May 17, 2009

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昨日に引き続き、飯田橋の日仏学院へ。「オリヴィエ・アサイヤス特集」プログラムのうち『デーモンラヴァー』("Demonlover" 2001.)と『ノイズ』("Noise" 2003.)を続けて観る。上演後、ジム・オルーク/青山真治の対談があった。対談後のライブには行かなかった。
『デーモンラヴァー』は、結末部へと至る過程によくわからない点があった。主人公が同僚を撃ち殺すシーンのアンヴィヴァレントな行動が物語を読み取る基点となるように思う。
『ノイズ』は、ノイズ・ミュージックを聴いていると、気分の善し悪しにより音楽から興味が離れて眠たくなることがあるが、この作品も例に漏れず、所々で個人的には退屈な瞬間があった。この感覚は人それぞれ、仕方のない点だと思う。Sonic Youth としては作品中に登場しない(このイヴェントの2日目に Sonic Youth のライブがあったようだが、その映像は作品中に収められていない)。
対談後、相変わらず退屈な質問をする輩がいた。否、あれは質問ではなく、唯、独自の見解を述べているに過ぎない。まるで己の特殊性を誇示するか、或いはひけらかすかのように、自己完結の見解を述べるのはいいが、舞い上がり、結局はそれを質問としての文脈にまとめることが出来ずに、口籠り、挙げ句に受け手は解答に苦慮する、という具合に。思うにこの傾向は非専門家に多い、思い込みが強過ぎる結果、感想を断定的に提示しがちだ。又、専門家やそれに準ずる知識を持っている聴衆は、講演内容にあらかた興味を満足させられるからか、或いは質問内容が専門的であり過ぎるのを嫌って控えるためなのか。結局はそうやって、講演会やシンポジウムでの質問で、良い質問に出会すことは少ない。