌で、そして酷く滑稽だった。

「夕飯は何にするね?」

私は訊いた、が、目の前は急に闇へと沈んだ。

私は寝返りの最中に目覚める。
気が付けば夕闇のように薄暗い曇天の朝だった。
その侭、彼女の答えを聞かずに目覚めて了った事は
大変に悲しかった。

と云うような夢を見た。


July 19, 2007

May 24, 2007

07.05.24_17:36

Shinjyuku, Tokyo

May 18, 2007

左手の夢

「率直に言うが——、君はピアノを弾くには向いていないようだね。」

窓際に佇み陽光を背に浴びて黒ずんでいた彼は、そう言いながらぐるぐるとピアノに向かう私の周りを歩いて回った。それから、彼は200周ばかりぐるぐると歩き回っただろうか……、私は音を出さないように注意深く鍵盤から指を宙に浮かせて課題曲の運指を確認しながら、傍目には熱心さを装いながらもひたすらに彼の動きを目で追い続けていた。

(彼は馬鹿になったのだ、気でも違ったに違いない。だって、あれから飽きもせずにまだぐるぐると私の周りを回っているのだから!)

丁度、800周目に突入しかけた彼が不意に立ち止まり、かぶりを振って自身の切実を幾らか強調しながら私に向かってこう言った。

「思うに、ピアノは君向きの楽器では無いようだ。と云うのも、君はピアノを弾くとき目一杯鍵盤を叩くし、すぐに調子っぱずれな音を出す。蓋を閉じたり開けたり、弦を切るチューニングをすぐに狂わせる、ピアノの上で寝る踊るルンペン紛いに、演奏中にものを食べる、放屁する、挙げ句の果てには脱糞放尿性交淫乱、……さらにはピアノにラリアットを喰らわせてジャイアント・スウィングで投げ飛ばす始末だ。私はね、これ以上君にピアノを教えるのはとっくに限界だと思っている、そこでだ——」

彼は散々歩き回ってさらに絶叫せんばかりの大演説をおっ始めたのだから、最早ふらふらで立っているのも不思議なくらいだった。私はしなやかに欠伸を繰り返しながら彼の風船のように膨らんで紅潮した顔をぼんやりと眺めていた。

「そこで、君には何か別の楽器をやらせた方が善いのだと思う。と云うのも、確かに、このまま訓練を続ければ君はピアノを自在に弾きこなすようになるだろう。」(嘘を付け!)「君は今以上に上手くなる、間違い無い、それは私が保証しよう。」(嘘を付け。だって、ちっとも上手くはならない! 満足に弾ける曲なんて唯の1曲も在りはしないぢゃないか!)「けだし君も、このまま辛い訓練を重ねるのは退屈だろう、そうだろう。」(そうだ、そうだ)「違うかね?」(全く以てその通りだ)「そこでだ、手っ取り早く何か君向きの楽器を見付けて、一先ず何か曲でも1曲弾けるようになれば、君ももっと音楽を愛するようになると思うんだね。ピアノの習得はそれからだって遅くは無いと思うが、如何なものかな?」

(こいつ、そんな事を言って、さっさと僕からピアノをひっぺがしたいに違い無い。そうだ、そうに違いない。こいつは僕がピアノとあんまり仲良くするものだから、きっとそれを僻んで嫉妬してるに違い無い。そうだ、そうなんだ、きっとそうだ。こいつはピアノとだって"ヤル"男だ! 家に帰れば裸でピアノと寝てるんだ、それだのに僕が放屁をするぐらい何が悪い、ケツの穴くらいよこしたらどうだ!)

「先生、然しながら私はもう200年ばかり、こうやってピアノの前に齧り付いて訓練を続けているのですよ。あと何年生きられるかなんて分かったものぢゃ無い。それだのにこの期に及んで別の楽器を習得せよと、そうおっしゃる訳ですね。ああ、積年の苦労も水の泡! 何て事だ、恨みますよ先生、酷い、何て人だ、一生呪ってやる。」

「まあまあまあまあまあ、とは云え君は瑞々しく今だってぴんぴんしているぢゃないか。女性との夜の営みも数知れず、旺盛だ。大丈夫、君はあと数百年は生きるよ。それよりもどうだね、この楽器を試してみては——」

そう言って先生は私にしかめっ面をしながら"カズー"を手渡した。

「先生、酷い、あんまりだ! それにこれじゃ、満足に1曲だって吹けやしない。いや、吹けるものもあるだろうが、然しそれを曲と言っても善いものだろうか……、何にせよ音域なんてものが無い、狭過ぎる! 何をやってもまるで一本調子だ、嫌だ、変化だ、波瀾万丈をください! ぴっぷくぷー。」

私は激しく地団駄を踏んでその場に突っ伏した。それから床に寝転がり呆然として空を見上げ、さめざめと泣いた。


May 11, 2007

May 5, 2007

07.05.05_17:49


岡本太郎《明日の神話》@MOT

April 26, 2007

April 11, 2007

"La Science des rêves"(邦題: 恋愛睡眠のすすめ)

Michel Gondry "La Science des rêves" を観た。
彼の作品を知る人ならば想像に難しく無い筈だ、
この映画にも彼独特の無邪気さが漂っている。

主人公Stéphane(Gael Garcia Bernal)は、
隣人Stéphanie(Charlotte Gainsbourg)に恋をする。
ところが、メキシコ育ちのステファンは仏語を喋る事が出来ない。
だからステファニーとの会話は全て英語だ。
屢々、仏語の会話に乗り遅れるステファン、
他国語を得意としない私は、英語の会話にすら取り残されている。

March 16, 2007

『利部志穂』展@なびす画廊

私の同級生である利部志穂の個展を観る為になびす画廊(銀座)へ行く。

 作品を構成するのは廃品の寄せ集めで、用いられた素材それ自体は最早フェティッシュでしかない。「組み合わせ」と云う事が作品に於ける最低限の「形式」を成り立たせている。つまりこの作品に於ける大半は質料に対して費やされている。だから寧ろ、この作品の成り立ちの為に必要な"複数にして単数の土台"と云うことが問題になってくる。空間に於ける個々の部材の配置と云う事よりも、それぞれが共動しながら建築/場と関係を結んでいる事にこそ着目するべきである。
 この作品から催される情調は余りに彫刻的であるのに、もし「土台」と云うことが問題にならないのだとすれば、これは単なるインスタレーション作品と云う事になってしまうだろう。それではこの作品の持つ楽しみを欠いてしまうのだ。

#
『利部志穂』展@なびす画廊 >>>
 http://www.nabis-g.com/exhibition/2007/kagabu-s.html

March 5, 2007

Shoegazer

冬の寒さに暖かな強風を感じる時、
それがどんなに乱暴な様子だとは云え、
人の心は浮き足立たずに居られない。
そろそろ春がやって来るのだと云うことを
鼻先に触れる好奇心から察している。

梅の花の咲く朝は、冬の景色である。
先日、上野恩賜公園を訪れた際に目にした大寒桜の紅色は
この時期のものとは云え、異様であった。

春はまだ来ない。
夜ともなれば空気は凍てつく。

ところが春の気配の目につく度に、
人の心は一層逸る。小躍りをする。
それは、春の気象と云うものを
生来から知り得た為の確信だった。

この慌ただしさが春である。
春は嵐と共に訪れる、生煮えの春だ。
湿気を孕んだ空気、粉雪の如く風に舞い散る雨。
乱気流と、雲の変幻の連続、そして仄暗の空。
全てに春雷を予感した。


January 28, 2007

January 26, 2007

January 3, 2007

January 1, 2007

07.01.01_01:03

Shinjyuku, Tokyo