February 28, 2008

untitled

 この日は先ず秋葉原へ行きケーブルやプラグ類を買い付けた。重い。キャスター無し、全てを手持ちするには少々辛い。浮き輪のような電気ケーブルひと巻き100mを肩に担ぎ、両手にはプラグ類数箱や特殊工具類の入ったビニル袋、肩掛け鞄からは巨大な結束バンドが数袋顔を覗かせている。
 このような極めて正しい秋葉原スタイルは、無論周囲の目を引く。この姿のまま総武線に乗り込み市ヶ谷へ、Trちゃんとの打ち合わせに行く。
 それから新宿へと移動。

Akihabara, Tokyo


 新宿のジュンク堂にてハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』を購入する。まるで"できたてほやほや"と云う感じのする、小口がぶわっと開いたまま閉じない。
 『エクス・ポ』(vol. 2)を探すも、どうやらフライングだったようだ。

 その後、Galaxy Countach でのイベント・DJぷりぷり「ぷりぷり居酒屋」に顔を出し、すると友人たちがどやどや遅れてやって来たので、結局終電の時間までそこに居座る。途中、数人で寄り集まりトランプに興じる。
 このイベントはDJぷりぷり(イベンター)を中心に、八木沢俊樹(ギャラリスト)と近藤恵介(ペインター)の3人が訪れた客へ自作の料理を振る舞うと云うもの。チャージ料金は1,500円、1ドリンク付き。広く告知されなかった為か、やって来るのは誰かの友人。それ故に「店」と云うよりは「家」、あたかも友人宅で催されたホームパーティのように、その場に於けるコミュニケーションには親密さが強調され、居合わせた人々は互いに誰かの友人としての知人である。だからカウンター・テーブルを挟んだ対面式の会話と店の隅で交わされる密やかな会話、と云う個別の団欒では無く、もてなしは屢々カウンター・テーブルを越えてゆく。さらには客も自作の料理を持ち寄ることで、序々に純粋贈与のすがたが現れてくる。つまりは一旦確立された交換の図式が、コミュニケーションの横溢により次第に解体されていくのだ。とすれば"ぐだぐだ"を避け、この歓待のひと時を枠付け固着する為にはどうすれば善いだろうか? Rirkrit Tiravanija(リクリット・ティラバーニャ)や Félix González-Torres(フェリックス・ゴンザレス=トレス)のことを思い浮かべながら振る舞われた鍋を突ついた。

 ふと、私の周囲には「料理」を趣味として楽しむ人が多いことに気が付く。私はと云えば、特に"食"に対してこだわりを持たないようにも思えるし、そして時には食べることがとても煩わしいもののように感じられる。「料理」と云う作業、この幼児のする工作にも似た手遊びに、心が躍るような時もあるが、それよりは寧ろ空腹により急かされてする労働と云う気分になることの方が多い。そしてどちらかと云えば、使い終わった食器類をお湯で以て洗うことに対してなぜだか至福を感じてしまうのである。
 だからもし、食事について何か楽しみが有るとすれば、それは誰かと向かい合い食事に費やすひと時を共にすることついてだろう。