May 29, 2009

untitled

不安に駆られて描いた一枚というものは、当然ながら我々の心底を打つ訳では無い。

さも分かったように書く。決して分かった振りをして書くのではなく。

作品に対して批評的な態度を取り続けるほどに、私は作品との距離を明晰に隔てていく。

私は聞いた——まだ幼い子供が○○と言うのを。私は確かに(それを)聞き逃さなかったのだ。

The Google was the Eshlon, you see.

近頃では人々は余りに自身の無知をおくびなく晒す。
そうでなければ「ググれカス」の知ったかぶりか。
無論として、無知はそれ自体としては恥ではない。
やもすれば様々な無知の最中で人は常に何かを述べなければならないし、またそのように要請されもする。
だからこそこのような不確かさの上でも語気を強く保たねばならないが、それは言い切りの良さや断定に価値があるのではない。
自分がそれについて知らないということを安易に覆い隠すべきではなく、無知というものは常に発言の余地として保持しなければならない。
このことについて、一般的に言われているのは謙虚さ、広義には厳密さ、である。